電通

●『カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの虚業日記』様より
2005-09-13

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20050913


■電通@『日本/権力構造の謎』

以下、やや情報が古いですが、 K・V・ウォルフレン『日本/権力構造の謎 上巻』(早川文庫、1994年、362-369p ) から記事を引用します。

〔以下、引用〕

  1

 電通ほど一手に、直接、あるいは多数の下請けを使って大衆文化を作り出している企業体は世界中どこを探しても、ほかにない。万国博やローマ法王訪日時の準備など、主要イベントもこの会社が総合企画・演出の陣頭指揮に立つ。〔略〕

 電通は、日本の全テレビ・コマーシャルの三分の一の直接責任者であり、ゴールデンタイムのスポンサーの割り振りに関して実質的に独占的決定権をもつ。〔略〕約120の映像プロダクション、400以上のグラフィック・アート・スタジオがその傘下にある。午後7時~11時の時間帯の番組にコマーシャルを出したい広告主は、電通を通すしかない。スポンサーの選定と放送番組の内容の大部分を電通が握っているからだ。

 〔略〕日本では、扱い高が即、政治力になるので、電通はこうした役割〔事実上の編成局〕を演じられるのである。〔略〕

 その結果、電通の影響力は日本のテレビ文化の内容まで左右し、世界中どこにも類例がみられないほど、強力なマスメディアを通しての社会統制になる。そして、このことには重大な政治的意味がある。テレビという麻薬が日本ほど見事に利用されているところは他にない〔略〕。皮肉なことに、NHKが、官界ともっとも直接的につながる局でありながら、リポーターが社会的な問題についての掛け値なしの疑問を投げかける、まじめな番組を放映することがある〔略〕。

 〔略〕

欧米諸国のたいていのテレビ番組が平均精神年齢11、2歳の視聴者に合わせているとすれば、日本のテレビ番組は平均精神年齢8、9歳に合わせている。日本で日々の娯楽の質を決定する上で主要な役割を果たしているのは電通であり、電通はほとんどすべてのものを最低レベルまで下げるのに成功している。頭の働きを鈍化させる芸能娯楽を作り出す機関は他の国にも存在するが、今ここでわれわれが検討しているのは、ほぼ完全に他者を締め出して、大衆文化の質の向上を抑制したり拘束できるだけの力を持つ組織のことである。

  2

 電通の広告扱い高は、日本の総広告費の約四分の一に当たる。大手新聞の広告の五分の一強、主要雑誌の広告のおよそ三分の一が電通扱いである。残りの四分の三を約3,000社の中小広告代理店が分け合っている。〔略〕

 電通が、これほど無敵の存在になれたのはその人脈のおかげである。同社の社員採用方針でつねに目指してきたのは、テレビ界や出版界のトップ・クラスの管理者や幹部役員、および特別な広告主、プロの黒幕などの息子たちや近親者からなる人材プールを維持拡充することであった。〔略〕彼らを指して、大きなスポンサーと良好な関係を保つための「人質」だとは、電通のある役員がたとえ話に言ったことばである。

 〔略〕電通出身者の落ち着き先〔天下り先〕の一つは、テレビ番組の人気度を評価する視聴率調査会社、ビデオ・リサーチ社である。〔略〕管理者たちに不評なテレビ番組を解除するのにも活用される。論争の的になる時事問題(たとえば、部落問題、文部省による教科書検定、税制など)を扱った『判決』という番組は、低視聴率という口実をもって、放送が打ち切られた〔原注〕。

 電通は、消費者の追及から大企業を庇ったりもする。電通のある幹部は、アメリカの消費者運動活動家ラルフ・ネーダーを日本に招いた読売新聞が、電通の警告に応じて、同紙の予定していたネーダーについての二面抜きの特集記事を小さな記事に分割し、しかも調子を落としたと、スピーチで誇らしげに語った。また同じ頃、毎日新聞がこれも電通の指示のもとに、消費者運動についての記事を《穏当》なものに変えた〔原注2〕。電通は報道媒体に強大な圧力をかけ、電通のクライアントの名声に傷がつくような出来事は、報道させないか、報道に手心を加えさせることもできる。1955年、森永乳業の砒素入りミルクについてのニュースを電通が統制したケースは有名である。また、1964~5年には、大正製薬が製造した風邪薬を飲んでショック死した人々についてのニュースを、電通が検閲し内容を変えさせた。〔略〕

 電通が報道関係を巧みに検閲できるのは、財政的な力に起因するだけではない。1936年から45年まで独占的な政府の宣伝機関だった同盟通信社と一体だったこと、また、どちらも戦時中の同盟通信社の末裔である共同通信社と時事通信社という、日本の二大通信社とひじょうに緊密な関係にあることにも起因する。このつながりは株式の相互持ち合いによって強化されている。共同が扱うニュースについては、つねに電通に情報が入る。〔略〕

  3

 電通のもう一つの機能は、官僚および自民党のPR活動をしたり、《世論調査》を通して国民の《伝統的な価値》を支えることである。電通は、総理府及び自民党が必要な情報を収集し、偏った意見調査を通して《世論》を作り上げる手伝いをする。自民党の選挙キャンペーンというもっとも手のこんだ部門は、電通が引き受けている。原子力発電所の安全性の宣伝や、さまざまな省庁の企画に関する宣伝なども扱っている。1970年代後半に、一連の野党系市長や知事を退陣させる政治的策動をとりまとめ、政治的に重大な地方消費者運動や反公害運動に対抗する反キャンペーンを展開したのも、電通である。

 このような官庁および自民党のための仕事は、主に電通の《第九連絡局》でおこなわれ、ここには、建設省、運輸省、農水省、郵政省、文部省、大蔵省、総理府の各省を担当する別々の課がある。公式には民営化されたが実際には以前とほとんど変わっていないNTTやJRなどの公共企業も、この局が扱っている。この第九連絡局は、総理府の広報予算の三分の一以上、他の省庁の同四〇パーセントを吸収する〔原注3〕。また、自民党の広報宣伝予算についても、電通が独占に近い形で自由に使っている。

 自民党と電通とがこのような親密な関係を保てる理由の一つは、電通は寡占によって実業界の顧客からひじょうに高い手数料をとれる、したがって、いつも《政治資金》の足りない自民党は、安くしてもらったり、支払いを急がなくてもよいからである。電通の第九連絡局は、1972年、田中角栄内閣発足直後に作られた。その一年後に、電通は注目すべき『自民党の広報についての一考察』という報告書を刊行し、その中で、自民党はすでに記者クラブ制度を通じて大手新聞、テレビ、ラジオの記者とはかなり有利な関係を保っていたが、新聞社発行以外の主要週刊誌との関係は、まだ十分に《決められたルール》にもとづくものではなかったと、よく引用される主張をしている。

  4

 電通のおよそ四〇パーセントに当たる売上高をもつ、日本で二番目に大きい広告代理店博報堂もまた、管理者、とくに財政金融界の管理者たちの間に安住している。この会社の社長が二代続いて、またほかにも数名の取締役が大蔵省からの天下りであるから、当然ともいえる。

 だが、もう少し小規模で、官僚のために宣伝活動を展開して、最も興味をひくのは、ひじょうに積極的な東急エージェンシーである。電通は、通常、官僚を通じて仕事の注文を受けるのだが、中曾根康弘が首相在任中は、彼自身が直接東急エージェンシーに電話をかけて指示した。このような緊密なつながりがあるのは、東急グループの総帥で、1987年まで日本商工会議所の会頭だった五島昇(1989年死去)が、東大の同期生・中曾根を、彼の人脈の頂点においていたからである。

 東急エージェンシーが担当した最大の仕事は、中曾根が戦後のタブーを排除する計画の一部として遂行し論争の的となった、建国記念の日に関連する祝賀イベントである。対象範囲がさらに広いもPのとしては、中曾根の行政改革案に関連し全国で展開された宣伝キャンペーンがある。このキャンペーンでは、主婦組織などから参加者を募って圧力団体を作り、市中行進や国会前デモを組織した。1983年3月には15000人の《デモ隊》動員に成功している。このような大きな仕事を担当して金銭的には損失があったが、人脈のつながりがいっそう強固なものになったおかげで東急エージェンシーは急成長する広告代理店になった。

 〔略〕自民党政府が次々と出す《政策要綱》は、たいてい広告コピーのように聞こえるのだが、それは具体的な政治理念のかわりに出てくるスローガンが前記の代理業者のどれかで作られたものだからである。

  〔原注〕三神博「言論の自由を否定する電通」(猪野健治編『電通公害論』日新報道、1971年 107-8頁)

  〔原注2〕マスコミ関係産業労働組合共闘会議編『マスコミ 一九七一』(労働旬報社、1971年 292頁、猪野健治「曲がり角にきた電通帝国主義」(猪野健治編『電通公害論』日新報道、1971年 50頁以下)

  〔原注3〕大下英治「総合《情報》商社 電通のタブー」(『創』1977年12月 137頁)、田原総一郎『電通』(朝日新聞社、1984年 40-4頁)

〔以上、引用〕

http://www.bk1.co.jp/product/690461

https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/flex-sign-in-done/250-0054119-9945854?bookmark-url=tg/detail/glance/-/books/4150501777



■[現代史][呪的闘争]黎明期の電通 08:50

 黎明期の電通をつくったのは、吉田秀雄(東京帝国大学経済学部卒)である。

 以下は、田原聡一朗がマトモだった若かりし頃の作品『電通』(朝日文庫、1984年 54-90p)から引用。

小見出しはカマヤンがつけた。


〔以下、引用〕

黎明期の電通

 昭和十年(1935)2・26事件が起きる前年、吉田〔秀雄〕は上海に渡り、排日運動が熾烈をきわめる中で、邦字新聞、日系漢字新聞など、中国市場の媒体のほとんどを電通扱いにしている。〔略〕この吉田の快挙の背後には、当時の中国市場、ことに情報機関を完全に掌握していた《軍》との、なんらかの《連携》があったのにちがいないが、そのあたりのことは現在の電通幹部は〔略〕全く知らないようだ。ただ一つ、はっきりしているのは、このとき、上海で吉田は塚本誠なる人物と懇意になっている、ということだ。この人物は戦後、吉田に迎えられて電通に入社し、取締役になっている(75年8月死亡)。〔略〕

 塚本誠。元憲兵大佐。戦前は上海で有名な影佐禎昭大佐の《梅工作》機関など、いわゆる特務機関と連携し、あるいは、特務機関の束ね役として、反日運動などの弾圧の指揮をとり、汪精衛の南京政府づくりの舞台裏でも活躍したようだ。実は、吉田秀雄が上海で塚本と懇意になったのは、こうした時代、つまり塚本が中国市場の情報関係の人間たちに絶大な力を持っていた時代なのだ。

 なお塚本は、東条英機が政権をとると憲兵特高課長に迎えられているが、一方では近衛文麿と、彼をとりまく学者、ジャーナリストたちとも親しく、憲兵特高課長という顔のほかに、ジャーナリズムとの根回し役もつとめていたようだ。この時代に「読売」の正力松太郎、「同盟」の松本重治、「毎日」の吉岡文六、田中香苗、そして「朝日」の団野信夫、宮崎世龍などと懇意になっている。〔略〕

 昭和十一年(1936)。2・26事件が起き、日独伊防共協定が締結されるなど、日本が、破滅への途を選んだ運命の年だが、電通にとっても、大きな選択を、それも無理やりに強要された年だった。

 報道管制…。日本政府、そして《軍》は、報道調整という言葉を使った。《調整》と、表現は穏やかだが、その内容は、報道を、お上が掌握するには、情報チャンネルの一元化が必要で、そこでまず、新聞に内外の情報を提供する通信社を統合して、単一の国策通信社をつくることを考えたのである。国家にとって都合の悪い情報は遮断する。情報整理、そして情報操作…。

 〔略〕政府は、地方新聞など反対派を強引に封じ込んで国策通信社である社団法人・同盟通信社を発足(昭和十一年一月)させた。そしてこのときから、電通は〔通信社部門を失い〕広告代理行専業の会社になったわけだ。〔略〕

終戦直後の電通

 昭和二十二年(1947)五月、〔略〕〔前社長の公職追放により〕吉田が社長となった。〔略〕この経営危機の時期に、吉田は、なぜか旧軍人、軍属、あるいは満鉄関係者をどんどん採用しているのである。

 市川敏(満州国弘報処長)、小沼治夫(陸軍少将)、島崎千里(産業経済新聞)、高橋渡(満州日報業務局長)、高橋威夫(満鉄文書課長)、塚本誠(憲兵大佐)、松本豊三(満州日報理事長)、古賀叶(満鉄錦州鉄道局長)、高田元三郎(毎日新聞社)、森山喬(大陸新報理事)、森崎実(満州日報編集局長)、芝田研三(南満州鉄道)、金沢覚太郎(満州電信電話)、古瀬甲子郎(満州日報営業局次長)、峯間信太郎(天津米穀統制会理事長)、白川威海(毎日新聞社)、山名文夫(資生堂意匠部)、蜂谷輝雄(台湾総督府外事部長)、東郷青児(画家)、中西寅雄(東大教授・陸軍嘱託)、宮崎博史(三越宣伝部長)、小滝彬(外務省情報部長)、新田宇一郎(朝日新聞社取締役)、新保民八(花王石鹸取締役)。〔略〕

 広告業界の連中は、だれもが電通ビル(旧電通ビル、中央区銀座七-四)を「第二満鉄ビル」と呼んだ。あまりに満鉄関係者が多かったからである。それにしても、吉田は、経営が危機に瀕していた時期に、なぜ、広告のことを皆目知らない、いわば使いものにならない連中をこれほど集めたのか、吉田は、旧軍人、満鉄関係者たちを社員として採用しただけではなく、公職追放となった政治家や財界人、新聞人などのために「旧友会」という、いわばサロンをつくって、彼らが、月一回集まって食事をしながら、心おきなく談笑できるようにしつらえ、そればかりではなく、彼らのために「ユニバーサル広告社」という会社までつくっているのである。

 〔略〕戦後、電通が大きく躍進できた原因の一つが民間ラジオ放送で、もう一つが民間テレビ放送だといわれている。〔略〕

テレビと「反共」

 ところが、何とも不思議なことがある。民放ラジオの開局には驚くべき執念を燃やした吉田が、テレビに対しては、きわめて消極的なのである。テレビに執念を燃やして突っ走ったのは正力松太郎(読売新聞社主)で〔略〕ついに日本テレビ開局にこぎつける〔略〕。

 NHK編の『放送五十年史』は、正力のテレビ計画を、「講和、独立を控えた特殊な情勢の下で、アメリカの極東戦略に深く関連しながら全国のテレビ網を一挙に手中に収めようとした」と、きわめて含みの多い表現で説明している。〔略〕

 正力のテレビ計画の周辺を取材すると、旧軍人たち、それもGHQとのかかわりの深い情報プロたちの影が、何人も浮かび上がってくる。そして、旧情報将校たちがアメリカに足繁く通うなかで、折から、公職追放中だった正力が、なぜか突如追放解除となり、それをきっかけに、テレビ開局計画が急ピッチで具現化するのだが、そのキーマンとして動いたのがカール・ムントという人物なのである。

 カール・ムントとは〔略〕米上院議員。ここに、ムントが米上院で、1951年4月に行ったという演説のコピーがある。

「共産主義は飢餓と恐怖と無知という三大武器を持っている。こうした共産主義に対する闘いにおいて、アメリカが持っている最大の武器はテレビである。われわれは『アメリカのビジョン』なるテレビ・ネットワークを海外に普及させる必要がある。それを最初に試験的にやるべき地域は、ドイツと日本で、たとえば日本のすみからすみまで行きわたらせるためのテレビ網建設費は四百六十万ドル。これはB29爆撃機を二機つくるのと同じ金額である」

 テレビは、共産主義勢力に対する武器としては軍事力などよりはるかに強力で、しかも安いというわけだが、このムント構想が打ち出されるや、ただちに正力の密使がアメリカに飛び、ムント議員と接触している。その密使が柴田秀利(後に日本テレビ専務取締役)である。〔略〕柴田は、GHQの新聞課長インボデン少佐にも、関係者たちの話では、「かなりどろどろした手段を使って」深く食い込み、正力を、共産主義殲滅の代理人にさせる、との約束を取りつけたようだ。「アメリカが、直接行なうと、情報支配のかたちがあまりに露骨で、日本人の神経を逆なでする。日本人の手でやらせた方がはるかに効果的だ」との柴田の説得が功を奏したものらしい。〔略〕

安保と電通

 電通が、戦後、はじめて商売として《政治》とかかわりを持ったのは、52年10月、日本が独立した最初の総選挙のときだった。〔略〕吉田自由党としては〔略〕国民に対して大PR作戦を展開することにし、その大きな柱の一つとして、戦後初めて全国の主要新聞に大々的な広告を打つことになったのだが、そのプロデューサー役を演じたのが電通だった。

 〔略〕かかわりが深まるにつれて、《政治》はしだいに、吉田〔電通〕にとって商売の対象だけではなくなってきたようだ。それが、一つの頂点に達したのが60年安保騒動のときだった。〔略〕革新陣営に「これで新聞は死んだ」と嘆かせた、いわゆる七社共同宣言のフィクサーも、実は吉田だったといわれている。七社共同宣言とは、東大生だった樺美智子が殺された直後、6月17日に、全国紙五紙(朝日、毎日、読売、日経、産経)と東京新聞、東京タイムズの七紙が、「暴力を排し議会主義を守れ」との声明文を掲載したもので、この共同宣言は、反安保の盛り上がりに水を浴びせる役割を果たした。

〔以上、引用〕


■[政治]マスコミが民主党・小沢一郎代表論を煽っているわけだが… 06:11

「小沢一郎代表」の力は自由党で証明済み、つまりさらに政党を小さくすることしか彼にはできないっつうの。こういう煽りは誰が作ってるんだろうね。民主党支持者がどっと離れること間違いないと思うのだが…。

後ろで絵を描いているのは日本に軍事負担をさせたがっているアメリカと、軍需産業で起死回生を狙っている財界かなあ。




●大越健介の直球WATCH (2011年02月16日) http://p.tl/Qakx


子どもはごまかせない!


民主党政権のもう一人の雄(?)、小沢一郎氏にしても同じことが言えそうだ。
たとえば高校の野球部員(子どもと言い切るには気が引けるが)だったら、小沢氏の振る舞いをどう見るだろう。チームメイトのひとりでも悪さをしたら、彼らにはすぐさま処分が待っている。実際、憧れの甲子園出場が決まっていながら不祥事発覚で出場停止となり、涙した球児たちは多い。理不尽だと思っただろう。しかし、彼らは耐えるしかなかった。その球児たちに、小沢氏はどう説明するのだろうか。
自分は法に違反したことはしていない。秘書はともかく自分は知らない。それでもマスコミは魔女狩りのように自分を叩く。辞めるつもりもないし、国会の説明に引っ張り出されるのもまっぴらごめんという心境か。ぼくは大人なので、その気持ちはわかる。しかし、高校球児たちはそこまで鷹揚ではない。さらに言えば、連帯責任という伝統をもつ日本社会は、おとなから子どもにいたるまで、小沢氏にだけ寛容になることはない。「検察審査会による強制起訴は、推定無罪の原則がより強く働く」、なんて言われても、その難解な意味を理解するよりも、都合のいいこと言ってらあ、という感じが先に立つ。


菅首相の消費税をめぐる発言が揺れて続けてきた。増え続ける社会保障費をまかなうために、10%への引き上げを目安としたいと発言したかと思えば、選挙に敗北して議論を凍結。ところが、やっぱり期限を切って考えをまとめると宣言し、今度は必ずしも消費税は上げなくていいかもしれないと言う。
大人ならあるいは、「菅さんも周りに気を遣って大変だなあ」と同情するだろう。党内にはすぐ食ってかかる反対勢力がある。野党を協議のテーブルに引っ張り出す必要もある。総理の苦悩を先回りして考えてあげたくもある。


昭和60年NHK入局
岡山局を経て、平成元年から政治部記者

政権交代や政党の離合集散など、多くの政治ドラマを“最前線”で取材
与党キャップとして、平成15年衆議院選挙、平成16年参議院選挙の開票速報の解説を務めた

平成19年からワシントン支局長
オバマブームに沸いた2009年のアメリカ大統領選挙では取材指揮にあたった

もうひとつの顔は「東大野球部元エース」
気迫を前面に出す投球スタイルで、東京六大学野球で通算8勝
東大の選手として初めて日米大学野球の日本選抜チームに選ばれた

常に最前線を走ってきた熱血漢が、「ニュースウオッチ9」に登板!!



●『理は利よりも強し』
 http://p.tl/2-bE


第5章・アメリカの対日強硬派の虚実

バブル崩壊後の日本異質論者たち
 二十一世紀に向かって世界は動いているし、ベルリンの壁の崩壊とソ連の解体によって、世界政治を考える基準体系が大きく変わり、崩壊した旧秩序に代わるものを構築するためにも、新時代にふさわしい発想と人材が求められている。しかも、新時代に 有効なものとして期待されるのは、十九世紀から二十世紀にかけての時代を支配した、国民国家を基盤にした国益中心の思考ではない。経済と情報の面ではボーダーレスでも、政治と文化の面ではローカルの特性を持つ、多様性に支えられた発想が決め手になるだろう。
 一九八〇年代の日米関係の中心課題は、閉鎖的な日本の市場と激しい対米輸出であり、日本は アンフェア(卑劣)だと非難されたし、日本人はそれをアメリカの圧力と空洞化の反映と考え、二十一世紀が日本の時代になる前ぶれだと誤解した。
 日本が経済大国だと胸を張って摩擦が高まり、その反動の中からリビジョニストが台頭 (1)し、経済面では日本バッシングが盛り上がった。
 『日本・支配者は誰か?のチャルマーズ・ジョンソン、『日米逆転』のクライド・プレストウィッツ、『日本封じ込め』のジェームズ・ファローズ、『日本・権力構造の謎』のカレル・ヴァン・ウォルフレンの四人が、在来の日本観の修正を強調した本を書き、日本叩きのリビジョニスト四天王と言われた。
 それに対し日本人の適切な対応が欠けたので、論理的な対決も反批判も効果的に行われず、日本側は批判と攻撃の波浪で洗われた。
 だが、バブル経済の破綻で日本が低迷してしまい、一九九〇年代になると懸案は経済ではなく、米軍基地の関係で沖縄問題に移行し、極東の安全保障が優先課題になった。そして、食糧危機で政治破綻に直面した北朝鮮や、金融破綻の時限爆弾を抱え込んだまま、抜本的対策のない無能な日本政府のせいで、北東アジアに新低気圧が誕生しかけている。
 こんな状況に日本が立ち至っている時に、リビジョニストは何を考えているだろうか。 そう思っていた折も折、サンディエゴで「技術に関しての日本の経営、その政策と実 践」という研修会が開かれ、最初の晩に会員たちのパーティがあるので、それに参加したらいかがという招待状が、人類学者のシーラ(Sheila K. Johnson)から届いた。
 彼女はカリフォルニア大学サンディエゴ校(USCD)の名誉教授として、リビジョニストの総大将(グル)になって行動しているチャルマーズ・ジョンソンの夫人であり、アメリカ人の対日感情を分析した『アメリカ人の日本観』(サイマル出版会)の著者である。そこで彼女に電話をかけて聞くと、約六十人ほどの会員が参加する予定だという。
 研修会はチャルマーズが理事長の「日本政策研究所」と、ニューメキシコ大学の「日米センター」の共催であり、リビジョニストたちの生態観察には最適だ。
 合計三回にわたる講習で理論武装するが、初回は二日間にわたりサンディエゴ大学であり、第二回目は二ヶ月後に大学のあるアルバカーキで行ない、第三回目は半年後にワシントンで開催する。しかも、予定されているスピーカーの顔ぶれには、三回の全部に登場するチャルマーズとともに、その弟子でタカ派右翼のスティーブン・クレモンスの名がある。
 二回登場が上院の国防産業技術小委員会で、ニューメキシコから出ているジェフ・ビガーマン議員(民主党)である。彼はクレモンスを政策顧問にしていて、軍事部門の日本バッシャーとして有名な議員である。
 第三回目のワシントン会議は顔見せ興行で、リビジョニストのオンパレード。元国務省の対日交渉審議官として、日米交渉の第一線に立ったクライド・プレストヴィッツをはじめ、『アトランチック』誌のワシントン支局編集長のジェームズ・ファロアーズと共に、『影響力の代理人』(早川書房)の著者パット・チョートまで名を連ねている。
 ランドからブルッキングス研究所(2)に行ったマイク・モチヅキや、ジャーナリストのヘンドリック・スミスは付け足しにしても、リビジョニスト四天王のうち三人が揃っており、欠けているのはカレル・ヴァン・ウォルフレンだけだった。
 ニューメキシコ大学の日米センターから速達が届き、中に討議用の必読資料のコピーが入っており、一日を費やして百ページ近い文献を読んだが、どの論文も掘り下げが浅いように思えた。資料をリサーチする人の問題意識が低く、都合のいいデータを含むものを集めれば、これと似たような結果になることは、科学実験のデータの収集と共通している。
 「公団-威力的な日本の政策兵器」と題した論文は、極めて特殊で技術的な問題に終始していて、せいぜい修士論文のレベルの内容だった。また、「日本における私的利権と公共の利益」と題した論文は、底の浅い理論構成の欠陥が一目で読み取れ、初出がオックスフォード大学プレスである。最近のオックスフォード大学における水準が、こんなに低下したかと天を仰ぎたくなるほどだった。
 その他の論文のレベルも似たり寄ったり。チャルマーズの「世紀末の日米関係」と題した論文も、いつもの通りのチャルマーズ節が鳴り響き、『フォーリン・アフェアーズ』誌の一九九五年七・八月号に出て日本でも騒がれた、極東の安全保障にまつわる国防論の旋律が、通奏低音として唸りを発していた。
 発言者たちの基礎資料を一読しただけで、会議の内容と全体像は推察できるのであり、大した成果は期待できないと予想したが、「百聞は一見にしかず」ということもある。名誉会員として招かれた都合上、私はサンディエゴに向けて出発したのである。
安易な日本叩きに終始する
 手違いで道に迷い会場に着くのが遅れたために、最初のチャルマーズの講演の大半をミスしたが、全部を聞かなくても、客観性に乏しく攻撃的な彼のスタイルは定石通りだった。次の「日本の産業政策の規制環境」と題したスピーチは、イースト・サイドの商人のガラクタの陳列に似て、ハードウェアの名前が続々と並んでいた。
 われわれが好むのはソフトな秘伝だが、数量化を好むアメリカ人は料理法 (Recipe)まで数字であり、数字合わせで何でもやれると考えるらしい。
 質疑応答に入ると日本叩きが賑やかで、司会役のスティーブ・クレモンスが調子づき、日本の経済侵略と軍事ただ乗り論を展開した。しかも、「液晶技術をシャーブが独占しているので、それを突き崩すために対米投資を勧誘して、活断層の上に工場を作らせろ」と発言したが、これが本物のジャパノフォビア(日本嫌い)ではないか。
 さらに多くの意見が交わされて興味深かったが、本格化するボーダーレス経済の問題よりも、アメリカの国益を損なう日本の政策や、開鎖的なマーケットへの攻撃が圧倒的で、まるでバイロイトの音楽祭の雰囲気だ。
 午前中の討議の最終段階で"ケイレツ"問題が出て、日本の金融機関や産業構造の弊害を論じ、ケイレツが世界の秩序を撹乱している点や、その排他性の脅威に対して議論が集中したので、たまりかねた私は挙手をして発言した。
 「三十年ほど前にコンサルタントとして資源開発を担当し、主にヨーロッパやアフリカの開発計画を手がけ、 プロとして三井物産で三年ほど仕事をした。最初の年は三井グループの仕事が主だったが二年目には三菱や住友の仕事も三井に集まり、系列の壁など無関係になった経験によれば、大事な仕事は有能な人材の存在と結びつく。だから、外側を堅い殻で防御するのは強みではなく、逆に弱みを補うための身構えが系列の正体であり、商社マンが無能になれば系列化が進み系列は弱さを示す証拠だから、実力があれば能力発揮で開放的になるので、実力があれば何も系列を恐れることはない……(後略)」
 この発言の真意が果たしてどこまで理解され、リビジョニストたちが納得したか知らないが、私の発言で午前の部が終わって昼食になった。
 午後の講演は「日本の対外援助を使った戦略」で始まり、スピーカーは日本や東南アジアでの現地調査をしたようだが、フィールドワークの欠陥が目立った。細かいデータをいくらたくさん集めても、全体を把握する視座の水準が低けれぱ、暗黙知の閃きは伝わってこないのである。
 次はフリーのジャーナリストにょるもので、『フォーチュン』誌や『ニューズウィーク』誌の執筆者が、「産業政策における大蔵省の役割」を講演した。私は話の内容に期待したが、結果は幻滅だった。日本経済によるアジアの完全制覇を強調したり、米国のアジアからの脱落の危惧を表明したが、そんな心配は不要でもっと自信を持つべきである。ジャーナリストの省察を欠いた空騒ぎは、メディアを使ったプロパガンダに終わりかねない。
 三十三歳のビル・ハーストが『ニューョーク・ジャーナル』紙を支配して、一八八七年のキューバ危機をチャンスに使い、「スペインのウェイラー司令官が四十万人の女性を捕らえ、十万人を殺し、捕虜のサメの餌にした」と書いた事実。また、ハバナ港を訪問中の米海軍のメイン号が、原因不明の爆発で沈没した事件に対し、スペインの陰謀を書き立てた歴史の記録。ハ-スト帝国はこういう虚報の積み重ねで世俗的な成功を得たが、イエロ-・メディアの砦を築く上で、仮想の敵を肥大化させる手法を駆使したのではないか。

