本当の「悔しい」は、「自分を表現する喜び」を自分に感じられないこと | “私”と世界に恋して生きる♡ブログ/かまたりほ/在り方・恋愛・美容・生活

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今日で5月も終わりなんて…
本当に早いなぁ。



先週のお話し!

5/20.28開催
イオナさん主催「好きなことで生きていく」
というこちらのイベントに参加してきましたウインク




#圧倒的開眼塾 の塾長のイオナさん
主催のイベントで、当日はトークイベント✨

その他にアート作品の提示や
販売もあって、

私は人生初の似顔絵を
描いてもらったよ指差し飛び出すハート




赤薔薇hiro_hatoさんのInstagramはこちら



Hirookiさんは絵を描く時に

「その人の色」が観えるんだそうで


私もその色を描いてもらった。♡




そう言えば似顔絵を描いて貰ったのも
人生で初めて照れ飛び出すハート



今までは自分の顔が好きじゃなくてね笑

鏡で観るの嫌な時期があったり
だから他の人に見つめられて
似顔絵を描いて貰うなんて

ほーーんに考えられなかったなぁ。



人生はじめての似顔絵は
私が自分自身にも感じてた
ピンクのオーラを、黄色のオーラ
が包んでいるカラーのまま

まだ私の奥にたっくさん眠ってる
「凛」とした私を描いて貰った感覚で
すごく嬉しい。♡

本当にありがとうございますっ!!♡





Hirookiさんは普段海外で活動されてて

日本にいるのは、すごく珍しいのだとかびっくり


そういう人に現実として出会えるのも
すごく有難いな、と私は思うし
刺激をたくさん貰えたなと思う。




私は例えば自分の叶えたい
実現したい願いがあったとして、

それは私その願いを直接知らなくても
たくさんの人の力や、配慮、ご縁
叶って行っているものだと思ってて

だからこそ人に会うってことは
自分では創れなかったものが
創れるようになったり、
自分1人じゃできないことができたり


あらゆることは、人が運んでくるんだ
人が繋いでくれているんだと

実体験からも、イベントに参加して
改めて実感した。










私、この人と繋がる
ってことがいつの間にか苦手になり
怖くなっていたことに気づいて

「自分の殻」に閉じこもり
自分で決めた、しかも本当は嫌な概念や
価値観をたくさん自ら背負っては



人に対して、もっというと
自分自身に対して
心を閉ざしてた。


このイベントに参加する前に

そこに向き合うタイミングが来た。






私が素直になれなかったのは、
悔しいという気持ち。




私ね、元々めちゃくちゃ
めちゃくちゃ、めちゃくちゃ負けず嫌い!w

とにかく「負ける」ってことが嫌で、



子供の頃家族でテレビゲームとかしても
負けると、コントローラーぶん投げて
騒いで「悔しいーーー😭」って怒って
わんわん泣いてたし(笑)

羨ましいな、いいなぁ、ずるいなぁて
人が羨ましく感じたときは
素直に「私もあれがいいー!」って
すぐおねだりする子供だったなぁて。。




小学生の頃、私の行ってた学校では
鼓笛隊があって私はどうしても
「主指揮」をやりたくて!


それができるのは6年生からなんだけど
4年生くらいから、お父さんにお願いして
運動会に先輩?のそれを、ビデオに
撮ってもらって練習してたり…

(しかもちゃんと、2年後指揮に合格したドキドキ
(主指揮じゃなくて副指揮だったけどね♪)



子供の頃は、漫画家になりたかったんだけど
当時はペンやトーンは、デジタルじゃなくて
シールで売ってたりしたから

それを調べてたり、漫画家さんの真似して


どういうコマ割りか?
それにはなんの意味、意図があるのか?
どう見せたら、描いたら伝わるのか?

すごーく研究してたなぁと
そんなことを思い出した。

(そしてまた最近漫画を
ちょいちょい買ってる♡)
(電子じゃない方が好き!)






