豊穣のエネルギー☆と『いなり』と『いのちの種』の秘密 Part 3 | 幸せにした人20000人‼︎ 新幸智恵美☆ミラクル日記【岡山.全国】


『いなり』について、調べてみました
キラキラ

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「稲荷神社」 とは、京都の伏見稲荷神社を総本山とする神社で、日本の神社の中で、この稲荷神社が一番数が多いとも言われています。



稲荷神社に祀られる神さまは、
五穀と養蚕を司る穀物神(「宇迦之御魂(ウカノミタマ)」)・
農耕神(「倉稲御魂(ウガノミタマ)」)で、
この神様を稲荷大明神といいます。

この稲荷大明神は、神仏両方の神として祀られ、

神仏分離後は、穀物・食物の神である、
豊宇気毘売命(とようけびめ)
保食神(うけもち)
大宣都比売神(おおげつひめ)
若宇迦売神(わかうかめ)
御饌津神(みけつ)なども

稲荷神として祀られています。


京都伏見稲荷神社に、初めて祀られたのは 「711年」 といわれます。

まずは日本書記にかかれてある文。

 「稲荷大神は欽明天皇が即位(539年または531年)する前のまだ幼少のある日

「秦(はた)の大津父(おおつち)という者を登用すれば、大人になった時にかならずや、天下をうまく治めることができる」


と言う夢を見て、早速方々へ使者を遣わして探し求めたことにより、
和銅4年(711年)二月初午の日に秦(はたの)伊呂巨(具)(いろこ(ぐ))が鎮座した。」



そして 『山城国風土記』


秦氏の祖先である伊呂具秦公(いろぐの はたの きみ)は、富裕に驕って餅を的にした。


するとその餅が白い鳥に化して山頂へ飛び去った。そこに稲が生ったので(伊弥奈利生ひき)、それが神名となった。


伊呂具はその稲の元へ行き、過去の過ちを悔いて、そこの木を根ごと抜いて屋敷に植え、それを祀ったという。

また、稲生り(いねなり)が転じて「イナリ」となり「稲荷」の字が宛てられた。


「欽明天皇」とは、539年~571年の間のことをいい、この時代の一番重視することは、

「仏教が伝来がこの時からはじまったということです。」



稲荷神が、密教と習合されるのは、空海が起源となっているようなので、

最初に稲荷大明神として現れた時がダーキニーと考えられていたとは思えないのですが、

姫の封印には、「仏教」を伝来してきた人物が大きく関わっているのではないでしょうか。



そして「秦」。

一般的に、稲荷神社とは、『山城国風土記』にも書かれてあるように、「秦氏」の子孫が祀ったことになっているため、「秦氏の神」と思われています。


でも、私は、本来の(瀬織津姫を祀る)秦氏とは違うと思っています。


それは一族の中の裏切りから出たものかもしれませんが、秦氏が本当に祀っていた神は 狐ではなく「蛇」

瀬織津姫だったからです。

そのことが少し現れているのが、『山城国風土記』です。

秦氏の祖先である
「伊呂具秦公(いろぐの はたの きみ)は、富裕に驕って餅を的にした。


するとその餅が白い鳥に化して山頂へ飛び去った。そこに稲が生ったので(伊弥奈利生ひき)、それが神名となった。」

この的にした「餅」とは、瀬織津姫のことです。

瀬織津姫は、一般的には水の女神と言われていますが、本来はただの水の女神ではありません。


「命」の根源。 言い方を変えられば、あのもののけ姫の「しし神」さまのように、命を再生することも、命を奪うこともできる神だとされていたのです。

日本の主食は 古来より「稲」です。

食べ物がなければ、人はいきていくことができません。

稲作により豊かになっていった大和は、「稲の豊作」をなにより望んでいたこととではないでしょうか。


この「稲=米」は太陽の恵み(アマテラス)によりできたもので、
また、これを神と一緒に食べることで、天皇は神と一体になろうとしました。


それが、新嘗祭です。


瀬織津姫が豊受大神となり、伊勢神宮の外宮に祀られることとなった意味は、

「命」に必要な「稲」が必要だと考えたからではないでしょうか。

お正月に飾る 「鏡餅」の「餅」は、「蛇」の姿だといいます。


「餅=蛇」なのです。


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アップ

 私… ここまでの情報
キラキラを読んで、
気付いた事がある…

今回、二回目の和歌山、熊野の旅を終え
ずっと思っていた事…


山の神キラキラには、それぞれ色んな眷属がいて

ある山の神キラキラには、天狗キラキラ