低レベルの日本問題専門家
 コーヒー・ブレイクの時にスピーカーたちに接近して、日本語のカをチェックして驚いたのは、新聞記事や週刊誌を読める程度だったことであり、それで専門家ぶるのでは嘆かわしいではないか。二日目の会議の内答も似たり寄ったりであり、ジャーナリストや学者の発表に共通していたのは、語学能力の至らなさによる欠陥のために、言葉は激しくても内容の掘り下げが浅く、こんな程度かと呆れてしまうほどだった。
 この報告ではイメージが湧かないというなら、日本にも似た雰囲気の場が存在しているので、それと対比して考えてみたらいいだろう。
 それは主観的な思い込みと偏見に支配され、紋切り型で押し出す主張を満載している『請君』、『正論』、『THIS IS 読売』、『潮』、『ボイス』などの月刊誌で見かける、懐疑の精神や批判精神の裏づけに欠け、冷静さとバランス感覚のない言論活動がそれだ。系統としては『フェルキシャー・ベオバハーター』や『日本及び日本人』の流れを汲み、自分の発言だけは正論だと確信しているが、その背後には権力と結ぷパトロンが控えている。
 これらの雑誌は紙を使った街宣車であり、小遣い提供を通じた懐柔に目のない、売文評論家や御用学者たちで賑わう、赤電球が光る言論版の低俗サロンだ。これらの雑誌が活字化している発言の多くが、日本側の歴史修正派の見解であるのに対し、米国のリビジョニストは鏡像の役割を演じ、相互が自国中心の偏狭な発想に基づいて、相手のほうが悪いと攻撃の声を張り上げている。
 最近における従軍慰安婦や教科書問題で、ネオ国家主義に立つ日本の御用知識人たちが、恥も外聞も忘れて不都合な過去の事実を否定し、歴史感覚のお粗末さを露呈して絶叫している姿に、リビジョニストが行う会議はそっくりである。
 幕末の攘夷思想の信奉者たちと同じで、相手に対しての浅薄な理解に基づき、思い込みと偏見で過激な言論を展開し、当事者たちが興奮して情熱的になるに従い、狂気に支配された時代精神が高まっていく。
 それが一九八○年代のアメリカを刺激して、ジャパノロジストの中でよじれが最も顕著なリビジョニストたちに活躍の機会を提供し、日本叩きのエネルギーを盛り上げた。そして、太平洋の対岸において被害者意識を高め、ネオ国家主義の声が日本列島を包み、反米や嫌米の気分の高揚と結びついた。
 その背景に相手を真に知るという意味における、日米の間のコミュニケーションが不足して、相互理解の面で抱え込んだ問題があった。ことに情報化時代でニュースの洪水があるために表面的な知識を理解と取り違えてしまい、相手を熟知しているという錯覚に支配され、それが裏目に出てしまったのである。
 このようなリビジョニストの台頭の背景には、若いジャパノロジストが即物的傾向を強め、経済的利害を優先に考えていたことがあるわけだが、同時に浅い日本語の能力でも事足りると考え、言語能力の面での徹底した訓繰に欠け、相手の文化の深層への埋解の欠如があった。
 新聞や雑誌が読める程度の能力しかなくても、日本研究者として通用するような時代性は、書けなくても読めるだけで胸を張ったフォーゲルやカーティスの日本語能力でも、ジャパノロジストたり得た甘い日米間係の持続があった。だから、チャルマーズの読解力でも日本問題の権威者になり、それに続いて中途半端な専門家が輩出し、仲間の英語論文のキャッチボールが得意な、リビジョニストで賑わうことになったのである。

知日派の系譜と変化の歴史
 その点を明確に理解するためには、ジャパノロジストの歴史を知る必要がある。アメリ力日本学の父であるセルゲイ・エリセーフ以来、どのようにジャパノロジーの基礎が確立し、それが育ってきたかを知ることが大切だ。
 日本文学を専攻したロシア人のエリセーフは、優秀な成績で東大を卒業してから、革命後にソルボンヌの教授になったが、ハーバードの客員教授として招かれた時に、エドウィン・ライシャワー(元駐日大使)がその弟子になっている。
 われわれが知る戦後のジャパノロジストは、戦前の日本に青った宣教師たちの子供で、その中には根っからのバイリンガル世代に属していた、あのハーバード・ノーマンやエドウィン・ライシャワーのような第一世代を特徴づけたマルチ人間がいる。
 とくにノーマンのような特級に属する逸材は、日本が誇る最高の人材と交遊関係を築き、シナジー効果でお互いを高め合い、俳句に精通した学習院のブライス教授に肉薄していた。ノーマンは維新史を羽仁五郎から直接に手ほどきされ、都留重人、渡辺一夫、中野好夫、丸山真男といった日本の最良の人間と友人づきあいをして、日本文化のエッセンスの最高級品を吸収した。彼のおかげで木戸幸一内府は戦犯にならなかったし、 天皇の戦争責任もウヤムヤで終わった。もし、彼がマッカーサーの右腕 でなかったら、戦後史の内容は大きく変わっていただろう。
 だから、ノーマンの前ではライシャワーも形無しであるが、さすがはケンブリッジの空気の中で青春を過ごし、顧維欽の後輩としてコロンビア大に学び、最後にハーバードに行って学位を得た点では、同しカナダ系でもブレジンスキーとは月とスッポンである。
 第二世代は戦時体制の中で言語教育を施され、軍事要員として日本語を学んだ人たちである。ハーバード・パッシンやロバート・クリストファーをはしめ、碩学の誉れの高い多くの人材を誇るが、現在この世代は第一線から引退している。
 第三世代は戦後の復興期の日本を訪れて、経済繁栄の中で独自の仕事で基礎を築き、今をときめいてはいるが、実力は三代目的なグルーブだ。この世代はアンファン・テリブル(恐るべき子供たち)の戦後派で、チャルマーズもその一員に属しているが、ハーバードに隠居所を見つけたエズラ・フォーゲルや、フィクサー的な日本屋稼業で暮らすジェラード・カーチスなどがいる。
 一応は日本語の読解力を身につけているので、円高の日本を舞台にこの世の春を謳歌して、東京に頻繁に出没する姿を見かける。しかし、彼らは現在のパフォーマンスを誇るより、かつて築いたコネをうまく使っている。だが、人脈の広がりが官僚や財界の老害族に属すために、日本側の世代交代に足もとをすくわれるし、コネの人材の質が大したことがないせいで、影響力が急激に風化するのを阻止できない。
 それに続く第四世代はヤッピーに代表され、日本語はしやべれるし新聞程度なら簡単に読むが、飽食の時代に育って苦労の経験が乏しく、もっぱら現象と機能の面で日本の間題を考える。だから、第二世代が誇った内面的な強靱さがなく、クリントン的なパフォーマンスに終始するし、その中からリビジョニストが輩出している。
 この世代に切磋琢磨の機会を提供することは、日本だけでなく世界の将来を破錠させないために、必ず有効であると確信できるし、不信の嵐を太平洋に発生させないためにも、適切な人材育成の道を開拓する必要がある。

孫引きと相互引用の危険な論文
 ジャパノロジストが直面している障壁の多くが、解読レベルでの桎梏と限界であることは、彼らと対話することで理解できるし、書いている論文の引用文献を見るだけで、その内容の度合いまでが簡単に読み取れる。論文の引用文献の傾向を調べるだけで、筆者の頭の中はある程度は予想できるものだが、大部分のジャパノロジストは英語文献に依存し、原典に当たらず孫引きが圧倒的である。
 ことにリビジョ二ストたちの論文に見る特性は、仲間の論文の頻繁な相互引用が目立ち、ヒトラーが好んだこの雪ダルマ効果のおかけで、彼らは時代の脚光を浴びるに至っている。また、日本語による表現能力に関しては、自在に論文を書けるジャパノロジストは限られ、ロビン・ギルなどの例外的な一匹狼を除き、そこまでやれる者はあまり見かけない。
 格調高い内容の文章を書くのは困難であり、日本語はことにその傾向が強烈なために、中国や朝鮮系の人を除くと希少な存在で、この領域に大きな処女地が広がっているのに、そこに踏み込む人間は歴史的に限られてきた。
 同じことは太平洋の両岸で観察できる。長谷川慶太郎、牧野昇、大前研一、唐津一などのエンジニア系の人が、日本語で続々とベストセラーを書くように、米国でも文章が上手なリビジョ二ストたちの手で、刺激臭の強い論文が次々と誕生している。だが、母国語による表現の絶大な威力のおかげで、彼らが英文で発表する論文が大量に生まれ、日本でも翻訳されて注目集めているが、実は誰も日本語で執筆していないのである。
 日本の月刊誌で日米関係を論じる日本人も、日本の読者を相手に日本語で書くだけで、世界のメディアを舞台に英語で意見を主張し、真の意味で論陣を展開している者は少なく、ディベートを通じた相互の理解はおろか、コミュニケーションにもなっていないものが多い。
 日本人の英語の達人も似たパターンを持つが、例外はいつの世にも存在するものである。シカゴ大学で第一号の博士になった浅田栄治や、大英博物館を舞台にした南方熊楠のように、何語でも自由自在に操る語学の天才もいる。
 だが、「武士道」を書いたあの新渡戸稲造でさえ、夫人の朱入れにより英文の推敲がなされていて、それはブリティッシュ・コロンビア大にある草稿を調べれば明らかになる。
 非母国語で書くことの困難さは絶大であり、やりたくてもできない悔しさは痛切だが、大部分の人間はこの限界の前で立ちすくみ、その深層には根強いコンプレックスが潜む。
 そして、第四世代の中からこの限界を乗り越えて、自由自在に和歌や漢詩を交えた論文を書いたり、政治論の中に文化の香が漂うような人材が出てくれば、リビジョニズム(修正派)がレシオナリズム(合理派)に脱皮できるのだが、果たしてそれはいつの日になるだろうか。
 同病相哀れむ人間の気持ちを表白すると、私自身も中学時代からフランス語をやり、読むレベルでは英語やフランス語で追えても、書くとなると母国語の日本語の一点張り。四半世紀も北米大陸に住んでいるくせに、英語で執筆することに二の足を踏んでいる。
 だが、英語が世界に通用する国際語であるために、英語使いの日本人にほうが日本語使いの米人より、量だけでなく質の上からも圧倒的である。この問題はジャパノロジストの今後の課題になるに違いない。サイエンスの分野では日本人に圧倒的な差をつけ、若者を卓越した人材に育てるアメリカが、語学をマスターする上で日本語を苦手とし、真に優れたジャパノロジストを輩出させないというのは、どう考えても不思議と言うしかない。
 原資料に直接当たって解読できないために、英訳された限られた文献をありがたがって、新聞や雑誌の解説記事を参考にしたり、仲間の論文のキャッチボールを繰り返していたのでは、真の日米相互理解が実現するはずがない。
 それに、日本のアメリカ学者の書いた論文に対し、米国の高校生が見当違いを指摘したり、庶民が認識不足をよみとることがあるように、文化の差異は情念や情動のレベルで反応があり、付け焼き刃に似た知識をまとう学者には宿命的な限界がつきまとう。
 例外的にこの壁を乗り越える逸材もいるが、後天的な意識や知識はそれをいくら高めても、無意識や暗黙知の水準のメタモルフォーゼ(変性)は難しく、大部分はこの障壁の前で立ちすくみ、文化遺伝子の障壁を意識せざるを得ないようである。

貧困な雑誌ジャーナリズム
 私は趣味でアメリカの大学図書館の書庫巡りを楽しみ、過去十数年を費やして蔵書内容や読書傾向を調べ、スタッフの関心度や問題意識を推測してきた。
 専門分野や特殊領域には別の指標を使うが、日本の政治や戦略への関心を測るためには、丸山真男の「戦中と戦後の間」(みすず書房)、小室直樹「危機の構造」(ダイヤモンド社)、永井陽之助の「現代と戦略」(文芸春秋)の三冊をもっぱら利用している。
 これらの本は日本語版しかない名著であり、日本の政治を知る上で必要文献に属す。だから、その図書館が何冊これら本を保有してどれだけ借り出されたかを調べ、そこの大学の頭脳水準を測る目安としている。
 本のページの折れ曲がり具合や底の汚れで、どれくらい読まれたかが判読できるし、買ってから一度も読まれた形跡がなければ、司書が手当てしただけの宝の持ち腐れであるが、その種のケースが最近は非常に目立つ。こうした仕事はコンピュータにはできず、趣味と道楽を兼ねた頭脳ゲームに属しており、インテリジェンスの能力を高める訓練として、若い人に勧めたいフィールドワーク術である。
 最近は米国の大学予算の欠乏の皺寄せで、量だけでなく蔵書の質の低下が著しく、ゴミ同然の刊行物ばかりが増えている。その理由の一つは新聞や雑誌の書評の質が低下し、良い本を発掘する努力をする代わりに、売れ行きがよかったり、広告が目立つ本を取り上げ、発行が古くても内容がタイムリーな本を見落としているからだ。
 定期刊行物の内容のチェックも役に立ち、どんな新聞や雑誌を購読しているかにより、日本への関心の度合いと傾向を判読する。良質の情報は特定の読者を対象にするために、書店で売らずに予約購買のケースが多く、新聞広告をしないのが最近における日本の傾向である。そのために司書が勉強不足の施設は悲劇で、宣伝を兼ねた企業の宗教の刊行物や、広告で売る有名雑誌ばかりが並んでいる。
 また、日本の週刊誌は経済誌を除くと質が悪く、とても図書館の展示に向かない内容である。そのために、アメリカでは誰にも見向きされないし、人前で手にしただけで軽蔑されかねない。だから、週刊誌がいくらセンセーショナルに騒いでも、それは国内レベルのコップの中の嵐に過ぎず、世界に対して何の影響力も及ぼさない。だが、逆に、夜郎自大のネオ国家主義的な月刊誌は、日本のオピニオン誌として購読されており、意外なほどの影響を与えている場合が多い。
 そして、鏡像作用で強い反発えお示しているのが、対日強硬派のリビジョ二ストたちであり、自分たちが持つ表に出せない気持ちや行動をはじめ、恐ろしくて考えたくない不合理な状況を想定し、相手の側に投影して嫌悪する。
 また、自ら読んで理解した上での反発でなく、噂のまた聞きで感情を強く高ぶらせ、攻撃的な態度で反日意見を主張しており、太平洋を挟んだ嫌悪の投げ合いに結びつく。
 こうした悪感情のエスカレート傾向の強化は、言葉の理解が表面的なパロールの水準にとどまっていたり、常識的なラングのレベルでとどまっているせいである。さらに上位の意味の実態に迫るランガージュの水準において、問題の全体把握と洞察が行なわれなければ深い理解に到達し得ない。

日本の肩書き主義と常連会議屋
コミュニケーションを語学の間題に矮小化し、そのレベルで悪戦苦問して憶測に留まる点では、米国のジャパノロジストの多くがそうであるだけでなく、日本の官僚や財界人も似たようなものだ。外交関係や人間の信頼関係の基本は、地位や肩書きでなく問題意識の高さであるのに、日本人は代わり映えしない顔ぶれを並ベ、相手の満足を得られると盲信してきた。
 アメリカの心ある人たちの間でよく聞いたのは、日本の国際会議のメンバーの人選についてであり、大来佐武郎、牛場信彦、盛田昭夫、平岩外四、岡崎久彦のような会議屋モドキを揃え、いつも同じ顔ぶれを選ぶのはなぜかとの声だった。日本にはそれ以外の人材がいないはずはないが、マンネリズムが日本人への信頼を損ない、若い人に活動の場を提供せずにいるうちに、時間の流れの中で〝老害〟が蔓延してしまい、人材育成の機会まで奪ってきたのである。
 ダボス会議(*19)で日本人の存在が希薄だと言われ、知り合うに値しないと侮蔑されたり、香港や台北の会議で日本人のスピーチの時に、出席者が激滅している状況の背景には、個性溢れた独創的な見解を披露できる人が、ほとんどいないことが関係している。
 香港や台北のトッブには日本の刊行物を読み、『フィナンシャル・タイムズ』紙や『インターナショナル・へラルド・トリビューン』紙で国際情勢を把握し、経済を地球の上で位置づけている人もいる。『日本経済新間』の解説レベルの意見はお呼びでないのである。
同じことはアメリカ人相手の場合にも言え、日本側の対応は独りよがりのことが多く、相手に笑われていても気づかないでいる。その一例が未来のコンセブトを考えると謳った、「日米二十一世紀委員会」の会合に出席した時の体験だ。
 堺屋太一座長も稲盛和夫委員もまったく英語ではしゃべらず、自己紹介からあいさつまで同時通訳で済ませたが、これは語学以前の外交能力の間題である。
 そして、巻き物を一生懸命に読み上げる日本側に対して、会場に白けた気分が標うのを目撃したが肩書きよりコミュニケーターの資質が肝要であり、それを忘れたら太平洋上に低気圧が広がってしまう。
 日本の政治と経済の混迷で幕末現象が強まり、日米間の経済摩擦が目立たなくなったおかげで、最近はリビジョニストたちのトーンも低くなった。
 だが、彼らが存在しなくなったわけではないし、良質ジャパノロジストが輩出したのでもなく、一時的にお天気が小康状態にあるに過ぎない。
 日本人の事大主義が波涛の動きを狂わせ、両岸の住民の運命を損なわないためにも、世界で活躍できる優れた日本人の選択と、質の高いジャパノロジスト育成への協力が必要である。二十一世紀を希望に満ちた時代にするために、世界に通用する人材の抜擢と活用を通じた、叡智の結集が不可欠ではないだろうか。


■ 第5章・註解

*1 リビジョニスト
 文化的な多元主義に基づいた発想を指し、時には歴史修正主義者と呼ぶこともあるが、日本叩きの高まりにつれて派手に動き出した、米国の日本見直し論もその中に含まれている。ただ、米国に見る一部強硬派の発言の中には、「日本は欧米とは異質な国であるために、市場原理や自由貿易のルールが働かない」と言って、日本攻撃の論調を展開するものが目立ち、日本の国粋主義者の発言と鏡像関係の中で、必要以上の相互刺激を生み出す傾向がある。

*2 ブルッキングス研究所
 アメリカ最古で最大規模の民間研究所として、民主党系の立場で政策の立案を担当しており、付属期間として大学院を持つシンクタンク。

*3 イースト・サイドの商人
 ニューヨークのイースト・サイドには、ユダヤ人の経営する吉道具屋が集まっており、山積みのガラクタを並べて商売している。

*4 バイロイトの音楽祭
 ドイツのバイロイトで行なわれる音楽祭は、ワグナーの楽劇やオペラで知られているが、大袈裟な演技と騷々しいことでも名高い。

*5 ケイレツ
 企業グループや金融系列をはじめとして、生産や販売を縦に繋いでグループ化し、株の持ち合いや役員の派遣で結びつく、排他的な従属関係で支配された取引関係。

*6 暗黙知
 人は語ることができるより多くを知ることができるが、全体の中での関係を認知することによって、包括的な統合性に基づいて意味を読み取る。対象を理解し認知する肉体的な知覚活動は、訓練されたイマジネーションに結びついている。

*7 ハースト帝国
 センセーショナリズムを売り物にして成功した、ハースト系の新間はデッチ上げ記事を得意にしたが、読売の正力松太郎社長はその手法に学び、ビル・ハースト社主と親交して贈り物を交換し含っている。

*8 フェルキッシャー・ベオバハーター
 ヒトラーが意見発表に愛用したナチ党の機関紙で、「民衆の観察者」という意味の名前を持つ。

*9 ジャパノロジスト
 基本的には日本について研究する者を指し、日本語に精通している人物だと信じられている。だが、日常会話や簡単な新間雑誌は読めても、目本語で文章を書ける人は非常に少なく、アメリカ人の場合はその大部分が、日本人の翻訳に頼っているのが実態であり、ここでも目本語が大きな障壁を作っている。

*10 セルゲイ・エリセーフ
 (Elisseeff Sergei一八八九~一九七五) ロシア生まれだがベルリンと東京の帝国大学に学び、パリ大学高等学院やハーバード大学の教授を歴任した、ジャパノロジ-における優れた開拓者で、日本学の精髄をタタミザッションと命名した。

*11 ライシャワー
 (Reischauer Edwin O一九一0~一九九六) ハーバード大学の日本学担当の教授から、ベトナム戦争の時期に駐日アメリカ大便になり、再婚相手のハル夫人は中学の同窓であるが、テロリストに刺された不運な経験を持つ。

*11 ハーバード・ノーマン (Normann E. Herbert一九○九~一九五七)
 日本生まれのカナダの外交官であり、安藤昌益の研究で知られているが、五○年代のマッカーシー旋風の犠牲になり、エジブト駐在カナダ大使の時に飛び降り自殺した。

*13 アンファン・テリブル
 伝統から断絶した若い奔放な世代を指して、「恐るべき子供たち」と名づけたフランス人が、戦後派における価値観の違いを形容した表現。

*14 ヤッピー
 専門職についている独身指向の若い人を指し、金回りが良くて遊び上手な特性を誇り、仕事にも熱心に取り組む八○年代的な世代。

*15 新渡戸稲造(一八六二~一九三三)
 台湾総督府の農政技師を経験してから、アカデミーの世界に陣取って教職生活を送り、国際連盟に出向し事務次長として活躍した。

*16 丸山真男(一九一四~一九九七)
 『超国家主義の理論と心理』でデビューした政治学者で、冴えた分析と明噺な理論の展開を続けて、権力の走狗が多い政拾学の世界で孤高を保ち、学者の責務が何であるかを実証して生きた。

*17 小室直樹(一九三七~)
 京都大学で数学を学んでから、大阪大学で高田保馬教授の経済理論に接し、MITでサムエルソンの学間落差論の真髄を学ぶ。その威力を駆使して東大法学部の丸山真男教授に政治学を、川島武宜教授から法社会学を学んだ法学博士。モルトケとマックス・ウェーバーを敬愛しており、藤原肇とは『脱ニッポン型思考のすすめ』(ダイヤモンド社)があるが、残念ながら絶版のために入手するのが難しい。

*18 永井陽之助(一九二四~)
 豊かな歴史感覚と幅広い視野を駆使して、複雑に錯綜した国際関係の綾を解きほぐすカを持つ、日本人に珍しく戦略発想ができる政治学者。

*19 ダボス会議
 メンバーだけに開かれている会議であり、国際的に指導的な立場にいる人が意見交換のために、厳冬の一月末にスイスの保養地ダボスで、世界経済フォーラム財団が開催する年次総会。君主の番頭役をする世界のトッブが集まる会合として知られ、ここで優れた資質を発揮して評価されることは、将来の指導者としての認知を意味している。


