「矛盾と逆説と、二重拘束と」 | 雪うさぎ

雪うさぎ

 子供のときから、作文とか読書感想文は苦手で^^。
 つたないながらも、少女漫画と少女小説の紹介をして
いきます。

 以前、刀剣のお話をしたときに書きたかった

のやけど、今、思いついてなんとなくかきます。

 ま、つれづれに、まとまりなく、だらだらと、

やけど^^。


 矛盾は普通に聞く言葉ですが、よくみられるの

が”矛盾と二重拘束(ダブルバインド)”、又、”二重

拘束と逆説(ジレンマorパラドクス)を混同しとるな

ーってことですね。全部、矛盾の範疇にはいっちゃ

っとる。


 それは、国語辞書的な教育しかしないで、”定義”

を教えないのも悪いのかもしれませんが、実際には、

必ず”定義”を知らなければいけないような情況って

殆どありませんので、学校教育で教える必要もない

ことなのかもしれません。


 「矛盾」は、もー小学校くらいから習うので、説明

の必要はないと思います。


 「逆説」の定義としては、基本的にアリストテレスの

定義したものです。「そのものが、そのものについて

定義した場合、その回答は真でも偽でもない」という

ものです。

 アリストテレスは哲学者(認識論者)ですので、「認

識論」上で、このことを語っています。ので、この分野

での”逆説”のことを、”ジレンマ”ではなく、特別な言い

方として”自己言及パラドクス”と言います。


 現代人にとって(んな大げさなもんではありません

が)、一番なじみ深いのは、「二重拘束」です。


 Aか、Bか?、どちらかをとらねばならない情況で、

AをとればBが失われ、Bをとれば、その逆です。

 「ダブル・ブッキング」的な情況ですね。


 逆説(ジレンマ)の例えとして、「囚人のジレンマ」と

いう有名なお話がありますが、あれは、二重拘束的な

要素もあり、前述の”混同”の要素があります。

 ”無限の回帰的思考に陥る”という点で、”逆説”なの

ですが、当の囚人にとっては、二重拘束な情況である

・・・・・という気がします(あくまで個人的な感想ですw)

 まあ、日々、情勢がかわっていますので、昔の定義を

そのまま・・・ってわけにもいかないのかなーとも思いま

すし、先の「囚人のジレンマ」にしても、「自己言及パラド

クス」の範疇に入る・・・という解釈もありな感じになって

ます。

 
 因みに、ジレンマとパラドクスの差って、基本的には、

”話し言葉(思想)”か、”論述言葉(学術用語)かです。

 ジレンマが話し言葉であり、パラドクスが学術用語な

わけです。


 「なんで、先述したアリストテレスのジレンマのことを、

わざわざ、”自己言及パラドクス”って言います。」

 

 ↑、多分、大半の人は、意味不明やと思います。

 知りたかったら、自分で学んでねw(いぢわるな)。



追記。

 同じに”メタファー”と”パラダイム”も国語上では、”喩”

ですが、自然科学、認知心理学、知識社会学上では、

”メタファー”は”権力”の伴うトップダウン的な”喩”、”パラ

ダイム”は逆に、昭和の日本の企業のような”ジェネラル”

な”喩”です。