アッキーの雑談ブログ -2ページ目
皆様こんにちは

更新を長くお休みしていましたが私は元気です。最近この写真をTwitterにアップしたら反響がありました。

{B8D6BF04-1E93-4D60-961E-595AC5D88FBD}

反響の様子はこちらのサイトでまとめられています。



というわけで、昔の写真をネタにしようと思いました。こちら
{6E9F774F-D646-4D3A-81CE-EF1A3336275D}


カメラ目線の赤ちゃんが私です。隣にいるのが私の母です。1974年の写真。場所は中野区です。新宿から見て青梅街道を西に進み環状7号線と交差するあたりのマンションに住んでいました。

今見るとテレビがすごいね。笑
リモコンはありませんでした。

{140DD6C6-884D-4249-B01D-A6C7A558597B}

このマンションは2LDKくらい?で、こちらは父親の仕事部屋です。私の父は高校卒業後専門学校を出て2年間就職しサラリーマンをしていましたがその後起業しました。そのときに起業した会社は建築事務所で、その後60才まで続きます。3年前、66才のときガンで亡くなりました。

つまり、父は23才で起業したのです。で、24才で結婚して25才で私が産まれました。

「サラリーマンは給料が安い」
「仕事のやり方を覚えたら辞めて独立すべき」
「サラリーマンの給料は死ぬまで上がらない」
「転勤やだ」
「通勤電車やだ」
「高卒は出世しない」
「サラリーマンの仕事はおもしろくない」

など、小学生の私に話していました。笑、まるで現在のTwitterの会話のようです。父は会社を経営するかたわら不動産の副業をしていました。当時不動産の価格が右肩上がりだったのでマンションを買って売ってを繰り返していました。なので、私は都内を5回引っ越しています。

当時は父は中野に住み銀座まで通ってました。銀座にオフィスを借りていたからです。セリカというスポーツカーで通っていました。自宅で仕事をするときもあればオフィスに行くときもある、という仕事のスタイルです。

ちなみに製図機の左隣のカーテンの隣の銀色の設備は何かわかりますか?エアコンです。昔のエアコンはそんなだったのですよ!

写真にある製図機は1985年くらいには機械に変わります。父は手書きをやめ機械で設計をやり始めます。機械というのはコンピューターです。DOS-Vと言って、真っ黒の画面に英語で入力するやつです。当時のコンピューターは全角のアルファベットの大文字しか入力できなかったのです。
そのコンピューターの写真があればぜひ掲載したかったのですが無かったです。残念。

1974年の頃は、コンビニ、ファミレス、ファーストフードなど無くて、中野の貧民街ではピーコックっていうスーパーが有名でした。新宿は近いので、よく行きました。幼稚園くらいのときの記憶だと、西口には小田急と京王デパートと京王プラザホテルしか無かったです。それ以外は空き地?でした。何にもなかったと思います。

街並みの写真が無いのですよ。昔の新宿駅の写真見たいですよね!今のJRは国鉄と言って、すごい汚かったのですよ。山手線の線路には枕木が見えないくらいタバコの吸殻が捨てられていました。

でね、新幹線は東海道新幹線しかなくて、その他の地域には特急で行くのです。エル特急という電車。父の実家が山梨県にあり私は夏に家族で車で帰省していました。しかし、私が小学1年生の時、父が、

「アッキーちゃん、アッキーちゃんはもう大きいからひとりで山梨へ行けるね」

と言って、小学1年生の私に一人旅させたのです。新宿から特急あずさに乗って甲府で降りる旅です。切符も全部自分で買うのです。

でね、旅は成功するのですけど、当時の国鉄の特急あずさの、トイレがすごいのです。なんとボットン便所なのです。個室に入ると和式トイレがあり、用を足したあとペダルを踏む仕組みになっていました。ペダルを踏むと枕木が見えるのです。つまり線路に垂れ流していたのです。