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日本の回天
114 :千々松 健:2010/12/18(土) 22:39:22
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2491/1251693224/114

『人間力とは智仁勇である』「智」は知識・論理・思考、「仁」は仁義・愛情・感情、「勇」は勇気・行動・意志をそれぞれ意味しています。この智仁勇は武士道にも見られるが、元は中国の孔子に遡り「三宝」といわれていたそうです。人間が基本的に身につけるべき「三つのOS(ロゴス、パトス、エトス)」なのです。
従って、合理に非ず、友愛に欠け、勇気の無い、すなわち三宝を持たない人物は、いかなる組織の長にも向かないと言えるのです。

思考道
千々松 健
http://homepage2.nifty.com/thinking-way-8W1H/

●『ジャパン レボリューション』


(清流出版)のあとがきから
  http://p.tl/Pw2p           

本書が誕生した経緯と時代精神

 二十一世紀になったといっても未だ始まり段階だが、バブル崩壊に続く1990年代を支配した問題の先送りという悪弊によって、誰も責任をとらなかった失政の放置のために、十年以上も続く不況は未だに底を突くに至らない。日本列島の上に厚く覆った暗雲が広がっており、平成幕末は今後どれほど続くか分からないが、昔から「夜明け前が最も暗い」という譬えが教えるように、人材払底の今は最悪に近い状況かも知れない。
 一つの民族や政治体制が老衰するようなときには、自分たちの意思や生存理由の総ての面で、人びとは自らの頭を使って判断しようとはせず、快感を与えてくれる者の手にゆだねてしまいがちだ。差動変換が生み出す循環サイクルの支配により、総ての組織体は生成、発展、衰退。滅亡に支配されるが、「陰きわまって陽に転ず」という変通の理によれば、われわれが生きる時代もこの史象の上にあると分かる。
 こんな世紀末の延長としての混迷状態で新世紀を迎え、これからどんな未来社会を目指すべきかを考えるにあたって、過去の総括と現状分析をして置くことが必要だが、幸運にもそれは過去数年にわたり既に試みられていた。何と言うタイミングの良さであろうかと嬉しくなるが、それは江口敏さんという名編集者の功績である。
 私と江口さんは20年来の付き合いの関係があり、その間に彼は幾つかの月刊誌の編集長を歴任し、最近の10年間は「財界にっぽん」の編集者だった。そして、私が帰国したと連絡する度にテレコを持って駆けつけ、世界から見た日本について一時間ほど喋らせ、テープを起こして記事にするのを楽しんでおり、年に数回だが放談と題し誌面に掲載していた。    同時に、彼は「エコノミスト登場」という企画も担当しており、気鋭のエコノミストに毎月のようにインタビュー形式の取材をして、そこで正慶先生が洞察に満ちた発言を行い、時には私と正慶さんの対談が活字になる企画も生まれた。
 私の発言のかなりのものが拙著に収録してあるし、正慶さんとの対談もその幾つかを収録させて貰ったので、読者たちは正慶先生の博識と洞察力に接して、オフキャンパスの講義の醍醐味を満喫して来たはずだ。そして、今回はその集大成として共著の出版が実現したので、こんな嬉しいことは天に昇るような気分だから、この稀代の喜びを本書の読者と共に分かち合いたいと思う。


意味論(セマンティックス)を使いこなす正慶先生との対話の醍醐味

 正慶さんと喋っていつも楽しくてたまらないのは、彼が言葉の概念と意味論を徹底的にマスターしていて、何について論じても自由闊達に話が流れるし、エスプリの閃きと薀蓄に富むユーモアが持つ味覚のために、議論の後に爽やかな気分が残り疲れを感じない。
 歴史を背後から支配している沈黙の叡智をはじめ、次元の彼方に潜む暗黙知の領域について、驚くほどの造詣を持っている点に関しては、正慶さんの右に出る日本人はほとんどいないと思う。そうした意味では本書を世に送り出すことで、語り口の形で味わう書物の誕生として、日本語が持つリズム感を出版文化の発展に貢献できたのは嬉しい限りである。
 二十世紀が誇る知的好奇心の全貌と呼ばれ、二十一世紀への綜合的な展望の書として知られた、ダニエル・ベルの「二十世紀文化の散歩道」(ダイヤモンド社)という巨峰に挑み、実力で険岨を乗り越えて翻訳を果たしたことで、正慶さんは日本人に二十世紀の知的総括を突きつけた。それが単に翻訳の問題で終わらなかったことは、彼自身が全力投球をして纏め上げている、「大衆社会の文化的矛盾」と題した解説を読めば、その深い造詣の一端を目の当たりにするはずである。
 日本の書店で横積みになって氾濫している、紙屑に表紙と題名をつけたベストセラーと較べれば、読み手として選ばれることの光栄を体現した、このダニエル・ベルの畢生の大著を日本人の手元に届け、近代の終焉を教えた正慶さんの功績は絶大だ。それは訳書だけでなく彼がこれまでに書いた本をひもとけば、ブック・クラスターを通じて学ぶことの喜びが、ひしひしと脳髄の中にまで伝わって来るからである。
 正慶さんは意味論の達人として数少ない日本人で、生きたセマンティックスを駆使する論客としては、小室直樹博士と並び立つ日本の巨峰だと思う。小室さんとは20年ほど前に対談した時の共著が、「脱ニッポン型思考のすすめ」(ダイヤモンド社)と題して出版になり、多くの若い世代に対話の楽しみを玩味してもらったことがある。


もう一人の意味論の使い手である小室直樹博士との対話

 1970年代の後半に小室さんの「危機の構造」(ダイヤモンド社)を読み、この本が戦後に出た日本の10大名著の一冊だと考えた私は、これ以上の名著を書く動機にして欲しいという気持ちで、彼との対談を1981年1月に実現し1年半後に本になった。その頃のダイヤモンド社には共通の友人が編集者におり、小川三四郎の筆名を持つ故・曽我部洋さんは、対談物は売れないから出版は無理という空気の中で、「危機の構造」を纏めた時と同じような苦労をして、対談を編集して一書に仕上げてくれたのである。
 問題の核心を掴む小室さんの直観力の凄さは、50年に一人の天才と形容できる稀有なものであり、「危機の構造」を凌駕する名著を書き上げることで、亡国に突き進む日本に対して警鐘をかき鳴らして、百年に一人の天才になって欲しいという願いは、「危機の構造」が持つ峻険さの故に実現し得なかった。多分カッパの本を仕上げるのに忙しかったり、小川三四郎さんほど厳しい編集眼を持ち合わせずに、売れる本を出したい編集者たちの口車に乗って、純情で根っから人がいい学者肌の小室さんは、収斂を目指す学問より拡散に向かうジャーナリスティックな世界に、より快適な寛ぎの気分を感じてしまったのだろう。
 私は人生を石油ビジネスの中で過ごしてきたので、海千山千の山師たちと渡り合うのに慣れているが、日本のメディアは魑魅魍魎が跋扈する世界であり、世情に疎い象牙の塔の住人の多くは手玉に取られてしまい、身も心も荒廃させられる魔窟に取り込まれる。そんな舞台で荒稼ぎしている評論家や御用学者たちが、小室さんの博識とカンの鋭さを利用しようと接近して、世間知らずで善良な彼を食い荒らすのを見れば、太平洋の彼方にいる私は歯軋りするばかりであり、知的荒廃が進む場所に彼を置く危険を痛感した。
 だから、かつて正慶さんと意味論に関し対談した(「経世済民の新時代」に収録)時に、「セマンティクスが分かっているのは『階層は階級よりも上だ』と言っている小室博士ぐらいでしょう。ただ、彼は論理思考にはとても優れているが、人を見る目が惜しいことに欠けているために、知性を振りまくくせに意味論にもロジックにも無知な、上智大学の知性屋教授を好んで相手にするので、折角の小室博士の思考が汚辱されている。昔から『良禽は木を選ぶ』という通りで、自分が誰と組み合うかの選択は重要です。美しい花は花瓶を選んで生けるべきで、尿瓶に生けたのでは惜しいことであり、この知性を売り物に稼ぎまくる語学屋先生は、ニセのインテリ現象を日本中に蔓延させました」と私は発言している。
 日本が直面していたとても危機的な状況に対して、最も建設的な提言を出来る高みに立っていた小室さんだったが、痴性教の布教師の呪いに誑かされたために、彼なら果たし得た貢献を十分に実現しなかったのが惜しまれる。だが、1980年の段階で日本の置かれた状況を診断して、対話として歴史の証言を残せたのは何よりだった。
 その前に出版になった「日本脱藩のすすめ」(東京新聞出版局)と共に、小室さんとの対談は現在では絶版になってしまったが、出版当時は多くの若者を読者に獲得して、世界で活躍する日本人たちの青春の原点になったらしい。そして、15年後に小室さんと再会した機会に活字化が実現した、「意味論オンチが日本を滅ぼす」と題した対談記事と「脱ニッポン型思考のすすめ」は、読者たちが作る脱藩道場のサイトで読むことも出来る。
 手紙は万年筆を使って書くという趣味を持つ私は、E-mailは週に一度くらいしか読まないけれど、Googleで[藤原肇]を検索して脱藩道場を開けば、小室さんと過去に行った対談はダウンロードすることが出来る。しかも、今回は小室さんと並んで生きた意味論の使い手である、正慶さんとの対談が一冊の本になったことで、新世紀の時代を担う運命の若者や退役した世代にとって、この上もない贈り物になるという予感がする。


カジノ経済の中で衰退したジャーナリズム精神

 今から二十数年前は日本のジャーナリズムは未だ健在で、日本に立ち寄ったと記者たちに電話を掛ければ私の都合を聞き、取材に駆けつける新聞や雑誌の記者がいたし、ジャーナリストの足腰や問題意識が機能している様子が、少し議論しただけでたちどころに読み取れたものだ。しかし、20年前に思うことがありテレビと週刊誌に出るのを止め、大事な問題だけコメントを寄稿する路線に転換したら、「去るもの日々に疎し」の譬えがそのまま実現して、時間が経つに従って駆けつける記者が少なくなった。
 理由の一部は記者が定年で教官や評論家になり、現場を離れて新しい人生を始めたためだが、編集長が無能だとか会社の姿勢がダメだと言って、油の乗った中堅記者が仕事に見切りをつけて辞めるケースも多く、メディアが硬直化して行く状況を明示していた。雑用で多忙になり広い視野で勉強する努力が衰え、他人が手がけた成功の模倣に終始している内に、組織が肥大して幹部のサラリーマン化が進み、冒険に挑まず慣例を墨守するようになって、商業主義に毒されて日本のメディアは批判精神を喪失した。
 それは日本が中央集権と大量生産方式によって、社会として弾力性を失ったのと軌を一つにした症状であり、中曽根バブルの肥大で国中が大国意識に陶酔し、カジノ経済で拝金主義が蔓延する時代性を象徴していた。地上げや株の投機に国をあげて熱狂したのであり、日本のメディアが流行させた「財テク」という言葉は、そのような弛緩した時代精神を如実に反映していたし、責任感の喪失は汚職や疑獄を続発させている。
 そんな状況に対して深刻な危機感を抱いた私は、日本のジャーナリズムが直面している堕落と退廃に注目して、「朝日と読売の火ダルマ時代」(国際評論社)と「夜明け前の朝日」(鹿砦社)として纏めるために、引退したジャーナリストや経済人を各地に訪ね、埋もれた秘密を引き出す目的で対話の旅を十年ほど続けた。そして、「歴史の証言」として活字にした対話の威力と面白さを痛感し、多くの読者が喜んでくれたのを目にして、生身の言葉が持つ味わいを楽しむ時代の夜明けが、いよいよ始まったという印象を持ったのである。


新世紀の躍動する時代精神と対話する雅趣の復活

 5年ほど前のことになるがケンブリッジ大学の便箋で、「(前略)・・・高等学校在学中に小室直樹博士の一連の著作を愛読し、そのうちの一冊[脱ニッポン型思考のすすめ]で藤原先生の名前を初めて存じ上げることになりました。殊に、『日本脱藩のすすめ』には大いに啓発され、慶應義塾大学法学部政治学科を一年間休学し、主として英語研修のため[遊学]いたしました。カナダ、トロントでは同書をすりきれるまで、頻繁に繙いたことを懐かしく想起いたします。(中略)・・・専門研究領域を中世末期ヨーロッパの政治思想史と見定めた後は、藤原先生が『脱ニッポン型思考のすすめ』でご指摘の様に、[世界で一番良い先生に師事するのが最善]と考えました。・・・(後略)」という文面の手紙と共に、厚さが五cmもある学位論文がイギリスから航空便で届いた。
 この浩瀚な論文は最初の数頁を読むだけで、悪戦苦闘して一週間も掛かったほど難解だったが、それから4年が過ぎた昨年の春に、将基面貴巳博士は「反[暴君]の思想史」(平凡社新書)を上梓した。この暴政について論じた啓蒙書を読んだ時に、[『王制』の逸脱形態が『暴政』であり、『貴族制』から逸脱したものが『寡頭制』であり、『共和制』が邪悪になったものが『民主制』である・・・。]という記述に接し目からウロコガ落ちた。
 そこで四十数年ぶりにプラトンの「共和国」を読み直し、今の日本が暴政に支配されていることを確認して、政治家の劣悪化に伴う官僚支配の実態が、僭主制そのものだという歴史的な事実に気がついた。しかも、20年も昔に出版した小室博士との対談の前書きに、私は「共同体から日本共和国の懐妊」と題した文章を書いており、そのことを忘却していたことを知って茫然としたのである。
 ソクラテスやプラトンの哲学は問答による対談で伝わり、仏教の経典やキリスト教の「聖書」は言行録であるし、「論語」を始めシナの古典の多くも師の発言で、対話による生身の言葉の秘める価値には絶大なものがある。
 空海の「三教指帰」や中江兆民の「三酔人経綸問答」を見ても、日本には対話による素晴らしい古典があるのに、民族が誇る伝統を忘れて姑息な元雄弁会員たちの空虚な蛮声に毒され、まともな対話も出来ない政治家の跋扈が続く。それが平成幕末による亡国現象を際立たせて、日本の未来を不透明なものにしているが、発言と対話を中心に構成された本書を読むことで、日本人が意見吟味の雅趣を取り戻して欲しい。
 それが若い世代への大きな贈り物になるという点で、本書の誕生に協力して頂いた多くの人に感謝して、好意に溢れた御厚情に対しお礼を述べたい。
 記事の編集に力を注いで下さった江口敏さんと野本博さん、本書の上梓を決断された清流出版の加登屋陽一社長と臼井雅観出版部長、それに、掲載記事を一書にすることを快諾された「財界にっぽん」の川口雅三社長、皆さん本当にどうも有難う御座います。


2003年早春        カリフォルニアの砂漠のオアシスにて、 藤原肇


藤原肇博士のメッセージ
脱藩道場の春季総会への宿題論文のテーマ
2003年の春の脱藩道場の総会に向けて、予告してあった宿題のテーマを発表する。
「ジャパン レボリューション」の幻の原題は「日本の回天軸」であり、回天という言葉を選んだ背後に幕末の回天思想があり、これは「夜明け前の朝日」の「あとがき」に登場している、孟子の「湯武放伐」という理念を継承するものである。
間もなく出版になる正慶孝教授との共著の「あとがき」が公開になり、意味論という視点で正慶孝と小室直樹の両雄について論考したが、回天、意味論、レボリューション、人材育成などの言葉をキイワードに使い、適々斎塾と松下村塾を比較しながら、脱藩道場の今後の在るべき姿と理念について、800字以上1200字以内に論文を纏め、このスレッドに見解を発表することが、当日における入場券に相当するものとする。
これが当日のメインテーマの一つとして、一時間以上の時間を充てて議論する予定であり、宿題として本掲示板には一人一回だけ受け付け、最終締め切りは2003年3月28日とする。なお、非参加者あるいはオブザーバーの投稿は、討議の参考資料として歓迎するが、掲示板への投稿は3月28日より後に願いたい。以上。

2003年03月17日(月)


③平野貞夫vs.藤原肇 (5)


平成無血革命と歪んだ日米関係 5 http://p.tl/y65y


政治評論家、前参議院議員 平野貞夫

vs.

慧智研究センター所長、フリーランス・ジャーナリスト 藤原肇



四回にわたってお届けした連載対談は、前号5月号壱もって完結 する予定であったが、民主党政権発足半年を経た今も「政治と力ネ」 間題をめぐって「小沢バッシング」は収まらない。それが影響して か、大手メディアの世論調査の結果は、政権支持率が低下する一方 であり、内閣が崩壌する様相さえ呈している。なぜこれほどまで執 拗な抵抗が続くのか。両氏がその背景を鋭く分析した。一部敬称略



混迷の度合いを
強めた日本の政治
藤原 鳩山首相による民主党内閣 が動き出して、ほぼ半年が経過し た現在の時点で見る限り、政治の 変化は僅かだという印象が強く、 国民は大いに落胆して失望してい る感じです。その原因に首相のリー ダーシップの不足と共に、今の日 本に何が最優先事項かを見定める 点で、プライオリティを決定付け る発想の欠如があり、それが政治 を空回りさせていると思います。

平野 それもあるが、民主党の国 会議員が平成無血革命について、 全くといえるほど認識を持ち合わ せていないので、これから何かや るという意欲がありません。真剣 に勉強して使命と責任について理 解し、どういう手順で政治に取り 組むかを考え、選挙民の期待に応 えなければならないのに、役職が 欲しくて出世したい者ばかりです。 しかも、それ以上に悲惨なのはメ ディアの堕落であり、政治の本質 にとって大切な問題を見失い、セ ンセーショナルな問題を大騒ぎし たが、それが鳩山と小沢の金銭ス キャンダルです。

藤原 利権と金権に国民が強く反 発したお陰で、自民党による暴政 を選挙で葬ったのに、革命政権の 首相と幹事長が不正を追及され、 火ダルマ同然になったのでは誉め られません。

平野 そういう批判があるのは当 然だと思うが、それが誰かによっ て仕組まれたものであれば、かえっ て危ないことだと危惧します。そ う考えたので私は政治家を辞めて、 過去の体験を総括して『平成政治 20年史』を書いたが、生涯を議会 政治の中で生きた私には、遺書と して次の世代に残す『懺悔録』で す。だから、私はこの本の「まえ がき」において、「昭和四〇年代 以降の重要法案や予算等の審議、 疑獄事件の紛糾処理のほとんどに 関わってきた。国会職員は法律で、 『政治的中立』を義務付けられて いるが、同時に各党派や国会議員 からのさまざまな依頼について、 誠実に対応しなければならないこ とになっている。私の特殊な職務 体験のせいか、与野党の多くの政 治家から、さまざまな相談事が持 ち込まれた。これらを可能な限り 私は記録しておいた」と書いたの です。


情報操作をする
ための陰謀グループ

藤原 インターネットでブロッグ の記事を検索していたら、平野さ んが書いた『平成政治20年史』が 素晴らしいとあり、本屋で買って 読んで思わず驚いたのは、たった 数行だが「三宝会」の記述があっ て、そこには「選挙が終わると、 国会の内外で小沢潰しが活発化し た。もっとも陰湿なのは、竹下元 首相の指示で、『三宝会』という 秘密組織がつくられたことだ。新 聞、テレビ、週刊誌などや、小沢 嫌いの政治家、官僚、経営者が参 加して、小沢一郎の悪口や欠点を 書き立て、国民に誤解を与えるの がねらいであった」とあり、私に とっては「三宝会」という名前は 初耳でしたが、別の形でピーンと 思い当たったのです。

平野 その別の形で思い当たった ことについて、興味深いのでそれ がどんなことか教えてくれますか。

藤原 1980年代に電通がメディ ア工作用に「青の会」を作り、田 原総一郎がその幹事役に抜擢され て、学者や評論家を権力の御用に 仕立て上げ、メディアの上で派手 に活動していました。私が育てた 何人かの若い人材に手が伸び、雑 誌の座談会やテレビの討論会に、 出席する誘いが掛かってきたので 調べた。そうしたら、政府の機密 費と財界のカネが動いていて、若 くて有能でもカネに飢えた人びと が、どんどん引付けられていたの です。
 そういった工作の総元締めは川 島広守で、彼は警察庁の警備局長 から長官を経て、その後はセント ラル・リーグ会長に就任したが、 日本のプロ野球は読売の正力松太 郎と同じことで、公安警察向けの CIAの指定席なのに、日本人は お人好しだからその仕組みに気づ かない。

平野 政府には工作用のカネがあ るから、マスコミ対策として色ん なことをやっており、内閣の機密 費が利用されたようですな。

藤原 1970年前後からこうし た動きがあり、文芸春秋社が内調 のカネで「諸君」を創刊したが、 その担当をしたのが田中健五でし た。田中は清水幾太郎を転向させ た功労者で、『諸君』、『週刊文春』、 『文芸春秋』の編集長を経て、最 後には文芸春秋社の社長になって いる。だから、『文芸春秋』は政 府広報がダントツで、田中の出世 の足場は内閣調査室だったが、そ の使い走りが彼の人生の始まりで した。また、『諸君』や『正論』 で名を売った学者が集まって、 「政策構想フォーラム」などの組 織が発足し、それが大平のブレー ンを経て中曽根のブレーン政治に なる。そして、1980年代にP HPが「松下政経塾」を生み、 「世界平和研」や「笹川財団」な どと並んで、平野さんが指摘した 「三宝会」が発足するが、発起人 の福本邦雄は有名な政界フィクサー でした。


「三宝会」の系譜と韓満
人脈のコネクション

平野 福本和夫は戦前に福本イズ ムで一世を風靡し、その長男の邦 雄は水野成夫に拾われて、産経新 聞の記者を経て岸内閣の時代に政 界に入り、椎名官房長官の秘書に なっています。その後は京都放送 の社長や政界フィクサーになり、 画商として竹下の金屏風事件を仕 掛け、後で中尾栄一建設相の収賄 疑獄で逮捕されたが、竹下の利権 人脈のキイマン的な人物です。

藤原 言うならば、読売のナベツ ネや田中清玄みたいな存在ですね。

平野 そんなところです。また、 岸信介や椎名悦三郎という満州人 脈や、竹下登から政治の裏を指南 されたことで、情報操作と錬金術 に優れていたらしい。だから、 「三宝会」は竹下元首相を最高顧 問にして、財界とメディアによっ て1996年に作られており、野 党潰しを目的にして動き出すが、 その契機になったのが細川政権の 誕生で、狙いは小沢一郎を抹殺す ることでした。

藤原 どうして小沢一郎に狙いを 定めたのですか。

平野 1993年に細川政権が生 まれる前段階として、1992年 12月に「改革フォーラム21」が発 足したが、中心にいたのが小沢一 郎だからです。また、1994年 に社会党とさきがけを自民党が取 り込み、政権奪還した根回しを竹 下がやっており、この時に竹下は 小沢を最重要警戒人物と認定し、 小沢を封じるための秘密組織を使 うことにして、福本邦雄に「三宝 会」を作らせたのです。

藤原 『夜明け前の朝日』に詳し く書いたが、竹下は平和相互の小 宮山一家や許永中とも繋がり、京 阪神の暴力団と密着していたため に、イトマン事件や皇民党事件に 巻き込まれています。しかも、最 後には奇妙な死に方をしているが、 あの頃のアングラ事件の謎解きに 関しては、『朝日と読売の火ダル マ時代』と『夜明

平野 「三宝会」には大手企業が 参加しているが、法人の年会費が 36万円もしているだけでなく、個 人会員の参加費が一万円もかかる のに、新聞では朝日(5人)、日 経(3人)、毎日(3人)、読売 (3人)、共同(3人)、テレビで は日本(2人)、テレ朝(2人)、 フジ(1人)、TBS(1人)、出 版では文芸春秋(3人)、講談社 (2人)、プレジデント(1人)、 選択(1人)、朝日出版(1人)と いう具合です。また、メディアを 代表する世話人としては、高橋利 行(読売・世論調査部長)、芹沢洋 一(日経・政治部次長)、佐田正樹 (朝日・電子電波メディア局長付)、 後藤謙次(共同・編集委員)とい う顔ぶれが並び、こういった人が マスコミ対策を指令しました。

藤原 法人会員の顔ぶれを一瞥し たら、韓満人脈の影が私には読み 取れますよ。しかも、それが太平 洋を越えて戦後の米国人脈になり、 岸信介や正力松太郎がCIAに使 われて、アメリカの日本支配の手 先だったが、この事実は公開され た米国の外交資料が証明している。 「歴史は繰り返すという」教訓か らして、同じパターンは最近の日 本の政治にも反映し、それが検察 ファッショとして現れていること は、私にはパターン認識と直観で 分かるのです。


メディア操作と
検察ファッショ

平野 検察ファッショは政治的意 図による強権的捜査を指し、戦前 の「番町会事件」が代表的である が、ロッキード事件の時の捜査の 仕方は、国民の多くに検察ファッ ショを感じさせた。田中首相を外 資法違反で逮捕して、一応は首相 の犯罪として話題を賑わせたが、 アメリカ側には免責条項を適応し たのに、日本側の捜査には無理が 目立って、どう見ても納得できる ものではありません。

藤原 それは軍備が絡む汚職だっ たからであり、本当は対潜哨戒機 (P3C)の購入に際して、防衛 庁長官(当時)の中曽根康弘が関 与した、極めて重大な結果を生む 防衛疑獄だった。だから、検察が 架空の物語をでっち上げて、疑惑 を隠すために問題をすり替えたが、 全日空のトライスター旅客機の輸 入の形で、手癖の悪い田中角栄に 冤罪を押し付けたのは、CIAが 中曽根の罪を救うためでした。

平野 リクルート事件で自民党を 離党しているが、ロッキード事件 では深手を負うこともなく、中曽 根は首相として米国に貢いでいま す。

藤原 その後の日本の政治は米国 のしたい放題で、中曽根と竹下が カジノ経済とヤクザ政治を行い、 バブルが炸裂して日本はガタガタ になった。しかも、SII(構造 障壁攻略)に続き追い討ちの形で、 金融を使った企業の乗っ取り工作 が進み、ネオコン路線に追従する 小泉や安倍が、対米追従のゾンビ 政治を続けたのです。

