2024年4月が始まり、新しい教室のスケジュールでの流れも掴めて来ました。
昨年の2023年に「新しい横浜武術院の活動」を横浜金沢の土地でスタートしました。
振り返れば2000年に横浜へ東京から移転して来て港北区では22年間生活をして来ました。
金沢区へ来てから、まだ1年と4ヶ月ですが、もうすっかり慣れて自分はこちらの土地がとても合っています。
横浜市港北区に出て来た理由は、いくつかありましたが一つは往来の通勤電車が疲れて心身によくないこと、そして1999年に本格的な伝統中国養生を学び実践し始めたことでした。
やはり自然のある地域でなければ本当の体感は難しいと感じたからです。
特に伝統気功での「吐納術(吐故納新)」や「導引」の実践と更なる研究を日本人で行っている人が全くいないので、自身の研鑽から来るもの、入手した文献からの分析を、自然のある静かで空気のきれいな環境を求めるようになりました。
港北区からは、比較的緑の多い、緑区や旭区には近くで気軽に行けて、良い自然環境がありました。
それからだんだんと丹沢の弘法山や大山に足を伸ばしたりしました。
昔から馴染みのある鵠沼や江の島、古都鎌倉も良かったです。
そして三浦半島にも来るようになりました。最初は相模湾の逗子、葉山あたりに来ていましたが、
一つのきっかけで金沢文庫、称名寺の展示会に来て、図書室にあった鎌倉時代の日中文化交流での文献の多さに驚き、歴史の長い金沢区を知りました。それから時折やって来て、金沢文庫で文献を紐解き、市民の森を散策しました。
はじめに来た時に、海の公園という看板が見えて行ってみましたら素晴らしくきれいな海が迎えてくれました。
そして別の日に、東京湾に面した金沢八景の海で潮干狩りも楽しみました。
観音崎や走水にも行くようになり、東京湾がとても美しいことを知りました。
そして神武寺もよくハイキングで来ていました。
やはり、とても縁があったのだと思います。
コロナ期間のさなかで、考え抜いて京急線の広告で「SDGs」のプロジェクトを知り、自分の身につけた能力や教養を活かし、都会よりも自然ある環境で、健康に長く有意義な人生を過ごしたいと思い始めました。
東京首都文化圏の都会ではやることをやり抜いて、1985年から始まった中国大陸での学びも、来年の40年を前に大きな区切りになった感じがあります。
日本の政財界や米国との外交関連を見ていくと、中国との関係性が強いと、かえってデメリットが多くなることをふまえて、自分のキャラクター的には、日本国内で横浜を中心の活動をメインに置いて、地道な普及と、
特に日本社会の傾向を見ていくと、同世代的に固まっていくように感じました。
私自身のポジションでは、日本の今後の人口動態を鑑みて思うと、これまで通りの一番多い年代では、年配の皆様の健康増進活動。
そして自分の世代が、次に多くなり、ポストコロナ時代で重要視される、
真摯で真面目な「健康なからだづくり」の活動にご協力していきます。
太極拳、健身気功のスタイルも従来の旧型感覚よりも、これからの活動を共に協力し合えるようなスタイルを、一緒にサステナブルに作っていきたいと感じます。
気づけば、パスポートの有効期限が切れていて、もう海外に出ることも関心も薄れてしまった4年間のしめくくりでした。
しかしながら、次なる目標に向けて踏み出し、この1年間は大変でしたが、新しいライフワークの構築ができました。
新しい指導スケジュールも、イメージが出来たので、ゆかりある金沢区でコツコツ今年も頑張って参ります。
よろしくお願い致します。