3月25日で45歳になった。
アルバイトも結局、研修生を脱することができず、講師はお預けとなった。
誕生日は日曜だからと言って特別なことはせず、ひたすら家で高校の数学の勉強をしていた。
マンガ喫茶に行ってブログの更新をしようと考えたが、それもやめた。
生まれてから45回誕生日を迎えたことになる。
この誕生日という響きには、懐かしさとむなしさが同時にこみ上げてくる。
自分が中学校のときまでは、誕生日になると、友達を家に呼んで盛大に誕生日会をやった。
うちは裕福ではないが、中流家庭なりのごくふつうの誕生日会を友達と過ごし、とても楽しかった。
誕生日が学校の修了式と重なっていたため、成績が悪くて落ち込むこともあったが、そんなことも忘れて楽しんだ。
今もたまにその時の夢を見る。
しかし、それ以来、かれこれ30年くらい誕生日を祝っていない。
実家にいたときは親がケーキを買ってきたりしていたが、それも高校生までだ。
男子校にいて悶々としていた頃、誕生日が近づくと、周りの共学の連中は誕生日プレゼントを男女間でやりとりしているのだろうと想像してむしゃくしゃしていた。
だから高校の時の誕生日は、すべてむしゃくしゃしながら過ごしていた気がする。
親がケーキを買ってきても、毒づいて一切口にしなかった。
それを見て親はあきれていた。
高校卒業してからは親もケーキも買わなくなったが、20歳の誕生日に高級レストランに連れて行ってもらった。
20歳は成人になった記念なんだから、酒でも飲んではどうかという意味だったのだろう。
ただそのときは浪人生で、しかも3浪が決定したときだったのでむしゃくしゃしていた。
それだけでなく、男子校のときの悶々とした気持ちも引き摺っていたので、食事中に普段持ち歩いたこともない英単語帳を見ながら早食いして先に帰った。
彼女のいる奴は二人っきりでお祝いしているかもしれないのに、なんで俺は親と一緒にレストランなんだよ、とイラつきながら帰りの電車で涙を飲んだ記憶がある。
それ以来、誕生日はむしゃくしゃするので、なるべく誕生日になったことを意識せずに、いつも通り過ごそうと努めている。
たまにネットのブログで、友達と大勢で誕生祝いをしたあと、彼女と二人っきりで誕生祝いをしたという記事を見かける。
そこには、カラオケで友達同士で上半身裸になって馬鹿騒ぎしている画像と、おそらくそのあと撮ったのであろう彼女とキスをしている画像が貼られている。
ブログの主は、別に芸能人でも、有名人でもなく、ただの学生である。
自分は彼女と二人っきりで祝うのも好きだが、大勢で馬鹿騒ぎしながら祝うのも好きである。
二人っきりで祝うのは憧れで、大勢で祝うのは懐かしさである。
こういう夢のような誕生祝いを、ただの学生ごときが二つ同時にかなえているのを見ると腸が煮えくり返って卒倒しそうになる。
そしてその後、いつものむなしさが訪れる。
もしかしたら一生こういう誕生日祝いはできないのかもしれない。
そう思うと、たまらなくむなしくなる。
仮にできたとしても、50歳の誕生日に友達とカラオケボックスで裸になって朝まで騒いだと言えば、眉を顰めるだろう。
その前に馬鹿騒ぎに付き合ってくれる友達などいないだろう。
失われた青春の価値はとても大きい。
人生で最も楽しく輝ける時間を無為に過ごした切なさとむなしさで胸がいっぱいになる。
だから、誕生日は何も考えずに過ごすよう努めている。