NHK大河ドラマ『真田丸』が相変わらず高い視聴率を叩きだしています。
そのタイトルバックには、一糸乱れぬ隊列を組み、赤備えで敵へ攻めかかる真田幸村(信繁)の映像が流れています。
真田というと、六文銭の家紋とともに、赤(朱・丹)で統一した軍装(赤備え)で有名です。
それでは、本当に真田隊は赤備えだったのでしょうか。
また、赤備えのルーツとは――。
今回は、赤備えの謎に迫ろうと思います。
まず、幸村の父・昌幸の時代に、真田隊が赤備えだった事実は、残念ながら、史料で確認できません。
ビジュアル的に確認できるのは慶長一九年(1614)の大坂冬の陣。
一二月四日に、徳川方と豊臣方が激戦を繰り広げた真田丸を巡る攻防です。
ご承知のとおり、幸村は大坂城の南に真田丸と呼ばれる出丸を築き、徳川方の猛攻を防いで男をあげました。
『大坂冬の陣図屏風』には真田丸を取り囲む塀に沿い、幟や吹貫(吹流し)、四半旗が赤で統一され、兵たちも赤の頭形兜や赤皮包の二枚胴具足を着し、真田丸全体が赤備えであったように描かれています。
しかも、この屏風の原画は大坂ノ役からそう離れていない年代に描かれたとされ、史料的価値が高いことで知られています。
やはり、冬の陣で真田丸全体が、赤備えで赤く染まっていたのでしょうか。
筆者はやや疑問を持っています。
(つづく)
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