思いついたことをサクッとブログに書く習慣をつけてみようかなあと思って書いてみます。
(書き途中になってることも、一応頭にありますよ!)
TwitterやFacebookをやっていると、情報は24時間常に流れ続けてきます。
SNSをやっていなくても、ネットに接続すれば何らかの情報は常にあふれていますよね。
Twitterで、自分のタイムライン(TL、フォローしている人の関連するつぶやきがすべて並ぶ)をすべて追うのは物理的に無理なので、
そちらはたまに見て、
大体携帯からはリスト(自分でカテゴリーわけして選択したユーザーだけのタイムライン)を見ています。
リストもいくつか作っていますが、その中でも、「基本的に通常見るリスト」があるわけです。
要するに、全部は追い切れないけれど、見られる程度に情報をしぼっているということです。
(主に、興味があるつぶやきをする人、身内などの親しい人、程度になるわけですが)
そのリストに人を追加したり削除したりは結構簡単に行うようにしてます。
(その時々で興味があることが変わることもあるし、自分も変わるからです)
追加するときに、この人のつぶやきを常に見たいか、と考えて追加するわけですが、
それって自分のバイアスがかかっている情報なんだなあと今朝改めて思いました。
バイアスとは、『先入観。偏見。』のことです。
社会的な調査などについて使われる場合の「バイアス」は『社会調査で、回答に偏りを生じさせる要因となるもの。質問文の用語や質問の態度などについていう。』の意味になります。
ということで、私が見る情報は、常に私の先入感や偏見によって選り分けられている、ということです。
これが、ネット社会(情報にあふれた社会)である今だから起こりうることか、というと、実はそうでもないなあと思いました。
そもそも、情報にバイアスがかからないなんてことはないのです。
ネットが出てくる前も、調べることは自分で決めたし、読む本も自分の興味によるわけです。
興味がなくても手に取ることができる本は、目の前にあるものに限られていた。
あとは自分が興味がある人からの紹介、くらいです。
(その人の紹介を受け入れる、という時点でそれを自分が選んでいるわけです)
別に今始まったわけでもない、自分が手にする情報にバイアスがかかっているという状況は、
自分がどういうバイアスをかけているか、
ということを意識においておく必要があるということなんだなと思ったのでした。
目の前にあるものは、情報のすべてではなく、
すべての情報を均等に見る方法はない、という意味においても。
バイアス【bias】の意味 - 国語辞書 - goo辞書