平野 バブル経済から現在までの 四半世紀が、僅か30秒か40秒の時 間で説明されており、現在に至っ ている点で実に明快です。確かに、 藤原さんらしい鳥轍的で客観化し た総括だが、過去20年の政治史を 一冊の本にして、数百人の人間の 判断や行動を描いた私にとっては、 その総括では物足りないように思 う。そこに生きている人間が不在 のために、へーゲルの歴史哲学を 読む感じがして、もう少し人間臭 のある観点がなければ、自分が生 きた時代として面白くないし、淋 しすぎて楽しくないという気がし ます。


日米関係におけるCIAの
役割とジャパン・ハンド

藤原 分かりました。25年間に僅 か四人の首相の名前の登場だけで、 日米両国がゾンビ政治やネオコン として規定され、病院の無菌室の ような空気を感じて、面白みを欠 いてしまったかも知れない。そう なると細部を描く必要が生まれ、 個人レベルの体験調書の登場にな るが、日米関係の歴史を決定付け ているのは、CIAと結んだ自民 党に陣取った政治家と、日本人を 操ったジャパン・ハンドの関係で す。岸信介と正力松太郎に関して は衆知だが、児玉誉士夫と中曽根 康弘に関しての情報は、それほど 知られていない状態が続く。だが、 中曽根がハーバード大でのゼミに 参加を手配したのが、ジョンズ・ ホプキンス大のセイヤー教授であ り、彼はSAIS(国際問題研究 所)の日本担当教授で、元CIA のアジア太平洋担当の部長だった し、彼は中曽根の英語論文の代筆 までしました。

平野 その辺にCIAコネクショ ンの原点があり、ロン・ヤス関係 で中曽根が日本を「不沈空母」と 発言したが、軍事同盟の太いパイ プが読み取れますな。

藤原 その後継者が立川基地が 地盤の長島昭久で、彼は自民党の 石原伸晃の秘書をやってから渡米 し、SAISのブレジンスキ了教 授のゼミで仕込まれた。しかも、 ジョージタウン大のCSIS(国 際戦略研究所)で日本部長をやり、 ブッシュのネオコン政権で東亜部 長として日本を手玉に取った、マ イケル・グリーンの弟子になって 帰国した長島は、民主党から出馬 して議員になった。彼は防衛省の 政務官に就任しているが、グリー ンがどんな思想と行動の持ち主か を知れば、長島が時限爆弾になる 危険性は高い。また、CSISの 研究員としてグリーンに指導され、 親父の渡部恒三衆議院副議長に対 して、強い影響力を及ぼしていた のが息子の恒雄であり、民主党の 元最高顧問は間接的にグリーンに 引きずり回され、渡部恒三は日本 の議会政治を歪めているのです。

平野 それで「偽黄門」がブレま くったのであり、渡部恒三が見せ びらかす閻魔帳の印籠が、政治を 狂わせる原因を作って来たのです。

藤原 最近のブロッグで四年前に 平野さんが書いた、「『偽黄門』 と『阿波狸』が民主党のガン」と いう記事が話題になり、コピーし て来たので読んでくれませんか。

平野 サワリはここです。「『黄 門さん」を自称している老人が、 前原体制のつっかえ棒として登場。 東北弁で国民的人気者になりかけ た。これが『偽黄門』であること を、民主党もマスコミも見抜けな いから困ったものだ。…マスコミ も『偽黄門』だと知っていて、秘 密をもらす貴重な人物として大事 にするという、日本の民主政治を 堕落させる存在なのだ。それまで 小沢改革が成功しそうになると、 人格攻撃をくりひろげ、足を引っ ぱってきたのが『偽黄門』の正体 だ」。これは偽メール事件があっ た2006年に書いたものだが、 四年後の今でも似たようなことが 繰り返されて、「七奉行」などが 騒がしく右往左往していますよ。


M・グリーンという
日本叩きの太鼓屋の怨念

藤原 その震源地はワシントンの CSISであり、そこでマイケル・ グリーンに手なづけられて帰国し た一人が、横須賀の海軍基地の手 配師一家で、ゾンビ政治とロカビ リーで親父が日本の体面を傷つけ た、世襲四代目議員の小泉進次郎 なのです。政治家の不出来な息子 を筆頭に、動機を持つ在日系や松 下政経塾の留学組は、「奇貨をお く」対象として恰好のカモです。 かつてロスに留学中の安倍晋三に、 KCIAの朴東宣が接近してスカ ウトしたが、結果は勝共連合の大 戦果を生んでおり、脇の甘い留学 生は情報戦の標的です。

平野 それで、小泉純一郎の息子 もグリーンの洗礼を受け、目出度 く世襲代議士としてお披露目した わけだか、子分や手先のリクルー トの仕掛けは巧妙なものですな。

藤原 当事者たちが亡くなって時 効だから、30年前の話を披露して もいいと思う。
 実は、私がカンサスで石油会社 を設立した時に、サムタクという 計器会社を経営していた椎名素夫 さんが、エネルギー開発の重要性 を評価して、開発事業の仲間に参 加してくれました。そして、同時 にサントリーの佐治敬三社長が、 石油ビジネスを教えて欲しいと割 り込んだ話は、『地球発想の新時 代』に書きました。そこで、椎名 さんは森財閥の森暁さんと一緒に、 ハートランド掘削会社を作った後 で、政治家として政界に軸足を移 しました。

平野 椎名素夫さんは原子力の専 門家だが、石油にも関係したとは 初耳でした。

藤原 椎名さん米国の政界で信頼 されたので、私は彼と友人関係を 維持しましたが、彼は防衛問題に 専念するようになり、中曽根と接 近したので距離を置きました。
 だが、選挙で小沢に苛められた 話は良く聞き、岩手の選挙区で小 沢の熾烈なやり方を教えてもらい、 政治の世界の嫌らしさを痛感しま したよ。

平野 でも、二人は同じ選挙区で 国会議員になっています。

藤原 だが、後日談がありまして、 最初は英語教師として来日したグ リーンは、東大の佐藤誠三郎教授 に師事した関係で、中曽根や笹川 財団に接近したのです。しかも、 椎名議員に拾われた若き日のグリー ンは、事務の手伝いや秘書役をし ているうちに日本通として、ファ シスト的な軍事オタクになった。 そして、帰米したグリーンはFS X問題で論文を書き、日本の防衛 政策の専門家として成長し、謀略 家で悪名高いアーミテージに従い、 ホワイトハウスで日米同盟を担当 したことで、日本が受けた打撃は 絶大になったのです。

平野 それはどういうことですか。

藤原 怨念という言葉は不適切か も知れないが、選挙で小沢が椎名 を苛めた仕返しの形で、グリーン は日本を小沢と見立てており、奇 妙な怨みの感情のために日米関係 を歪めたのです。それが検察官僚 をファッショ化に駆り立て、前原 などの七奉行が呼応する形になり、 政治的な混迷を継続させた構図に なった。

平野 検察ファッショが継続した 原因が、その辺にあると何となく 分かるのだが、対策にどうしたら 良いのでしょうか。


デコンストラクションと
21世紀型の選挙

藤原 小泉流の刺客は悪魔の選挙 戦術だが、小沢流の強引なやり方 も時代遅れであり、新世紀にふさ わしいインターネットを活用し、 情報化時代の選挙のやり方の採用 が必要です。それを活用してオバ マは大統領になり、国民が政治参 加の意識高揚に成功しているが、 キイ概念はデコンストラクション (脱構築)でして、それを参考にす るのが良いかも知れません。

平野 それはどういう概念なので すか。

藤原 変化の全体像を洞察して構 造を作り変え、変化に次元転換を 与える革命的な手法で、フランス 哲学の精髄の政治への応用です。

平野 具体的にはどういう選挙の やり方をして、政治を変えて行く のでしょうか。

藤原 選挙は応用のひとつに過ぎ なくて、21世紀の社会がどんな内 容かを理解すれば、選挙のやり方 は自ずと分かってくる。『ジャパ ン・レボリューション』という題 の本があるが、これは二年前に亡 くなった正慶孝先生が、私と共著 で出した民主革命の指南書でして、 この中にノウハウのヒントが書い てあります。正慶教授は小室直樹 博士と並んで、意味論の権威とし て日本の双壁であり、文明学者の ダニエル・ベルの伝道解説者でし た。

平野 その本の中に、選挙や革命 のやり方が書いてあるのですか。

藤原 文字になくても行間に書い てあって、直観力で全体像を把握 することにより、それが浮き上がっ てくるのですが、残念なことに本 は手に入りません。実は3500 部刷ったのだが売れなくて、出版 社が3000部ちかく断裁してし まい、見つけ出すのがほとんど不 可能です。本の在庫には税金がか かるために、出版社が在庫を確保 できない税法があり、日本の出版 文化は絶滅に瀕しています。こう した狂った税法を改めた上で、パ チンコ業界や擬似宗教から税金を 取り、それで得た税収で国民に減 税をすれば、平成無血革命は成功 に一歩近づくし、この本の存在は それを教えています。昨日は出版 社に行き倉庫を探してもらい、やっ と二冊だけ見つけ出して来たので、 一冊は鳩山首相に私がプレゼント します。だが、もう一冊はあなた が熟読した後で結構だから、小沢 一郎に読むようにと手渡してもら えれば、平成無血民主革命の行く 手を照らす松明として、きっと役 に立つと確信しています。

平野 分かりました。必ず渡して 役に立ててもらいますが、それに しても、本が売れなければ断裁処 分にするとは、何とも日本は情け ない文化国家ですな。

藤原 これが現代日本のギロチン の正体ですよ。ところで、平成無 血民主革命を成功させるためにも、 小沢幹事長が実権を揮う地位から 退き、長老の立場で組織運営をア ドバイスするという、世界の指導 若のやり方を使うように、平野さ んから彼に助言して欲しいですね。

平野 いずれそうしようと小沢は 考えているが、今ここで長老にな るわけに行かないと思って、参議 院選挙を全力投入で指揮していま す。とにかく、政治が何かが分か らない代議士が沢山いて、今の民, 主党は混乱状態に陥っているが、 自民党がより支離滅裂で壊滅状態 だから、何とか持ちこたえている のが実情です。だから、数日前に 私が小沢一郎に会った時に、「あ なたの功績は選挙に勝ち革命を始 めたことだが、最も悪い点は出来 の悪い人間を国会議員にして、政 治が何も分からない代議士を大量 生産したことだ」と言ったのです。

藤原 選挙は理想を実現するため のもので、目的に挑むための手段 に過ぎないし、単に勝てば良いと いうものではなく、優雅で鮮やか な形で勝負を競うことです。しか も、理想の社会を作るためには、 どんな政治を如何にやるかである し、その実現にはどんな人材が必 要であり、そうした資質の人を議 会に送り出して、活躍してもらう 選挙を目指すこと。それが平成革 命の成功への道であり、共生と博 愛を目指す政治を背後から支え、 小沢や鳩山の革命コンビが安心し て、民主党の長老の席に陣取るこ とで、次の世代が育つように導く のが、革命人生を飾る花道になる と思います。(終わり)

平野貞夫vs.藤原肇 3

生理と病理の診断と日本の健康な国づくり  http://p.tl/HdFR

政治評論家、前参議院議員 平野貞夫
vs.
慧智研究センター所長、フリーランス・ジャーナリスト 藤原肇


好評のうちに第3回を数え る平野鴨藤原両氏の特別対談 は、日本の政治の在り方につ いて、厳しい意見と同時に、 温かい心のこもった意見が見 事に同居、両氏の日本に対す る思いが、政治家と、政治を 志す人たちの指針となること を願うばかりか、読む人の心 を揺さぷる対談となっている。 政権交代後の混迷する政治 は、新・旧が激突する壮絶な 権力闘争の様相を呈している が、そういった次元から1日 も早く抜け出し、国民のため の政治の実現が望まれるとこ ろである。



生理と病理の診断と「死に至る病」
藤原 健康と疾病の状態について 正しく理解し、社会の生理と病理 について診断する能力があれば、 社会が慢性病に蝕まれるのを回避 して、今のような亡国現象を呈さ ずに済んだはずです。
 診断能力がないのに応急手当や 痛み止めを飲ませ、病気を悪化さ せ日本の生命力を損なったのが、 自民主導のゾンビ政権による暴政 の実態でした。

平野 所得格差の拡大で貧富の差 が広がり、弱い者が犠牲になって 仕事がなくなってしまい、人々が 前途に希望を失うような状態は、 社会不安の原因として実に由々し い問題です。そのために政治への 無関心やシラケ層が増え、国民の 連帯感が急激に減少したことは、 社会の健康という意味で深刻な事 態ですよ。

藤原 スピノザは「悪とは何か」 を定義して、「連帯意識の消失で ある」と言っています。これは社 会学的にはアノミ!の蔓延だが、 この虚脱感を逆手にとって国粋主 義が台頭し、安倍や麻生による 「靖国カルト」が横行しました。

平野 出発点での自民党の寄って 立つ理念は、自由とデモクラシー に基づく自由社会の建設だった。 この自民党が政権交代せずに半世 紀も君臨し、独裁的な政治をして 社会の健康を損なったために、自 由は放縦に民主は愚民主義に変質 しました。

藤原 そうですね。民主主義や自 由主義の母体は健康な社会で、自 民党の一党支配により社会が硬直 化してしまい、気息奄々で重態な のが今の日本です。

平野 国によって歴史や政治風土 があるので、健康な社会とは何か という定義づけをするのは、言う は簡単でもなかなか難しい問題で す。
 ある国では不健康に見えても止 むを得ないし、別の国ではそれが まともということもある。だから、 健康な社会を作るのは難しい課題 だが、ただ、政 治社会学におい て生理と病理に ついて、それを 峻別することは どうしても必要 であるし、その 診断が政治をす る上での決め手 になるのです。

藤原 だから、 今の日本で最も 重要な政治課題 は、自民体制で デモクラシーと 議会主義が損な われたので、暴 政を放置した怠 慢の反省の必要 性です。
 きちんと過去 の過ちを摘出し て総括し、法治 国家の枠内で徹 底的な批判を加えて、その批判と 責任追及をきちんとすることです。 そう考えて『さらば暴政」を書い たのですが、メディアからは完全 に黙殺されて書評もありません。

平野 先生の『さらば暴政」を読 んだ日本人にとって、診断書が病 状の核心を突いて正しければ正し いほど、恐ろしくなって認めたく ない心理が働く。そして、出来る なら診断が間違って欲しいという ことで、黙殺される結果になった のではありませんか。
 日本では「暴政」は第一級のタ ブー言葉だから、「臭いものには 蓋」ということ以上に、忌むべき ものとして崇りを恐れるのです。 また、読後感として私の意見を付 け加えるなら、生理と病理という 言葉をキーワードに使い、民主党 が引き継いだ瀕死の日本の国が、 いかにボロボロになっていたかが 良く分かった。だから、本当は鳩 山首相が新内閣の大臣たちにこの 本を配って、「こういう間違った 政治にしないようにやろう」と手 渡したら、新首相は流石だと評判 になったと思います。

藤原 むしろ、小沢が小沢チルド レンの新議員たちに、「これが政 治家としての心得を学ぶ上で役立 つ、他山の石だから熟読せよ」と 言って配ったら、国会議員の意識 を向上させる上で、役立ちました よ。

平野 ただ、今の民主党は政権交 代のことばかりを考え、日本の政 治をどう変えるかについて誰も考 えていないし、考える頭脳もない から全て役人任せです。だから、 官僚化して最も役人依存が強いの が民主党で、そこが新政権の問題 として致命的な部分なんです。


政治を見る目に必要な医学の素養

藤原 民主党のマニフェストの内 容や予算の使い方は、病気に対し ての治療法や処方箋の議論に属す ものばかりだ。より重要なのは病 気の正しい診断であり、それが今 の日本で最も欠けているのに、奇 妙だが誰もそれを言わないのです。

平野 それは実に鋭い指摘です。 生理から病理に至っている日本の 病状について、正確に認識するこ とから始めるべきで、私は藤原さ んのそのご意見に大賛成です。 『さらば暴政」の読後感で申し上 げた通り、生理と病理で社会判断 するというのは、仕分けの仕方と して最高のやり方です。それは親 父が開業医だった影響のお陰で、 健康維持が何より大切だと私は考 えており、社会でも個人でも健康 を損なえば病気だし、その予防と 健康管理が何にも増して重要です。

藤原 その通りです。昔から「命 あっての物だね」と言うし、生れ た時も死ぬときも裸なのであり、 世俗の欲望に翻弄されれば阿修羅 地獄で、閻魔大王に舌を抜かれて 終わるだけのことです。

平野 だから、先生が社会の健康 について取り上げて、自民体制に よる暴政が日本を破滅に追いやっ たのだから、健康な社会に戻そう という意見に接し、わが意を得た りという気持ちを強く持ちました。 また、世の中にはこんな発想を する人がいて、世界中で資源開発 の体験をした後で、アメリカで石 油会社を経営したという体験がこ ういう視座をもたらせたというの ならば、発想を持つに至った経過 を知りたいものです。

藤原 私は文学少年で中学時代か らフランス語をやり、ファシズム やナチズムの研究をしたかったが、 日本では歴史学科は文学部に属し て、数学が苦手の学生が圧倒的だっ たから、幾何学が好きな私には抵 抗があった。そこで、医学部に行っ て医者になることも考えたが、死 体の解剖をしないと免状が取れな いし、私は肉や血を扱うのがとて も嫌だったので、地球の医者とし て地質学をやったのです。

平野 地球の医者という発想は面 白いですね。実は私の父親は京都 の府立医専を出まして、爺さんの 遺言で開業医になったわけだが、 大正時代の初めに大山郁夫などと 一緒に、京都で医師としてセッツ ルメント運動をやった。その頃は 未だアナキズムの方が強かったこ ともあり、生まれ故郷が幸徳秋水 の出身地と同じなので、故郷に帰っ て医者として開業した次第です。

藤原 じゃあ、平野さんは生粋の 土佐自由党の後継者ですね。

平野 そういうことです。私は高 校生の頃に先生の影響を受けて、 政治活動に関心を持ち社会科学の 本を読み漁りました。親兄弟は皆 で私に医者になれと言ったが、医 学関係の学校に二年ほど行ったけ れど、医者になるという気持ちに なれなかった。それで大学では社 会問題について勉強し、せいぜい 武力革命を起こして30歳で死に、 社会さえ良くなれば満足だと考え ていた。私は毛沢東の『実践論」 と『矛盾論」を愛読し、多くの仲 間が私を共産党に入れようとした が、あの教条主義と官僚主義は嫌 でした。

藤原 毛沢東主義者だと聞いて成 る程と思ったが、私はマルクスで はなくてエンゲルスが好きであり、 高校時代に『自然弁証法』を愛読 したお陰で、自然科学者としての 道を選ぶことになりました。

平野 土佐は自由民権運動の本拠 地であるし、吉田茂の影響が至る 所に広がっており、親父が開業医 として吉田茂や林譲治と親しく、 その関係で地道な政治活動に転じ ました。学生活動に一時のめり込 んでいたが、私は吉田と林の両先 生に説教と指導を受けて、衆議院 の事務局に勤めるようになりまし た。また、園田直衆議院副議長だ けではなくて、前尾繁三郎衆議院 議長の秘書官もやり、特に戦後政 治の三賢人だった前尾さんの議会 運営は、生理学の原則に合う素晴 らしいものでした。

藤原 前尾さんは昔の大蔵官僚の 風格と見識を持ち、戦後の復旧期 の日本の財政について貢献し、彼 に育てられた大蔵官僚の話では、 外国人に尊敬され賢者の名にふさ わしい人のようです。私の知人に 大蔵の官房長から国税庁長官を経 て、博報堂の社長になった近藤道 生さんがいて、彼は何時も巻紙に 墨筆の手紙をくれます。彼は前尾 さんの通訳として戦後の欧米を訪 れ、前尾さんの人柄を絶賛してい ましたよ。


東大閥から脱却できない大蔵官僚の蹉践

平野 前尾さんの通訳を最もやっ たのは宮沢喜一で、彼は大蔵省きっ ての英語使いで、名人級であり、 色んな興味深い話があるのですが、 生理と病理について関係したエピ ソードとして、秘話をここでひと つ紹介してみましょう。
 中曽根内閣の時に宮沢さんが総 務会長で、ちょうどその時に衆議 院の選挙区の定数がアンバランス であるということになり、最高裁 で違憲だという判決が出ました。 そこで議員定数の是正が必要になっ たが、これには自民党は大もめに なって騒然となり、政府案が総務 会で承認されなかったのです。

藤原 定員の変更は議員には死活 問題だから、国政よりも自分の既 得権に目ざとい議員にとって、大 いに紛糾の種になったことだろう と思います。

平野 そこで宮沢総務会長が衆議 院の事務局の私に、どう対応した らいいか非公式に問い合わせてき たので、選挙制度については全会 一致はあり得ないから、これは党 議を外してフリートーキングがい いと答申した。
 これによって自民党は結党以来 初めて、自由投票にするやり方に 踏み切ったのです。

藤原 それは世界の民主国では当 たり前です。国会議員が自分で判 断しないで党議に従い、ボスが勝 手に決めた党議に従うのでは、ソ 連の共産党の中央委員会のやり方 と同じであり、議員ではなくてロ ボットに他ならないです。

平野 誰が考えても当然のことな のに、自民党ではそれも分かって いないのです。
 いずれにしても、宮沢さんから 「良いアドバイスを頂いたので、 折り入って会いたい」という連絡 がありまして、二人で会ったら宮 沢さんが「どうもお世話になり有 難う」と言いました。続いて宮沢 さんから「政治に関わっていく上 で、最も大事なことは何ですか」 という質問があり、そこで私は 「政治の現象は人間の体と同じで あり、病気に見えても生理現象の 時もあるし、病気でも生理的に異 常でない時もある。この時に診断 を間違えてしまい、生理の時に変 な薬を飲ませたら、とんでもない ことになる」と答えました。

藤原 血が出たからといって女性 の生理の時に騒げば、これはとん でもない誤診になってしまうのに、 政治の世界ではこの種の誤診が頻 繁です。

平野 だから、「政治家はそんな に勉強しなくてもいいが、何が生 理で何が病理かが正しく分かり、 それを取り違えないことです」と 私が答えたら、宮沢さんが「つい てはあなたの学歴を聞きたい」と 言うのです。そこで「私はあなた に告げるような学歴はない。ただ 私が他の人と違っていることは、 医学関係の学校に二年ほど行きま して、それから社会科学に興味を 持ち社会学部に行き、その関係で 衆議院の事務局で働いています」 と答えました。そうしたら、宮沢 さんは「東京大学の医学部中退で すね」と言ったのであり、彼はそ れを信じたまま亡くなっているの です。

藤原 東京大学の法学部だけが日 本の代表で、それで日本を動かせ るという明治以来の発想が、今の 日本をこれだけダメにしてしまっ たのです。


西周とジョン万次郎との出会い

平野 ところで藤原さんは日本の 大学ではなくて、フランスに渡っ てて学位を取っておられるが、ど うしてグルノーブル大学に留学し たのですか。

藤原 私の専門の構造地質学の分 野では、世界一の先生がレニング ラード大学にいたのですが、ソ連 政府の給費留学生試験に落ちてし まい、その次にいい先生がいるグ ルノーブル大学に行きました。
 それにしても、お爺さんの影響 で自由民権に目覚めたので、今の 政治家の平野さんが育ったわけで すが、私は母方の祖父は津和野の 生まれであり、その父親が森林太 郎と藩校の養老館に学んでいます。

平野 津和野のご出身ですか。津 和野藩は土佐藩と同じように幕末 に、多くの人材を生み出したこと で知られていますね。

藤原 その代表が西周でして、彼 はライデン大学に留学して国際法 を学び、軍人勅諭を作っています。 平野その西周に英語を教えたの がジョン万次郎で、この二人は文 明開化の日本に大きな影響を残し ています。ということは、土佐の 生まれの私と津和野出身の藤原さ んが、こうやって出会いを持った のも因縁であり、歴史は奇妙な形 で繰り返すという証拠として、こ の出会いは実に貴重だということ ですね。

藤原 そうでしたか。西先生は私 と同じでフランス語をやったから、 彼は英語が出来なかったので苦労 したことでしょう。また、祖父の 家には西先生の机という書見台が あり、母が亡くなった時に郷土館 に寄贈したが、机の裏面に「読書 百遍、義自ずから通ず」と書いて あり、西さん特有の丸文字で墨書 しているんです。

平野 西周は幕臣で議会政治の精 神を最も理解し、哲学や芸術とい う言葉を作った凄い知識人であり、 ライデン大学で国際公法や哲学を 修めている。

藤原 だから、私もライデン大学 に憧れたことがありまして、中学 生の頃から『百一新論」を愛読し たことで、全てが繋がって関連を 持つことを学び、生理と病理が一 続きであると理解できたのです。 平野西周は明治における日本最 高の知識人だが、軍人勅諭とか教 育勅語などについては、もう一度 きっちり検討し学び直す必要があ る。結局は軍人勅諭を守らずに戦 争にのめり込み、統帥権の独立な どと言い出したために、軍人とし ての職務の間違いが始まってしま い、大日本帝国を滅亡させてしまっ たのです。

藤原 私が戦前に生まれていたら 三宅坂の参謀本部か、海軍の軍令 部での仕事が最も似合っていて、 兵用地誌の専門家になったと思い ます。だが、構造地質学ではフラ ンスで一番の先生がいたので、グ ルノーブル大学に留学した結果、 地球の医者としての人生を歩むこ とになった。地球も社会も人間も 生き物であるし、医者が専門にす る健康を取り扱う学問こそが、結 局は全ての学問の基盤を作ってい るのです。

平野 幼稚な質問になるかも知れ ませんが、ご専門の構造地質学と いうのはどんなことをやり、医者 との対比ではどういうことになる のですか。


人間の医者と地球の医者

藤原 構造学は現象の背後に潜む 関係性を探る学問で、それによっ て色んな現象が規定されて出現す るから、意識に対しての集合無意 識とでもいうか、更に奥深い深層 無意識を扱っているのです。だか ら、構造地質学は地球のストレス の研究として、山脈の出来方や地 震や火山も関係するし、ある意味 で精神病理学の地球版に相当して います。

