ウェディングフォトの
もう一つの大きな目的はね…
旅行から帰ってきて母がポツリとこう言いました。
「沖縄に皆んなで行けた事は当たり前にとても嬉しい事だけど…」
「娘のウェディング姿を見れたことが本当に感無量でした」
「まさかねこの歳で娘のウェディングドレス姿を見せてもらえるなんておもってもいなかった」
「ありがとう」
との事でした。
実はね…
母は初めてのたった一人の娘である私を
9ヶ月の時に手離しました。
私は父と父方の両親と継母と、
その後に産まれる腹違いの妹と弟との
7人家族で、生活保護を受けるような
豊かとはいえない暮らしの中で育ちました。
もの心っていつ頃からつくのかわからないけど、小さな時の記憶があまりないのです
7歳の時に養女として戸籍に記載があるのですが、いつから継母が生活の中に存在していたのか記憶にありません
継母だとは知らず、これが母親というものなんだと、子どもながらに少々の疑問や不信感を感じながら生活していた記憶があります。
継母に懐かないままの生活は、
私を引っ込み思案で人見知り、
自分を上手く表に出せない暗い性格にしました。
だって、あまり言いたく無いけど…
継母には軽く嫌がらせ(イジメ?)られてたかな…嫌味を言われたりね
そんな経験が私をウジウジ暗い子にさせてたかも
人見知り…?暗い…?
誰が〜〜(≧∇≦)?
と言う声が聞こえてくるけど…?
でも小さい頃はそうだったかな?
でもね、参観日、運動会、高校生になってからの毎日のお弁当など他の子どもと変わらない様にやってくれてた事に感謝してます。
結婚して子どもが出来てわかったのです。
子どもを育てるって本当に大変だよなと(^^;;
それも他人の子ども
だから 感謝してます。
でも、ずっと抱いていた
その違和感をスッキリさせたくて
高校を卒業して間も無く
戸籍謄本を区役所に取りに行ったのです。
役所で受け取りその場で中身を確認せず
サッサと封筒に入れ持ち帰り
子どもの頃からよく行く近所の児童館の入り口で自転車にまたがったまま、そっとその中身を確認しました。
昔ながらの戸籍謄本には
本当の事が全部記載されていた。
今の母とは養女の関係であること
バッテンで消されてる本当の母の名前、
その母に息子が3人居ること
その中の一人は父が同じである本当の弟
あーー私を置いて出た時もうお腹にいたんだ
それを目にしたあの時の気持ちは
上手く言葉に出来ない。
しばらくその場で動けないまま
涙が溢れてきた
それからその産みの母を探しに行ったのは私が40歳のとき
その細かい事はまた次の機会に
ブログにでも書きますね
そんな母と暮らし始めたのは私が48歳の時
そして間も無く超〜驚きの妊娠…
だからね
今の母は、その置いていった娘と暮らし
その娘に50歳目前で子どもが産まれ
9ヶ月間しか一緒にいなかった娘の孫と暮らす…
育ててはもらってないけど親だからね
親孝行しないとね
私ももう、おばあちゃんだけど…
娘のウェディング姿を見せてあげるよ〜
たった一人娘の妊娠から出産までを体験させてあげられた事…