今あるものの大切さ、そして感謝 | ゆるっと、ふわっと、どんな貴方も○にできるんです。私が私の一番の応援団キミのブログ
やりたい事が、興味の湧くことがたくさんありすぎて
私からしたら清水の舞台からポーンとバンジージャンプしたくらいの経験をしました。
まだ、結果は分からないけど…チュー


こんにちは、高橋輝実与です。
この名前もね、尊敬する大切な先生から頂いた名前キラキラ
これからも大事に使っていきたいと思ってます。


毎日うだるような暑さタラー
熱中症で病院に運ばれた…
ニュースが毎日飛び込んで来ます。


そんな中、豊橋三大祭りの1つである豊橋祇園祭が
20日の宵祭り(手筒花火の奉納)
21日、打上げ花火
22日、頼朝行列と三日間にわたり開催されました。


吉田祇園祭は、もともと祭神として素戔嗚尊 (すさのおのみこと)をお祀りする 吉田神社(牛頭天王社・吉田天王社)の神事として1124年に始まった歴史ある例祭です。
先ずは吉田神社境内で奉納される手筒花火の放揚。
三河地方は江戸幕府の火薬番としての歴史から、その扱いに長けており、この勇壮な祭りが永く受継がれてきたそうです。
手筒花火発祥の地とうたわれてます。
境内に記念碑もありますよ。

点火されて手筒花火の火薬が最後に抜ける時大きな爆音が境内にいくつも響きわたって勇壮な男の祭りという感じです。


そして、江戸時代より「三州吉田の花火祭り」として全国にその名をうたわれた、清流豊川の水面を埋め尽くす大花火大会花火
わが家は氏子ではありませんが、わが家のベランダから打ち上げ花火が🎆鑑賞できる所にあるので親しい友人や身内を呼んで楽しい時間を過ごします。

今年は三日間ともお天気に恵まれて良かったです。


花火大会の翌日の最終日は「頼朝行列」


花火大会の様な派手さはありませんが、何気にこの頼朝行列が私は好きです。
幼少期の源頼朝の行列を再現しています。
神社の神輿(みこし)や社殿を建造した戦国大名の今川義元が頼朝を崇拝していたことに由来する行列で、吉田藩の行事として継承されてきました。


馬に乗って神社を出発。太鼓と笛の穏やかな音色が響く中、頼朝の乳母役が乗った馬や、法被を着て神輿を担ぐ男衆、鎌倉時代の武士風の衣装をまとった氏子の方々の行列が行きます。
家の前の通りがこの行列の道順にあるので時間になると近所の人達が家から出てきて行列の最中にお年寄りが先んじてご寄進を奉納します。


最後尾の氏子は、厄よけの言い伝えがある白いまんじゅうを沿道の見物客に配って下さり、それを戴くと夏病みしないと言われてます。
「まんじゅうくらい」とこの辺では呼ばれてます。



こんな由緒ある神事を当たり前のように毎年見る事が出来てご寄進する事でちょっぴり参加しているような気分も味わえてラブラブ


この土地に嫁いで良かったな〜と思います爆笑
当たり前になり過ぎて、短過ぎて気がつかない事って結構いっぱいあるんだなーと気づかせてもらいました。