忘れられない思い出です。笑
その後高校生くらいのときに生まれて初めてウォシュレットを見たときは、ここまでやるか?と思いましたが今は無しでは生きていけません。笑。

山梨の祖父母の家では、トイレが外にあり(当然ボットン便所。笑)夜中にトイレに行けず、おばあちゃんを起こして一緒に行きました。お風呂はガスではなく薪を燃やして沸かす仕組みのお風呂で2日に1回しか入れませんでした。テレビはNHKしか映らないし、窓から蝉が進入して部屋の中に蝉が居たり、笑、もう、たいへんな毎日でした。強くなりました。笑

母の実家は埼玉県だったので埼玉県にもよく行きました。池袋に行き池袋からバスで。これも小学二年生からはひとりで行っていました。エレクトーンとピアノを習っていましたが丸ノ内線に乗りひとりで通っていました。丸ノ内線と銀座線は昔から全然変わりません。40年前から変わってないので次に大事故があるとすれば
丸ノ内線か銀座線でしょう。

ちなみに中野の貧民街という言葉は、笑いを取る目的で誇張してる言ってるわけではなく、ホントの貧民街でした。当時は新宿の職安が西武新宿駅の近くにあって西新宿から中野方面にはホームレスがたくさんいました。

(日雇いの仕事がでたらすぐ応募するためにホームレスは職安の近くにたむろするのです)

たくさんというのは、どれくらいか、
というと、歩けないほどですよ。なんというか、インド?の浮浪者?のように大規模でした。私が物心ついた頃から就職する頃まで、つまり1980-1995くらいまでその状況は続きます。石原都知事になってから?ですかね、新宿でホームレスを見なくなったのは。

ただ、今も、新宿の西側の新大久保や中野の一部、一部というか高円寺とかそのへんは、危険地域ですので、笑、行かない方が良いです。今でも激安風俗店(加齢で歌舞伎町で働けなくなった女や外国人娼婦が働いてる)がたくさんあるし、日雇労働者がたくさん住んでいます。


✴︎✴︎✴︎✴︎

というわけで、最近はブログ以外にも、
ツイキャスという生放送のラジオなどの活動をしています。無料です。本日12日21時からやりますのでおヒマな方は聞いてください。


皆様こんにちは

私の書いた記事が掲載されました。
いいね!を押してくれたら嬉しいです。


私は8月19.20に単独札幌旅行をしました。泊まりの一人旅は何年ぶりでしょうか?10年以上だと思います。

19日土曜日の夕方、私が新千歳空港ゆきの飛行機を羽田空港で待っていると、突然激しい雨となり、なんと羽田空港に落雷しました。しばらくすると場内に「新千歳空港への便は遅延、もしくは欠航となります」というアナウンスが流れました。私は泣きそうになりました。10年ぶりの単独旅行が中止になりそうだったからです。

待つこと2時間。
なんとか離陸するということになり、羽田を後にしましたが、経験のないくらいの大揺れで死を覚悟しました(大げさ)

そんなこんなで札幌に着き夕食に予定していたお寿司はキャンセルし、お目あてのバーに電話しました。今回の旅行の目的は、バーに行くことと日曜日に札幌競馬場に行くことでした。

{74894C68-7000-4935-BABE-FD2E61D29858}

こういうことになりました。笑。
さて私の隣にいる人は誰でしょう?
私は飛行機に揺られ夕食さえ取れずに疲弊したところにお酒を飲んでベロベロのメロメロになっています。

会話内容をこっそり録音したのですが、諸事情あってアメブロには掲載できません。
興味のある方は
こちらで。

{54594560-8AB7-4E3D-A958-A00543423B5D}

札幌競馬場は改装されたばかりでキレイでした。感動して泣きそうになりました。

{DC1CC66C-F1E6-42F3-85F8-05A0F17E639D}


妊娠、子育て、仕事復帰、また妊娠・・・をしていて、気が付いたらこんなに時間が経っていて、必死に生きてきて、美味しかったです。札幌で飲んだお酒は。ホントに。

楽しかったです。またいつか行きたいです。札幌!ありがとう😊
皆様こんにちは

明日から連休ですね。どんな予定ですか?楽しんでくださいね。

今日の私のツイートで

{CF34F330-FA38-4264-A629-76F13D5901F4}

こういうこと書きました。
いつもより反響がありましたので、もう少し掘り下げてみます。

「嫌いなものを排除すれば自然となりたいものになれる」と書きましたが、では、私の「嫌いなもの」とはなんでしょう。

もう、これだけは無理。無理矢理やらされるなら死ぬ、くらい嫌いなものとは・・・

人付き合いです。
私は中学から大学まで慢性的登校拒否でした。大学は半分も登校していません。学校が嫌いでした。でも引きこもりではなくて、チャラい登校拒否です。渋谷の地べたに昼間から座り込んでいるタイプの登校拒否でした。

