朝起きて、テントの中から顔を出すと、昨日案内してくれた人達が部屋に来ていました。時間はまだ朝の6時です。
「koshiに今日の朝何時に出発するか、昨日聞いてなかったから、早めに来ちゃったよ」
そう言って、チャイを持ってきてくれました。
彼らと寺院にいる人達にしっかりとお礼を言った後、出発しました。
彼らには本当お世話になりました、ありがとうございました!
これはイランでもあったことですが、インドの場合は
並走→「どこから来た?」→「写真一緒に撮ってくれ」→止まって写真取る→「Bye!」
の一連の流れなので、いちいち写真を撮るために止まらなくてはなりません、これがすごく面倒くさいです。
そして走っていると、三人乗りのバイクが近づいてきます。
「またかぁ...」と内心思っていると、「次のチャイ屋でチャイパーティーするぞーー!」と横から叫ばれ、僕を抜き去って行きました。
たまにからかってくる人もいるので、この人たちもそうだろうと思い、普通に走り続けました。なんだチャイパーティーって。
そしてチャイをわんこ蕎麦状態で7.8杯飲まされました。チャイパーティー舐めてました。
その後走り続けると、左側に山が。
この山は仏陀が悟りを開く前に6年間断食の修行をした前正覚山です。
ここで辛い修行をしても悟りを開けない無意味さを悟った仏陀は、川を渡り、対岸の現在のブッダガヤにたどり着き、菩提樹の下で悟りを開くに至りました。
ちなみにブッダガヤという地名もブッダからとっているらしいです。
この山の観光には明日来ましょう
その後、宿に到着し、チェックインしようとすると、オーナーに「まぁ、先にシャワーでも浴びてゆっくりしてきなよ」と言われ、親切なオーナーもいるものだなぁと思い、部屋のシャワー室に向かいました。
そして、ふとに鏡に目をやると、鏡の前に立っていたのは、顔が汚れで真っ黒になっている浮浪者でした。
ネパールから4日間、シャワーを浴びれていなかったのですが、それはスペインでも体験していることで大丈夫だと思っていました。
しかし、インドは車の排気ガスなどがすごすぎて、顔がとんでもないことになっていました。
あまりに汚すぎて、チェックインよりシャワーが先だ、という決断を下したオーナーの心中、お察ししました。
シャワーで体を流すと、「あっ、体から墨汁って出るんだ」ってなりました。
次の日はオーナーのバイクに二人乗りして、ブッダガヤの周辺を案内してもらいました。
上の木は、仏陀が山で6年間修行した後に、山から降りてきて嵐に会い、この木の窪みの中で雨宿りをしたと言われているらしいです。
日本語が喋れるインド人ガイドさんは皆「トトロの木」って呼んでるらしいです、そこは「ブッダの木」だろって思いました。
昨日遠くから見た、仏陀が断食修行をした山、前正覚山へ
勾配が急な山道が続きます
山の上には洞窟があり、この中で仏陀は断食の修行を行っていたらしいです。今は11月ですが外の気温は33度、洞窟内はとても暑く、40度弱はあるかと思われました。
こんな厳しい環境下での6年間に渡る断食修行、尋常ではない苦しみを伴ったということが容易に想像できます。
仏陀が「こんな修行、無意味じゃん」と嫌になった気持ちも理解できました。
続いて向かったのはスジャータ村
断食修行を止め、山から降りてきた仏陀は近くの村の娘スジャータに乳粥を恵んでもらい命拾いしました。そして心身ともに回復し、近くのブッダガヤの菩提樹の下にて悟りを開きます。
上の画像はスジャータが仏陀に乳粥を差し出している場面です。
日本の乳製品会社のスジャータって、ここから名前を貰ったのですね。
当時、断食修行を途中で止め、乳粥を口にした仏陀は、他の修行者から非難を受けたらしく、気まずくなってここの井戸の中で瞑想を続けたらしいです。
苦行は無意味と、修行を止めた仏陀は、当時は相当異端視されたことが伺えます。
次はブッダガヤに戻り、マハーボディ寺院に来ました。
ブッダはこの菩提樹の下で瞑想し、悟りを開きました。後にこの場所は、インドの国教に仏教を定めたアショーカ王によって神聖視され、今の寺院の原形が建てられました。
ちなみにこの寺院は『西遊記』で有名な玄奘(三蔵法師のモデル)の旅の最大の目的地でもあります。
僕が行った時は、カンボジアからの信徒の方々がたくさんいました。
そして宿に戻った後は、僕が教師志望であることを知ったオーナーの紹介で、学校を経営していらっしゃるイスラムさんに施設を見学させていただけることになりました。
彼の家は孤児院としても開放しているらしく、多くの子供達が暮らしていました。
インドでは初等教育において30%の生徒が中退するといわれていて、特に農村部では教育の必要性が感じず、また労働力の必確保のためから、特にその傾向が顕著であるらしいです。
「憲法では禁止されたが、地方においては未だにカースト制度の影響は色濃く残っている。そのしがらみから逃れるには教育しかないんだ。」
自身も孤児院の出身であられるイスラムさんはそう語っていました。
カーストの低い家庭は収入も少ない、そして収入を得るために子供にも教育よりも労働を強い、子供の出世の機会も失われる。それが今のインドの教育格差の現状らしいです。
学校や孤児院に来る生徒は、すべてイスラムさんやスタッフが直接貧しい農村を渡り歩き、親を説得して通学させているのだとか。
日本にも教育格差は存在していますが、やはりインドの状況とは比較できません。
食後に、部屋を覗くと、子供達が宿題や自習に取り組んでいました。
「彼らはね、本来は学校に来れなかった子達。だからその分勉強が出来ていることに喜びを感じてる子も多いのだよ」
イスラムさんはそう言いました。
日本にいると、学校で勉強することが当たり前、むしろ強いられてような状態が多く、僕自身も小学校から高校までずっと勉強が嫌いでした。
しかし、ここでは違いました。
学校にはそもそも貧乏で行けない、また、勉強をして学校を出ないと、一生親のような貧乏、差別された生活を送っていくことになる。
だから学校で勉強したい
自分の部屋で必死に勉強する子供達の背中からは、そんな気持ちがひしひしと伝わってきました。
勉強に対して、ハングリー精神を持って学ぶ姿勢、僕も見習わなくてはならないなと思いました。
子供達の姿をみて考えさせられた1日となりました。
164日目 125km