平野 だから、『さらば暴政」の 精神分析は絶妙であり、特に安倍 晋三に関しての記述は全くその通 りです。世界から見るとこれだけ 見通せるかと思い、全く凄いと感 じて恐れ入った次第ですが、背景 に精神病理学の応用があったので すな。

藤原 私が世界から眺めてこう観 察したというのは、同じような眼 力を持つ人には誰でも読み取れる わけです。こんな愚劣な人物を首 相にしたことで、日本が国の尊厳 と名誉を損なったという意味で、 安部首相の誕生は実に情けない粗 悪人事の見本になりました。

平野 藤原さんが本の中で良く論 じているが、日本人は政治家を含 めて「タコ壷」の住人です。だか ら、自分がいるツボの中だけで世 界を考えて、精神的な鎖国状態に いることのために、「井の中の蛙」 だという事実にも気づかない。

藤原 そうですね。それと共に、 地質学は46億年の地球の歴史を扱 い、タイムスパンが非常に大きい 学問であるので、私には百万年な どは一瞬の出来事だし、大局観で 歴史の事象を相似象として捉えて、 パターン認識を武器に自然を理解 します。
 しかも、人間の皮膚にかさぶた が出来た場合に、それを粉砕処理 すればセメントエ業だし、皮膚の 下に肉腫や塊が出来たので、それ を採掘すれば鉄や銅の鉱山になり、 膿やガス気泡を生産すれば石油事 業です。
 こうしてアフリカや欧州では鉱 山開発をやり、北米を始め全世界 で石油開発の仕事を体験し、地球 の医者としての人生を満喫してか ら、40半ばからビジネスの世界を 引退して、人生のまとめのために ジャーナリストになりました。

平野 人間の皮膚の下の病状に等 しい疾患で、地球における異常現 象をビジネスにする。しかも、そ れが文明の発達だという壮大な歴 史観は、地球の医者を自認する藤 原さんならではのものだし、こん な文明理論は今まで聞いたことが ない。
 それだけに政治の世界における 出来事が、政局という細事に捉わ れているために、末梢的な問題に 終始している現状を見て、幼稚だ と感じる気持ちが良く分かります。

藤原 しかも、われわれが直面し ている情報革命について、日本人 はもっと真剣に考えないと手遅れ になる。アニメや携帯のゲームな どにうつつを抜かせば、一億人が 情報化時代の文盲になってしまい、 世界の後進国に成り果ててしまい 兼ねません。
 また、平野さんが全人生を託し た政治について言えば、政党政治 は19世紀と20世紀の遺物で、組織 論的にも時代遅れの典型であり、 21世紀には全く役に立たないのは 明らかです。組織論についてはこ れまで書いた著書の中で、いろい ろと考察しているのでそれに譲り ましょう。

平野 文盲と後進国については異 議があるが、政界の後進性につい ては「わが意を得たり」ですよ。 だから、私は平成無血革命を成功 させることで、新しい政治システ ムを作る必要があると考えて、盛 んにそれを訴え続けてきたのだが、 誰もそれに対して共鳴してくれな いために、いささか幻滅の悲哀を 感じています。
 それだけに民主党が本気になっ て革命遂行に取り組んで、このチャ ンスを生かして革命を成功させ、 日本が健康な国になるよう期待し たいと思います。 (つづく)



平野貞夫vs.藤原肇 4

草の根民主主義とジョン万次郎の教訓 4 http://p.tl/nnQj

政治評論家、前参議院議員 平野貞夫
vs.
慧智研究センター所長、フリーランス・ジャーナリスト 藤原肇



日本人でユニテリアン
第一号のジョン万次郎
平野 藤原さんの「さらば暴政」 にはネオコンのことが書いてあり、 彼らの「弱肉強食」という政治的 な立場について、ジャングルの捉 としての社会進化論の形で捉え、 差別に基づく帝国主義の思想基盤 を論じてます。これはキリスト教 国家としてのアメリカにおいて、 差別と平等の二つの対立した考え 方に関し、社会における現象の根っ こについて触れているので、私に はとても興味深いと感じた次第で す。ネオコンが貧欲な政治を実現 したのに対し、その対極にある米 国のキリスト教の運動として、ユ ニテリアンという特異なグループ が存在するが、重要なのは人種差 別をしない特色を持っている点で す。

藤原 キリスト教は自分たちが神 から選ばれた存在だという、一種 の選民思想に基づいた宗教グルー プといえるが、出発点には奴隷だっ たユダヤ人たちによる、劣等感が 逆立ちした形での選民思想が見え る。だから、顕教として一神教の カトリックやプロテスタントに対 して、異端の宗教として排斥され た多神教的なものが、グノーシス 派として地下に潜った形で存在し、 それが原理主義的なピューリタン 思想に生きており、その代表がユ ニテリアンだと私は考える。だか ら、ユニテリアンが多神教的であ ると共に密教的でもあるから、古 神道や道教に共通するものを内包 するので、日本人にとって親和性 を持つのだと思う。

平野 その密教的という指摘はと ても興味深い。そこに今後の日本 の政治が求める方向を考える上で、 草の根民主主義の持つ意義を理解 して、この思想を政治の上に反映 したら良いと私は思うのです。と いうのは、ユニテリアン信仰の根っ こにある思想としては、日本の仏 教や古神道を含めた東洋的な考え 方、あるいは、中国やインドの考 え方に似た生き物すべてが支えあ い、共生するという思想がとても 強く生きている。しかも、万人救 済で人種差別をせずに平等に生き、 異文化や異宗教とも融合して共生 することで、自然環境に調和して 生きることの尊重がある。だから、 19世紀の半ばの米国の草の根民主 主義を支えた、エマーソンやホイッ トニーを始めとした思想家や、ジェ ファーソンやリンカーンなどの大 統領も、ユニテリアン思想に共感 して支持をしていたのです。また、 共生の思想が根っこの部分にある が故に、漂流民として米国に行っ たジョン・マンこと中浜万次郎は、 日本人として最初のユニテリアン になったのです。

藤原 ユニテリアン思想について 平野さんの記事を読み、こんなこ とを論じる能力を持つ政治家が日 本にいたと知り、私はびっくり仰 天してしまいました。だから、ゴー ストライターが書いたのではない かと疑い、『財界にっぽん』の川 口社長に会った時に聞いたら、 「原稿用紙にエンピツで書いてく るから、本人が書いたのに間違い ありません」という返事でした。

平野 エンピツで書いて消しゴム で訂正するのが、私が慣れ親しん できた流儀である以上は、嘘や誤 魔化しは出来ないから見破られる…。 (笑い)

藤原 そうでしたか。ところで、 平野さんが「ジョン万次郎の会」 を組織して、ユニテリアンの思想 を普及しようとした背後に、草の 根民主主義への共鳴があると思う のですが、その辺についての背景 を説明してもらえますか。


議会で嘘をつかないという
議会政治の根本原理

平野 そうですな…。実は日本で 最も歴史を誇る社交クラブの交詞 社から、「ジョン万次郎に学ぶ」 と題して話して欲しいと頼まれ、 2009年の初夏に講演したこと があります。交 詢社は1880 (明治13)年に 出来たわけだが、 その頃の交詢社 は日本の社会や 文化に対して、 非常に大きな影 響力を与えていた。日本の近代化 や改革の中心的な集まりであり、 福沢諭吉を囲む財界人が結集して いたからです。

藤原 今だって日本の人事興信録 の分野においては、交詢社が発行 するものが最も権威を持っている し、特に慶応の卒業生を中心にし た財界情報では、その詳しい人脈 を知る上で最良のデータベースで す。
明治時代の日本人は幅広い視野 を持っていて、世界に向かって開 いた大きな展望を身に着け、文明 の流れを理解していた人がとても 多かった。ところが、世界と緊密 な関係で結びついているのに、現 在の財界人の多くは視野狭窄症で 金儲け専門だし、自分が直接関係 する分野にしか関心を払わずに、 文明全体への興味は至って僅かと いえます。

平野 明治の日本人には文明開化 が何より重要だったから、文明の 本質と実態に対して真剣に考えよ うとしたのです。

藤原 ところが今の日本では大違 いであり、知識として世界につい て知っていても、意識として日本 が世界の一員という自覚は希薄だ。 しかも、文明の本質について思い をはせる能力を始めとして、問題 の本質を掘り下げる人が激減して います。

平野 それは政治の世界について の理解と同じで、明治に較べて現 在の政治家の意識がいかに低いか を知れば、愕然とせざるを得ない ことですよ。明治の日本の政治家 や知識人たちの多くが、議会政治 の根っこにキリスト教文化があり、 欧米の議会が社会的な教会だと知っ ていた。
また、教会は心の教会と社会の 教会に別れていて、議会は社会の 教会として機能していたから、議 会では絶対に嘘を言ってはいけな いと知っていました。

藤原 現在の国会議員は議会で嘘 をつきまくり、上手に嘘をつくこ とが官僚や政治家の能力だと信じ られ、上は首相から下は陣笠議員 まで嘘を平気で言う。小泉や麻生 のような厚顔無恥な嘘つきに較べ て、鳩山は正直すぎて嘘が余りに 下手だから、ちょっとした誤魔化 しが大きな嘘に見えてしまう。

平野 議会で公人が嘘をつくとい う行為自体が、神に対して嘘をつ いたと厳しく追及されるので、欧 米では議会で嘘を言わない倫理が あり、それに明治の日本人が大い に敬意を払いました。伊藤博文の 側近だった金子堅太郎は、ハーバー ド大学に留学してユニテリアンを 知っており、学生仲間として知っ ていたフェノロサを東大に招いて、 エマーソンの思想を東大生に教え たし、福沢諭吉も慶応にユニテリ アンの神学部を作ろうとした。ま た、福沢諭吉の長男の一太郎はボ ストンにいて、知り合ったナップ 宣教師を日本に送り、宣教活動を するのを援助しただけでなく、こ のナップ宣教師は1888(明治 21)年に交詢社で、ユニテリアン の思想について講演しているので す。
当時の日本人は世界と共に生き ることに対して、それほど真面目 に取り組もうとしていたことが分 かります。

藤原 函館から密航して渡米した 新島襄とか、薩摩の密航学生とし て渡英した森有礼などは、ロンド ンでユニテリアンになって渡米し ている。しかも、森はストロンド ベリーの思想を強く受けていて、 明治の日本にキリスト教を持ち込 んだし、札幌農学校のクラーク博 士の役割も重要でしたね。


草の根民主主義と
ユニテリアンの博愛思想

平野 要するに、明治の初期の日 本は文明開化のために、キリスト 教を通じて議会政治を取り込もう とした。そして、ユニテリアンの 人類愛の思想に共鳴したせいで、 教育勅語にも「博愛衆に及ぼし」 とあるように、教育勅語にはユニ テリアンの思想が反映しています。

藤原 でも、その割にはキリスト 教は日本で伸び悩み、宗教的な普 及活動と発展という意味では成功 せず、ミッションスクールを除い て大した影響が残らなかった。こ れは幼稚な質問になりそうだが、 その理由はどこにあったのでしょ うか。

平野 日露戦争以降に日本では国 家主義が強まり、それが政治の表 面で支配力を持ったためです。し かし、隣人愛や困った人を救うと いう意味では、労働者や貧困層を 救済するという形を取って、労働 運動の中に足場を確立する方向で、 早稲田の安部磯雄教授の指導の下 に、鈴木文治が友愛会を大正元年 に作っています。

藤原 平成無血革命の成果として 民主党政権が出来て、鳩山首相は やけに「友愛」という言葉を連発 していますよね。だが、「友愛」 は18世紀から20世紀の初めに有効 でも、情報革命によってより開か れた関係の中で、世界化が進んだ 21世紀には時代遅れであり、むし ろ、日本語としては「博愛」とい う言葉を選ぶべきです。その理由 として私が考えるのは、博愛はオー プンだが友愛はタコツボ的であり、 閉鎖したグループだけにしか有効 性を持たず、結社、宗派、政党と いう狭い利益集団だけに、価値の 共有が限られていると思うからで す。

平野 その意見に私も賛成です。 国禁の鎖国を恐れずに日本に帰っ たジョン万次郎は、より、広い開 かれた考え方をしていたが故に、 英語を学びに来た若者たちにユニ テリアンの思想が、宗派ではなく 人心の運動だと教えました。そし て、世界がいかに広く開放された ものであり、日本が世界の一員と して国際社会に参加し、共に利益 を分かち合って生きることが、い かに大切であるかを丁寧に教えた ので、彼に学んだ若者たちが明治 から大正にかけて、日本の各界で 活躍することになったのです。

藤原 草の根民主主義が生きてい た時代の米国で、ジョン万次郎が 基礎教育を受けて人格形成した事 実と、明治の日本が彼を受け入れ たことは、非常に幸運に恵まれて いたことだと思います。だから、 明治の日本は文明の手本としての 米国に憧れを抱き、自由民権や議 会政治に強い関心を示した。そし て、プロシア流の強権支配をしよ うとした政府に対して、民間人が 民権と結ぶデモクラシーを求めて 闘い、大正デモクラシーを実現す ることになった。
それに、漂流民のジョン万次郎 や坂本龍馬が土佐の生まれであり、 自由民権運動は土佐を中心に発展 しているが、平野さんが土佐の人 間として衣鉢を継ぎ、議会主義と デモクラシーを訴え続けるので、 そこに不思議な波動の働きを感じ ます。

平野 そう言って頂けるのは嬉し いことです。足摺岬に近い土佐の 中浜で生まれた万次郎が、貧しい 漁民として漂流し九死に一生を得 て、アメリカの捕鯨船に救われて ボストンの近くで学校に行き、草 の根民主主義を全身で味わったの です。そして、捕鯨船の航海士と して地球を6周して、発展期のア メリカ文化をマスターして帰国し た時が、ペリーの来航と重なった のは実に幸運でした。


戦略的な判断力と
リーダーシップ

藤原 しかも、ゴールドラッシュ のカリフォルニアに出かけて、フォー ティナイナーという砂金探しの仕 事まで体験し、帰国の旅費を貯め て日本に戻る計画を実行した。国 禁を破った男が故郷に戻る努力を した人生は、それ自体が素晴らし いロマンに満ちたドラマだが、鎖 国から開国に転換する時代だった から、彼は実にラッキーな運命に めぐり合わせたわけです。

平野 琉球に上陸して開明派の薩 摩藩と接点を持ち、島津斉彬に見 出されたのが第一の幸運であり、 土佐藩主の山内容堂との出会いが 第二の幸運でした。

藤原 だが、それにも増して、徳 川幕府の中老に阿部伊勢守正弘が 健在で、ジョン万次郎の能力を評 価したのが最大の幸運でした。 『さらば暴政』の中に勝海舟の言 葉として、「アメリカでは、政府 でも民間でも、およそ上に立つも のは、皆その地位に応じて怜悧で ございます。この点ばかりは、全 くわが国と反対のように思います」 を引用して置いたが、それは黒船 が現れた後の出来事であり、その 前段階の幕府には阿部正弘を始め 優れた人材がいた。だが、不幸な ことに有能な人材が次々と急死し て、肝心な時に幕府の人材が払底 してしまった。

平野 私もそのエピソードを交詢 社の講演で紹介したが、この発想 はジョン万次郎が勝に吹き込んだ と幕府に誤解され、ジョン万次郎 は軍艦訓練所を首になり、それか らは教師や通訳をしたとはいえ、 より自由な民間人として彼は生き たのです。

藤原 ジョン万次郎はアメリカ人 が作った本を始め、いろんな工業 製品を日本に持ち帰っているのだ が、特に興味深いのはミシンを買っ た点です。当時のミシンは画期的 な産業発明品の代表であり、アメ リカではソウイング・マシンと呼 ぶのだが、各国の文明度によりマ シンの意味が違っている。日本で はミシンがマシーンの代表になっ たのに対して、イタリアではマキー ナは自動車を指しており、フラン スではマシャンは俗語で小道具と いう意味です。また、アメリカで はミシンはマシーンの一部を意味 するし、自動車はカーやオートモー ビルという前に、ドライビング・ マシーンというのが機械の意味論 です。

平野 それは非常に面白い話です な。国によりマシーンという言葉 の意味する内容が、全く違ってい ると知るのは有意義です。それが 理解できていたから、福沢諭吉も ジョン万次郎も字引に関心を持ち、 ウェブスターの英語辞典を一緒に 買ってきたのだし、二人とも文明 開化に対して貢献しています。

藤原 言論活動がデモクラシーの 基礎だと考えたので、新聞を発行 することに明治の先覚者たちは情 熱を傾けたが、現在の日本にはそ れだけの人物がいない。新聞が中 生代の末期の恐竜と同じ状態で、 絶滅しかけている現在の言論界は、 生命力を喪失してまともに機能し ないが故に、政治の異常を診断す る能力を失いました。

平野 そこに今の不甲斐ない亡国 現象の原因と、人材枯渇という致 命的な欠陥が浮き彫りになってい るが、それを嘆いても社会は良く なりません。
これまでの自民体制による暴政 は実に酷かったが、それに代わる べき民主党に人材がおらず、代議 士の多くが未熟で経験不足に加え て、自分が実力不足だという自覚 すらもない。鳩山首相の周辺を官 僚出身の代議士が取り巻き、役所 で係長が課長補佐をやったくらい で、官僚生活に見切りをつけて議 員になった者も多い。
あるいは、松下政経塾あたりで 政治教育を受けて、即席で政治運 営の知識を覚え込んだだけで、小 手先の政治活動をした程度で議員 バッチをつけても、若手の役人や 塾生程度の知識と経験では、国政 の舵を取るだけの力量や判断力は ない。だから、彼らが頼りにする のは肩書きとしての地位だけだか ら、出世して肩書を得ることに熱 中するのです。

藤原 大臣になったことで偉くなっ たと誤解し、不適切なことまで得 意になって喋りまくって、実力の なさを露呈して嘲笑されている。 今の日本の閣僚は本当に実力が無 い人が多いですね。


実力の伴わない大臣や
首相補佐官の跋扈

平野 その典型が単なるマニフェ ストにこだわってしまい、マニフェ ストを憲法以上に重要だと誤解し て、マニフェストに書いてあるか ら断固やると発言し、政治家とし ての資質を疑われた大臣が目立つ。 マニフェストに中止と書いてある から、八ツ場ダムは中止だと大臣 が発言したのでは、政治のダイナ ミズムのイロハも知らないわけで、 政治が話し合いの場であることも 分からずに、マニフェストに振り 回されているだけでは困ります。 政治を担当する責任者に必要なこ とは、行政を処理するという役人 的な能力ではなく、戦略的に物事 を識別して取り扱う能力であり、 これは判断力に基づく指導性に関 わっています。

藤原 政治の指導体制がお粗末だ という点では、自民党政治の末期 は誰の目にも亡国だと分かったが、 そのことは『さらば暴政』で指摘 しました。最悪なのは安倍内閣に おける主要人事だったが、大臣か ら首相補佐官に至る全員が支離滅 裂で、世界から物笑いになっただ けではなく、日本の信用は丸潰れ で恥ずかしい限りでした。

平野 大臣が自殺したり絆創膏を 張ったりして、正に国会が漫才劇 場になった感じだった。また、小 池百合子や世耕弘成などについて、 首相補佐官になった人事への藤原 さんのコメントは、お粗末さの指 摘としてズバリ的中だった。それ に中国の古典から引用した文章の 持つ威力は、問題の核心をついて いて実にお見事でした。

藤原 『戦国策』にある人材抜擢 の序列によれば、「礼を尽くせば 自分の百倍も優れた人材が、敬意 を表せば十倍優れた人材が集まっ て来る。対等に振舞えば同じ程度 の人間が、怒鳴りつければ下僕が 集まるだけだ」というのだが、こ れを下僕をかき集めた自民党政権 だけではなくて、鳩山内閣の人事 にも有効な名言ですよ。

平野 怒鳴りつけなくても尻尾を 振って集まる、無能な上に意地の 汚い連中が実にたくさんおります な。

藤原 鳩山は首相補佐官に代議士 を任命しているが、部下の代議士 なら必要に応じて考えを問えばよ く、部下にいない大局観を持つ優 れた人物は、「三顧の礼」を以っ て招く必要があるのです。ところ が、専門知識も経験も無いない議 員を抜擢して、そんな人物に補佐 の仕事を託したのだから、狂気の 沙汰と言うしかないと思いました。 しかも、有能な人材は厳選して選 ぶのが鉄則であり、補佐官の数を 増やせば「枯れ木も山の賑わい」 で、「船頭多くして船が山に登る」 だけですよ。(笑い)

平野 私は外部から優秀な人を厳 選して招き、政治家が持ち合わせ ない能力を活用するために、また とないチャンスを逸したと思いま した。ジョン万次郎の例からして 優れた日本人は国外にもいて、誰 が真に優れた人材かを普段から知っ ていれば、必要な時には選ぶこと が出来るはずです。

藤原 ところが、日本人は事大主 義とタコ壷発想のために、高所か ら広い展望に立って人材を選ばな いで、有名人か身の周りにいる人 間の中から、使いやすい人間を拾 い上げるという傾向がある。本当 に有能な人は気軽に引き受けない し、必ず条件を出して責任と権限 を要求する。カネや肩書きには釣 られないから、「三顧の礼」を以っ てする処遇が不可欠で、真の人材 を迎えるのは難しい仕事です。


憲法感覚の重要性と
その見落とし

平野 代議士が人気で選ばれてい るために、日本ではタレント候補 がもて唯されているが、「出たい 人より出したい人」というように、 本当に優れた人は喜んで尻尾を振 らないものです。私は国会議員を 辞め現役から身を引いたが、民主 党員である立場から発言するなら ば、国政を託せるだけの議員は余 りいない。それでも、平成無血革 命を成功に導くためには、再びか つての暴政を蘇らせることなく、 議会制民主政治を実現することが 肝要です。だが鳩山政権が抱える 問題点として心配なのは、憲法感 覚が欠如していることであり、国 家の運営は単なる行政行為ではな くて、憲法との関わりを考える必 要があるのです。その点で憲法を 軽視する態度は厳禁だし、議員立 法の禁止は議会制度のために許さ れるべきでなく、国会は国権の最 高機関だから立法権の拘束はいけ ません。

藤原 賛成です。それと共に、議 論の場としての国会の質を高める ことで、世界で一流として活躍し ている人材たちが、議論に参加す るだけの魅力を持つように、体質 改善と大掃除が必要だと痛感しま す。現在の国会に世界的な人材が 参加しても、こんな低劣なレベル の中で仕事をすれば、世界の一流 が一ケ月もしないうちに、世界の 四流に成り果てる危険がある。今 の日本はそれほど酷いのに気づい ていない。

平野 これは厳しい評価ですな。

藤原 日本では大学生でも本を読 まなくなってしまい、劇画やマン ガ程度のものしか読めなくなって しまった。また、大衆レベルでは 世界でも最低のお笑い番組が、テ レビでのべつ幕なしに放映されて おり、そこで人気を集めた電波芸 人たちが選ばれて、知事や国会議 員になっているために、政治のレ ベルが最低である原因を作ってい る。だが、日本人はこの事実に気 づいておらず、世界で物笑いになっ ていることも自覚せずに、自国が 没落しているとは夢にも思わない。 しかも、かつては世界一だった児 童の学力レベルが、毎年のように 低下して行くのを放置したので、 今では先進国の中で二十番ちかく になり、それが国力の低下を加速 させているし、産業界は中国や韓 国に追い抜かれかけていて、それ が日本の混迷の原因になっていま す。

平野 困ったことだがそれが現実 だとしたら、早急にその問題に取 り組む必要があり、高校の授業料 の無料化という細事ではなく、日 本全体のレベル向上というより重 要な問題に、真剣に取り組むこと が政治の課題です。
ジョン万次郎がアメリカで学ん できた大切なことは、幅広い視野 と教養の重要性にあった。また、 それは草の根民主主義の基盤にな るものであるし、そこに時代を導 くリーダーシップがある以上は、 日本の将来を決定付ける決め手に なるのです。 (完)

平野貞夫vs.藤原肇 1

『無血革命』後の日本を展望 1 http://p.tl/B90y

国民の政治選択に政治家はどう応える

政治評論家 平野貞夫
vs.
国際ジャーナリスト 藤原肇



半世紀以上の長い歳月のなか で構築されてきた構造を変える ことは、普通であればそれ以上 の歳月を要する大事業である。 だからこそ革命が必要なのであ ろう。“無血革命"で誕生した 民主・社民・国新連立政権は、 困難な大事業の推進に取り組ん でいるが、その理念・意識がど のようになっているかが、大事 業の完成にとって重要な位置を 占める。そうした事象に精通し た2人が忌揮のない言葉で語っ てくれたのが、本対談だ。今号 を第一回として数回にわたって お届けする予定である。



民主党大勝の選挙を海外では革命と捉えた
本誌 本誌 本日はお忙しいなかをこの 対談のために時間を割いていただ きありがとうございます。早速、 本題に入りたいと思いますが、先 の衆院選で政権交代が実現したの を機会に、日本の過去、現在を見 つめながら、日本のあり方や展望 を語っていただけたらと思ってい ます。折角、政権が交代して新し い流れができるのではないかと期 待したいところなのですが、メディ アなどの反応には、そうした期待 感がみえません。いかがなもので しょうか。

平野 私に言わせれば、そういう 発想がもう古い。もっと深刻な問 題がある。それで折角のご提案で すから、まず、藤原先生から政権 交代についての感想を聞いてみた い。

藤原 実は、私が選挙の結果を見 たのはヨーロッパに行く途中のシ ンガポールの空港でした。直ぐに キオスクで新聞を手にしたら、中 国語の新聞は“「回天」”と書い てあった。英字新聞には「レボリュー ション」と書いてあり、これは革 命だと、外では革命と理解してい た。だから、これから革命のやり 方をきちんと行えば国民が幸せに なると思いました。
 ところが、日本の新聞の見出し の多くは「政権交代」でしかない。 革命はレボリューションというが、 交代はローテーション。日本の政 権を奪った民主党が、選挙に勝っ て政権交代レベルでしかとらえて いない。これはお粗末だなと思い ました。
 実は、レボリューションは天文 学用語の「公転」が語源です。そ れに対してローテーションは「自 転」。公転の“公”はいわゆるパ ブリックである。このパブリック の問題が日本でダメだったのは自 公政権だったからです。要するに プライベートなことばかりやって いた。民主党の人も“公”のレベ ルの考えに基くのでなく、“私”、 つまり“自”のレベルで考えて、 自分の利益で考えるなら困ったも のだ、と思ったのが第一印象でし た。

