鑑定士新の悩みのない自分に変身!

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急性リンパ性白血病治療日記
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受験が終わりました!

結果は意外にも第一志望合格です。

勝利の女神に微笑んでもらえたようです。

今の気分はすこしふわふわしています、自分が努力して目標を達成した、ということが僕の人生では0に等しかったので。

 

いつも努力している誰かの外から見ているような気分でいました。

全身の筋肉から力が抜けて、どう立っているのか、なぜ立っているのか定まらないまま誰かがどうにかしてくれるだろう、そんな高い目標なんてないとこころで思って、努力しないことの理論武装を組み立てていました。

 

挫折するのが怖かったのです。

期待して、盛り上がって、気分の上昇気流に乗せられて、そこから落とされることが怖かった。

挫折して落っこちて「お前は何もなかったんだぞ」と言われるよりは、自分で天井を決めて期待しないでいることのほうが楽だった。

泥の中を這いずり回る勇気もないくせにいつも濁流に飲み込まれているような気分でいる。

何一つとして自分から掴んだものがないくせに、心から人生に疲れたような顔をしていた。

泥の中にいたのではなく、自分自身が泥であるということに気づかないでいて。

嫉妬や憎しみにまみれて、いろんなものを乗り越えたフリをしながら、どこかで一歩も進んでないことに恐怖を感じていた。

 

いつからかそんな風に時間が流れていたから、いざ自分で決めて歩いてみると本当に難しくて。

悩んだり八つ当たりしたり、焦って何もできなくなったり、そんな赤子のような速度でやっとここまできました。

だからいざ「自分が頑張った証」をもらうと、果たして本当にこれは自分がもらっていいものなのか、何かの間違いじゃないかな…って飲み込めないでいます。

不幸でいるのはある種楽だったから、噛み締めすぎて味のしないガムのような不幸を口から吐き出せてないのです。

 

でも、幸せになる勇気を持たなきゃなと思います。

0.8点。

僕と合格最低点の違いはたったこれだけです。

0.8点、僕より低かったから落ちた名前も知らない誰かがいるのです。

きっと真面目な高校生だったかもしれないし、僕と同じように浪人していた人かもしれない、僕より頑張っていた人だったかもしれない。

そういう人たちを蹴落として、高校時代からずっと遊んでたボンクラがそこに行くのです。

もうかわいそうな自分ではいられないでしょう。

 

きっとこれまで通り愚痴も多いし、些細なことで10の恨みを持つ人間性が変わることはないけれど、自分は少なくとも世界で一番不幸じゃないんだぞという気持ちだけは持たなきゃいけないなと思って、この受験生活を終わらせます。

 

応援してくれた皆さん。

本当にありがとうございました。

頂いたお守り全部筆箱に入れてパンッパン状態で試験に挑みました。

6畳一間より狭い空間に神様の祝福を詰め込んだのもきっと良かったのだと感謝しております。

ありがとうございました!!!。

 

受験が終わったらもう友達ができるかどうかの不安が芽生えた新より

 

画像の貼り方わからん!華がなくて申し訳ない!

 

天気の子がとてもよかったので感想をここに詰めます…。

ネタバレかも。

 

 

 

 

「オトナ」と「コドモ」

「人」と「自然」といった…セカイを区切る言葉が多く使われていたように感じました。

どちらも昔、そして未来にはいる世界です。

オトナとコドモ、何がそんなに違うのか。

言うまでもなく、本当にセカイが違うような錯覚さえするほど…今のオトナが背負う世界は大きく淀んだ場所にいる人間には光など見えないほどに重いものなのだと思います。

大切なものができて、失っていくたびに歩き出せなくなるような…そんな象徴のような人物も出てきます。

ではコドモは、なにがそんなに違うのか。

古くからコドモは「神様からの授かりもの」なんて言葉が使われるほど神秘的で、無垢なものと認識されています。

(実際劇中では白い服を着ていることが多かったような気がする。)

何にも染まっていない、オトナの汚い世界も辛いことも彼らには関係ないから強いのです。

実際物語冒頭から、主人公たちの周りには嫌な事件の描写も嫌な情報も蔓延っています。

 

