吃音で自分の名前が言えなかった僕がMCになるまで2. | アクロバットパフォーマーの9割が勇気。

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:27歳で方向転換



27歳まで舞台で芝居をしていましたが心の限界を迎えました。

その年を境にアクロバットパフォーマーとしてステージに立つ事にしました。


ここからは喋る必要はない。

2度と喋るか!!!!



と安心していましたが、そんなわけもなく演出しなくちゃいけなかったり後輩に教えたり


事務所に説明しなくてはいけなかったりと

自分自身に役作りができない分話す事が厳しいことがたくさんありました。



こりゃ失敗か‥‥?と思いましたが

これも喋ることよりも内容を重視して、たっぷり間を取ってゆっくり話すようにすると



説得力が増し人が話を聞いてくれるようになりました。



そして31歳の時MCを任されたある舞台でのお客さんの数は1400人。

プロデューサーから言われた言葉は



“盛り上げろ!”




たったこれだけの指示でやらなくてはいけなくなりました。

当然毎回冷や汗もの。

正直自分が吃ることなど考えてる暇なんてありませんでした。


どうするべきか‥‥



どうやって1000人以上の人間を盛り上げるかを考えました。



どの声のキーでがどんな内容でを考え


出番の前はブツブツと練習をして本番に挑みました。



喉を枯らした時もあります。(とてつもなく叫ぶショーだったので‥‥)



それでも人にどう喜んでもらうかと言うことを考え喋り続けました。



10ヶ月間その舞台をやり遂げ次に巡り合った仕事はコメディショーで自分一人が喋り笑いを取ると言う役。



喋るだけでも困難なのに笑いを取るって‥‥

笑いは間がとてつもなく大切。



自分の喋りの間も掴めないのに空気の間を読んで言葉を発するなんて‥‥



毎日毎日心臓を握り潰される思いで人に笑ってもらうためだけに約1年間やりました。


吃ったらどうしようと思った時は必ず吃りました。




人にどうやって笑ってもらおう。楽しんでもらおうと思えば吃りにくい。




吃音の症状は人それぞれあって人によって違います。



人と話すときは話せるけど本読みは出来ない

とか


数人の前だと吃るけど数えられないくらい人数の前だと喋れる

など。



僕自身は連発、信発、難発と呼ばれる症状がありました。



【連発】
言葉が何度も連発して出る症状

【伸発】
次の言葉が出ず言葉を伸ばしてしまう症状

【難発】
喉で詰まってしまい言葉自体出ない症状


僕が話すたびに周りはザワザワしていました。

吃音者は誰よりも言葉について表現する使命があるように思っています。

悩んでるからこそ人に伝えることが出来るんです。

コンプレックスに立ち向かうのは容易ではありません。



しかし何年経っても吃音が目の前に立ちはだかる壁だとするならば立ち向かうべきものなのかもしれません。



僕は吃音がたくさんのきっかけをもらいました。



治ったとさえ思いました。



ボロボロになりながら立ち向かったからです。



吃りにくい方法を自分なりに見つけたからです。



しかし本音で言うと克服はしていません。

いつでも話すことへの不安や恐怖はあります。



それでも言葉を使う役割が自分なのであればおそらく疑うことなく自分なんです。

これからもおそらく喋っていきます。



それが使命だと感じているからです。



おそらく読んで下さっているあなたもその一人です。



自分の自信がもてないと思っている時に吃音や悩んでいることが行動のきっかけを与えてくれようとしているのかもしれません。


奥村睦巳

オクムラアツシ

1986年11月20日
徳島県出身
男子新体操国体出場経験
幼少期からの吃音を治すために上京し声優を目指す
舞台役者を経てアクロバットパフォーマーへと転身

東京ディズニーリゾートスタント出演
フエルサ・ブルータWA パフォーマー出演
コミック道場TeeFamily in 沖縄
ザ・ハウス・オブ・ダンシング・ウォーターアクロダンサー出演 in マカオ