平野 その“公”と“私”の違い は大切な視点ですね。それと革命 という考え方は貴重です。

藤原 そうみると、世界にいろい ろ革命があったが、これから日本 は、最後にギロチンが出てくるフ ランス革命にしないで、英国の名 誉革命やアメリカ人がアメリカ民 主革命と言っている憲法を基にし た、アメリカ型民主主義の方向に 行くことが重要です。平野さんは 国内でご覧になっていていかがで すか。

平野 まさしくそこが問題です。 選挙での自民党の壊滅的敗北、そ して民主党の歴史的圧勝。308 (獲得議席)は奇跡的数字と言え る。私が最初に感じたのは“無血 革命が実行された”という言葉だっ たが、その革命を成功させる、定 着させることは、具体的なことを言 えば政権のつくり方、そして新しい 政権の政治をどう世界に示すかと いうことであり、無血革命を成功 させるのは大変なことだと思った。
 一般のマスコミ、それから敗け た自民党、なんとか勝った民主党 の側も、あまりにも自民党の政治 が悪かったのでお灸をすえたと論 評した。学者もそう言っていた。 政治家のなかでも“無血革命”と 言ったのは小沢一郎だけだった。

歴史上の大事件を機にデモクラシーの完成へ

藤原 ところが鳩山首相は所信表 明演説で、「無血の平成維新」な どと寝ぼけたことを言っていた。 “維新”というのはファシストの 言葉です。権力内でイニシアチブ をどっちが奪ったかという時に使 われる。英・仏語に訳すとクーデ ター。鳩山首相は所信表明で「無 血クーデターをやった」と発言し たことになり、これではナポレオ ン三世と同じですよ。
 だから困ったな……と。この人 たちは意味論が全く分っていない。 要するに、理念がしっかりしてい ないから、所信演説で前半に折角 いいことを言ったのに、最後の所 で「画龍点晴を欠いた」のであり、 まとめとして実にいいかげんなこ とを言ってしまった。しかも、メ ディアも学者も誰もそれを指摘し て批判できなかったのが情けない。

平野 しかし、デモクラシーをど う完成させるか、ということ、議 会制民主主義をどう良いものにす るかという点においては、初めて 日本で民衆が選んだ政治選択でし た。日本の2000年というか2600年というか(笑)はともか くとして、歴史上、かつてなかっ た大事件だと思う。
 私が一番気にしたのは、革命と いう言葉を使う限り、私個人の意 見としては、国家を指導する人間 の意識の変化、向上が果たしてで きるのかどうか、これをやらなけ れば本当の革命にならないという ところです。

藤原 今、民主党のマニフェスト がどうかとか、予算をこうやると か言っているが、それは処方箋や 処置である。まず第一に、現在の 日本が病気だと診断して、これま での政治が、つまり自公体制がい かに暴政だったかを明確に指摘し なければいけない。しかも、それ を民主党の国会議員が理解して疾 患に取り組むためには、一番大事 な作業が正確な診断をすることで す。今まではどうだったか、今ま での日本が前近代だったことをはっ きりさせない限り、これからの日 本の社会が近代社会として世界に 通用する国としての方針も理念も 出てこない。
 その理由は、今までの自公体制 は宗教と政治が一体化し政教非分 離であって、日本は世界から立ち 遅れていた。要するに、文明の歴 史は近代が政教分離で始まったこ とを教えており、日本は近代にし なければならない。という人が民 主党の指導者として出てきて欲し かった。

平野 今のお話を私流に解釈する と、政治家だけじゃなく学者も含 めて日本人は歴史認識が基本的に ないのです。だから、現代という 時代がどういう歴史的段階にある のか、その中で人間を人間がどう いうふうに捉えていくのか。これ がないと私は、政治の議論は始ま らないと思う。これがまったく欠 けているのです。

藤原 その通りですね。

平野 1980年頃からそれが一 切ないと私は感じている。

藤原 いや、明治からではないで すか(笑)

平野 私のように政治の中にいる 人間の立場で言うと、明治生れの 政治家には限界はあったが、それ らしきものはありました。

藤原 そうですね、「四書五経」 をきちんと読んでいましたから。

平野 文明が分かっていた。

藤原 そう、日本人が西欧文明と 繋がる必要があった時に、明治の 人は大陸文明を識っていたから、 文明社会に乗り出すことができた のです。

平野 その通りです。

官僚化した政治家にできるか官僚支配打破

藤原 ところが、今の日本人は漢 文は読まないし、中国の古典を理 解しない。世界の古典ももちろん 読めない。教育水準もそういうレ ベルに達していない。だから、文 明から逸脱した文化のレベルでの 議論をして、文明の議論が行われ ていないのです。

平野 要するに、明治時代には人 間の在り方とか、国や社会の在り 方の根っこの部分を、平民でも指 導者でも誰でもが考えなければい けないという意識があった。だか ら、別に学問をしなくてもいいの だし、皆が学問をやれるわけじゃ ないが、それなりに考えようとし ました。
 ところが、私の体験から言うと、 大正生れの人たちが政治をやるよう になって、結局、技術論だけ。根っ こというか思想の部分、方向性とか 理念や目的というものを、明治生 れの人たちは学歴がなくても、そ れなりに考えて官僚に示した。ま た、昭和50年代の中頃までは官僚 がそれを理解して制度をつくった。
 ところが、昭和50年代の後半に なると、政治家は官僚の係長クラ スが知っている政策や数字などを 知ることが専門的だと思い、立派 な政治家だという風潮が出てくる んです。そうなると、制度の方向 性とか目的、理念を政治家が考え なくなる。
 これは資本主義の大きな流れと いうか、日本のバブル経済の流れ の中で、そういう現象が起きたの かも知れない。現状を何とか考え なければいけないということで、 官僚が考えざるを得なくなるわけ です。そこで官僚が政治家化し、 政治家が役人化してくる。
 衆院事務局時代の私は、最も政 治家化した役入の一人でしたね。 仕事は毎日、自民党や共産党、各 省庁も含めて国会の運営の制度あ るいは前例の問い合わせでした。 だから、毎日のように国家公務員 法違反をしていた。それをしなけれ ば国会が動かない。官僚側にもも ちろん族議員をつくったりする者も いて、民主党が敵としている官僚 政治の打破は大事なことではある が、現状、実現は大変なことだ。

藤原 官僚の中にも私利私欲で 動く人もいるが、誠実な人も沢山 いるから、国家は機能するのです。 私の全てを相似現象ととらえる目 で見ると、個々の中の役割を果た した人たちは、皆んなそれぞれ大 きさも違うし、タイムスパンも異 なっているが、少なくとも相似現 象としてパターンの形で捉えられ るのです。

平野 その相似現象が今、起きて いる。どういうことかと言うと、 官僚が政治家化したのは官僚にも 責任はあるが、政治家を選んだ国 民にも責任がある。ところが、民 主党はそういう思考をしない。鳩 山新政権で官僚を叩くとか、予算 の事業仕分けとか、いろんな形で 政治主導と言われることが、相似 現象として政治家が官僚化してき ていたものです。

英国に間接支配されるアメリカ資本主義

藤原 フランス革命でみると、貴 族と共にブルジョアがいて、農民 と共に商人がいる。こういうパター ンの中で、官僚の役割を貴族が演 じていると思う。その上に王様が いるわけだが、あの時期は絶対王 政から立憲王政に変わろうとして いた。それでは、立憲王政に変わ るパターンの中で王様に相当する のは誰かということに興味があっ て、私は米国でじっくりと観察し た。実はアメリカが王様をやって いたのであり、それが王様連合と 運繋していて、神聖同盟に相当す るのが国際金融資本で王様同盟だっ たわけです。
 その国際金融資本とかアメリカ がしたい放題して今、潰れかけて いる。
 しかも、アメリカの資本主義は 潰れて社会主義化しているが、英 国を中心にした国際金融資本が、 アメリカを間接支配してきた。私 はアメリカに30年住んだが、アメ リカは独立国の形態をとっている にしても、英国が間接支配してい た。アメリカは英国の手先として 戦争をやったり、金融を動かして いるように見えても、実は、弁慶 のようにヤリふすままであり、源 義経役の英国は奥に控えている。
 この間日本に帰ってきた時に、 ちょうど小沢一郎が英国に行った。 ところが、ジャーナリストは理由 が分からない連中ばかりで、中に は心臓の治療に行ったと言ったり していた。だが、私の眼には、英 国に相談相手がいるから飛んだと 見えた。英国でアメリカに対して どういう動きをすればいいかと知 恵を借りて、それが鳩山のアジア 共同体構想に反映したのです。い かがですか。

平野 要するに、無血革命が起き て、鳩山政権をつくってみたらど うもおかしいと小沢は痛感した。 官僚政治を打破すると叫んだ人間 が、逆に官僚化して、官僚のレベ ルでものを考え、官僚の意識で政 治をしようとしている。しかも、 国会を動かし権力を行使すること が、行政事務のひとつだという認 識があると、危機感を生んだ。
 小沢の考え方かどうか知らんが、 何かやはり、これではいけないと いうことを察して、小沢は9月の 後半にイギリスに飛んだ。おっしゃ るように、イギリスの統治や権力 行使の根っこが、どんなものかと いうことを探りに行き、特にアメ リカの扱いについての知恵を借り たのでしょう。

訪英から帰国した小沢が目指す「国会の改革」

藤原 私が旅行する時には、40年 前の昔の友達がそれぞれの国で閣 僚や財界のトップだから、彼等と 話をすれば、彼等のものの見方が 分かる。だから、彼等から答を教 えてもらわなくても、彼等の考え 方を探るだけで会う価値があるし、 小沢がそういうことを打診しに行っ たのではないかなと、相似象で理 解できる。

平野 その通りです。

藤原 世界のプロは、このように 相似象で見ているのであり、小沢 ならそれをやって当然です。

平野 それで彼が帰ってきて言っ たのは、「国会の改革だ」と。国 会を変えなくては308議席を取っ ても何もならん、何も変わらんと いうのが結論だった。

藤原 私が冒頭で、日本が非近代 であると断言した。そこから脱皮 するには、政教分離をきちんと行 うことです。それではじめて日本 は近代国家として国民の幸せのた めに政治は何をしなければいけな いかという出発点に立てる。そし て、前の政治が如何に悪かったか と、悪かった人は法治国家である 以上は、きちんと裁判で明らかに し、税金を八兆円注いで救った銀 行を十億円で外国に叩き売った行 為が、犯罪かどうかとはっきりさ せることです。
 これが革命におけるイロハで、 弾圧しろとかいうことでなく、悪 いことをした人たちは悪いことを したんだという形、いわゆる法を 破ったのだという形にしなければ 社会正義とか法における正義の問 題が抜け落ちてしまう。

平野 その部分、法に基づく支配 というのが、わが国では非常に問 題だ。特に、先の選挙で先生は3 50議席獲らなければいけないと 言うが、308人を獲った。これ は西松建設問題で小沢代表(当時) の秘書逮捕という、検察のファッ ショ化がなければ240という過 半数を巡る戦いとなったと思う。

藤原 そうですね。

平野 アメリカの資本主義の犠牲 になって、国民の生活がギリギリ になり困っているところに、自民 党のなかにも同じような人がいた が、小沢代表の件だけをやった。
 税金をでたらめに使った人たち を放置する限り、国民は納得しな いのだから責任を追及し、その上 で、日本を民主国家として再発足 させることが、民主党が遂行しな ければならない、民主革命のこれ らかの道だということで、鳩山政 権の今後の手腕を見守ることにし ましょう。




平野貞夫vs.藤原肇 2

平成の無血「民守革命」と成功への道 2 http://p.tl/yTMV
政治評論家 平野貞夫
vs.
国際ジャーナリスト 藤原肇



病理診断がないまま迷走する日本の政治
藤原 平野さんがおっしゃるよう に新政権の責任は、日本を民主国 家として再生させることによって、 国民の仕合せを実現する民主革命 の遂行です。そのためには、日本 の治療に取り組むための前段階と して、どのように健康を損なって 生命力が衰え、病気に蝕まれてい る状態を理解するために、正確な 診断をすることが先決問題です。

平野  それは当たり前のことです。 治療を始める前に診断するという のは、医学の世界では当然なされ ている手続きであり、診断なしに 治療するなんてヤブ医者ですよ。

藤原 そうでしょう。症状から病 気の原因を正しく読み取って、そ れから治療を始めるのが医学上の 必要手続きだのに、日本の政治に はこの診断行為が不在です。病院 の建物はあっても医者がいないの が、衆参両院で構成する日本病院 の実態であり、箱もの作りに熱中 した財政投融資型の政治で、人材 作りを怠ってきた欠陥に由来しま す。だから、診断書として私は 『さらば暴政』を書いたが、肝心 な診断を正確にやることを置き去 りにして、今の日本では如何にマ ニフェストを実行するかとか、予 算案の枠を決めたり削ったりする という、治療や処方箋に関しての 議論ばかりが盛んです。

平野  診断より手術や薬を処方す る方が金になり、医術が算術になっ てしまったのと同じ現象が、日本 の政治の世界を支配していますな。 政治家が役人化し官僚が政治家化 したからだと思うが、役人も政治 家も診断の意義が分かっていませ ん。

藤原 それはマスメディアが墜落 したせいです。小泉劇場を煽って 成功したことに陶酔して、その夢 から脱却できない状態が続いてい る。福沢諭吉が書いた『文明論の 概略』を読めば、「病理の診断は 学者の職分だが、治療は政治家の 仕事だ」とあって、これはプラト ンやアリストテレスの時代からの 原則です。本当は学者の代りに知 識人と言うべきであるし、その中 には学者、ジャーナリスト、評論 家だけでなく、公的領域に関心を 持つ市民も含まれるが、それらが 御用化して弱くなったために、御 用学者や御用評論家ばかりが増え ています。しかも、民主党内閣が 革命を遂行する意欲に欠け、政権 交代のレベルでの現状認識しかな く、政権を維持することに汲々と しているために、徹底的な批判が 行われない状態が続いている。自 民中心の体制が議会民主主義を踏 みにじり、パブリックである公的 政治を軽視し続けて、私的な利益 のために利権漁りをした結果、暴 政が支配したのに未だに総括もな しです。

平野  それは今までの日本の政治 のやり方が、政権交代をさせない し行ってはいけなかったので、議 会政治として機能しなかったせい です。だから、国民は野党のため にあるという原点に立ち戻って、 議会を議論の場にすることが必要 なのです。


議会政治の基本精神

藤原 議会政治は話し合いが基本 であり、異論を出し合って接点を 見つけて合意し、より多くの人が 納得できる形でまとめて、「最大 多数の最大幸福」を求めるための 場です。平野さんの前では「釈迦 に説法」になるが、議会政治の基 本は議論を戦わせて、何に優先順 位と重要度があるかを決め、もし 話し合いで合意に至らない時には、 多数決原理で決断を下すことにな ります。だが、多数を取れば良い というのではなくて、少数意見も 尊重しなくてはならないが、強行 採決はその手続きを無視した暴挙 です。この民主主義の精神に反し 強行採決に明け暮れ、国民に愛想 をつかされた安倍政権は、敵前逃 亡に等しい形で政権を投げ出しま した。

平野  政治プロセスの中では採決 を急ぐ時もある。だが、現在は強 行採決などをやっている時代とは 違うし、そんなことは無責任で国 民への裏切りであり、無血革命を 行う目的に反している。だから、 当面の課題は自公体制のやり方を 改めて、議会で徹底的に討論する 原点に立ち戻り、真の民主政治の 議論を実行すべきです。

藤原 ところが、予算の通過させ るために強行採決を辞さないと、 民主党は無責任なことを主張し始 めており、これでは前の自民中心 のゾンビ政治と同じです。日本の 政治家が議論や討論が下手な理由 は、問題をじっくり観察した上で 分類して、二項対立の形で捉えて 分析することにより、パターン化 するのが苦手なせいです。

平野  その議論は別の機会に譲る ことにして、私がここで強調した いのは政権交代の問題で、それを させない制度と運用が続いたが、 それをぶち壊すチャンスが訪れま した。
 先生が指摘したように民主主義 の原点と、議会制度の本質を理解 する政治家が、ほとんど存在しな い所に今の日本の悲劇がある。そ こで私は雑誌のインタビューやコ メントなどで、明治の初めに議会 主義を導入した時に、日本人が如 何に苦労したかを知るべきだと強 調してきた。
 帝国憲法は民主主義の点におい ては、十分であるとはいえないも のであったが、それでも明治人た ちは今の国会議員たちよりも、議 会の本質をはるかに良く理解して いたのであり、今の政治家は議会 主義への感性がない。これは教育 の問題に関わっており、議会主義 が何たるかを学校で教えないから です。

藤原 果たしてそうでしょうか。 たとえ学校で教えていなくても、 児童向けの『十五少年漂流記」を 読めば、無人島の少年たちは議論 して重要問題を決めたし、選挙で リーダーを選び年間計画を打ち合 わせており、自治の意義を子供た ちは学んでいます。ところが、日 本の国会は民主的な運営で無人島 以下だし、十五少年に較べて責任 感や名誉心においても、今の国会 議員たちははるかに劣っているの です。

平野  国会議員の中には立派な人 もいるので、十五少年以下だと決 め付けるのに賛成しないが、人気 で当選した入や世襲議員の中には、 議論の能力や政策を考える素養の ない者がとても多い。百年以上も 昔の明治初期に較べた時に、国政 に携わるという政治家たちの意識 や理解力が、劣等だというのは容 易ならざることです。

藤原 安倍の野垂れ死に後に政権 がたらい回しになり、福田や麻生 による無能な政権が続いたために、 世襲代議士を首相にした致命的な 誤りが、日本の政治を徹底的に損っ てしまった。ところが、民主党を 支配する鳩山や小沢も世襲代議士 で、自公体制の政治パターンと大 差がないし、革命ではなく政権交 代で終わり兼ねないので、暴政の 徹底的な批判が絶対に必要になり ます。

平野  民主党のトップが世襲議員 であることは、確かにおっしゃる とおりで問題がある。だが、今回 の選挙結果を無血革命として成功 させる上で、今ここで重要なのは 民主的な議会政治を確立すること です。なに分にも、明治時代の政 治家たちの資質に較べて、現在の 国会議員の意識が低い理由は、歴 史感覚が非常に劣っているからで す。


明治の歴史の深層と共和制への嫌悪

藤原 それはタブーや嘘に支配さ れたために、日本では明治の歴史 をきちんと教えないし、幕末から 文明開化に至る歴史が歪められ、 小説として書き換えられているせ いです。
 汚職による利権政治を改革しよ うとした動きが、権力による徹底 的な弾圧で潰されてしまい、明治 六年の政変が征韓論の形で歪めら れ、外交問題に磨り替えられて教 えている。山県有朋や井上馨によ る利権政治に挑み、その糾弾を試 みた江藤新平司法卿を葬らない限 り、近代国家への道が共和制にな ると怖れて、国権派が民権派を制 圧するための工作が、明治六年の 政変の真相だった。江藤新平はフ ランス的な共和思想の持ち主で、 自由、民権、博愛を信奉していた が故に、国家主義で専制政治家の 大久保利通の手で、反逆者として 葬られて晒し首になっている。し かも、大久保は遣欧使節としてパ リコミューンを目撃し、政権崩壊 の恐怖体験と共和思想への嫌悪感 が、彼の心理の深層を支配してい たのです。

平野  それに、明治六年の政変に 自由民権運動の出発点があり、途 中に西南戦争という西郷と大久保 の対決を挟んで、国権派による支 配体制が固まって行く。次に明治
 十四年の政変に発展したことで、 大隈重信の英国流の議会制度が否 定され、プロシア型の絶対主義へ の傾斜を強めてから、明治二十三 年の明治憲法の制定となって、日 本流の議会制度の発足になるので す。

藤原 でも、明治憲法も国会も上 から与えられたが、立憲君主制の 枠の中で機能したのであり、その 点はそれなりに評価していい。だ が、長州閥を率いた伊藤博文や山 県有朋によって、藩閥政治と軍国 主義が推進されると共に、日本の 国策は帝国主義の路線を邁進した ことで、最終的には大日本帝国は 滅亡しました。

平野  しかし、明治前半における 自由民権への情熱は、欧米の議会 制民主主義を手本にして、それを 日本で実現しようとした努力の点 で、民衆の力が働いていたことは 確かです。だから、今の日本人に 欠けている国造りの意欲に満ち、 真剣で誠実な政治への関心と参加 への意思があり、真の無血革命へ の期待が生きていた。現に自由民 権運動に命をかけた代議士として、 足尾銅山の鉱毒問題に政治生命を 捧げ、明治天皇に直訴を試みた田 中正造がいます。

藤原 環境問題に生涯を捧げた点 では、日本の政治家として田中正 造の存在が、いかに偉大だったか を日本人は忘れている。また、明 治という時代性の中で彼の貢献を 考えて見ると、今の政治家で匹敵 する者は皆無であり、民主政治の 原点に立っているという点で、明 治の日本には素晴らしい政治家が いた。
 なぜならば、当時の日本は列強 と肩を並べるために、国産の銅と 絹を輸出して外貨を稼ぎ、それで 軍艦や兵器を買って兵備を整えて、 近隣諸国を侵略し領土を拡大して いた。しかも、足尾銅山は日本の 銅の半分を産出しており、懸命に 富国強兵を推進する日本政府にとっ ては、田中代議士が鉱毒事件に全 力を注入しており、住居を災害地 に移して取り組んだので、実に扱 いにくい存在に違いなかったと思 います。

平野  彼は第一回の衆議院議員選 挙で当選し、十年間ほど議員とし て鉱毒事件に取り組んだが、命を 賭けて直訴するために議員を辞職 した。そして、全財産を鉱毒事件 の活動に使い果たしたために、死 んだ時には無一文だったそうです。 今時の浮ついた気分でいる国会議 員たちに、「墓掃除に行ったらど うだ」と言いたいほど、彼は民権 運動に殉じた立派な政治家でした。


民主主義から「民守主義」への道

藤原 こうした立派な政治家が明 治にいたから、大逆事件などの弾 圧があったにも関わらず、続いて 大正には民権運動の成果として、 大正デモクラシーが花開くことに なったのです。きっかけは191 7年のロシア革命であり、シベリ ア出兵のために米の買占めや売り 惜しみで、米価が急騰して富山県 で米騒動が起き、それが護憲運動 や普通選挙運動として、新しい形 の民権運動に発展したのです。

平野  その基盤まで田中正造は残 していまして、彼は「人民あって 国家は存在する」と主張し、「地 方自治は国家運営の基礎だ」と論 じ、戦争は犯罪だから軍備全廃を 訴え続けました。彼は日本の憲政 史上で無双の議員で、民権論者と して国民が誇るべき偉人として、 国会議事堂の正門の前に銅像を建 てたい人です。こうして挫折した とはいえ自由民権運動のお陰で、 民衆の立場で議会政治を実践した から、大正時代に民主主義への自 覚が高まったのです。

藤原 当時の日本は君主制に基づ く憲法だったので、民主は君主に 対立すると危惧したために、吉野 作造は民本主義という言葉を使っ た。だが、政治の基礎はデモクラ シーにあると自覚して、日本人は 議会制度の重要性を普通選挙の形 で、大正デモクラシーの旗印に使っ たのだと思います。

平野  デモクラシーを民主主義と 訳したのは誤訳で、確か福沢諭吉 がそう訳したと記憶しますが、民 主を『広辞苑』で引けば「主のた めの民」と書いてある。この重要 な間違いを訂正するためには、民 主の「主」を「守」と書き換えて、 「民守主義」という新しい言葉を 作れば、人間一人一人を大事にす るという意味になるのです。

藤原 興味深い提案ですね。また、 歴史的には英国の自由主義とフラ ンスの民主主義があり、フランス 型よりは米国型の民主主義の方が、 草の根民主主義の精神と結びつい ていて、本来のデモクラシー精神 を体現しています。だから、少な くとも20世紀の半ば頃までのアメ リカ合衆国は、民主制を実践する 理想的な国として、世界から尊敬 された民主国家でした。

平野  問題は日本や世界の政治を 見た場合に、21世紀まで続いた議 会制民主政治の原理が、19世紀の 思想と哲学に基づいていた点です。 だが、高度情報化した民主社会に おける議会政治は、とてもではな いが、今の程度の代表民主制では いけないので、根っこから考え直 さなければならず、新しい政治体 制を作らなければいけないのです。

藤原 それが無血民主革命の新し い課題であり、孔子の昔から「温 故知新」と言うように、新しいも のを作るためには古きを訪ねて、 歴史の教訓から徹底的に学ぶ必要 がある。それは近代に始まった自 然認識として、サイエンスの発達 プロセスと共通したものであり、 観察したものを分析して総合する ことで、そこに普遍法則と帰納原 理を見出すのです。

平野  そうなると歴史の中に革命 の実例を求めて、色んな形で記録 されたモデルを分類して並べ直し、 新しいモデルとして使えるものを 組み立て、それを足場に使って何 かを構築するわけですな。そこま でのことをやれるだけの人が、今 の日本の政治家にいるかどうかは 疑問だが、それをやらない限り革 命など出来ません。


フランス革命と失政と暴政を生み出した場の理論

藤原 それほど深刻に考える必要 はないでしょう。過去の経過を観 察して変化のパターンを知り、現 状を正しく位置づけて異常性を捉 え、将来の方向を見定めるのは診 断学の基礎です。だから、革命学 は未だ認知されていませんが、歴 史学、生理学、病理学、政治学な どを統合して、新しい社会医学と でも呼ぶものを作るために、作業 仮説としての革命のシミュレーショ ンを試みます。そして、どの革命 のどの段階を構成する場の構造が、 どうなっているかについて調べる ことで、作業を始めたらと思うが どうでしょう。

