久しぶりにヨガの哲学にじっくり向き合っています。
と言っても、今の私の音楽生活はギータの教えそのもので、わざわざ何かを出す必要も、除く必要もないのですが、WSのお話を頂いて、改めて読んでいます。
自分が何をするべきか分からなかった頃にこの本に出会って、インドの信仰の暖かさを感じました。
ヨガばかりを考えていた頃よりも、今の生活の方がギータの教えに近い気がします。
もちろん、ヨガの哲学を学んだから、今そう思えます。
バガヴァット・ギータは、ヨガと呼ばれる修行を行う人だけの為でなく、生きている人全てを楽にしてくれる本です。
哲学に関しては、オタク体質の私が、一般の人に届くお話を出来るのか分かりませんが、
純粋なギータの教えが、もっと広く届けば、沢山の人が楽に生きられるのにな。と思うのは本気です。
宗教の押し付けみたいになるので普段はあまり話しませんが、普通の人にこそ読んでほしい本。
ところで、インド音楽界の人達は、私達のグルジの事をクリシュナと呼んでいます。
グルジの人生こそが、クリシュナである事には、私にとっても疑いようのないこと。
同時に、私はラケシュの音楽を聴くとき、クリシュナが演奏していると思っています。
ラケシュ自身は、
「今までクリシュナを見たことがないけれど、バブジ(グルジ)が自分にとってクリシュナ」
と、グルジについて聞かれだ時に必ず言っています。
弟子入りして、2人の事を深く知るようになりましたが、ますます先生たちの生き方こそがギータそのものだと思っています。
何の疑いもなく、自分の全てを音楽に捧げている人です。
この間、スケジュールの確認をしていて、仕方なくラケシュに今回のワークショップについて話しました。
(ヒンドゥー教徒でもない私が、インド哲学を教えるなんて言いたくないのですが。)
「ギータ、一回読んだことあるな。」
と、平然と言い、
後日、他の人に私がヨガの哲学を教えると言い回っていました。
インド人の多くが自分の信仰深さを誇るなか、特に信仰する神様の名前に執着のないこの人は、いつも飄々としています。
(信仰心が薄いわけではないのですが、わざわざ話さない。)
彼にとって、自分がバンスリを演奏する事には微塵の疑いもないように、
私がヨガを教える事にも一切の違和感を感じないみたいです。
それさえ、ギータ的。
頭では理論的に理解していたと思っていたギータですが、グルジとラケシュをみていると、こうゆう事なのかも。。。
と、日々、落としこみをしています。