子供の理屈を大真面目に法律や世間を後ろに背負うオトナにぶつけて、大人ぶって自分たちだけが孤独のように感じながら、必死で逃げ回って、それでも…!とあがき続ける。

泥だらけで傷だらけでみっともなくて恥ずかしい。

そんな、僕には輝いて見えるほどの力強さと、どこかに置いてきた生きるということの美しさをたしかに彼らは持っていたのです。

だからオトナとコドモの狭間にいる僕は心動かされたし、彼らに影響されるオトナもいたのです。

 

主題歌の「愛にできることはまだあるかい」にも注目するとまた面白く感じました。

コドモが軸の作品なのに、どうして“愛”なんだろうか、と映画を観終わって気づきました。

初恋なんて言葉があるように、コドモは恋、オトナは愛と僕の中ではそういう風に分けられているイメージがあったから。

きっと、今のオトナには愛する、ということは出来なくなっているのではないでしょうか。

少なくとも小さな頃に無邪気に発していたような不変の気持ちは、もう持てないように感じます(家族愛なんかは別として)。

それは昔よりも視野、目の届く範囲が広がって自分の意思が揺らぐような言葉を見つけやすくなっているからなのかも。

そう考えると主題歌の“愛”はコドモの語る不変で、お伽話のような現実離れしたものなのだとわかります。

主人公たちの気持ちはそんなもので、視野を広げて仕舞えば吹いて飛ぶような地に足ついていないもの、だからこそオトナではできない事を成せる。

秒速の、変に大人びて心を殺せる彼ではいけなかった。

言の葉の庭の子のようなこころで、君の名はの瀧くんのような必死さで…社会や空というかたちなきものに向かっていける。

そんな彼らをみてオトナでいることに慣れたり、嫌気がさしていたキャラクターたちがコドモに戻っていく。

世間も恥も未来も、全部頭から離れて…。

 

どこか生活に息苦しさを抱えているような人にこそ、この映画は観てほしいなって思いました。100てん!

 

 

 

書きたいことが多すぎると纏まらないとはこのことだなってくらいすごいことになってしまった…反省。

どちらかというとオタクで、現代に生きる僕が。

アニメや漫画、または映画で伝えられることもあるだろうと、これを記します。

というか酸欠になるレベルで泣いたので観てほしい、そして感想を聞かせてほしい。

 

「Violet Evergarden」

 

一言で言うとアニメ版フォレスト・ガンプ。

 

「かなしい」「さみしい」「いとしい」「たのしい」「あいしてる」

僕たちが当たり前に手に入れて、当たり前に感じて、ときには煩わしいとも言えるそのこころの色を、白紙の少女と共に追体験させてくれるようなアニメです。

 

人が亡くなるということ。

誰かに遺されて、誰かを遺して旅立ってしまうということ。

そんな一つ一つの誰かのこころを美しい世界が彩り、彩り…卒業式でもみんなが泣ける!ってとこでもあまり泣けない僕を号泣させました。

少なくとも四季の移り変わりの描写だけで声を出して泣いてしまったのは本当に初めての経験でした。

 

人を疑うことも、貶めようともしないフォレストのこころに写されて、ジェニーが泣き、中尉が心から救われたように。

彼女のこころもまた、登場人物、そして観ている僕らのこころを動かしてくれます。

 

「君は自分がしてきたことで、どんどん体に火がついて燃え上がっていることに気づいてない。」

 

「いつか俺の言ったことがわかる時が来る。そしてはじめて、自分がたくさん火傷していることに気づくんだ。」

 

人に会い、こころに触れて、人は変わっていく。

むき出しの愛情を、むき出しの悪意を、こころの中を…書き写していく。

泣けなくなって、自分の大切な何かが剥がれ落ちてしまいそうなら。

単純に興味を持ってくれたでもいいし、寝る前に毎日1話ずつでもいいので…。

 

「Violet Evergarden」

 

 

「Violet Evergarden」

 

せかいをかえる、こころ咲く庭

「Violet Evergarden」

 

観てください。

 

 

さいごのはねつぞーです。

ぼくがつくりました。