同じ職場に大学生講師が10人ほどいる。
自分に対して声をかけてくるような講師はいないが、なかにはいわゆるリア充の大学生もいる。
自分から見ればすべての大学生がリア充なのだが、とりわけリア充の彼は高校大学とエスカレータ式に進学し、現在卒業間近の4回生とのことだ。
彼は1回生のときからこのバイトをやっているそうで、バイトではリーダー的な存在である。
時給もおそらく一番高いのだろう。
見た目もよく、生徒にも職員にも人気がある。
すでに就職は決まっており、来月からは大手損保に就職するそうだ。
4浪した自分は彼の年の時、まだ浪人生だった。
だから自分などと比較するのはおこがましい。
自分など、彼の足元にも及ばないのだ。
だから劣等感を抱くことはあっても、世の中は不公平だと思うことなど許されないのだ。
しかし、自分は彼を見てつくづく世の中は不公平だと思ってしまう。
自分は18歳から勉強を続け、およそ30年近く勉強を続けたが、失うものは多くとも、得るものは何もなかった。
いま44歳で、頭は禿げ上がり、恋愛経験やまともに正社員になったこともない。
でも、勉強は日々続けていた。
毎日毎日好きでもない勉強だけをひたすら続けて、結局、何も得なかった。
彼の倍は生きている自分は、彼の5倍は勉強をしただろう。
いやもっとかもしれない。
好きでもない勉強を彼の5倍、いや10倍やったかもしれない。
それだけやった。
でも、得たものは彼の1000分の1にもならない。何も得なかったのだから。
ましてや人生経験は彼の10分の1にも及ばないだろう。
そして彼との差は、これから一生かかっても埋めることはできないだろう。
仕事帰り、自転車に乗りながらふとそんなことを考えていた。
彼は彼女と一緒に勉強したかもしれない。
自分は図書館の同じ机でそんなカップルを見て頭が沸騰するほど悶々としながらの勉強していた。
目の前で勉強するカップルを見て勉強が全く手につかず、そばの公園のベンチで自分の空虚な人生を振り返りひとしきり涙したこともあった。
彼は、何の用もないのに繁華街に行ってカップルやパンチラを見に行ったことなどないだろう。
SM小説を探し、5時間も6時間も町を彷徨い歩いたこともないだろう。
むしろ、サークルでバーベキューをやったり、飲み会をやったり、はたまたプールや海に行って水着で彼女とはしゃいだり、花火を浴衣で見に行ったり、自分のあこがれの大学生活を、青春を謳歌しただろう。
これから会社に行けば、上司に怒られたり励まされたり、女子職員にアプローチされたり、同僚と励ましあったり切磋琢磨しあったりするだろう。
そして、そのうち結婚し、子供をつくり、マイホームを持ち、休日は公園で子供とキャッチボールをするのだろう。
自分がなし得なかったすべてを彼はいとも簡単に成し遂げるだろう。
仮に彼が社会人になってすぐ仕事をやめて法曹をめざし、3回三振したとしても自分の年には及ばない。
それだけの差が開いてしまったのである。
こういう日は寝つきが悪くて困るのだ。
朝できる仕事を探そう。