だから友達はいません。友達はその場で作ってその場で解散するものだと思っていました。というか、今も基本的にはそう思っています。

私はたまたま就職できなかったので少人数制で仕事をやることになりました。組織で働くことが無かったため仕事上の人間関係では悩んだことはなく大学卒業してから今まで同じ仕事をしています。職場の飲み会などは年に1-2回しかありません。

ですから仕事上では、嫌いなものを排除しなくても、もともと無い状況でしたのでらくでした。私は20代半ばからありとあらゆる副業をしていましたが、人付き合いがない仕事ばかりです。なので仕事上は良かったです。しかし問題はプライベートです。

私は大学のときに開き直って人付き合いを断ちました。大学には最低限出席しあとは海外を放浪してました。海外に行っては帰るという生活です。もちろん友達はいません。

合コンやサークルは1年生の時に少し参加しました。数回参加した記憶があります。恋愛もほとんどしませんでした。このブログは約5年続いていますが元カレの話など恋愛の記事は書いてません。経験がなくかけないからです。

映画、温泉、ディズニーランド、おしゃれな食事に男の人とふたりで行ったことはほとんどありません。なんだかんだ理由をつけて行きませんでした。なぜならつまらないからです。何話して良いかわからないからです。

社会人になってからは休みの日はいつも競馬をしていてたまに買い物に行くときはいつもひとりでした。でも彼氏がいたときはあります。仮に彼氏の定義を1年以上付き合った男性とするなら3人はいます。短期間恋愛をした男性は何人かいますが数えられません。短期間恋愛は彼氏ではなく友達と認識しています。

私は18-29才まで一人暮らしをしてましたが自宅に男の人を呼んだのは1-2回しかありません。なぜなら女性専用マンションで管理人さんが常駐してて厳しかったからです。逆に私が男の人の家に泊まることもほとんどなかったです。ジョニー(夫)の家には泊まってましたけど。基本的にだれかと泊まるのは苦手です。

私は小さいときからペットを飼うことや植物を育てることが好きでした。外泊や旅行が嫌いなのはそれも理由のひとつです。

私はブログやツイートにたくさんの写真を掲載していますが、私が他人と写っている写真はありません。(子は除く)
なぜなら他人と出かけないからです。いつもひとりで行動しています。

友達も彼氏もいなくても私は全然平気です。彼氏がいない=女としての価値が無い
と思ったことはありません。そういうふうに考えて出会い系サイトに登録して無理矢理彼氏を作ろうとしてる人がいるらしいですね。驚いています。

私はよく「変わってる」と言われます。でもそう言われても平気です。それでも嫌いなものを排除して生きていきたいし、そう生きてきて良かったと思っています。

こういう性格なのがTwitterで伝わるのかわかりませんか、私はTwitterでは嫌われ者で、約600人からブロックされています。

でも気にしません。笑。むしろ嬉しいです。他人に嫌われないように自分を殺して生きることは私にとって死んでるのと同じだからです。

年賀状は全て見ないで捨てています。頼んでもいないのに送ってきて返信を強要されているようで不快です。プレゼントも嫌いです。整理整頓が苦手で部屋が物でゴタゴタするのが不快だからです。靴やハンドバッグをたくさん集める人がいるそうですが理解できません。タコやイカじゃあるまいし、ひとつかふたつあれば充分だと思いませんか?

