狭隘な自尊心・・・3 | 昭和42年生まれ元司法浪人無職童貞職歴無しの赤裸々ブログ

昭和42年生まれ元司法浪人無職童貞職歴無しの赤裸々ブログ

昭和42年生まれの元司法浪人生です。
日々の出来事や過去の来歴を隠すことなく赤裸々に語ります。

大学入学初日、サークルの勧誘で自分のプライドを傷つけられ、ますます学校に行きたくなくなっていた。


そもそも、クラスに入った時から周りの雰囲気になじめかった。

自分のいた法学部は下位のマーチではあったものの、一応看板学部だった。

だから、4浪の自分に対してもまともに会話できる友人くらいはいるだろうと思っていた。


しかし、内情は、当時にしては珍しい茶髪の学生がいるなど、軽い雰囲気だった。

たしかに、いわゆる可愛い女の子も数人いたが、どれも軽い感じの女の子だった。


これが18歳の自分だったら女の子に声をかけたり、軽い雰囲気を楽しむこともできたのかもしれない。

しかし、当時自分は22歳で、彼らは自分より4歳下である。

自分が高校1年生のとき、彼らは小学生だったのである。

そんな子供たちと仲良くなんてなれるわけがないと思ってしまった。

あんな軽薄な馬鹿どもと一緒に机並べて勉強なんかちゃんちゃらおかしいと思ってしまった。


一日中そればかりを反芻し、繰り返し繰り返し思っていた。

つまりやさぐれていたのである。

もし自分が18なら周りもやさぐれた自分に同情し共感してくれる友達がいたかもしれない。

「実は俺もそうなんだよ、一緒に頑張ろうぜ」と言ってくれる友達ができたのかもしれない。

そういう友達との出会いがきっかけで女友達もできたかもしれない。


しかし、年をとってしまうとこういう時に不利で、明らかに周りより浮いていた自分は、そのように声をかけてくれるような友人はいなかった。


そんな状態だったので、入学当初から孤立し、自分からも人を遠ざけていた。


ただ、やさぐれているだけでは済まされない事態が出てきた。


それは、大学に入学した以上、皆と同じように授業を履修しなくてはならない。

自分には友達がいないので、授業をさぼってノートを借りることもできないので、授業にも出なくてはならない。

仮面浪人中はなるべく授業に出たくなかったし、受験勉強に専念したかった。


しかし、そのくせ、自分は履修できるぎりぎりまで科目を登録した。


学校の授業なんて、どうせこの学校の馬鹿な学生相手の授業だから楽勝に違いない。

俺がちょっと頑張ればすぐトップになれるだろう。

なんせ俺は理Ⅲ目指してずっと4年間勉強してたんだから。

だからぎりぎりまで履修しても、余裕で単位がとれるだろうと思いこんでいた。


これが誤算だった。

まず、初めての授業である。

初めての授業を受けた時は驚愕だった。


そもそも大学そのものに期待はしていなかったが、大学の授業に対して自分は一応の期待をしていた。

というのも、高校のときからまじめに授業を受けず、宅浪していたことから、授業自体久々で新鮮であったということと、一般的に大学の講義は難しくてついていけないという風評があったため、当時能力を過信していた自分は、そういう風評が自分を鼓舞させたことにあった。


初めての大学の授業はマイクを持った教授がほとんど板書もせずに喋り倒すいわゆるマス講義だった。

授業の名前は法学入門だったか、そのような名前だった。

個人的には法律の入門知識を丁寧に教えてくれるものだと思っていた。


しかし、これがまったくの見当違いだった。

授業内容がまったく肌に合わなかったのだ。

肌に合わなかったというのは、ついていけなかったというのではない。

意味を感じなかったのだ。

板書をノートに書き写そうと思っても、ほとんど板書もないし、教授の言ったことをノートを取ろうにも、教授の話が本線なのか脱線なのかすらわからないからノートをとりようもない。


授業を受け終わった後に自分のノートを見ても、数行の走り書きのみで、教授が何を話していたのかもいまいち覚えていなかった。


こんな授業出席しても意味がないと思った。


今考えれば至極当たり前のことだが、大学の講義は教授の研究分野を学生に発表する場である。

我々を司法試験に合格させようとか、資格を取らせようとかは一切考えていない。

だから、学生も教授の言っていることをまるまるノートに取ろうとせず、テストに出そうな所だけ淡々とメモすれば良いのである。

そしてそれをテスト前にざっと見れるようにしておけば単位が来るのである。


当時、大学受験向けの勉強しかしていなかった自分に、そのような要領のよさは持っていなかったし、そもそも自分の能力を過信していたので、自分の肌に合わないという理由だけで、大学の講義=無意味という風評通りの固定観念をもつようになってしまった。


結局、当時の自分はひたすら教科書や問題集を暗記して勉強するというスタイルだったため、それを全否定するような大学の講義には全くと言っていいほどなじめなかった。


おまけにマス授業のほとんどが出席を取らなかったので、全くと言っていいほど、授業に出ることはなかった。


これが第2の誤算である。