ある山の神キラキラには、もののけ姫の様な白オオカミ系 ( 白い獅子 )
ある山の神キラキラには、白い蛇キラキラ

それが自然の他の神
キラキラと合わさって、
人々を繁栄キラキラさせる、
豊穣キラキラのエネルギーキラキラ
豊かさキラキラのエネルギー☆になり、

それが、本来キラキラの『いなりキラキラ』といわれるエネルギー☆の源キラキラなのでは、ないかと…


熊野の稲荷大明神キラキラと呼ばれてるエネルギー☆は、
どれも、『稲荷=きつね』と思われているエネルギー☆とかけ離れてる…


もっと、素朴で、もっと土臭くて、
もっと純粋キラキラで、もっと自然の神々キラキラ
サポートがいっぱい詰まっている様な…


その人の『いのちキラキラの種キラキラ』がポチッと
落ちたなら、その豊穣のエネルギー☆で
すごく肥えた土地に種キラキラが落ちたなら

太陽の恵みキラキラ水の恵みキラキラ
キラキラに抱かれ、風キラキラの子守歌を聞いて
すくすく育つような…

そんな全ての存在キラキラの総動員のサポートキラキラを受けて、
愛でて、慈しんで育てられる様な…


そんなエネルギー☆キラキラなのだ…(u_u)…

 


そして、まだ情報キラキラは続く…

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蛇である餅を的にして矢を放つと、
その餅が「白い鳥」になって飛び去った。


「白い鳥」とは、あの三島明神の中でも表されているように、太陽=カラス 月=白鷺 

「白い鳥」とは、月の神使。 
姫は白い鳥になって、いなくなってしまったということです。


そうして、そこには、「命の源」=「稲」だけが残った。


瀬織津姫を祀っていたと思われる、
愛媛(伊予の国)の神社、
特に、この今治近辺では、「弓祈祷」という神事があちこちで行われますが、
これも同じです。

餅の代わりに、「鬼」と書かれた
的に
向かい、弓を放ち無病息災を願います。


『山城国風土記』に書かれてあることは、朝廷の立場から見た、姫の姿をあらわしているのだと思います。

そして、最後の 「711年」

これは、古事記が完成する1年前。
まさに、姫を消し去る争いが一番激化しているころです。

日本書記と『山城国風土記』。

この両方をあわせみると、稲荷神社が姫の封印にかかわったことがよくわかるかと思います。


稲荷(白い狐)が本来は、
姫(白い蛇)だったのです。

稲荷大明神=宇迦之御魂の 「宇迦」とは、「蛇」 のことを表します。

宇迦之御魂とは、「蛇の御魂」 の神ということになります。 



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これが、瀬織津姫の意味でもあります。


神話に書かれた、創生の女神とは  
「女神ナンム」でした。

ナンムとは、「原初の海」天地が形を
整える以前に世界のはじめからあった
淡水の海」を体現する女神です。


それが本来の瀬織津姫の姿です。

女性的な「生命を産み出す海」

古代人々は、空と地の両方に水源があると考えました。

そこには、空を飛ぶ鳥(水鳥)である女神、
また水(蛇)である女神がいると考えました。

また太古の昔から、女神は、
概念的には三相一体でした。


だから、この天河弁才天の蛇の顔も、三つ。



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本来は一つの女神からなる三つの女神の姿なのです。

農耕時代、女神の姿は、「再生の女神」 「月の女神」 となりました。

生命を育て、豊穣を促す女神(稲荷神と同じ豊穣の神)、

それは月に繋がると考えていたからです。

それと同時に、自然が時々引き起こす破壊力も、女神の姿と考えられていたのです。


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しかも、見つけた…

この饒速日の本に、宇迦之御魂神の事を
書いてある…



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宇迦之御魂神キラキラとニギハヤヒキラキラ
同胞神キラキラだと書いてある…


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豊穣のエネルギー☆キラキラ
豊かさのエネルギー☆の秘密キラキラに近づいて来た気がします…(u_u)…





                                       つづく