でも男の人は好きなのです。笑。
男の人と長時間居るのは苦手ですけど、「男の人と居ること=生存」だと本能的にわかっているので安心できるからです。

私は台風の風で植木鉢がひっくり返ったのを見ただけで「お花さん、痛かったでしょう」と思い涙ぐんでしまうようなような優しい心の持ち主で、笑、私の生活に華を添えてくれている周囲の人々には愛を返したいと真剣に考えています。

もしかしたら、

嫌いなものを排除すること=大切なものを愛すること

なのかもしれませんね。
皆様こんにちは

私は穏やかな性格で機嫌の悪い日というのがほとんどありません。早起きして掃除したり朝ごはんを作ったりしてニコニコしています。お花にお水をあげたりします。

でも唯一、大きい声を出して叱責する時があります。2か月に1回くらいかな?それは子供に対して。10才と5才の男子ですから、チョロチョロして危ないのです。

世の中にはヒステリックな女性がいます。よく見るのは旦那さんに八つ当たりするケースです。だいたいそういう人は太ってて働いてなくて子も居なくて。

でも私はたまにそういう人をうらやましいと思ってしまいます。なぜなら夫に気を許しているように見えるからです。そんなふうに振る舞っても、夫の方からヘコヘコ謝ってくるだろうとタカをくくっているのが伝わってくるからです。

私が唯一、大きい声を出せるのが子供だけというのもその理屈にあてはまります。大きい声を出しても、子は私を嫌いにならないからです。それをわかっている私は甘えているのでしょう。

そのあたりを追求すると、私は根本的に男の人を信用してないことがわかります。笑。
心のどこかで、私から離れていくかもしれないと思っています。

おそらく、稼ぐ女性は私だけでなくすべてそう思ってるでしょう。男の人を全身全霊では信用していない。それが無ければ稼ごうなんて思わないし思い続けられない。だから独身の人が多いです。(大きなお世話)

体型維持だけでもひと苦労ですからね!モテたいかどうかはさておき、社会で無価値になるのはいやなのです。
自由を失うからです。だから寝る間を惜しんで筋トレしてしまいます。

私にとっての自由というのは、「あ、お寿司食べたいな」と思ったら、不意にお寿司を食べに行けたり、「競馬場に行きたいな」と思ったら、ふらっと行けたり、「お酒が飲みたいな」と思ったら飲みに行けることです。

簡単なようで贅沢なライフスタイルです。なぜなら時間とお金が必要だからです。実現している人は一部の人だけです。

でもたまに努力がつらくなり弱気になって、あっち側(ヒステリック側)に行きたくなってしまうのですが、やっぱり出来ません。性分でしょうね。こういう負けず嫌い?な性格は治りません。

毎日やることが多くて泣きそうですけど、後悔はありません。以前東京競馬場でたまたま近くにいたおじさん(自称68才、妻子あり、有職)が「人生で今が1番いい」と言いました。私は「私も」と思いました。

競馬場に行きたいなと思ってふらっと来れる自由がおじさんにもあるんだなと思いました。ビール買ってもらってふたりで飲みました。笑。幸せの味がしました。

皆様こんにちは


{762E8C26-A0BF-43CB-AAC5-EB57B47E3645}

{761D241E-C904-4244-9CDE-2CB19351FA80}

5月の末にこんなやりとりをしたことがきっかけで、競馬のオンラインサロンを開設することになりました。


こちらです。ENJOY☆競馬CLUB!


ひとりでやる競馬も楽しいですけど、仲間がいるともっと楽しいです。ぜひご参加ください

2017.8月2日19時にオープンします。
皆様こんにちは

私は相変わらず家事育児仕事に奮闘しています。子供達が夏休みに入りまして変則的なスケジュールを忙しくこなしています。

先日このツイートが気になりました。

{2544CE75-4A6F-4AC6-9EB2-14305FCBB5DC}



私に向けられたツイートではありません。しかし私は
「昔の方がブログが面白かった」というメッセージを頂いたこともあり、一部有料化したことに対して読者の方々不満を持っていることを知っています。

