※撮影会情報更新!最後まで見てね!
どうも⊂( ˆoˆ )⊃
土佐藩出身・歴史大好き人間の晴野未子ですよ✩
さて、
最近、Twitterもブログも城か歴史のことしか書いてないなぁと反省しまして、
何かしら歴史以外の事で書けることは無いのかと頭を悩ませました😕💭
が、しかし!!!
ない!!!爆
だって、
最近は城に行くためと城を撮りたいからカメラ買うために美味しいものも食べず、スルメばっかり食べてるし、
仕事以外では引きこもって大河ドラマ見てるか、本読んでるか、城の勉強してるし、
お手上げだぁ!!笑
あえて上げるなら…
中島留美ちゃんの舞台見に行ってました。(だいぶ前)
ってことで、やはり城と歴史のことしか考えてないのだから、
半ば諦めで今日も城のブログを書こうと思います👏( ˘ω˘ )
この夏の城攻め旅のお城紹介もまだまだ沢山あり過ぎて追いついていないですし✩
ということで…今日の城攻めブログは【大洲城】!!
さて、大洲城ですが、全国的な知名度は殆どないのではないでしょうか?
「大洲ってどこ?」って声が聞こえてきそうです😅(土佐藩出身の晴野からしたら、聞き馴染みのある名前です)
まず、大洲城は四国にあります✩(だから聞き馴染みあるよ!)
そして、土佐から北へ伊予に向かう街道があり、
伊予の途中にあるのが大洲です。
大洲を東へ向かうと伊予松山から今治。
西へ向かうと宇和島があります。
そんな交通の要所です。
そして、漢字から薄々勘づかれている方もいらっしゃるかと思いますが、川に囲まれた地にあります。
肱川という川と、久米川という川の合流地点にある洲に作られた城です。
その頃には名を「大津」と言いました。
この宇都宮さんですが、毛利の伊予出兵で負けてしまいます。
そして、その後、家臣が我らが土佐の長宗我部元親と手を組み城を追い出されてしまいます。(ごめんよ💧)(なんて謀略野郎だ!)
しかし、因果応報というかなんというかで、豊臣秀吉の命により小早川隆景によって滅ぼされてしまいます。あらま。
さて、その小早川隆景が伊予に入ると、大洲城は伊予の支城となります。
その後、まぁコロコロと城主が入れ代わり立ち代わりしまして…(戸田家、藤堂家、脇坂家、加藤家)
築城の名手・藤堂高虎が近代の城郭整備を行い、
この地に天守閣が出来たのは脇坂安治の頃だと言われています。
この脇坂さんの頃に、「大津」から「大洲」に名前が変更されたとも…。
さて、加藤家が大洲城に入ると、そのまま加藤家の世襲で幕末を迎えます。
維新後の廃城令で、大洲城も取り壊されることが決まりますが、
市民の大反対があり、本丸の建物は残されることになりました。
が、しかし!!!
老朽化により、それから数年後に取り壊されました。(市民頑張ったのに…)
が、しかし!!!!(ここでもう一度。)
ここから超大事!!
市民の皆さんは諦めていなかった!!
なんと!!
平成のこの世に天守が蘇ったのです👏( ˘ω˘ )
素晴らしい✨✨
平成16年!!(最近)
市民の声で大洲城の天守閣が復元されました!!
それも、建築費はすべて寄付によるもの!!
殆どが大洲市に住まわれている方々からの寄付です!!
大洲の方々、頑張った✩
そして!!そして!!
ミラクルはここから!!!!
なんと!!
大洲城!!
木造復元されたのです(*'ω'ノノ゙☆パチパチ✨
木造復元です!!
いやはや、木造復元です!!!
興奮し過ぎた、すまん。
何がすごいかって、近年復元される天守閣は大体がコンクリートなのです。(名古屋城、大阪城を思い浮かべてみてください)
安全面や現代の工法を考えると、恐らくコンクリートの方が早いし良いのでしょう。
でも、そんな現代に木造復元をする粋さ!!素晴らしいです!!
それも、江戸時代の資料を元に、
当時の大洲城をそのままに、現代の釘などは1本も使われていません。
和釘と呼ばれる当時のものを1本1本鍛冶屋さんが手作りしたものを使っています。
外壁は漆喰によるもの。
復元の工事は、地元の宮大工さんたちが行いました。
素晴らしい試みです。
これは涙が出るほどに嬉しいこと。
宇和島城の時にも書いたのですが、現存天守がやはり素晴らしいのは間違いないのですが、
現存する事は本当に大変な事だし、運もあるわけです。
現存出来ていないこと、それはもう仕方ないことです。
しかし、観光地としての役割の城は、コンクリート製も多く情緒なんてものはなかったりするんです。
でも、大洲城は、情緒を選んだわけです。
木造で作るにしても、目に見えない部分の釘なんかは、現代の物でも良いにも関わらず、
釘までをも再現してしまうそのこだわり。
城は日本の文化だと常常書いてますが、
新たに日本の伝統で作り直すことも、日本の文化を残すことなんじゃないかなって、
いち城ファンとしては感謝の気持ちしかありません。
さて、その天守閣!!
見たくなってきたでしょ???
ってことで…
連結式のカッコイイお城です。
漆喰の白さがまだ新しいことを感じさせますね!!
そして、大事な内部✩
(内部を撮っていい城も珍しいですね!)
晴野未子、
ここにきて、木造復元の素晴らしさをもう一つ知る事になります。
それがやはりこの木の匂い、新しさ、
これらはきっと戦国時代から江戸初期の築城当初と同じものであろうということです。
現存天守で感じることの出来るものとは、またちがった、例えるならタイムスリップの様なもので。
築城当時はどの城もこんな風にピカピカだったんだろうなということを感じられます✨✨
木の滑らかさ、漆喰の美しさ、本当に目を奪われます。
この話をしたら、宇和島城でバテてたみこ兄(多分前世は忍び)は、
「涼んでなくて行けばよかったー」と悔しがっていました。笑
私、行く前に言ったのにな…。木造復元だよって…。
因みに、みこママとみこ兄は2人で城下町散策をしていた様で、
和スイーツを食べたそうです。
大洲城は四国の小京都と呼ばれていて、それこそ情緒ある城下町が残ります。
城下町散策もオススメですよ。
さて最後に。
天守のてっぺんからの風景です!!
こちらが肱川✨
鮮やかな緑がこれまた素敵でしょ??
四国に行く機会があれば是非✩
(石垣好きの私、勿論石垣の写真もあるのに石垣を紹介せず終わる城ブログ初めてだ!!👀)