今年で45歳を迎える。 ・・・4 | 昭和42年生まれ元司法浪人無職童貞職歴無しの赤裸々ブログ

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昭和42年生まれの元司法浪人生です。
日々の出来事や過去の来歴を隠すことなく赤裸々に語ります。

中学校2年生のとき、担任の先生が35歳くらいの独身の男の先生だった。

頭ははげ散らかっていたが、すごく人の好い先生で、いつも笑顔の優しい先生だった。


その先生が担任になった当初、周りの友達から

「あの先生、独身らしいぜ」

と言われ、

「えー、やっぱり」

と咄嗟に言った覚えがある。



先生は人柄は良いものの、その容貌は決して良いものではなかった。

あの容貌では結婚できないんだろうと薄々感じていた。


そして、先生自身もからかわれることを知ってか、よくネタにしていた。

授業中に、「結婚手前までいっても、なかなかそこからが難しいんだよなあ」と言って、皆を大爆笑させた記憶がある。

自分も当然爆笑した。


この爆笑は完全に侮蔑の感情である。


あるとき、お調子者の生徒が、先生に独身ネタでしつこく馬鹿にしていた時、先生が怒り出したことがある。

「いい加減にしろ!」と言って、皆の前で長々と説教された。

説教の内容は決して独身ネタについてではなく、他人を馬鹿にするようなことは言うな、という内容だった。

そして怒った後、先生は悲しい表情をしていた。

皆その顔を見て、やっぱり先生は独身であることを気にしていたんだと思い、以来、皆そのネタに一切触れないようにした。

それに気づいてか、先生自身もその話をあまりしなくなった。


自分も先生のことをとても不憫に思った。

当時の自分の中では、30代の男性は皆結婚して子供がいるイメージがあった。

自分の親ですら30代では結婚していた。

だから、35歳くらいで独身というのは、ほんとにかわいそうだなあと勝手に心配していた。


しかし、その先生は自分が3年生になった直後に結婚し、学年便りに自分の結婚式の写真を載せていた。

「やっと結婚しました」みたいな冗談交じりのコメントが載っていたことを覚えている。


そのときも、自分の元恩師の結婚の写真を見て、おめでとうという祝福の感覚はなかった。

むしろ、こんなに年をとって結婚しても何もめでたくないだろう、と思った。

この年で結婚って嫌だなあ、自分はもっと早く結婚しよう、というのが当時の率直な感想である。


子供心にあった自分の未来予想図は20代で結婚し、子供を持つことだった。


しかし、45歳になった現在、子供心にあった未来予想図は1個も実現していない。

結婚はおろか、彼女すら、女友達すら、女性との会話すら、いまだに実現できていない。

アルバイトは始めたものの、職歴らしい職歴もない。


ちょうど10年前、自分がまさに先生と同じ、35歳の頃だった。


うちの母が電話で、誰かとよもやま話をしていた。

その電話の中で、

「うちの息子はまだ独身なのよねー。誰かいい人いないかしら」

と半ば冗談で言った。


これを隣の部屋で聞いたとき、怒りではなく、むしろ、嬉し恥ずかしな気分になったのを覚えている。

独身と言われて、なんとなく誉められたような気分になったのだ。


まだ女性とまともに会話したことすらない自分が、「独身」というカテゴリーに入れてもらえたことが嬉しかった。

女性経験値0の自分が、「独身」という一段上のクラスにレベルアップした感覚になったのだ。


これは今も同じで、独身と言われるとなんとなく嬉しい。


塾の生徒に自分が独身であることを告げた時、小さい子であればあるほど、素直に驚かれる。

独身だと告げた後でも、何度も生徒から「先生、独身なんですかあ?」とふざけて訊いてくる。

おそらく、彼らの心の中には中学2年当時の自分のような、侮蔑と嘲笑の感情があるのだろう。

しかし、自分は不思議と、それを侮蔑や嘲笑とはとらない。

むしろ、うれしいのだ。


「独身」という言葉に優越感に浸れるのである。


中学校2年の担任の年をもう10年くらい上回ってしまった。

自分が勝手に不憫に思っていた先生ですら、35歳の時点で結婚手前までいったことがあるのだ。

あれだけ先生を馬鹿にしていた自分は35歳の時、セックスはおろか、恋愛もしたことがない。

たしかに、先生同様薄毛で、容貌も決して良いものではなかったが、45歳の今も変わっていない。


初恋すらまだなのだ。


しかも、先生を10歳上回った時点で、独身と言われて優越感に浸っているようでは先が思いやられる。