みなさん、こんばんは!
OOOなセラピスト、
(Occupational therapy(作業療法)
×Oriental medicine(東洋医学)
×Oita(大分))
Oriental Physio Academy大分県支部長の
安部源生(あべもとき)です。
自己紹介
目次ページ
今日は終戦記念日ですね。
僕は作業療法士なのですが、
作業療法士はリハビリの国家資格です。
リハビリは戦争とともに歩んできた歴史があります。
「リハビリテーション」という言葉が
初めて出たのもアメリカの軍事病院でした。
リハビリテーションという言葉も
当初は「負傷軍人の社会復帰」という意味合いで使われていました。
前置きが長くなりましたが、
今まで
作業療法
×東洋医学
×大分
といっときながら
大分の情報がなかったので、
今日は地元、宇佐市の
戦争にちなんだある場所を紹介したいと
思います。
1つ目が
宇佐市指定史跡
城井1号掩体壕(じょういいちごうえんたいごう)
です。
この広告の下の場所です。
Wikipediaより
実は宇佐市は戦時中、
海軍の航空隊が設置され、
かなり空襲も激しかった場所と
言われています。
掩体壕は空襲から戦闘機を守るための
格納庫でした。
土を上から踏み固め、
上空からみると小山に見える様になっています。
内部には戦後、別府湾から引き上げられた
プロペラが収納されています。
Wikipediaより
この掩体壕は
平成7年3月に宇佐市の史跡(文化財)に指定され、史跡公園として整備されました。
戦争遺跡の文化財指定は、沖縄南風原(はえばる)町のひめゆり部隊の陸軍病院防空壕に次いで、全国で2番目となります。広島の原爆ドームより1年前です。
また、この周囲の城井(じょうい)地区には未だ10基の掩体壕が残っており、
農家の納屋などとして使われている場所もあります。
母親が子供の頃は
掩体壕の中に住んでいた方もいたそうです。
1945年2月からは
宇佐海軍航空隊は神風特別攻撃隊の中継基地にもなり、
宇佐からも多くの方が南の空へと飛び立ちました。
城井1号掩体壕へと続く、市道は特攻隊滑走路に重なるように作られていて、
近所には空襲の爆撃でできた、通称「爆弾池」と呼ばれる場所があります。
2つ目の場所は
宇佐市平和資料館です。
内部には
映画「永遠の0」で使用されたゼロ戦の実物大模型や
当時の宇佐市の空襲の様子が展示されています。
この他にも
宇佐市では戦争資料の収集を続けています。
こんな時代だからこそ
戦争について考えることを学んでいきたいですね。
せっかく色んな方に読まれているブログなので、
今回は宇佐市を少しでも多くの人に知ってもらおうと思いました。
今後も宇佐市のことを紹介していきたいので、
お付きあい頂ければ幸いです。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!