『使う言葉』が『あなた自身の思考・価値観』をプログラミングする | 永遠のホリデー(^O^)/

永遠のホリデー(^O^)/

おへちょWEBデザイナー、元ソーシャルゲーム企画運営
おすすめアプリ・WEBサービス・フリーソフト・ガジェットなどの紹介
IT系のちょっとした小技・テクニック
心理・精神(スピリチュアル)に関しての考察コラム
夢日記、ハーブや野菜などの園芸記録など

プログラミングの「抽象化」ってどういう意味で、なぜ必要なのか
http://nekogata.hatenablog.com/entry/2015/08/05/001742


す、すんごい解りやすい(感動)!!!

ただ、プログラマーではない私が思ったのは『これ、人の精神も同じだな』ってこと。

つまり、使う言葉はその人の精神のプログラムに直結する
より一層強く認識したのです:(´◦ω◦`):

【以下、大事な部分を抜粋】

  • 「具体的な値」とかをコードから排除していってコードの具体性を減らす行為全般を「抽象化」と呼ぶ。
  • プログラムに具体的な値がベタ書きされていた場合、使う側はなにも考えずにそのコードを実行すれば良いだけ。
    抽象化されたコードの場合、使う側が「どのユーザからどのユーザにいくら渡すのか」ということを判断しなければならない。
  • 抽象化とは、具体的な値としてなにを使うのかという「判断の責任」を「そのコードを使う側」に押し付けることでもある。
  • 抽象化はあくまで「具体的な判断を遅らせることで柔軟性を得る」ためのもの。
  • コードが具体的な処理を行うためには、必ずどこかでその「具体的な判断」をしなければならない。
  • 「世界一抽象化されたコード」というのを今から書いてみましょう。一瞬でかけます。
    # nop
    上にあげたものがそうです。つまり、「なにもしない」というコードこそが、世界一抽象化されたコードです。

自分の抽象化と精神のハッキング


抽象的な言葉(コード)
身の回りに溢れていますね。
自分の抽象化はとても簡単です。

『アレはダメだよね空気読んでないもん。マナーとモラルとTPOがさ~!』
『やっぱ人間としてそれくらい出来ないとヤバイよね~!』

定義の曖昧な言葉、具体性のないカラッポの言葉
X+X+Y=X
なにも導き出されない数式

そこに誰かが《具体的な判断》を代入するのを待っているだけ。
認知度の高い言葉や長い数列を並べれば”それらしい”という・・・積み木の城のような思考回路。
そうした精神は非常にカンタンにハッキング(上書き・支配)出来ます。

知らない間に《誰かの意志》に乗っ取られ・・・
気づかぬ内に《自分の価値観》がデザインされ・・・
無自覚に、責任感なく、誰かの意志を反映する手駒にさせられてしまうんです。

みんな、多かれ少なかれリモートコントロールされている


物事に対して良い/ダメと感じる条件は、本当に自身の心を起因としているのか・・・。
善悪・正否・優劣意識を抽象化した言葉で恐怖心を煽られ
密かな不安から逃れる為に導き出されたものではないか・・・。

『こうしたい』ではなく『こうしなくちゃ・こうするべき』が口癖になっていませんか?
正しさと評価を求める思考には、誰かの命令を正当化して《自分はそれを甘んじて受け入れているだけ》という
無自覚な責任転化・ズルさ・脆さが含まれています。

他人の言う事にただ従うのはラクな生き方です。
様々な選択肢を試す手間を省ける上に、例えそれが上手くいかなかったとしても
『言い出しっぺのドコかの誰かさんが間違っていただけ。自分のせいじゃないもん。』と言えるから。
価値観の支配・誘導(リモートコントロール)とは、無理やりされるのではなく
あくまで、本人が望んで受け入れた打算的な処世術なのです。

正義・大義・正論・善を語る人ほど、薄っぺら&カラッポに見えるのはその為ですね。

ズラズラ長ったらしい口弁を並べると、まるで複雑な数式を書いているかのように知的に見えますが
その言葉には本人の意志が何ら存在しないので、どこまでも無責任な論理でしかありません。

抽象化された言葉ばかり使うと結論が見えてこないので、他者との衝突が起こりにくいのですが
それを『なにか壮大なことを語っている』『優しそう』だと勘違いすると・・・
果てしない抽象化の海にご招待され、共に自己を見失うことになります。

抽象化された相手と衝突したら


前項で取り上げた抽象化された人の特徴
《結論が見えてこないので、他者との衝突が起こりにくい》

これは、具体的な結論を出す必要がある話し合いにおいて困った状況を引き起こします。
価値観が抽象化された相手と話し合いをすると『いかに自身が正しく優れているか』ばかり論じようとするので
まったく話しが噛み合わない上、話し合いが一向に進まない事態へ陥ります。

参考:理論的とは・論理的とは(意味の違い)何故、話し合い⇒口論になり上手くいかなくなってしまうのか?

こういった手合いは、出だしから《目指したいゴール》がズレているので
そのことを指摘して冷静に認識させるか(急ぎの場合は)議論の場から外す必要があります。

この種類の人間が親・職場の上司など、場から外しにくい立場だとより厄介ですが
悲しいかな、それって《ありがちな状況》なんですよね・・・(涙)

会社組織や交友関係など、やろうと思えば切れる縁の相手なら
《抽象化された人が”上”にいるグループ》とは早めに距離をおくのが得策。
相手の変化を待つより、自分の環境を変えるほうが余程早いからです。

とはいえ、ママ友付き合いなど自分がイヤでも子供の手前付き合わざるを得ないようなケースも多いでしょう。
衝突を避けられないと思ったら、相手がカラッポであることを逆手にとって
時には自らコントロールするくらいの気合いも必要です。

抽象化された言葉を多く使う人ほど、抑圧感情が根深いので
とにかく《良い気分にさせる》ことで、こちらへの敵意を抑えつつ望む行動をするよう誘導していく手法が有効です。
『あなたは周囲より優れている、もっと評価されるべき存在だ、いつも感謝している、あなたが必要、あなたに憧れる』
まぁ、いわゆる《褒め殺し》ですね(笑)

毒を持って毒を制すことも、時には必要なことがあります。
それは洗脳された相手の洗脳を解くのではなく《もう少しマシなプログラム》に上書きしてしまうということ。
相手の暴走したエネルギーの矛先を、あくまで否定しないまま少しだけ変えてみて様子を見る。
やがて上書きプログラムが有効(便利・快楽)だと認識されれば、古いプログラムは排除されます。

参考:言うことをきかない・言ってもきかない理由は? 人は「命令」を拒絶する

いかがでしたか?

理由など知らない。
私の意志かどうかも関係ない。
だってそういうものだから。
そういう空気だからそうするだけ。

正義や悪のような《二元論》
常識、当たり前、●●として当然という《風潮》
マナー、モラル、KY、意識高い系のような《定義の曖昧な単語》
抽象的な言葉を用いて自らの価値観を主張しようとすると、自分自身を抽象化することになります。

抽象化された精神とは、他者に意志を乗っ取られる為に存在するようなもの。
操り人形はピノキオと違い、自分が人形である事に気付いていません(それがタチの悪いところ)

あなたの背後にも見えない糸(意図)がブラ下がっているかもしれない。
それは水面下から静かに忍び寄り、気づかぬ間に《あなたの普通》を変質させる言葉の罠。
精神のハッキングを防ぐには、自分のもつ主張を『より具体的な言葉で説明する習慣』をつけると効果的です。