私が生きてきた人生の中で、一生の不覚は娘に子宮頸がん(HPV)ワクチンを接種させてしまったこと。
これに限る。
悔やみきれない。
娘の今後の人生に、このHPVワクチンは暗い影をずっと残すことでしょう。
入眠するまでに何度となく起き上がって、ムズムズする身体と折り合いをつけるのに、2時間ほど時間を要する娘。
日中も家の中をただひたすらにウロウロする。
背中や頭の痛みを抱えて、もうそれが日常的なことなので、何も言わない。
それを見ているだけの私の後悔は、一生だ。
私自身も病気になって、その伝えられない辛さを噛みしめているけれど、50歳を超えてからの病気と、12歳から激烈に起こったワクチン被害では、言葉にしがたい差がある。
私自身も、他人から見れば、見た目は病気とは分からない。
しかしながら少しばかり稀な病気で、飲み薬も普通に薬局では扱っておらず、初めの頃はすぐに薬が買えなくて、取り寄せてもらったほど。
それがまた合わなくて、薬のコントロールができずに何度となく副作用に苛まれ、今は違う薬で対応し、初期の薬は飲んでいない。
そして、新たに現在飲んでいる薬で副作用が出ており、それを減薬するに当たっては離脱症状にやられて、もはや辛すぎる現状だ。
減薬したため、また本来の病状が普通に戻ってきて、それも辛い。
それでも40代まではまともに生きてきたので、年齢的にもまあ仕方がないと思えるが、娘は12歳からワクチンによって生活と人生が脅かされた。
今まで、PMDAの手続きなどは私がしていたが、私も身体的に精一杯で何もしたくない。やれない状態に陥っている。
病気の人に手続きをさせるというのは、本当に大変骨が折れること。
それを当人にさせることは、できない人にとってある意味「本来ならば救済される物事を諦めさせること」なのかもしれない。
社会が、本当に優しくないのだ。
私が動けるうちは、なんとかしてあげたい。
娘の一生を引きずる手痛い病を持たせてしまった私の後悔はずっと続いてゆく。
週に2〜3日、4時間程度のアルバイトを娘ができるようになって、喜んではいる。しかし、たまに6時間のアルバイトを頼まれて入ると、翌日から2日間は寝込む娘。
今も不安発作が起こる。
長い時間は働けない。そんな不安を抱えながら、就活を始めている娘。
どうか幸せになって欲しいと願いつつ、私の娘への不安は続く。
幸せの道のりに、健康は常に寄り添っているものだから。そこが抜け落ちていても、わたしには娘の一生を支えられる寿命を持ち合わせていない。
健康にしてあげたいし、その責任はあるのに、娘の一生を支えることはできない。
あの日、あの時の後悔は、私の中で一生続く。
せめて、私がずっと健康ならば。
色々と悔やみきれない。