あの頃にもどりたい・・・2 | 昭和42年生まれ元司法浪人無職童貞職歴無しの赤裸々ブログ

昭和42年生まれ元司法浪人無職童貞職歴無しの赤裸々ブログ

昭和42年生まれの元司法浪人生です。
日々の出来事や過去の来歴を隠すことなく赤裸々に語ります。

仕分けの仕事は、苦痛である。

苦痛の原因の一つに時間が過ぎるのがとても遅いことがある。

塾の仕事とは比べ物にならないくらい、時間が過ぎるのが遅い。


そんな仕分けの仕事中、ずっと同じフレーズが頭の中をぐるぐる廻っている。

フレーズといっても、音楽の一部だったり、言葉ではない。

同じ思考回路というか、同じ思考パターンが何度も何度も頭の中を廻っているのだ。


それは、自分の人生の敗因を探り、ひたすら後悔し続けるという思考パターンである。

人生の敗因を探り後悔する思考パターンが、仕事の最中ずっと絶え間なく、まさにヘビーローテーションで頭を廻っている。

本当に嫌になる。


小学生のころ、父によく言われた。

勉強をきちんとしていい大学に行かないと将来ろくな仕事がないぞと。

父は幼少時代とても貧乏で、疎開していた頃は食うものも無く貧しい思いをしたが、勉強だけは頑張って諦めず続けてきたから大学にも行けたのだと。


言われる都度、「あー、はいはい。わかってるよ!」と、反発した記憶がある。

「わかってるよ」というのは、反発しつつも、父の言い分についてはどこかで納得していたためである。


当時は偏差値全盛時代で、大学の偏差値が年収に直結していた時代である。

東大卒=官僚=田園調布に住むという構図が出来上がっていたのだ。

その当時は、子供でも良い大学に行かなくては人生とんでもないことになることくらいなんとなく認識していた。


でも、実際たいして勉強はしていなかった。

塾には通っていたが、宿題もいつもサボって怒られていた。


しかし、このままずっと勉強しないでいると、将来とんでもないことになるという恐怖感はあった。

だから、いつかはきちんと勉強しなくちゃいけないとは思っていた。

勉強は嫌で嫌で仕方ないけど、勉強しないといけないという認識は、恐怖感として持っていた。

父の忠言は、恐怖感という形ではあるが、意識の根底に刷り込まれていたのだ。


しかしそれが妙な倫理観となり、その後の様々な場面での自分へのブレーキとなった。


高校時代、アルバイトをしたり、バイクの免許を取ったりするのが流行ったが、これらに嵌ると将来とんでもないことになるという恐怖感があり、一切しなかった。


自分と同じマンションに住んでいた中学校時代からの友人がいた。

彼は、無類のバイク好きだった。

アルバイト代でバイクの免許を取り、バイクで北海道まで行ったことなどをよく自慢していた。


彼は当初から大学に行くことを諦めており、専ら高校生活をアルバイトに費やしていた。

よくアルバイトで月10万稼いだとか自慢していた。

それを聞いて、「すごいね」と言いつつ、こいつは将来肉体労働しかないなと侮蔑していた。


彼とは高校卒業後連絡を取っていないため、どうなったかは知らない。

しかし、45歳の現在、自分は16歳の頃の彼ほど稼いでもいない。

月10万以上もらったことなど、今までの人生で一度もない。


16歳の高校生がすでに到達した収入を45歳になってもいまだ到達していないのだ。

今の自分は当時侮蔑していた彼より稼いでいないのだ。


自分はこんな無様になるために勉強してきたのではない。

4浪もして東大医学部をめざし、20年もかけて法曹を目指してきたのではないのだ。

朝から晩まで自習室にこもり、外の天気もわからない中で勉強してきたのではないのだ。

街を歩くカップルを見て悶絶しながら、嫌で嫌で仕方がない勉強を続けてきたのではないのだ。


女にもて、高収入で、周りから尊敬される仕事をしたい。

そのために勉強してきた。

人生でもっとも貴重の大半を勉強に費やしたのは、そういう仕事をしたいから勉強してきたのだ。


昔は「営業職」が自分にとっての最底辺職だった。

他人に頭を下げて愛想笑いをするなんて絶対に嫌だ。

そういう仕事をせずに済むためには勉強するしかないと思って、勉強していた。


しかし、現在ハローワークでも営業の仕事は、この年齢で未経験では全く声もかからない。


荷物の仕分け作業で生計を立てるなど、30年の受験勉強中、思いついたことすらなかった。

最底辺と思っていた仕事を凌駕するさらに底辺の仕事など、考えたこともなかった。


どうせなら若いうちに死ぬほど遊び、やりたいことをやっておけばよかった。

その結果、この仕事をするなら、まだ諦めもついただろう。

このままでは死ぬに死にきれない。


こういう思考パターンが仕事中、何度も何度も頭を廻っている。


仕分けの仕事は単純である。

ローラー式のコンベアから次々流れてくる荷物を種類ごとにコンテナに分ける。

荷物が来ない間はコンベアを見て、荷物がこないかどうかを見守る。


それだけである。

しかし、肉体的侵襲はハンパない。

荷物は外から重さがわからない。

ゴルフバッグが続くと、腰が持たなくなる。

監視の目があるため、おちおち休んでもいられない。


配送場は深夜でもうるさい。

金属のこすれあうキーキーと乾いた音が耳をつんざく。

あちこち錆びているコンベアのローラーの悲鳴だ。


ローラーと自分の人生の後悔の悲鳴が間断なく襲ってくる。


この年齢で、肉体労働と深夜勤務のコンボは予想以上に辛い。