最近ではhttps://www.forky.jp/に執筆しライター活動も始めました。2作目が8月初旬に公開されます。継続して執筆するよう依頼されてます。

Twitterで自撮りをツイートすると必ずフォロワーが減ります。笑。

そのように私が公開するコンテンツは必ずしもみなさんを満足させるものではありません。そのことを私はわかってやっています。


なぜなら私は私のやりたいようにやると決めているからです。マーケティングという概念を一般常識レベルには理解していますが無視します。


私のように傍若無人に振る舞っていると他人はみんな私から離れて行く・・・?と思ったら真逆で、私のまわりにはいつも優秀で寛容な仲間がいますし、本業副業問わずやり切れないほど仕事は来ます。

不思議ですね。マーケティングを真剣に考えて他人や世間が欲するものは何かを四六時中考えて行動している人よりも、競馬やホストクラブ通いをしていることをあっけらかんと顔を出してつぶやく私の方が好かれるのですから。

誰も私から離れていきません。
結婚14年の家族はもちろん職場の人も、ブログの読者の人も。

私がやりたいようにやって失敗したらどうなるでしょうか?他人や世間は「そらみたことか」と嘲笑うでしょう。誰も助けてはくれません。では日頃から他人の言うことや世間で良いとされていることを信じてそのとおり行動して失敗したらどうでしょう?

同じなのです。嘲笑い、見下し、離れて行くのです。誰も助けてはくれません。

同じなら好きなようにやった方が良いと思いませんか?

幼少のころから両親や学校の先生の言い付けを守り一切の娯楽や欲望に蓋をして勉強をしてきた高学歴の真面目さんが就職出来ず年収200万の高学歴フリーターになり絶望したとします。

「真面目さんは常識どおり生きてきました。ですから高収入な職業を与えてあげましょう」と両親や学校の先生が助けてくれるでしょうか?

助けてはくれません。助けるどころか、自己責任だと糾弾し、勉強は出来たのに就職できないとは・・・と、嘲笑い離れていくのです。
   
ですからバカバカしいのですよ、他人の目を気にして生きるなんて。だから私は有料noteを出したいと思ったら出すし顔写真を出したいと思ったら出します。

どんなレッテルを張られてもちっとも怖くないです!

私は中学生のころまでは母親の顔色を伺う優等生だったのですけど、バカバカしくなって優等生は止めました。優等生を止めたおかげで、私は全てを手に入れました。

なんでも買ってくれる優しい夫、優秀な子、仕事、仲間など、いろいろです。ワガママ最高です。

欲しいものはまだたくさんあるのでもっと傍若無人になりたいと思っています。

✳︎✳︎✳︎✳︎

タイトルは忌野清志郎さんの楽曲、いけないルージュマジックから引用しました。


皆様こんにちは

毎日暑いですね。私は今日仕事を休んで母に会いに行きました。

{70CF17E5-8C00-4478-B6BF-AE1323101AD1}

ガリガリですね。笑
母は2年半前に父がガンで急逝したショックで精神を病み脳の血管から出血するという事態になりました。当時私は母の主治医に後遺症が残りますので普通の生活は無理でしょう、と宣告されました。目の前が真っ暗になったのを覚えています。

しかし母はリハビリを頑張って一人暮らしできるまでに回復しました。現在67さいで一人暮らししています。父が生前に不動産などの財産を売却しましたので母は借家で一人暮らししています。病院や郵便局やスーパーが徒歩圏内にある場所でのんびり過ごしています。

ユウくん(長男10才)とヨシくん(次男5才)も同伴したので、楽しい会食の時間が持てました。

私は母の主治医に後遺症が残るかもしれないと宣告されたとき悩みました。私の住まいの近くに母を引き取るべきかどうかをです。
私はふたりきょうだいで、弟がいます。彼は独身で元気に地方都市で会社員をしていますが、忙しい彼に後遺症の残った母を押し付けるのは申し訳ないと思ったので私が適任だと考えていました。

しかし
「ママうんち出ちゃった」
「お腹すいた」
「明日学校で・・・」

と、私が母のことであれこれ悩んでいるときにも愛息たちはいつもと同じで、たくさん用を言ってきます。 

そんなバタバタした毎日を過ごしていると母のことは、まあ、母に任せようと、そんな気持ちになりました。つまり、引き取っても母のお世話なんてしてる余裕は無いとそういう結論が出てました。

