中学校2年生のとき、担任の先生が35歳くらいの独身の男の先生だった。
頭ははげ散らかっていたが、すごく人の好い先生で、いつも笑顔の優しい先生だった。
その先生が担任になった当初、周りの友達から
「あの先生、独身らしいぜ」
と言われ、
「えー、やっぱり」
と咄嗟に言った覚えがある。
先生は人柄は良いものの、その容貌は決して良いものではなかった。
あの容貌では結婚できないんだろうと薄々感じていた。
そして、先生自身もからかわれることを知ってか、よくネタにしていた。
授業中に、「結婚手前までいっても、なかなかそこからが難しいんだよなあ」と言って、皆を大爆笑させた記憶がある。
自分も当然爆笑した。
この爆笑は完全に侮蔑の感情である。
あるとき、お調子者の生徒が、先生に独身ネタでしつこく馬鹿にしていた時、先生が怒り出したことがある。
「いい加減にしろ!」と言って、皆の前で長々と説教された。
説教の内容は決して独身ネタについてではなく、他人を馬鹿にするようなことは言うな、という内容だった。
そして怒った後、先生は悲しい表情をしていた。
皆その顔を見て、やっぱり先生は独身であることを気にしていたんだと思い、以来、皆そのネタに一切触れないようにした。
それに気づいてか、先生自身もその話をあまりしなくなった。
自分も先生のことをとても不憫に思った。
当時の自分の中では、30代の男性は皆結婚して子供がいるイメージがあった。
自分の親ですら30代では結婚していた。
だから、35歳くらいで独身というのは、ほんとにかわいそうだなあと勝手に心配していた。
しかし、その先生は自分が3年生になった直後に結婚し、学年便りに自分の結婚式の写真を載せていた。
「やっと結婚しました」みたいな冗談交じりのコメントが載っていたことを覚えている。
そのときも、自分の元恩師の結婚の写真を見て、おめでとうという祝福の感覚はなかった。
むしろ、こんなに年をとって結婚しても何もめでたくないだろう、と思った。
この年で結婚って嫌だなあ、自分はもっと早く結婚しよう、というのが当時の率直な感想である。
子供心にあった自分の未来予想図は20代で結婚し、子供を持つことだった。
しかし、45歳になった現在、子供心にあった未来予想図は1個も実現していない。
結婚はおろか、彼女すら、女友達すら、女性との会話すら、いまだに実現できていない。
アルバイトは始めたものの、職歴らしい職歴もない。
ちょうど10年前、自分がまさに先生と同じ、35歳の頃だった。
うちの母が電話で、誰かとよもやま話をしていた。
その電話の中で、
「うちの息子はまだ独身なのよねー。誰かいい人いないかしら」
と半ば冗談で言った。
これを隣の部屋で聞いたとき、怒りではなく、むしろ、嬉し恥ずかしな気分になったのを覚えている。
独身と言われて、なんとなく誉められたような気分になったのだ。
まだ女性とまともに会話したことすらない自分が、「独身」というカテゴリーに入れてもらえたことが嬉しかった。
女性経験値0の自分が、「独身」という一段上のクラスにレベルアップした感覚になったのだ。
これは今も同じで、独身と言われるとなんとなく嬉しい。
塾の生徒に自分が独身であることを告げた時、小さい子であればあるほど、素直に驚かれる。
独身だと告げた後でも、何度も生徒から「先生、独身なんですかあ?」とふざけて訊いてくる。
おそらく、彼らの心の中には中学2年当時の自分のような、侮蔑と嘲笑の感情があるのだろう。
しかし、自分は不思議と、それを侮蔑や嘲笑とはとらない。
むしろ、うれしいのだ。
「独身」という言葉に優越感に浸れるのである。
中学校2年の担任の年をもう10年くらい上回ってしまった。
自分が勝手に不憫に思っていた先生ですら、35歳の時点で結婚手前までいったことがあるのだ。
あれだけ先生を馬鹿にしていた自分は35歳の時、セックスはおろか、恋愛もしたことがない。
たしかに、先生同様薄毛で、容貌も決して良いものではなかったが、45歳の今も変わっていない。
初恋すらまだなのだ。
しかも、先生を10歳上回った時点で、独身と言われて優越感に浸っているようでは先が思いやられる。