あの頃にもどりたい・・・3 | 昭和42年生まれ元司法浪人無職童貞職歴無しの赤裸々ブログ

昭和42年生まれ元司法浪人無職童貞職歴無しの赤裸々ブログ

昭和42年生まれの元司法浪人生です。
日々の出来事や過去の来歴を隠すことなく赤裸々に語ります。

計5日間に及ぶ仕分けの仕事が終わった。

単発の仕事だが、今回は5日で終わりだった。

人手不足になればまた優先的に声をかけてくれるそうだ。


正直、苦痛で仕方がなかったが、ここは仕事があるだけ感謝するしかない。

底辺と貶めつつも、仕事にありつけたのだから、感謝すべきである。


ただ、この仕事を見つけた時、大学に入学したときのことを思い出した。

自分は4浪の末、現役の時に受かった大学と同じ大学しか受からなかった。

4浪の間、合格したのは唯一現役時に蹴った大学だけだったのだ。

結局そこに入学せざるを得なかった。


当初は受けるつもりすらなかった。

3浪目の受験の時、両親が心配して現役時に受かった大学も受けてほしいと懇願されたが、断った。

自分は医学部志望なのに、そんな名前を書けば受かるような大学なんて受けたくもないと突っぱねた。

しかし、3浪時も全滅だったため、4浪目は言う通り、やむなくその大学も受けることにした。

そして、結局そこしか受からなかった。

本来ならもう1年浪人して上のランクの大学を目指せば良かったが、諦めた。


当時の精神状態はひどく、もう1年浪人しても成績が上がる実感が湧かなかったのだ。

5浪となれば普通に現役で入学した同級生は卒業して働いているのである。

そんな中、もう1年世間から断絶して図書館で受験勉強することは、無理だと悟った。


もう捨て鉢だった。

「もういいや。馬鹿な大学だし、簡単にトップを取ってやろう」

そう思って気持ちを切り替えた。

しかし、入学して周りから浮いてしまったため、結局プライドを捨てきれず、仮面浪人する羽目になる。

そしてそれも失敗し、トップを取るどころか2年も留年した。


この仕事を探すときも、そんな感じだった。

当初は法律事務所や大手の事務仕事に応募したが、どれも年齢制限を大幅に超えているため、履歴書を送っても返事すらなかった。

ランクや希望を大幅に下げてもどこも声がかからなかった。

結局、どこでもいい、バイトでもいいやと思うようになった。

塾ならすぐ決まるだろう、そうタカをくくったが、これがなかなかうまくいかない。


しかし25日には家賃が引き落とされるため、少なくともその前に金を作らねばならない。

ガス代もまだ支払っていない。


背に腹は代えられない。

結局何でもいいやと思うようになった。。


仕分けの仕事は、塾と違い仕事はきつそうだが、1回の勤務時間が長い分、短期間でも給料がまとめてもらえる点でありがたい。

自分にとっては大金が短期間で稼げるのだ。

仕方ないが、これしかないと思った。

そして、電話一本で決まった。


受験勉強は1円にもならなかったことに比べれば、仕事はリターンがある分、まったくの無駄にはならない。

いくら受験勉強をしても、費やした教育費が戻ってくることはない。

そう考えれば、リターンがある分、仕事の方が断然ましである。


たしかに、塾の仕事に慣れてしまうと、仕分けは苦痛だった。

しかし、終わって給与額を算段するとまたやりたいと思えるから不思議である。