平野  革命には色んな時代とタイ プがあるが、差し当たりどの革命 から手をつけたら、最も手っ取り 早く成果が得られるでしょうか。

藤原  成功例より失敗例が教訓的 という意味で、アメリカ革命より もフランス革命の経過の方が、わ れわれの無血革命を成功させるの に、参考にするシミュレーション として活用できると思う。特に初 期の段階の数年間の動きは、今の 日本の置かれた状況によく対応し ており、参考になるものが数多く 読み取れる。1793年以降の状 況を回避するためにも、大革命の 歴史を深く学ぷ必要があります。

平野 矢張りそうですか。革命と いえばフランス革命だと思ったが、 失敗例としてフランス革命を登場 させるのは面白い。そういえば失 敗したフランス大革命には、破綻 モデルとしてギロチンが登場する し、ナポレオンのクーデタもあっ て波乱万丈だ。また、それを回避 する予防医学という視点は、無血 民主革命の生命力を活性化する意 味において、新鮮であり画期的で あると思います。

藤原 別の興味深い着目点は大正 デモクラシーで、これは絶対主義 とファシズムの時代に挟まれた、 短かいが自由の空気が流れ込んだ、 束の間のデモクラシーを日本人が 満喫した時代です。だが、気候の 寒冷期で穀物の不作が続いたし、 海の彼方ではロシア革命が燃え上 がっており、富山で始まった米騒 動で社会が騒然としていた。しか も、フランスで小麦が取れなくて パンがなくなり、バスチーユ監獄 への襲撃に続き繰り返して、ベル サイユ宮殿ヘパリ市民のデモ隊が 押し寄せ、「パンをよこせ」をス ローガンにしたのと好対照です。

平野 「パンがなければケーキを 食べろ」と言ったという、マリー・ アントワネット王妃の有名な言葉 が生まれた舞台ですな。

藤原 そうです。当時のフランス は王室の乱費で財政破綻し、国庫 は空で民衆は重税と搾取で生活に 苦しんでいた。また、英国の産業 革命に立ち遅れた経済は、輸出難 とインフレのために絶望状態だっ た。場としての文明の中でフラン スの位置は、産業革命で活況を呈 した英国に圧倒されており、絶対 王政の砦のハプスブルク家から王 妃を迎えたが、フランスは領土的 には神聖同盟に包囲され、辛うじ てエカテリーナのロシアだけは敵 対しなかったが、ある意味で孤立 状態に陥ってしまった。

平野  今の日本の立場とよく似た 感じですな。

藤原 そうです。アジアにおける 現在の中国の立場は、産業革命で はなく外貨と技術の導入の成果に よって、中国は世界の工場として 貿易を伸ばし、昔の英国に似た経 済的な繁栄を謳歌している。それ に対して、自公体制の暴政によっ て行き詰まった日本は、工場の海 外移設で国内産業が空洞化し、デ フレ・スパイラルで経済活動は低 下してしまい、地方の商店や地場 産業は壊滅状態です。これはフラ ンスの貴族が国外に逃亡して、エ ミグレとして富を持ち出したのに 酷似しており、昔の英国に相当す るのがバブル中国とすれば、昨日 の友が今日の敵という意味では、 神聖同盟の役は米国や国際金融資 本です。


フランス革命の教訓と「民守革命」の展望

平野  国内産業の空洞化で経済活 動が衰退し、若い人はパートの仕 事しかなくなってしまい、二ート 族やホームレスが増加している。 その上に、30過ぎても低収入で結 婚や家庭が営めなくて、日本人の 間で貧富の差が拡大している。格 差問題は革命期には必ず発生する し、その解決は福祉政策によって 試みられ、フランス革命は産業革 命に伴っていたし、現在は情報革 命が進行しています。これらの問 題の解決が無血民主革命の課題だ が、フランス革命の教訓をどう活 用しますか。

藤原 絶対に必要なのはギロチン を登場させずに、日本を食い荒ら した犯罪者を法的に裁いて、私物 化された公的資産の回復をする。 また、法治国家としての司法制度 をきちんと機能させ、国民の信頼 を政治に取り戻すと共に、民主的 な議会制度を確立することです。 小沢が演じているのがラファイエッ ト将軍の役で、亀井と前原が束に なっても反動型のアポリネール役 の一割にも達しないし、鳩山や菅 にはベルナーヴの洞察も期待でき ない。また、ロベスピエールやタ レイランは未だ登場しないし、日 本には永久に出現しないタイプの 人材です。問題はルイー6世とマ リー・アントワネットであるが、 これは自民党と公明党の残党たち であり、国外逃亡するか外国勢力 を手引きして、エミグレの役割を 果せば事態は深刻です。だが、絶 対王政から立憲王政に移行してい た時に、王様夫婦が国民と国を見 捨てて逃げなければ、フランス革 命は理想革命になったかも知れず、 この辺の歴史のイフは興味が尽き ません。

平野  それは興味深い視点ですね。 だから、恐怖政治が始まらないた めに良く注意して、無血の民守革 命を目指す必要がある。しかも、 それがうまく実現すれば理想的で あるが、革命には反革命がつきも のだから、余程の覚悟と決断力が 必要でしょう。

藤原 それと共に重要なのは国際 情勢であり、英国と同盟する反革 命の強大国としては、絶対支配が 好きなハプスブルク家を始め、軍 事帝国を目指すフリードリッヒの プロシア帝国や、エカテリーナ女 王が支配したロシア帝国などがあ る。
 また、現在は神聖同盟には登場 しない新帝国が幾つもあり、新大 陸に陣取ったアメリカ帝国や、世 界の工場を支配した中華帝国の他 に、アラーに忠実なムスレム帝国 も控えている。
 しかも、姿を見せない多国籍金 融資本も加わり、情報革命が新し い価値を生み出すので、そこで生 き抜くには卓越した知恵が必要で す。それを持ち合わせた人材を大 量に育成して、適材適所で活躍さ せる必要があります。

平野  高度情報化社会の中で生き るには、大変な準備が必要だと分 かっているのに、それに対しての 取り組みが不足です。しかも、今 の日本人には危機感が足りないが、 自らの力で意識を高めようとしな い限りは、世界の動きから取り残 されるばかりで、せっかくの「無 血民主革命」のチャンスなのだか ら、この機会を最大限に生かした いものです。

藤原 有能な人材を育てて確保す るには、国内の産業の空洞化は避 ける必要がある。それには経済の 活性化と新産業を育成し、新しい 国づくりの議論をすることです。 議会制民主主義は議会で議論を尽 くし、合意に達してそれを実行す ることだが、議論が民主制の基礎 だとしての議論は、結論的に「民 主主義」の話題に移りました。そ して、議論への熟達への努力が 「民守革命」を育てるし、結果と して成功への秘訣という結論にな り、話が一応まとまったような感 じがするが、これからの政治の展 開具合が楽しみです。 (つづく)

NHKで不祥事続出 しかも「ニュース隠し」?

『東京新聞:こちら特報部』

(2011年3月2日付)

 NHK関係者の不祥事が止まらない。年明け以降の二カ月余りで逮捕者三人、ほかに免職二人、そして金沢市の遺体遺棄事件で逮捕されたNHK金沢放送局の元委託カメラマン。多くの人が集まる組織で不心得者を無くすのは難しいとはいえ、あまりに数が多い。しかも「金沢の事件の報道が少なすぎる。事件を隠す気なんでしょうか」と視聴者の声が聞こえてきた。「皆さまのNHK」の中で何が起きているのか。 (加藤裕治)

 丸刈りにマスク、グレーのパーカを着た男が金沢市内の病院の前に車いすで姿を現した。二月二十八日夜のNHKニュースに映ったNHK金沢放送局の元委託カメラマン若生康貴容疑者(35)の姿だ。同市の主婦福田春奈さん(27)の行方不明が伝えられたのが先月十八日。若生容疑者は、同じ日に自殺を図り、入院していたが、二十八日、福田さんの遺体を砂浜に埋めた疑いで逮捕された。本人は容疑を否認しているが、石川県警は殺人容疑も視野に入れて捜査を進めている。ところが地元・金沢市から「NHKは全然、このニュースを流さない」という声が聞こえてきた。

 NHKに質問すると、広報局からの回答は「遺体発見の二月二十四日や、逮捕された同二十八日の『ニュース7』などで伝えた。ニュースの放送回数などは以前から答えていない」。
 地域ごとに流すローカルニュースでの放送回数は教えてもらえなかったが、地元の視聴者の話によると、少なくとも地上波では夕に一回、その後はしばらく沈黙し、同二十一日夕に二回目のニュースを流した。いずれも地元だけ流れるローカルニュースで、遺体発見までの六日間、地上波ニュース番組での扱いは、極めて悪かった。

 二十一日のニュースでは、現職だったはずのカメラマンの肩書に「元」が付いていた。二十代の会社員は「久々に流したと思ったら、あっさりニュースが終わった。人ごとのような報道に感じた。解雇したことを視聴者に知らせたいだけなのかと思った」とあきれる。
 一方、民放は発覚当初の同十八日から繰り返し報道している。ローカルニュースで大きく扱うのはもちろん、全国ニュースでも報道し、ワイドショーも時間を割いた。新聞も地元紙や全国紙の地方面で連日、記事を載せているほか、東京の社会面でも複数回、記事を掲載している。

 そんな報道ぶりの差について、元NHK甲府放送局長でNPO法人マスコミ市民フォーラム理事長の川崎泰資・椙山女学園理事は「自分たちの不祥事に触れたくないと考えるのは、ある程度仕方ない。とはいえ、私の住まいがある東京で見ていると、NHKの報道は極端に少なく感じた」と印象を語った。
 事件を身近に感じる地元の人たちからは、さらに強い疑問の声も出ている。金沢市の漆芸家男性(27)は「NHKとしては痛い事件だろうが、報道機関としてきちんと知らせるべきだ」と憤った。
 同市の会社員女性(47)は「大きな事件のないところだから職場はこの話題でもちきり。でも、NHKのニュースを見ても何も分からない。民放を見て情報を集めている。こういうことでは『NHKです』と受信料を集めに来ても信用できません。お金は渡せません」と語った。

 そんな声はNHKにも寄せられている。広報局は「視聴者から寄せられているのは、民放に比べて放送が少ないといった声が大半です」と認める。放送するニュースの取捨選択については、「ニュース性をその都度判断している」と説明するのだが…。
 年明け以降、NHKでは不祥事が連発している。別表のように、一月一日以降、正職員三人が逮捕された。さらに、刑事事件ではないものの、二人が不祥事で免職になった。これに同容疑者の逮捕が追い打ちを掛けた。

 報道の現場で働くNHKの現役職員は嘆く。
 「同僚との間でも、さすがにこの連発はまずいだろうと話が出ている」 NHK広報局も「正直なところ原因は分からない。分かっていれば、対策が取れるのだが…。むしろ外部から指摘してもらった方がありがたい」とお手上げの状態だ。

 現場が特に深刻に感じているのは、二十代の若い職員の不祥事が目立つこと。「採用方法に問題があるのでは。組織におかしな部分があるのでは。そう考える職員が多い」と明かす。
 一連の不祥事を受け、交通規則の順守や適切な情報取り扱いについての通達が職員に回ってきた。とはいえ、「金沢の事件で死体遺棄容疑で逮捕者が出たのは重大。研修や教育でどうなるというものでもない…」と職員。そして「どんな判断から主婦の事件の報道を控えているかは知らない。ただ、担当の記者はつらい思いをしながら取材しているだろう」と現場を思いやった。
 別の職員は金沢の事件で若生容疑者の金銭トラブルが報じられていることに触れ、委託スタッフに対する待遇の悪さを説明する。「ボーナスは無く、残業は月四十四時間以内。月給は最大で二十五万円。副業に手を出す人もいるだろう」

 地方では経費削減のため正職員を減らし、委託スタッフを増やす傾向にあるという。この職員は「カメラマンの二割近くが委託という放送局がある。ライトマンは、ほとんどが委託だ」と語る。 NHKは〇四年に発覚した番組制作費をめぐる不正支出事件を受け、「倫理・行動憲章」「行動指針」をまとめた。それに基づき、組織の見直しや研修などで不祥事の再発防止に当たっている。今回の一連の不祥事を受けては、二月二十一日のリスクマネジメント委員会で協議し、同二十三日の全国局長会議で再発防止への取り組みを指示したという。
 しかし、前出の川崎氏は「組織の疲労が最大の問題。無責任体質が不祥事を招いている」と言い切る。「一月には一度は“内定”した人事を撤回する騒動のあげくに、報道経験がない松本正之・前JR東海副会長を新NHK会長に据えた。しかし、誰も混乱の責任を問われていない。さかのぼれば、不正支出事件を受けて海老沢勝二会長が退任しても、側近はそのまま残った」と指摘する。

 そして「そんな上層部を見ているから、下は緩む。小手先の研修では改まらない。組織のあらゆるレベルで態度を見直さないと不祥事は今後も繰り返される」と警告する。


<デスクメモ> 地方に住んでいると、情報取得のためにメディアの占める位置が極めて高い。おじいちゃんもおばあちゃんも、うわさ話の次にテレビや新聞を信用している。特にNHKへの思い入れの深さは別格だ。「体裁が悪いから」と、「伝える」仕事を二の次にしてしまっては、そんな人々を裏切ることになる。(充)

●小沢氏 採決欠席の議員に理解
(NHKニュース2011年3月3日19時38分)http://p.tl/9sQf
民主党の小沢元代表は、フリージャーナリストなどで作る「自由報道協会」主催の記者会見で、会派離脱届を提出した16人の衆議院議員が平成23年度予算案の採決を欠席したことについて、「1つの考え方だと思う」と述べ、理解を示しました。

この中で小沢元代表は「16人は、それぞれ国会議員として自分自身で決断し、自分の責任で行動したことなので、ほかの人がとやかく言う筋合いではない。おととしのマニフェストの原点を基準にして、すべての自分たちの行動を律していきたいということなので、それはそれで1つの考え方だと思う」と述べ、理解を示しました。そのうえで、小沢氏は「私は、菅総理大臣よりも誰よりも、民主党政権を成功させたいと思っている。ただ、最近『自民党と同じじゃないか』などという批判が多くなっており、もう一度原点にかえって初心を胸に問い直さなければいけない」と述べました。また、小沢氏は、TPP=環太平洋パートナーシップ協定への参加について、「可能なかぎり推し進めるべきだと思うが、準備や対応策をきちんとやらなければならない。今のままでは、菅総理大臣だけではなく、どの政府も命取りになるし、国民も安全策がない現状では反対だと思う」と述べました。



●「今の民主党は違う」佐藤夕子衆院議員が離党へ
(テレ朝ニュース2011/03/03 11:53) http://p.tl/68Vq

菅執行部に新たな打撃です。民主党の佐藤夕子衆院議員が、「当選した時の民主党と今の民主党は違う」と民主党を離党する考えを明らかにしました。
 民主党・佐藤夕子衆院議員:「自分が当選した時の民主党と、今の民主党と少し違うような気がして、マニフェストにはまったく書かれていなかったようなことが急に出てきたりとか…」
 佐藤議員は、名古屋市の河村たかし市長が国会議員時代に秘書を務め、2009年の総選挙で河村氏の後継として初当選しました。佐藤議員は河村氏が代表を務める減税日本に参加する考えです。民主党内には河村氏との連携を模索する動きもあり、さらに広がりを見せる可能性もあります。執行部は離党届を受理せず除籍とする方向ですが、菅総理大臣の求心力がさらに低下するのは確実です。


●河村名古屋市長の元秘書・佐藤夕子議員、民主党に離党届提出 「今の党は少し違う」
(FNNニュース2011/03/03 18:56) http://p.tl/QHov
河村 たかし名古屋市長の元秘書で民主・佐藤夕子衆議院議員は3日午後、執行部の党運営に対する不満を理由に、岡田幹事長に離党届を提出した。
河村市長は「『筋を通す人の道を貫きたい』と言うもんで、みんな喜んでますけどね」と、自らの秘書も務めた愛弟子議員の行動に喜んだ。
民主・岡田幹事長に離党届を提出したのは、佐藤夕子衆議院議員。
佐藤議員は午後、「(離党届は提出されたんですか?)提出してきました」、「わたしが当選させていただいた時の民主党と、今の民主党は少し違う。公約を守ろうと一生懸命頑張っている河村市長を支持したい」と述べた。
佐藤議員は菅政権の増税路線に反発し、これからは河村市長の地域政党「減税日本」に加わり、衆議院では、1人会派の立ち上げも視野に入れているという。
佐藤議員は「有権者の理解は得られるかと思いますか?」との質問には、答えなかった。
「16人の乱」に続く内紛に、岡田幹事長は午後、「離党願については、受理できない。離党願を撤回していただけることを期待している」と述べた。
また、枝野幸男官房長官は午前、「国民の皆さんから納得いただけるような行動ではないだろうと」と述べた。
佐藤議員と同じく秘書を務め、「河村シスターズ」とも呼ばれる田中 美絵子議員は、「大変驚いています。わたしはまったく離党する気はありません」と述べた。
今回の離党騒ぎについて政治アナリストの伊藤惇夫氏は「(今回の離党騒ぎについて?)当然、想定できるのは、小沢グループが連携、あるいは合流。(河村氏の)減税日本とかね。そのための第1段階というか、布石(となる動き)」と話した。


●民主・小沢元代表、16人の予算案採決欠席に「他人がとやかく言う筋合いではない」
(FNNニュース2011/03/03 21:47) http://p.tl/5AUc
民主党の小沢元代表は3日、東京都内で記者会見し、会派離脱を表明した16人が2011年度予算案の衆議院での採決を欠席したことについて、「自分自身で判断して行動したのだから、他人がとやかく言う筋合いではない」と述べ、理解を示した。
小沢氏は「衆院選のマニフェストの原点に戻り、それを基準にして予算であれ何であれ、自分たちの行動を律していくのは1つの考え方だ」として、16人が予算案の採決を欠席したことに理解を示した。
また、小沢氏自身が予算案の採決に賛成したことについては、「私は私の立場で、現時点では予算に賛成票を投じた」と述べた。



●予算案の参院受領日、衆参議長で異なる見解 異例の事態
(朝日新聞2011年3月3日22時30分)

 横路孝弘衆院議長は3日、西岡武夫参院議長が新年度予算案の参院受領日を「衆院を通過した1日ではなく2日」と発表したことに反論する談話を出した。予算案の参院受領日をめぐり、衆参議長の見解が分かれる異例の事態だ。

 憲法は予算案について、衆院が可決し、参院受領後、30日以内に議決しないときは自然成立すると定める。西岡氏は予算案と予算関連法案の採決が切り離され、予算案のみが参院に送られたことに反発。2日の記者会見で「すぐれて政治的な決断」として2日に受領したと発表した。

 これに対し、横路氏は談話で、参院の受領は「機械的に行われるもので、何らかの意思によって変動させることは法的安定性を害する」と反論。議長の裁量で予算の自然成立を引き延ばす余地が生じることへの懸念を念頭に「過去の事例として、参院への送付の日を起算日として期間計算が行われている」とした。「予算案と予算関連法案を一体送付するか否かは衆院の判断によるもの」とも指摘した。

 参院は2日、公報に「2日受領」を掲載する一方、衆院は「1日に参院送付」と掲載し、ホームページには参院の受領日を「1日」と明記。衆院議案課は「これまで衆院での予算案可決日が参院受領日として当然のように扱われてきた。衆参で受領日の見解が異なるのは初めて」という。


●小沢氏、造反の16議員に理解 「自分の責任で行動」
(共同通信2011/03/03) 18:59 http://p.tl/tUgo

 記者会見する民主党の小沢元代表=3日午後、東京都千代田区

 民主党の小沢一郎元代表は3日、都内で記者会見し、2011年度予算案の衆院採決に欠席した16人について「国会議員として自分自身の責任で判断して行動した。他の者がとやかく言う筋合いではない」と理解を示した。造反容認とも受け取れる発言で、執行部との亀裂はさらに深まりそうだ。

 小沢氏は造反に関して「衆院選マニフェスト(政権公約)の原点に戻り、自分たちの行動を律したというのは一つの考え方だ」とも指摘。逆に「私は菅直人首相よりも誰よりも民主党の政権を成功させたいと願っている。最近は自民党政権より良くないとの批判が多く、よろしくないと思っている」と政権批判を展開した。

 政府が6月に結論を出すとしている環太平洋連携協定(TPP)の交渉参加問題については「時間をかけて議論すべきだ。拙速にすると、菅さんうんぬんではなく、どの内閣も命取りになる。国民は知れば知るほど、貿易自由化への対応策がない現時点では、反対の可能性が強い」との見方を示した。


●佐藤夕子議員が離党届=菅政権、弱体化に拍車-小沢氏は造反に理解・民主
http://p.tl/8us5
 民主党の佐藤夕子衆院議員=愛知1区=は3日午後、国会内で岡田克也幹事長と会い、名古屋市議選(13日投開票)で河村たかし市長が率いる地域政党「減税日本」を支援するとして、離党届を提出した。佐藤氏は、消費税増税に意欲を示す菅直人首相を批判。首相にとっては、比例選出衆院議員16人の会派離脱願提出と2011年度予算案採決での造反、松木謙公前農林水産政務官の辞任に続いての打撃となった。菅政権がさらに弱体化するのは必至だ。
 岡田氏は離党届を受理せず「13日以降話し合おう」と慰留したが、佐藤氏は「気持ちは変わらない」と強調。佐藤氏はこの後、記者団に対し「首相が増税発言をして(昨年夏の)参院選で大敗した。また与謝野馨経済財政担当相を迎え、増税路線でいくのか」と述べ、消費税問題での首相の対応が離党理由の一つであることを明らかにした。
 一方、岡田氏は記者会見で「他党候補を応援すれば、単なる離党届の受理にとどまらない可能性がある」として、佐藤氏が減税日本の候補を支援すれば、処分する意向を示した。
 佐藤氏は、河村市長の衆院議員時代に秘書を務め、小沢一郎元代表を支持する衆院当選1回議員による「北辰会」のメンバー。佐藤氏は3日、記者団に自らの行動と小沢氏との関係を否定したが、小沢氏が河村市長との関係強化に意欲的なことから、民主党内では、倒閣を目指す16人と連動した動きとの見方もある。
 小沢氏は3日夕、フリー記者らでつくる「自由報道協会」主催の会見で、16人の予算案採決の欠席について「衆院選マニフェスト(政権公約)の原点に戻り、それを基準に予算であれ何であれ自分たちの行動を律していくということで、一つの考え方だ」と述べ、理解を示した。


●民主 反執行部の動きが活発化
(NHKニュース 2011年3月3日 6時5分) http://p.tl/50pY
民主党内では、菅総理大臣の政権運営に批判的な議員らが、衆議院の解散は認められないとして、新たな議員連盟を発足させるほか、両院議員総会の開催を求める署名活動を始めることを検討するなど、反執行部の動きが活発化しています。
公債特例法案など予算関連法案の成立の見通しが立っていないなかで、民主党の小沢元代表に近い山岡副代表は、「菅総理大臣が衆議院の解散に踏み切れば、民主党の大敗ははっきりしており、認められない」として、近く、新たな議員連盟を発足させることになりました。議員連盟では、政権公約=マニフェストを実現するため、財源を捻出するための具体策を検討するほか、安定した政権基盤を作るため、ほかの党との連立政権の構築も模索することにしています。民主党内では、このほか、菅政権に批判的な衆議院議員らが、「予算関連法案の成立に向けた環境整備を怠った、菅総理大臣や党執行部の責任をただす必要がある」として、今月中の両院議員総会の開催を求めて署名活動を始めることを検討するなど、反執行部の動きが活発化しています。これに対して、岡田幹事長ら執行部は、2日夜、会合を開き、国民生活を混乱させてはならないとして、予算関連法案の成立に向けて、菅総理大臣の下、結束して対応することを確認しました。


●外相 パーティー券代金返還へ
(NHKニュース2011年3月3日20時56分)http://p.tl/SAo4
前原外務大臣は記者会見し、おととしに行った政治資金パーティーで、脱税事件で摘発された男性が実質的な経営者だった企業が50万円分のパーティー券を購入していたことを明らかにしたうえで、この男性に関連する献金がさらにないかどうかを調べるとともに、道義的な観点から全額を返還する考えを示しました。
この中で前原外務大臣は、おととし4月に東京都内のホテルで行ったみずからの政治資金パーティーで、法人税の脱税事件で逮捕・起訴された男性が実質的な経営者だった企業が50万円分のパーティー券を購入していたことが分かったと述べました。また、前原外務大臣は、この企業の住所や代表者を誤って政治資金収支報告書に記載していたとして、3日、総務省に訂正を届け出たことを明らかにしました。そして、前原外務大臣は、この男性と関連があると指摘されている別の企業も50万円分のパーティー券を購入していることから、この男性に関連する献金がさらにないかどうかを調べるとともに、道義的な観点から、献金を全額を返還する考えを示しました。これについて、前原外務大臣は「結果として脱税で摘発された男性の会社から献金をもらっていたことは私の責任であり、大変申し訳ない。さまざまなご迷惑をかけたことは遺憾で、国会を含め、今後も誠心誠意、説明していきたい」と述べました。


●前原氏収支報告書めぐり首相が事情聴く
(TBSニュース2011年3月03日16:41)http://p.tl/HeBq

 政治資金収支報告書に事実と異なる記載をした前原外務大臣、3日、官邸で菅総理から事情を聴かれました。さらに、この問題は3人の現職閣僚から、みんなの党の渡辺代表にまで飛び火しました。

 3日午後、官邸を訪問した前原外務大臣。

 「ちゃんと説明をこれからもするようにということで」(前原外相)

 菅総理から、政治とカネの問題について、今後も説明するよう求められたことを明らかにしました。

 前原大臣の政治団体は、収支報告書のパーティー券の購入企業の欄に、ほぼ同じ名前の2つの会社の住所と代表者名を組み合わせた形で記載していたことが明らかになっています。2日夜、前原大臣は、「誤認による記載ミスであることが判明した。報告書の訂正は今週中に行う」というコメントを発表しました。