あー、私はそんな「できない」で
諦めるような人じゃなかったな、と。

欲しいものがあれば、自分なりに
考えて「ほしい!」とあらゆる方法で
手を伸ばしていたな、て。





でもそれがいつの間にか
できなくなってしまってて

斜に構える事がいつの間にか
当たり前になってしまってた。






どうして、悔しいのかって
その奥に「本当はこうなりたい」とか
「本当はこうしたい」って気持ちがあって

それを、できると自分で可能性を
自分に見出しているから。


でもそれが今「そうではない」とか

本当はやりたい!とか
これを伝えたいって
自分の想いがあるからなんだよね。







なんだけど私はいつの間にか
自分自身に対して


「これできるのに」って自分に対して
可能性を感じる素直な気持ちも

だからこそ、「今できない」から
悔しいという気持ちにも素直に
なれなくなってしまってて




気づいたら「楽しそうに夢を叶えてる人」
を羨ましいままで、遠目に見ていたり

「私は違うもん」「悩んできたもん」
「もがいて来たもん」って
自分のことを違った意味で特別視したり



自分を自分で応援できないから
人を応援するふりして、承認欲求を
埋めていたり

でもそれは「認めて欲しい」だけ
だったりするから、
自分が応援してる人に構って貰えなかったら
逆切れしちゃうこともあるし

応援されなかったら、また違う誰かを
応援するふりして、「自分を観て欲しい」の
矛先を渡り歩きがちになったり。



自分のことを応援できないから
応援した人に「応援(承認)」される事が
目的になってしまってて

本当の自分の欲求や、目的を
見失っていたのね。




楽しく、夢を叶えている人を見て
羨ましい気持ちが嫉妬に変わってて
自分では、何もできないまま


時に見下す気持ちが出て来たり
「でもこれもこの人は、できてないし」
「実はこういう所があるかもしれないし」
って、嫉妬心を向けてる時期もあった。


そんな人に対して「いいなぁ私も!」
って気持ちを素直に持てなくなってた。






そんな気持ちのベースにあったのは、

ちゃんと自分で自分を応援した上で
自分で自分を観て、自覚した上で


ちゃんと、評価してもらいたい。
ちゃんと、観てもらいたい。
ちゃんと、本気でぶつかって行きたい



私も自分を
表現して
そこに感じる
喜びを素直に
感じたい!

って想いだった。






それから、自分のためになるのなら、
本当のことを言って貰いたい
って気持ちも、開眼塾を通して出てきた。




一年間、ionaさん塾長の
「圧倒的開眼塾」を通して、私は

自分に全然責任を持てなかったこと。

責任を持つ以前に、溜めてきた思いや
感情がたくさんあった事に向き合って

ようやく、自分で選ぶことの意味を
「悔しさ」の中で、理解して体感した。






私の「悔しい」のベクトルは


やりたいことを、(自分自身に)
やらせて貰えなかった怒り、

それを評価したり、観て貰うより
馬鹿にされたり、まじめに取り合って
貰えないことが多くて、拗ねたこと。
寂しかった気持ち。



「こういう想いがあって」怒っている

のだけど、怒りだけを切り取られて
肝心な想いの部分を聞いて貰えなかったこと

聞いて貰うよりも、
自分の言葉で、伝えられなかったこと。


その怒りと不安が
自分ではなく、他者に向いてた。





やりたいこと、好きなことができるのは

一部の人間だけ。


「やりたいことだけやるなんて、わがまま!」
「好きなことだけなんて、自分勝手だ!」




そういう言葉を聞いて来て、
自分に採用してきて、
自分で自分を縛っていたから

そこにあったら、あらゆる感情や



応援してもらいたい、評価されたい
認めてもらいたいって気持ちが

自分よりも他人に向いていて
悔しいの向き所を間違ってもいた。悲しい




「私には伝えてもらえない」
「私は、相手にして貰えない」
「私は、認めてもらえない…」

「どうしてなんだ!!」
「私、こんなにやってるのにーー」

って…。笑
(書くのもなんだか恥ずかしい〜泣き笑いわら)




でも、ほんまモン🧸の
悔しいに向き合ったとき

それの何倍も
悔しいが出て来るし


何倍も心が揺れるし、感情も出て来るし
湧き出るものが、本当にたくさんあった。









「人にわかってもらえない!!」
「どうして、私を承認してくれないんだ!」

って、他者に向けた悔しさより



自分は「これがしたい」のに
自分は「これができる」のに
自分は「こうしていきたい」のに

(本人が自覚しているかは別として)

自分にそれを
選ばせてあげなかった事が
悔しいの。

自分に
「させてあげなかった事」

が、めちゃくちゃ悔しいの。






私は、自分の「悔しさ」に向き合った時

言葉や作品「物体」があるもの
ないもの(サービスとか無形物)に
関わらず



伝えたいことがある、
表現したいことがある、のに

それが伝わらない
(表現できない)

それを形にできない

自分の想いや、命という
エネルギーを
「それ」に乗せることが
できないことが悔しいと感じたし



その先には、ちゃんと
他者に伝えたいって気持ちも
出て来た。ちゃんと、ありました。






ほんまモンの悔しいは、

自分を表現
させて
あげられない

その表現を
人に伝わる
形で
表現できてない
自分に対して

私はめちゃくちゃめちゃくちゃ、
本当に本当に悔しいな、と感じた。


ああ、これが「本当の悔しいなんだ」
と実感して




悔しがるっていうのは、
ちゃんとそこを観るっていうのは
自分は「どうしたいのか?」を

きちんとわかってあげるために
必要な感情なんだ、と。




悔しがるなんて、
大人気ない。ダサい。

「何そんな怒ってるの?」って
言われて来たこともあるけど


自分に矛先を向けた、悔しいは
生命力だと思う!








