変化の年・・・1 | 昭和42年生まれ元司法浪人無職童貞職歴無しの赤裸々ブログ

昭和42年生まれ元司法浪人無職童貞職歴無しの赤裸々ブログ

昭和42年生まれの元司法浪人生です。
日々の出来事や過去の来歴を隠すことなく赤裸々に語ります。

ずっと更新ができなかった。

しようと思えばできたのだが、ずっとそのままにしていた。

日雇いバイトが朝早いため、ブログを書く余裕がなかったことと、ネタがあっても、ブログがだんだん注目されるにつれ、ちゃんと推敲しないといけなくなり、面倒になってきたのも理由である。


近況は、現在実家にいて短期のバイトを繰り返している。

塾をクビになった後、日雇いバイトを繰り返していたが、それだけでは生活ができなくなったため、紆余曲折があった後、親元に再び舞い戻ってきた。


ただ、この1年は自分の人生にとって大きな変化をもたらした年であった。

今までの人生で初体験をいくつも経験した。


・原付の免許を取ったこと。

・原付を購入したこと。

・原付で遠出をしたこと。

・初心者講習を受けたこと。


振り返ればすべて原付絡みではあるが、大きな変化のあった年であった。


まず、なぜ原付の免許を取ろうとしたのか。

それは、短期のバイトや派遣の登録でも履歴書と身分証明の両方を要求する所があり、そのとき保険証だと嫌な顔をされるため、身分証明を取得することの必要性を強く感じた。

そして、写真入りの身分証明と言えば、やはり運転免許証であり、運転免許証と言えば車の免許である。

車の免許は、教習所に通う費用と時間を考えると、無理なのでいったんは諦めていた。


ただ、原付は1回の試験で簡単に取得できることを思い出し、安易に取れるものと思い、挑戦した。

原付の免許程度であれば一発で取れるとタカをくくっていたが、実際はそんなことはなかった。


4回も落ちてしまった。

原付の免許ごときに4浪したのである。


10代の若者が大勢1回で合格しているなかで46歳の自分が4回も落ちたことは屈辱に他ならなかった。


試験場も、初めて行ったときは迷って遠回りしたが、どうせ1回しか来ないんだし、道を覚える必要もないとおもっていたが、まさか5回も行くことになるとは思わなかった。

結局、駅から試験場までの近道まで覚えてしまった。


1回目は駅前の講習を受けただけで本当に何もやらずに受けたため、箸にも棒にもかからない点で落っこちた。

しかし、それなりにショックを受けた。


その帰り道、昔、この免許は底辺の不良がとるもんだ、人生エンジョイしている馬鹿者がとる試験だと思っていたことを思い出した。

以前、自分が留年してた当時、大学の教室前の廊下で、アホそうな大学生が、ピザ屋のバイトのために原付免許を受けたが、一発で受かったことを同じくアホそうな顔の大学生に自慢したら、「今頃原付かよ」と馬鹿にされていた。


そう、アホでも通る試験なのである。

そんな試験に、なぜ自分は落ちるのか。

そういう意味で勉強せずに受けたくせにショックを受けていた。


そのため、2回目3回目は多少なり勉強した。

しかし、2回目も3回目もダメだった。


東大、司法試験を目指していた自分が、司法試験択一試験まで通った自分が、原付ごときに落ちるなんて、弘法も筆の誤りとでもいうのか、こんなこともあるもんだなと思った。

そして、そもそもこんな試験、身分証明を作ることを目的として受けただけで、合格してもさしてうれしくはない、だから、不合格でもなんてことはないと、自分に言い聞かせて慰めていた。


ただ、やはり悔しかった。

近道のはずの駅まで道がとても遠く感じた。


そして、4回目の試験前には、ちゃんと勉強した。

なので、さすがに受かるだろうと思った。

合格発表がアナウンスされる会場は、オッサンもいたが、ほとんど若者ばかりである。

自分の隣にいた若者は、知性的とは程遠く、ボクシングの亀田みたいなヤンキー少年だった。

自分にとって、この会場にこんなやつと一緒にいることだけでも屈辱だった。


そして自信のあった4回目も落ちていた。

隣の亀田は合格していた。

しかし彼はさして喜んでいなかった。

書類を丸めて手に持ち、口をへの字にしたまま合格者列に並んでいた。

おそらく原付免許程度じゃそれほど喜ばないのだろう。


亀田ですら受かるのに、自分は落ちていた。

もはやショックというより、自我が崩壊した。

ヤンキでも受かる試験に落ちるのか、これは加齢による記憶力の減退なのかと自問自答し、このままの半端な気持ちでは受からない、本当に真剣に勉強しようと思うようになった。


身分証明を作るだけという安易な気持ちを捨て、原付に乗りたいと、原付に乗って道路に出たいという目的意識を切り替えた。

こう思わざるを得なくなったことは正直屈辱極まりないが、そうも言ってられなかった。

このままでは受からないのである。


図書館で朝から夕方まで原付の勉強をした。

まさに受験生時代と同じである。

休憩の間も、外で標識を見て暗唱していた。


5回目の試験では出来は、今思えばほぼ完ぺきだったが、その時は何問か怪しいところもあり、気持ちは5分5分だった。


やっと合格していた。

このときの喜びは自分の人生で最大のものだったかもしれない。

悔しいが、それくらい嬉しかった。


試験に受かった後、講習を受け、免許を手にすると、今度は原付がほしくなった。


今思えば、まるで高校生である。