自分の整理 | yossy blog

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建築の意匠設計者として設計監理業務に取り組んでます

建築アトリエのチーフから企業の設計部に移り一年と少し。

商業目的の分譲集合住宅では顕著だと言われているが、売れる(と思われる)事が判断基準となり、建築創作者として「デザイン的思索」や「クリエイティブの探求」を基に建築を修練させる事には重きは置かれない事を実感する。

つまりは、建築設計スキルは求められていない訳で「思考を止めろ!」と言われている気すら覚える。様々な思索に蓋をする脳停止状態では、片腕をもがれ口を閉ざされる事と同じではないか。

様々な経験を積み建築設計スキルを磨いてきた身としては、これが現代社会で必要とされる建築設計者のあり様なのか!? とショックを受ける。余りの世界の違いに戸惑うばかり。。組織と個人での役割の違いとしても関わる意味を考えてしまう。

納得できるできないの境界で立ち止まって考えているだけではあるが、友人からは「自分でも企業にいてもできる人の贅沢な悩みだ」と言われた。実感はないが、そう映るのかもしれない。


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朝から村上隆さんの「芸術起業論」を読み返す。前回同様、脳味噌をシバカレテいる感覚。いろんな物がもう少しで見え始める直前なんだろうか。どうだろう。掴めそうで掴めるものではなく探し続けるのかもしれない。

ヒットというのは、コミュニケーションの最大化に成功した結果です。村上隆

大いに納得。建築設計者としてのヒットは金銭的には成立していない世の中では、如何にお金に置換できる仕組みを作れるか。そこを持ってして独立しないと沈没リスクが高い。数人を除きなし得ていない困難さが二の足を踏ませてきた。何より自分でも新たな仕組みは作れなかった。えいやーだけでは身投げでしかない。

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通りすがり、自宅近くで彫刻家 長江眞弥氏の個展があり、氏の宇宙観を垣間見る。偶然にも氏と直接対話する機会があり、どんな思考のプロセスを経ているのかお聞きできた。着地点があって創作が始まる場合とそうでない場合に対する質問には、具体的な事象を元に話して下さった。クライアントの有無によりある種の化学反応が起こるのは理解しているものの、結実した作品に対して私には差は感じられなかったのが正直な感想。

ただ話をする中で、行動し続ける事、思索し続ける事、行動しながら思索を繰り返す事、私が今まさに直面する疑義は創作者として当たり前だと再認識できた事はありがたかった。30代40代は正に勝負の時。


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最後に
数年前に出会った様々な経験を重ねてきた敬愛する建築家の先輩から長文の温かいメッセージを頂いた。文末の一部を以下に。

人生には無駄はひとつもありませんよ。今ここで気持ちがぶれるは至極まっとうな証拠です。悩んで道を進むのはとても大切です。また決断すればよいだけのことです。悩んで下さい。


悩んで下さい。

ありがたい言葉です。悩む事が趣味なんじゃないか、とも気づいたりするが、やはり時間をかけて悩む事にしよう。