再々見かけるので説明ツイートをメモ代わりにここにぺたり。
「有川ひろの電書(Kindle)がない」という呟きを俺に見られたらこのblogをぺたりされてしまうぞ。
たまにある「Kindleで有川ひろ買えないの何で?」
— 有川ひろと覚しき人 (@arikawahiro0609) August 24, 2021
電書のシェアが今後も伸びるなら国内の電書メーカーを育てたい。「日本のメーカーじゃないと買えない日本作家がいる」状態を作っておきたい。
シェアを全部Kindleに取られてから流通のはしご外されたり規制されたりしたら嫌だなという危機感がある。
Kindleで出てない=電子書籍がない勢のあまりの多さに国内プラットフォーム推しとしてはたまに慄いてしまう。
現在それだけ一強になってしまっているということだが、一強というのはユーザーにとっては実は恐い状態である。廃盤も規制もメーカーの思うがままだ。
煩雑だなと思ってもメーカー(選択肢)が複数あるのは客にとっては安全なのだ。
よって俺はKindle一強に少しでも抗うためにKindle解禁はしない。
Kindle解禁してくださいと言われてもNOしか言わない。
現代、Amazonを一切使わず生活するのはさすがに難しいが、本だけはAmazonで買わないように努めている。
俺は『大草原の小さな家』シリーズのローラ・インガルス・ワイルダーの名を文学賞から外した国の流通システムを完全に信じ切ることはできない。
あのシリーズは、ローラの父は黒人やインディアン(原作の呼称に準ずる)に友情と敬愛があり、ローラの母は当時の人特有の(決して過剰ではないけれども確かに当時蔓延していた)差別意識があり、しかしふたりとも善良で、周りの人々もローラの父のようだったり母のようだったりと個々の価値観の違いを自然に描写している。
白人にも黒人にもインディアンにもいい人がいて嫌な人がいる。
男にも女にもいい人がいて嫌な人がいる。
ある人にとってはいい人が、ある人にとっては嫌な人になる。
そんな大人たちの中でローラがどんな女性に育っていくかを見届ける物語だ。
それこそ当時の庶民の「多様性」の物語でもあり、未熟な人権感覚が育っていく途上の時代の物語でもあり、人間には多面性があるということを学ばせてくれる物語でもある。
「当時」を生き生きと活写した物語から、人は知恵も学べるし至らなさも学べるはずだ。
ローラは差別的な大人になったかどうか、利己的で嫌な大人になったどうか、それが全ての答えだ。
話が逸れたが、とにかく俺はローラ・インガルス・ワイルダー賞を取り消した国の流通システムに完全によりかかることはできないのである。
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