魚火星のスイッチ | 星屑の道標

星屑の道標

インナーチャイルドカード・西洋占星術によるセッションを行っています。

メリークリスマスも過ぎて年末モードです。
・・・とはいえ今年は最終週がまるまる土曜日までありますね。
まだ気が抜けない、駆け抜けて正月へ突入しようと思います。


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先日、火星が魚に入りましたね。

元々、ネイタルの月が0度(牡牛)にあるので、イングレスのタイミングで反応しやすいのかもしれませんが、月に眠った記憶がパチリと目を覚ましたようでした。
いま、プログレスの月も乙女0度にあり、気持ちが感応しやすかったのもあります。
内面的なタイミングは、狙って起こせるものではないので、こういった符合は「占星術面白い!」と感じる箇所かと思います。



小学校2年の時だと思うのですが、「優しさは偽善」と思った記憶がありありと残っていました。
記憶が薄い方なので、どこかで書き換えられた可能性もあるのですが、ずっと残っているのです。あの頃に優しさは偽善と感じたことを。

ただ、なぜそう思うに至ったのかわからなかったし、小2で「偽善」の概念があるとは思えないのですが、情景まで覚えているのですよね。

そして、このタイミングでそれに至る記憶が繋がったのでした。

ひとつは、花壇係のこと。
係の子たちに、いじめ未満みたいなからかいを受けていたのですね。
(デリケートなところもありますが子ども特有の残酷さという程度ですね)
傷つくというより、面倒くさい。
困った振りをするのがとても面倒くさいなぁと思ってました。
そうしないと納得しないからね~。

ふたつめは、母の職場。
勤めていたのは、障がい者施設で、そこの人たちと関わる機会があったのでした。
怖い、という気持ちより、「差別しないようにしなくては」という気持ちを覚えています。
どういう意味かわからなくても、そういう施設は街の外れにあったり、周囲の誰とも違う雰囲気は感じていました。


ふたつの記憶と偽善を結ぶのは「表と裏」

からかう友人たちは、普段は何もしないのです。花壇に行った時だけ、変わってしまう。
差別がないのが"良い"とされているはずなのに、あからさまに社会から隠されている人々。

なんだか、ちぐはぐ。

私を裏切る人間はどんな姿をしているのか。
私が裏切っている人間は誰なのか。

差別しないようにしよう。
という時点で、自分が優位と錯覚していますから、そのこと自体裏切りなのです。
(まぁ年齢考えたら仕方なし)
そうすると私はあの友人と変わらない。

そう考えて優しさは偽善と定義し、自分を守ったのかもしれません。
あの頃向き合うには自分の負の面が大きすぎたとも言える。

ずっと、優しさの裏にあるものを仮定し、その範囲内で受けとめていました。
綺麗な部分だけ、見ていたかったし、偽善を否定したかったのです。

でも、魚火星がいれたスイッチは、

「偽善も含め優しさが成立していること、それの何が悪いの?だって気持ちいいでしょう?」

と言うことでした。
反対に、自分の中のある聖域のような潔癖さが浮き彫りに。

「清濁合わせ飲む」

年明けには魚座で火星と海王星が合になり、このワードは強調されそうですね。

きれいはきたない、きたないはきれい。

どちらかだけに溺れていては、真実は見えないのかもしれません。