嫌われる勇気 | ママが幸せだと、世界が平和になる

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振り返ってみると、私は小さい頃から、「人に嫌われたくない」と思っていて、ずっと「人に嫌われないように」振る舞っていました。


なんでこういうことを振り返ることになったのかというと、

いつも人にペースを合わせ、人の気持ちを敏感に感じ取り、「どう思われているか」という考えにつきまとわれ、何度気疲れをしたことか、計り知れなくあります。

もちろん、成長と共に、自分のそういうところに気付いて、徐々になくそうとはしていました。

「そんなのどこまでも気にしたってきりがない。だから気にしないようにしよう」と気にする心を気にしないようにする、ある意味、矛盾の循環が始まっていました。

ある人の話、人には誰しも「自分ルール」というものをいつの間にか無意識に作ってしまい、その「ルール」で自分自身の考え方や行動を縛り付けてしまったり、周りの人にもその「ルール」で見たり判断してしまったりするそうです。

人間生まれた時はまっさらな状態で素直そのままなんだけど、たいがい小さい時に家族や周りの人達、学校や教育などで、「○○しなくてはならない」「○○であるべきだ」「○○をしてはダメだ」などと、知らず知らずに植え付けられている決まりやルールができちゃうとのこと。

確かにそうかもしれない。

丁度二年前くらいにも、

「周りの人(特に家族や兄弟)から言われた言葉で、『自分は○○な人間なんだ』という思い込みが始まる事が多い。本当はもっと可能性や能力があるのに、『自分はこの程度の人間だ』と思ってしまうことがある」

と、だいたいその様な内容の本を読み、「ああ、確かにそうかもなあ」と思い、自分のことを思い出して、いくつかその時に外すことができた思い込みもありました。

そしてつい最近、また「自分ルール」について話してくれた方が居て、

その外し方も教えて下さいました。

やはり、まずは、その感情を感じ切ってあげることだそうです。ふたをしてしまうと、見て見ぬ振りになるから、まずちゃんと向き合ってあげる事。

そして、「自分はいつからそんなルールを作り始めたのかな?」という問いかけをし、思い出してみる。

そうすると、その時の様子や、その時の言葉、風景などがよみがえってきます。

これは私の持論ですが、対外の人は、その人を「ルールでしばりつけちゃえ」と思って言った言葉やとった行動ではないと思うのです。

その時の状況ではそうだったかもしれない。でも、聞いた自分が、勝手に決定付けてしまっているのだな、と。

だから、周りの家族や兄弟を責めているのでは決してないし、逆に、自分の言葉や行動が周りの人の「自分ルール」に影響していることも多いと思います。

特に今3人の子育て中なので、自分の言葉や行動がこの子達になるべく変なルール付けをしないようにとある意味ドキドキしてます。でも、今その事を知れて良かったなあと心から思っています。まず自分自身がちょっとずつでもルールをほどいてあげたら、自然と周りにもルールを押し付けず済むかな、と。

さて、私はどうも話し始める(書き始める)と止まらないそうです。(笑)

話に戻りますが、いつから先ほど言った「人に嫌われてはいけない」という自分ルールを持ち出したのかはまだはっきりとは思い出せてません(時間が取れる時にまたゆっくりじっくり向き合ってあげたいと思っています)。

けど、ここ最近、ちょっとずつ、「嫌われる事に対して平気になってきている」なあとは思います。

以前だと、自分から嫌うことは余り無かったというか、そんな人は余り近寄らなかったのか、どんな人でも好きになろうと意識していたのかも知れません。なので、一人とでもトラブル起こしたりしたら、四六時中そのことばっかり気になり、居ても立っても居られず、その人に謝罪したり、フォロー(のつもり)をしたり、それが出来ない時は、ずっともんもんと悩んでいた私でした。

いつまでだったでしょうか。10年程前までかな。いや、つい最近までもあるかな、そんなこと。

でも「嫌われる勇気」について最初に参考になったのが、実は私のパートナーです。

彼は、興味のある人や事柄は自分からとことん追求し、興味の無いことや人は一切見向きもしない、という極端人間なんです、私からすると。

最初は、そんな姿を見て、「どひゃーーー?!この人なに??理解不能!!」と思っていましたが、、、

そんな彼の姿を見て、「気楽だな~」「好きな事どんどんやれて良いな~」と段々うらやましくなってきました。

そしてある日私の思考パターン(人に合わせること)を伝えたら、「え????!!!そんな事考えてるの?!そりゃあ疲れるわ~」と逆に言われ、

その時、「そうかあ、自分の考えってなかなか人に打ち明ける機会ってないから、『みんなも普通に同じような考えを持ってるでしょう』と自分で勝手に思い込んでいたんだな」ということを知りました。

最初は、本当に勇気が要るし、怖かったけど、ちょっとずつ、「人とのトラブル」が起きた時には、慌てず、自分が反逆したい気持ちが出てくるのをまず自分の中で出してあげて、もう一度そのトラブルを見つめてみて、自分が改める必要があるところは無いかを確認すると、案外、「ああ、確かにな、今の自分のこの行動は相手に取っては嫌だよな」とかを冷静に見れたりするんですよね。そして、改めるところは改めるし、謝るところは謝るし、けどそこで関係が例えば切れたとしても、「大丈夫」。


最初はもちろんなかなかできなかったし、私の「師」であるパートナー(旦那)に「こんな時あなたならどうする?今こんなことあったけど、どう思う?」とかちょくちょく聞いてたし、自分に「大丈夫、大丈夫」と言い聞かせる事だってあるし。

けど、最近は、そんなことが起きた時には、まず洗い出す。「What? Where? Who?」に基づいて、誰が何をどこでやったか、ということだけを出してみて、「じゃあどうするか」、ということを出せば、意外とそんな難しいことが起きているわけじゃないんだな、ということが分かってきました。

今までは、そりゃまあ、ぐっちゃぐちゃでしたよ。

慌てるし、とりあえず謝るし(なんだかよくわからないのに)、へこむし、自分責めるし、→どんどん自分嫌いのループに入ってしまうんですよ。そしてそんな自分は嫌いだけど、自分は可愛いから(矛盾してるでしょ?)相手を悪者にしちゃうんですよ。

何だか書いているうちに、自分最低人間だったな、と思えてきた、、、、笑

けど、そこから抜け出せた今だからそう言えるんでしょうね。

「どんなに周りから嫌われても、自分自身だけは自分の見方だよ」と言ってあげたいですね。

今までは、自分のことを信じてあげられなかった。自分のこと本当の意味で受け止めてあげれなかった。なのに人を信じたり、人のことを受け止めようとしても、そりゃできないわけですね。

上っ面な謝り、でも根っこではあまり納得していない、よく分かっていない。

今は、どんなに批判されても、自分自身が受け止めてくれる「安心感」が前よりはある。

だから嫌われても良い。

自分を自分らしく生きてあげたい。。。。


長くなりましたが、今日は以上です。

thank you for your attention.

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