世界の根源から離れないもの、それを「天人(自然と合一した人)」という。
自然の精妙から離れない人、それを「神人(神的な人)」という。
ありのままの真実から離れない人、それを「至人(最高の人)」という。
この「天人」「神人」「至人」の立場を受けて、真実の道を入口とし、そのようにして現象世界の変化に流されないでいる人、それを「聖人」という(われわれの理想はここにある)
仁愛の徳で恩を施し、正義によって条理(筋道)を立て、礼儀に従って行動し、音楽によって和諧をとげ、おだやかなありさまで慈愛に満ちた人、それを「君子」という(これを儒者の理想である)
法律によって制度を立て、官名によって その職務をはっきりさせ、それを実務と比べて成績を調べ、考え合わせて事を決し、それを処理する方法は、一二三四と整理して順序づけていく、これが「百官」である(法家の人々の主張を言う)
労働を日常の仕事とし、衣食のことを第一とし、耕作を盛んにして貯蔵をゆたかにすることを心にかけ、老人や幼子、孤児や寡婦(よるべなき人々)をみな養っていくのが民衆の正しいありかたである。
(聖者は王者として、そのすべてを包み込む)
聖者は「詩:人の心を語るもの」「書:昔の事蹟を語るもの」「礼:人の実践を語るもの」「楽:世界の調和を語るもの」
「易:陰陽の気のめぐりを説くもの」「春秋:君臣父子の大義名分を説くもの」
これらの学芸を通じて、処世にあたるものである。