何故『SNS疲れ』になるの? 理由と考察 | 永遠のホリデー(^O^)/

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Facebookにしても、Twitterにしても
SNSに不慣れな人ほど、妙な自分ルールを持ってるモンですね( ´ω`)

【例えばこんなの↓】
かつてのmixiでいう『足跡の踏み逃げするな』
Facebookでいう『シェアする前に一言添えろ』
Twitterでいう『自分からフォローしてリムるな』

共通してるのは、それら自分ルールを『人としての礼儀・礼節だから』と言って、他者に押し付けることを正当化してる部分ですね( ´Д`)=3
あくまで『個人の価値観・要望』ではなく『みんなのルール・命令』という形に置き換えるのです。

『SNS疲れ』とか、よく聞きますが
疲れるのは、そういうヘンテコルールに縛られてるからでねーのか?と思います。
そもそも、SNSなんて日々の記録を一方的に垂れ流すだけなのに
疲れるもなにもないでしょ(笑)

しんどくなるのはきっと
『いいね!しなきゃ』
『面白いこと書かなきゃ』
『リツイート数で負けたくない』
などなど、見えない自分ルールがどんどん増えていくから。

物質にしても、システムにしても・・・道具ってのは純粋な存在です。
道具それ自体に意思はなく感情もありませんから。
そういった『純粋で透明なもの』ほど『使い手の本質を映しだす性質』をもっています。
元の色がない物ほど自由度は増すので、必然的に『自分色』となります。

SNSには人々の想いを繋げ共有する作用だけがあります。
そこに『何を投影するか?』

もし、自分色に染まった物に違和感や嫌悪感、しんどさを感じたなら・・・
そこには隠された抑圧や葛藤、無意識に強いているマイルールがあるということ。

SNSはいつでも簡単にお休み・退会することが出来ます。
だから、面倒になったなら黙って利用を辞めればいいだけ。
とはいえ『大多数の使用しているコミュニケーションツールを使用しない』という選択は自分をマイノリティーに追いやってしまいます。
『何となく面倒になって・・・』という理由に胸は張りづらいものです。
(この後ろめたさ・罪悪感もまた自分ルール)

だから『Facebookやめた組』という
意識高い系のカテゴリーを作り、自分はそちらに組したのだと
また新しいルールを作り、自身の選択を正当化してしまいます。

SNSを始めようが続けようが、何も偉くないし
辞めることが格好いいわけでもない
たかが個人的な趣味嗜好に、良いも悪いも上も下もありません。

いちいち大義名分を用いて正当化してしまうのは
その選択が本音に背いており
他者評価を得る為に、優劣と正しさの証明を欲しているからです。

気にするのも評価するのも
いつだって 自分 対 自分
果てしない独り相撲ですね。

道具が良くない!その道具を使ってる奴らが気に食わない!
なんとでも『しんどさ』の理由を責任転嫁できます
どこまで逃げても、自分ルールの呪縛はあらゆる形で噴出します。
『しんどさ』は逃げるほど顕著に、隠すほどに複雑化していきます。

ただし『しんどい』と感じるのはチャンスでもあります。

・そもそも利用自体が向いていなかったと気づくケース
元から雑記垂れ流しというSNSの行為に興味がなく
ただ周囲の空気的にSNSを利用していただけだった。
→SNSを使うのを辞めよう!

・利用方法が間違っていたと気づくケース
雑記垂れ流し自体は楽しいが『~してはいけない』『~すべき』と、様々なローカルルールに縛られ窮屈になっていた。
→SNSをもっと気楽に使おう!

チャンスにあたって重要なのは
何を選ぶか・・・ではなく
『隠された本音と向き合い、本音で選べるよう自分を許すこと』です。

【いかがでしたでしょうか?】
『SNS疲れ』は、SNSの利用に疲れたのではなく
SNS利用によって表面化した『自身の価値観を縛る習慣=自分ルールに疲れてしまった状態』なのです。

しんどい気持ちになった時は・・・
外側ばかりではなく、自身の内側にも『しんどさの理由』を探してみることが大切です☆