冒頭に書いた


人と繋がる事が
いつの間にか苦手になり
怖くなっていた




っていうのは、本当は

自分自身の「こうしたい」っていう

願いや想いを、揺さぶられるからだったり



それ以前にその「私はこうしたい」

「それに対してこう感じる」って


想いや気持ちは伝わらない大前提の

概念をずっと握りしめて、採用してたから




もう、人と関わるのも嫌だし、

自身に対しても「私はこうしたいんだ」

を我慢し過ぎて


そんな気持ちに、自分で触れるのも

嫌だったから、それを含めて

人と繋がること、出会うことが

本当に苦しかったし、「嫌だ!」って

感じる理由になってた。






ただ、1人が好き口笛もあって

1人を楽しめるタイプの人間なんだけど


でも、私は「人も好き」。




人と関わる、交わるのは

一人で生きるより、いるよりも

考えたり、行動が必要で


相手がどう感じているのか

相手はどうなのかって

近しい関係になるほどに

エネルギーを使う。




でもそれでも、

私自身が「一緒にいたい」と感じるとか

私自身が「この人に伝えたい」と感じるなら



自分から開いて

表現する事を、伝える事

諦めたくない👍


だから、諦めない。








どんな言葉を浴びて来てるとか、


私は「好きなこと」をやる上で

わりと、「親の影響」だったり

親がどう生きているのかっていうのは


かなり、子供に影響するんだなって

自分を通して感じることもあって。






親(主に母親)が

どう生きているのかが

そのまま子供に影響するんだなって。



「私はこれは嫌なんじゃ!!!」って

想いや感情を表現したら、倍になって

怒りで返って来たり


「私はこうなんだ」「私はこう思う」

と伝えてみたら

「何それ!わがまま!」って

ヒステリックになってたら




子供は伝えることを諦めちゃう。


子供は真面目に取り合って貰えないと

拗ねちゃう。







そんな風に育った子供と


「とりあえずやってみたらー?」とか

否定されたり、


ちゃんと親と喧嘩をしていたり、

言い合いできてたり、



育ちの違いでも、

好きな事をただ、すんなり選べる人と

罪悪感を持ちがちの人とでは


向き合うものも、大前提のベースも

そこに対する怖さや不安も



雲泥の差だ違うなって思う。







親子関係のことは、たくさん

ネタがあって、書けちゃうけど泣き笑いわら



それ以上に、親に何を言われてても


私(たち)は大人だから

今からどうしたいか?は

自分で選んでいける

ということを、身をもって知った。





たしかに言われて来たこと

我慢して来たこと、

自分よりも他者(根本はお母さん)を

優先して来たこと


そういう自分に向き合うときは



悔しいも、怒りも寂しいも

いっぱいいっぱいあった。





でも、相手を変えずとも

自分が何を選ぶかは、

自分で決められるし



どういう世界線で生きたいのかも

自分で選ぶことができるし





本当の悔しさの矛先は

自分にあるとわかったから


まずは自分を「育てる」

(はぐくむ)に

本気になる👍




↑  ↑  ↑




こごでの一連のことがあって!!の、


イベント参加だったから

(ここまで来るの長かった(笑))




イベントそのものの、みなさんの

トーク内容は「自分の事」として

聞くことができたし


身構えてる感じがなかったからか


私自身はリラックスして

その場にいられて





あ~もっともっと、人と繋がる事を

大切に、そういうタイミングやご縁を

大切にしようって思った。



それは、私が他者から自然に受ける

影響だったり、刺激もあるけれど



私も、「同じ人として」

人として対等を前提に


何か出会った相手に伝わるものや

感じられるものがある「ヒト」で

いようっていうのも、意図した。





それは、私が上!認めてよ!とか

貴方には何もないから!っていう

優劣の気持ちではなくて



こう…人同士、その個々同士が


自分の中に眠っているあらゆる

可能性だったり、願いだったり


その人自身が、さらにさらに

開花するようなきっかけや気づきを




私も貰っているし、私からも

循環として巡らせられたら


それはすごく嬉しいなって思う。





で、それは何か特別な存在になること

ではなくて、


自分が自分の生命力のまま

それを発揮したまま

ナチュラルな状態で生きていくのが、一番



自然と、知らぬ間に「他者」にも

巡らせることになると感じているから



私は、そう生きていく👍

(うん!決めた!)







ふう〜〜〜知らんぷり知らんぷり


やっとやっとずっと言語化

したかったものを、文字起こしできた!



さー♪SNS関連は

これから、色々と整理していきますっ♡!