父が死んだときも同じでした。
父が死んだときは母と弟は半狂乱状態で会話さえ成り立たないくらいでした。弟といっても私の弟ですから40近いおじさんです。そんなおじさんが人目を気にせず母とわんわん泣いていました。その隣に居た私はこっそりiPhoneで調べ物をしていました。葬式のサイトを見ていました。葬式に金がいくらかかるのか心配だったからです。

私って冷徹ですね。
葬式の準備も私が仕切りました。母と弟は感情がたかぶっていて何も出来なかったからです。

私の両親は仲良く私は温かい家庭で育ちました。なのになぜ私はこんなに冷徹なのでしょう。

それは私が母親だからですね。他人に冷徹ということを言い換えると、自分の子以外の命はどうでも良い、という意味になります。自分でお湯を沸かしてミルクを作れる赤ちゃんはいません。乳幼児期には母親が命綱なのです。母親である私には子以外の命に対しては冷徹にならざるを得ません。

女の人は、冷徹で自己本位であるべきだと思います。このブログを読むみなさんも母親に愛されて生きてきたでしょう?それは他人に冷徹であるから成せる技なのです。


皆様こんにちは

夏ですね!  

最新の写真はこちら。真剣に筋トレしています

{88E7658E-8752-4B82-B253-14A07918193E}











{57F82F68-9503-4661-B312-E2B61DCF6C98}

{94528850-604F-4243-9611-AC1987FA51CA}


1年前
{DBCE4F7D-4325-45D1-B27A-BA468E36EF2B}


皆様こんにちは。

私は相変わらず家事と育児と仕事に奮闘しています。私は10才と5才の子を持つ兼業主婦だからです。

起床は毎朝5時です。今朝の朝食はこちら。パンは手作りです


{21303502-BBF8-4E53-AAB8-5A441EC70476}

{5CD9CCDF-3EE5-4AD8-8935-E5D1244A2626}

トイレ掃除も欠かしません。

{A6368CC4-03B2-456F-81C9-AE4A4FF8F4F3}



全ての家事を早朝に終えて夫と子を送り私が出社します。9-17時の仕事ですので残業はほとんどありません。

共働きだと家事育児の分担で悩む夫婦が多いと聞きますが我が家ではそのことで揉めたことはありません。なぜなら私が家事育児のほとんどやっていて分担していないからです。私の家事育児のやり方は、非常に合理的です。悪く言うと雑です。もっと悪く言うと死ななければ良いレベルです。

✳︎食洗機
✳︎洗濯機
✳︎ルンバ
✳︎幼稚園の延長保育
✳︎習い事
✳︎ダスキン
✳︎義母
✳︎実母(病人)

をフル活用します。
夫は国内外の長期出張の多い仕事をしているので家事育児はたまに手伝う程度です。

私は夫に不満はありません。もっと家事育児を手伝って欲しいと思わないからです。
私は働いているとは言っても収入は夫の3分の1で、生活費の大半を夫が負担しているからです。

婚活の段階で稼ぐ夫を選んだわけではなく
長い結婚生活の中で結果的にこうなったのですけど、私のように子持ちの中年になると、男性と同等に稼ぐのは難しいですね。

男性に家事育児を半分もしくはそれ以上負担してもらいたい場合は、自分が男性以上稼ぎ生活費を負担すれば良いのです。それなら家事育児の分担で揉めることはないでしょう。

実際私の周りでも家事育児をパパがやってる家庭もあります。素敵な家庭ですよね!

働きながら家事育児するというとたいへんと思われるけれど、全然ラクですよ。楽しいですし、

お花育てたり
{3C9BD02D-2763-4524-9B62-4ADA31833CBA}

ホストクラブに行ったり
{F0724C52-C6AA-472D-B5E3-3AFE3B2F6C1F}

そんな余裕もあります。1か月に1-2回ですけどね。単独のおやすみは。またあるときは競馬場にも行けるし、

{07A6DEB6-B23D-48BE-99D4-0A145EBBA8B5}

ブログやTwitterやる暇もあるし、笑笑。
いずれにしても、夫婦間で、収入の低い方が、家事育児をやるというのが合理的です。