 <担当者が会社名をパソコン等で検索し、結果の一覧画面のひとつをそのまま記載してしまい、同名企業の記述が混在していたのに気づかなかった>

 しかし、実際のところ、どこの企業がパーティー券を購入したのかは明らかにしませんでした。3日午後、前原大臣は官邸で菅総理から事情を聴かれました。

 (Q.政治資金の話は?)
 「(菅首相に)説明はしました」(前原外相)
 (Q.進退については?)
 「ちゃんと説明をこれからもするようにということで」(前原外相)

 また、前原大臣は、自身のグループの会合でも謝罪したといいます。

 「皆さんにご心配をかけて申し訳ないと、率直におわびがあった」(グループ会合の出席議員)

 現職閣僚3人に次々と浮上した政治とカネの問題。脱税事件で有罪判決を受け、執行猶予期間中の人物が経営等に関わる会社からパーティー券の購入などを受けていたのですが、それは民主党議員だけではありませんでした。

 新たにわかったのは、みんなの党の渡辺喜美代表。収支報告書によりますと、渡辺氏が代表を務める資金管理団体「温故知新の会」は、2009年5月、前原氏らと同様、都内の経営コンサルタント会社など2社から、あわせて90万円のパーティー券の購入を受けていたのです。

 これらの会社の背景について、渡辺氏の事務所は「把握していなかった」とした上で、「適正に処理しているので問題は無いと考えるが、道義上の問題については必要あれば検討する」とコメントしています。


●前原外相、脱税関係企業から献金 全額返金を表明
(朝日新聞2011年3月3日21時15分)http://p.tl/mUNI
前原誠司外相は3日、過去に脱税事件に関与した人物の関係会社から献金を受けていたと明らかにした上で「調査して全額返金する」と話した。また、この関係会社から野田佳彦財務相と蓮舫行政刷新担当相にも献金やパーティー券代が渡っていたことを明らかにした。
 国会内での記者会見で前原氏は、2004年に法人税法違反事件で東京地検に逮捕、起訴された会社役員が関係する複数の企業から献金やパーティー券の購入があったと説明。「すべて私の責任。国民のみなさまにおわび申し上げる」と謝罪した。
 また、「事件のことを知らず、会社役員の知人を野田氏と蓮舫氏に紹介した」と話した。2人の政治団体の政治資金収支報告書によると、07年6月に野田氏側にパーティー券代40万円、蓮舫氏側に献金120万円が渡っていた。
 前原氏は、自身の政治団体の報告書に記載ミスがあった問題で、報告書を訂正したと明らかにした。09年分の報告書で、パーティー券を購入した会社の住所と代表者が誤っていた。「秘書がネットで社名を検索し、同名の別会社の住所と代表者名を確認せずにそのまま記載した」と説明した。


●前原外相報告書訂正…パーティー券購入先誤記載
(読売新聞2011年3月3日20時11分)http://p.tl/B53N
 前原外相は3日、国会内で記者会見し、自らの関係政治団体の2009年政治資金収支報告書で、パーティー券購入先に誤記載があったとして総務省に同日付で訂正を届け出たことを明らかにした。
 また、脱税事件を起こした人物が代表を務める会社から献金を受けていたとして、全額を返金する意向を示した。
 前原氏は「政治家、国会議員、閣僚として大変申し訳ない。国民、関係者に心からおわびする」と陳謝した上で、「国会議員として、閣僚としての責任をしっかり果たしていきたい」と述べ、外相を続ける考えを示した。記者会見に先立ち、首相官邸で菅首相に経緯を報告し、首相からは「しっかりと説明するように」と指示を受けたという。



●野田財務相、パー券代返金へ
(時事通信2011/03/03-01:09)http://p.tl/DIna
 野田佳彦財務相は2日夜、都内の中国料理店で開いた自らのグループの会合で、脱税事件で有罪判決を受けた男性が代表だった会社の子会社から40万円のパーティー券収入を得ていた問題に関し、「地雷を踏んだようなものだ」と不注意を認めた上で、「今、言われたら返金するしかない」との意向を示した。
 野田グループは同日の会合を、民主党の他のグループにも参加を呼び掛けて開催。小沢一郎元代表に近い「小沢ガールズ」の三宅雪子衆院議員や、菅直人首相を支持するグループに所属する議員も出席した。


●参院での予算案審議めぐり、質問時間配分で与野党折り合いつかず 3日の審議入り見送り
(FNNニュース 2011/03/03 07:25) http://p.tl/pPyv
国会は、参議院での2011年度予算案の審議をめぐり、参議院予算委員会での質問時間の配分で与野党の折り合いがつかず、3日の審議入りは見送られることとなり、野党側は反発を強めている。
参議院予算委員会での審議入りをめぐっては、与野党の理事の間で、質問時間の配分をめぐって折り合いがつかなかった。
そのため、いったんは前田予算委員長に調整を委ねる案も出たが、結局、与党側が2日の協議を打ちきって、3日の審議入りを見送った。
こうした動きに、野党側は強く反発し、自民・公明の両党は記者会見で、与党側が審議を拒否していると強く非難している。
野党側は、3日の民主党の出方を見守る姿勢だが、与野党の対立は激化している。


●前原外相 収支報告書に記載ミス
(NHKニュース 2011年3月3日 0時33分) http://p.tl/5ZgE
前原外務大臣は、おととしに行った政治資金パーティーで50万円分のパーティー券を購入した会社の住所や代表者を、政治資金収支報告書に誤って記載していたとして、関係者に謝罪するとともに、近く収支報告書を訂正するとしたコメントを出しました。
それによりますと、前原外務大臣はおととし4月、東京都内のホテルで政治資金パーティーを開きましたが、50万円分のパーティー券を購入した会社の住所や代表者の氏名を、政治団体のおととしの政治資金収支報告書に誤って記載していたということです。これについて、前原外務大臣は、パーティー券の代金として50万円を振り込んだ会社名が、手元にある名簿に見当たらなかったため、事務所の職員がインターネットで検索し、会社の住所や代表者の氏名を先方に確認しないまま、政治資金収支報告書に記載したとしています。前原外務大臣は、「ミスで記載された方に大変な迷惑をかけ、おわび申し上げます。担当者を厳重注意し、今後、このようなことがないよう、私自身がしっかりチェックしてまいります」として、近く収支報告書を訂正するとしています。



●野田・蓮舫大臣にも「政治とカネ」浮上か…
(テレ朝ニュース2011/03/03 00:00) http://p.tl/w_OP
脱税で起訴された男性が実質オーナーとみられる企業グループが野田財務大臣の政治団体のパーティー券を購入していたほか、蓮舫行政刷新担当大臣に政治献金をしていたことが明らかになりました。
 野田大臣の政治団体「野田よしひこ後援会」の2007年分の収支報告書によると、東京・千代田区の企業2社が、それぞれ40万円ずつパーティー券を購入していました。この2社は、2004年に競馬予想の情報提供会社の脱税事件で逮捕・起訴された男性が実質オーナーの会社とみられています。
 野田財務大臣:「仮に脱税をした法人や個人であるならば、それは今の職責上、適切ではないので、返還も含めて検討したい」
 また、このうちの1社は、蓮舫大臣が代表を務める民主党の支部に2007年に120万円寄付をしていました。
 蓮舫行政刷新担当大臣:「まさに『李下に冠を正さず』じゃないですけれども、道義的観点から、事務所に言って、返還するように指示したところです」



●民主・佐藤夕子議員が離党へ、減税日本を応援
(読売新聞 2011年3月3日03時07分)

 民主党の佐藤夕子衆院議員(愛知1区、当選1回)は2日、同党を離党する意向を固めた。

 近く党本部に離党届を提出する。佐藤氏は、地域政党「減税日本」を率いる河村たかし名古屋市長の元秘書で、13日投開票の名古屋市議選で、減税日本を応援するためだという。小沢一郎元代表に近い比例選出衆院議員の会派離脱の動きに続き、菅政権の求心力が一層低下するのは必至だ。関係者によると、佐藤氏は周囲に「民主党より、約束を果たす減税日本で活動したい」と漏らしていたという。


●小沢系・佐藤議員が民主党離党へ 党運営に不満
(産経新聞 2011.3.3 03:30)http://p.tl/wVp7

 民主党の佐藤夕子衆院議員(48)は2日、離党を決断した。3日に執行部に離党届を提出する。執行部の党運営に対する不満を離党の理由にしている。

 佐藤氏の離党は、小沢氏に近い衆院議員16人の会派離脱届提出、松木謙公前農水政務官の辞任に続き、菅直人首相ら民主党執行部にとって大きな打撃となりそうだ。 

 佐藤氏は小沢一郎元代表を支持する衆院当選1回生による「北辰会」のメンバーの一人。元民主党衆院議員の河村たかし名古屋市長の後継者として、平成21年8月の衆院選で愛知1区から出馬し初当選。党執行部は今年2月の名古屋市長選に河村氏の対抗馬を擁立し、岡田克也幹事長は河村氏が掲げる減税政策を批判していた。

 党関係者によると、佐藤氏は名古屋市長選での民主党執行部の対応に不満を抱いているほか、執行部が小沢氏に対し裁判確定までの「党員資格停止」処分を下したことや、菅首相が消費税率引き上げに前向きな姿勢を示していることも離党の理由に挙げている。

 佐藤氏の行動を引き金に党内から離党者が続く可能性がある。


●FD「いやらしい証拠」改ざん事件・前田被告
(読売新聞 2011年3月3日14時33分)http://p.tl/tD8m
 大阪地検特捜部の証拠品改ざん事件で、証拠隠滅罪に問われた元主任検事・前田恒彦被告(43)が最高検に供述した犯行の詳しい経緯が関係者への取材でわかった。
 郵便不正事件の構図と矛盾する証拠品のフロッピーディスク(FD)を「いやらしい証拠」と感じ、「後で被告が供述内容との違和感を覚えないようにしなければ」と考え、改ざんに及んだという。検察側は14日から始まる公判で供述に沿った主張を展開するとみられる。供述などによると、前田被告は2009年春、当時の特捜部長・大坪弘道被告(57)(犯人隠避罪で起訴)から、「何とか村木までやりたい」と厚生労働省元局長・村木厚子さん(55)(無罪確定)の立件を指示された。
 同年5月に同省元係長・上村勉被告(41)(公判中)を虚偽有印公文書作成・同行使容疑で逮捕し、自宅から問題のFDを押収した。
 ところが、FDに残された郵便料金割引制度を悪用するための偽証明書の作成日時データは検察側が描いた事件の構図よりも早い時期だった。前田被告は、「いやらしい証拠」と感じたが、士気の低下と大坪被告の逆鱗
げきりんに触れることを恐れ、報告しないまま同6月、村木さん逮捕に踏み切った。


●国後島でロシア国旗掲揚へ=与党青年団体が実効支配誇示
(時事通信2011/03/04-00:41)http://p.tl/VUFa
 【モスクワ時事】インタファクス通信は3日、ロシアの政権与党・統一ロシアの青年団体「若き親衛隊」のプロコペンコ代表が今月15日、北方領土の国後島ゴロブニノ(泊村)にロシア国旗を立てると伝えた。
 ゴロブニノは北海道に近い国後島南端に位置しており、ロシアによる北方領土の実効支配を日本に誇示する狙いとみられる。
 同団体の関係者によると、国旗はコンクリートの土台に立てられた高さ10メートルのポールに掲揚される。「クリール(千島)はロシアの領土」と書かれた横断幕も掲げられ、ロシア国歌が吹奏されるという。
 ロシアのメディアは、米司法当局に摘発され、「美人スパイ」として有名になったアンナ・チャップマンさんが「若き親衛隊」の一員として北方領土を訪問すると伝えていたが、同団体広報は3日、チャップマンさんが「個人的事情」で訪問を取りやめたことを明らかにした。

菅首相延命に動く大マスコミ報道 「政局緊迫」と煽るメディアへ重大疑問

(日刊ゲンダイ2011/3/3)

本予算は衆院を通過したが、予算関連法案の成立は絶望的――。

前代未聞の事態を受けて、大マスコミは盛んに「関連法案が通らなかった場合の混乱」を書き立てている。
子ども手当法案や特例公債法案、税制改正法案が通らないと、子ども手当が吹っ飛び、中小企業の法人税が上がる、石油石炭税もアップする、航空燃料税も優遇が切れる、とまあ、国民生活への影響を「これでもか」と強調するのだ。

もちろん、こうした混乱がなければそれに越したことはない。混乱の責任はひとえに与党の最高責任者、スッカラ菅首相にあるのだが、大新聞はそう書かない。「だから、与野党は歩み寄りを」と書くのである。朝日はきのう2日の社説で「修正こそ民意に応える道」とこう書いた。

〈この不正常な事態を解消するのは与野党双方の責任である。予算案の修正を協議し、ぜひ合意してもらいたい>

同じ日の毎日新聞はもっと露骨だ。

〈与野党は関連法案の修正と向き合わねばならない。(自民党は)修正合意を経て主張を予算に反映させる実績を残すことが「責任野党」にふさわしいのではないか>


早い話、民主党には「一致団結せよ」と迫り、自民党には「譲歩しろ」というわけだ。これには菅は「ニンマリ」だろうが、これほどおかしな話はない。
菅政権は政権交代による国民のための政治を実行しているのか、裏切っているのか。「民主党分裂」「自民公明の思惑」ばかり流す彼らの意図は国と国民のために有用なのか??


そもそも、予算関連法案が通らない事態に至ったのは、単に「ねじれ国会」のせいではない。こんなことは去年の夏から分かっていたのに、支持率がまだ高かった去年の秋からなーんにもしなかったツケである。小沢切りに血道を上げ、野党と真摯に向き合おうとせず、揚げ句が党内混乱で支持率急落。気がついたら、落ち目の政権には誰も見向きもしなくなった。絵に描いたような「バカ丸出し」である。その結果、予算が執行できないという事態に至ったのだから、普通ならば、総理辞任だ。それでも菅がしがみつくのであれば、メディアが「辞めろ」と引導を渡す。これが当たり前なのである。


◆与野党が一時的妥協したところでどうなるのか

それなのに、大マスコミの大甘報道は奇々怪々というしかない。法大教授の須藤春夫氏(メディア論)はこう言った。
「昨今の大新聞の報道姿勢には強烈な違和感を覚えますね。菅内閣が国民のための政治を行っているのであれば、いざ知らず、国民の政権交代への期待を裏切り続けているではないですか。国民が新政権に期待したことは、小泉構造改革で広がった格差是正であり、生活が第一の政治への転換です。ところが、菅政権は自民党政治に逆戻りのようなことばかりをやっている。その結果、支持率が下がり、国会運営も行き詰まった。だとしたら、メディアがやるべきことはハッキリしている。与野党にその場しのぎの妥協を促すことではなく、国民が期待した政治を実行できるリーダーの資質を論じ、交代を迫ることなのです」

大マスコミは与野党の妥協を促す理由として、国民生活への影響や総理が代わってもねじれが解消しないことなどを挙げているが、どれも説得力がない。
菅の予算案で国民生活が良くなるのか。菅は国民のための政治をやっているのか。菅を続けさせれば、どこかで与野党が合意し、ねじれが解消するのか。すべての答えが「ノー」ではないか。

予算案の衆院本会議の議決では先に民主党の会派離脱を表明した16人の衆院議員が欠席した。彼らの会派離脱の理由は「菅政権が国民の生活が第一の政治理念を守らず、国民への約束を捨て去ったから」である。「菅政権は本来の民主党政権ではない」とも言う。この主張はその通りなのに、大マスコミは彼らを「無責任」と罵倒、「権力闘争ごっこだ」と非難し、とにかく、「予算と関連法案は通せ」と言う。
ムチャクチャな論法で、その裏には怪しい思惑が見え隠れするのである。

◆大マスコミがヨタヨタの無能首相を応援するわけ
大マスコミが、誰が見ても無能な菅政権を応援するのはなぜなのか。
欠席議員16人へのエキセントリックな批判の裏には、当然、彼らが小沢系だという事情がある。大マスコミが菅に肩入れする理由の「その1」は、小沢嫌いの裏返し。アホな菅でも小沢切りだけはしてくれるという期待である。政治ジャーナリストの野上忠興氏が言う。
「大マスコミと対峙し、取材にも応じない小沢氏に対して、大メディアは“コノヤロー”と思っている。同時に、そんな小沢氏が政権中枢に復権することが恐ろしいのです。小沢氏ならば、大マスコミが持っている既得権益を容赦なくぶっ壊すかもしれない。そうした恐怖感が小沢批判報道をエスカレートさせ、その小沢氏と敵対する菅政権への応援につながっていくのでしょう」

本をただしていくと、執拗な小沢バッシングは民主党政権誕生前からだ。イチャモンのような疑惑で小沢を叩き、代表の座から引きずり降ろし、政権交代を妨害したのも既得権益を守りたいのと小沢に対する恐怖だろう。それが今も続き、スッカラ菅へのエールになる。身勝手極まりない話だが、他にも裏の思惑「その2」がある。
「菅政権は鳩山政権と違って、日米同盟を重視し、消費税増税を打ち出し、TPPにも積極姿勢を見せる。これらのことは沖縄県には負担をかけ、庶民の暮らしにはマイナスになる。誰が得するのかというと、財界、大企業です。そこから広告を得ているのが大マスコミ。だから、菅政権になびくのです。その証拠に菅政権に対して甘いのは大手メディアだけですよ。大企業の広告なんか入らない地方紙は手厳しい。TPPにも批判的なところばかりです。大マスコミだけが国民と違う方を向いている。こんなことを続けて信頼を得られるのか。一時的な利益のために本質を見失うと、自分で自分の首を絞める結果になると思います」(須藤春夫氏=前出)

◆消費税とTPPだけ菅にやらせて大連立か?

もっと腹黒い魂胆、「その3」も見え隠れする。自民党議員は平然と菅批判をやりながら、「でも、嫌われ者の菅さんに消費税増税とTPPはやって欲しいな」などと言う。自分たちがやりたくないからだ。大マスコミも同じ思惑で、面倒くさいことは菅にやらせて、その後は自分たちと長年なれ合ってきた自民党政権に戻す。あるいは大連立でもいい。こうした魂胆があるからこそ、今すぐ、「菅辞めろ!」とは言わないわけだ。

そのために無能政権が長引き、国民不在の亡国政治をやられる国民はたまったもんじゃないが、大マスコミは平気だ。「偽りの二大政党」の著者で政治解説者の篠原文也氏はこう言う。
「新聞は与野党協議を呼びかける理由として、国民生活の混乱を挙げますが、妥協が成立したところで根本的な解決にはなりません。ここ数年の政治の混迷は、ねじれ国会という現象面の理由だけでなく、政治に対応力がなくなってしまったことにあるのです。自民党は耐用年数が切れ、民主党は賞味期限が切れてしまった。こんな2党が予算で妥協してもその場しのぎにしかなりません。メディアの役割は、政界再編も含めた大変革を促し、根本解決ができる政治体制を求めることです」

身勝手なメディアが自分勝手な思惑で菅を応援し、いい気になった無能首相が権力にしがみつく。うなされるような悪夢が現実になりつつあるのだから恐ろしい。




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《第4回》陸山会事件公判傍聴記 ── なぜ、池田元秘書は調書にサインしてしまったのか。なぜ、心が折れてしまったのか

(THE JOURNAL 2011年3月 2日 20:27)http://p.tl/aF00

2月25日晴れ。第4回公判は検察側による石川知裕議員への反対尋問と、池田光智元秘書への弁護側の尋問が行われた。



10時開廷。石川氏に対する検察側の反対尋問からはじまる。昨日の石川氏はかなり緊張した様子で、質問と答えが合っていないこともあったが、今日はしっかりと声が出ている。2日目で法廷の証言に慣れてきたのかもしれない。以下、午前中に行われた石川氏への反対尋問の主なやりとり。
(──は検事、「 」内は石川氏の発言)

※以下の概要は傍聴人のメモから主要部分のみを抜粋して再構成したものです。


■調書の任意性について


昨日から引き続き、争点となっている調書の任意性について検察側が質問を重ねる。まず、石川氏がサインした調書の中で、赤字で石川氏自身が訂正した調書が証拠として提示される。

── 調書について訂正申し立てをしたことがありましたね。(調書を指しながら)この下に手書き部分がありますが、あなたの字ですか?

「私の字です」

── これはあなたが訂正したものですか?

「検事さんは、私の意見が通って調書が訂正されていることを示したいのだと思いますが、これは(取り調べ時に検事が)『さすがにこれは無理か』と言われて訂正したものですので、たしかに私が訂正したものですが、そういう経緯だけはご説明させてください」

と強く語る。石川氏の発言にあるように、検事は「赤字の訂正=石川氏の意向は調書に正しく反映されている」と示したいようだが、検事の攻めはあまりうまくいっていない。


■2004年10月の土地取引に至るまでの経緯


問題となっている2004年10月の土地取引の経緯について、検事から繰り返し質問がくる。石川氏は質問に対して慎重に答える。途中、回答が長くなりがちな石川氏に、検事が具体的な事実についてできるだけ「はい」か「いいえ」で答えるよう求めるが、思わず「そうやって検事に言われて、調書取られましたので」と弁明する石川氏。法廷に少しだけ笑いがおこる。

以下、石川氏の主張。

(4億の資金を複数回に分けて入金したことについて)

「一度に4億円を入金すると、当時問題となっていたマネーロンダリングを疑われて、いろいろ聞かれたらわずらわしいと思った。5000万円程度なら、片手にカバンを持っても1回で運べると思って、分散して(複数回にわけて)入金した」

(本登記を翌年の1月4日にするよう不動産会社に言ったのは誰か)

「不動産会社とのやりとりは大久保さんが行っていたので、私が大久保さんに頼んで、不動産会社に打診してもらった」

(本登記を遅らせた理由である2005年の民主党代表選について)

「2004年10月当時、郵政解散があって自民党が勝てば、当時の岡田代表が辞任して、臨時の代表選が行われる可能性があった。次の定期の代表選は2006年10月だったが、岡田さんの前に代表をしていた鳩山さんも菅さんも途中で辞任していたこともあり、臨時の代表選もありうると思った」

(預金担保融資について大久保氏に相談したか)

「していない」

(収支報告書に本登記の日に支出したことについて)

「本登記が正式な取得日だと司法書士にいわれたから」


以上で午前の部は終了。石川氏は検事の問いに一つ一つ慎重に答えているのが印象的だった。




続いて午後の部。池田光智元秘書が証言台に立ち、弁護側の質問を受ける。池田氏の証言については、報道では「4億円の認識食い違い 陸山会事件公判で元秘書側」(共同)とも書かれていたが、池田氏の主張では、石川氏が小沢事務所を離れた直後に北海道で衆院選に立候補したため、引き継ぎ不十分だったとのこと。

そのほか、石川氏の後に会計担当となった池田氏も、石川氏と同じく大久保氏へ会計報告していたことを否定。検察側が主張する虚偽記載の共謀も否定した。

問題は、なぜ大久保氏への報告の事実がないにもかかわらず、事情聴取ではそのように答えてしまったのかだ。そのやり取りを一問一答形式で紹介する。
(── は弁護人、「 」内は池田氏の発言)


■1月14日の逮捕直後に大久保氏の関与を否定していたのに、調書をサインするにいたるまで


── 12月の任意の事情聴取では大久保氏の関与を認めていたのに、逮捕後に否認に転じた理由はなぜですか

「大久保さんは収支報告書の作成に関係なく、報告もしていないのですが、(池田氏が2010年1月に逮捕される前に12月に任意で行われた)事情聴取の際に『報告した』ということで逮捕されたのであれば、それは真実でないので否認しました」

── その後、検事はどのように言いましたか

「今までの供述を維持しろと言いました」

── 弁護人については何か言われましたか

「弁護人の言うことを聞いているとロクなことにはならないと言われました」

── 蜂須賀検事の取り調べはどのようなものでしたか

「『可能性を否定することは、ウソを言っていることになる』と言われました。私が『100%言い切れない』と言うと、可能性の話が事実として断定された話になっていました」

── あいまいな記憶のとき、どう思いましたか?

「『あなたに記憶がないのに付き合ってられない。あなたの記憶を埋めることが私の仕事だ』と言われました」

── 小沢氏への(不記載についての)報告は

「報告したことはないと思います」

── ではなぜ、小沢氏に報告したような調書になっているのですか

「小沢さんと一緒にいたのに報告しないのは不自然だと言われ、具体的に報告したかのような調書ができました」

── びっくりしませんでしたか?

「びっくりしました」

── 訂正の申し入れはしなかったのですか?

「訂正は何度も言いましたが、可能性の話を蒸し返されて、聞き入れてくれませんでした。後で記憶がはっきりしたら訂正すると言われましたが、訂正されることはありませんでした」

── 検事が交代した後も申し入れましたか?

「花崎検事にも言いました」

── 2011年1月に逮捕されたとき、大久保さんの関与は否定したのですか

「私のミスであれば責任を取りますが、大久保さんは関係なく、自分の供述で逮捕されたのであれば申しわけなく思い、否認しました」

── それで花崎検事にはどういわれましたか

「花崎検事には『蜂須賀が正しい。(逮捕前の2009年12月の)供述を維持しろ』と言われました」

── 大声をあげられたことはありますか?

「『担当官が変わったので供述が変わるのか。俺をナメてるのか』と怒鳴られました」

── 28日には調書のサインを拒否しているが、29日にはサインしているが

「28日は拒否したが、29日には心が折れてしまいました」

── 29日の検事の様子は

「前日までは厳しかったのですが、29日はかまえるような感じで『認めろ』と迫られました」

── 他の人の調書について聞かれたことはありませんでしたか

「『大久保も(池田氏が大久保氏に報告したことを)認めている。石川も小沢に報告したと話している』と言われました」

── それを聞いてどう思いましたか

「他の人と同じように認めろという意味だと思いました。大久保さんは私をかばうためにそういう供述をしているのなら、大久保さんに甘えていいのかなとも思いました。(自分だけが否定することで)他の人に迷惑がかかることを気にしていたので、サインしました」



【追記】
以上が第4回の概要。前回の傍聴記の最後に「前半戦のまとめを書く」と言ってしまいましたが、第5回公判で大久保氏が重要な証言をしたので、今回も概要のみとしました。第5回公判では、大久保氏が前田検事の取り調べの様子を語ります。近日中にアップします。