なぜ中国の呼び名は「支那」なのか? | Bokensdorfのブログ

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国際結婚から考えた「隠れた構造・隠れた文化」について
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中国が18世紀後半から英国の侵略を受けてヨーロッパにその名前が知られるようになったとき、中国の王朝は清でした。

だから英語では China になったのかな、と漠然と思っていましたが、違うそうですので自分用のメモとしてまとめておきます。


オリジナルは 秦 のようです(出所:歴史とは何か 岡田英弘 文春文庫189ページ)

普通話(現代の中国語)ではこの字は qin と読み、七世紀の随の時代には dzin と読んだ。
これがインドに伝わってCina(チーナ)
ペルシア語ではChin(チーン)
アラビア語ではSin(スィーン)となった。

15世紀の末にポルトガル人がインドに到着し、インド語のCina(チーナ)が西ヨーロッパに伝わり
英語でChina(チャイナ)
仏語でChine(シーヌ)
独語でChina(ヒーナ)
伊語でCina(チーナ)になった。

(出所:歴史とは何か 岡田英弘 文春文庫189ページ)

1708年、イタリア人宣教師シドッティ(Giovanni Battista Sidotti)がキリシタン禁制の日本に潜入を企てて屋久島で逮捕され、江戸に連れてこられて、新井白石が尋問し、聞き出した世界知識を『采覧異言』にまとめた。(1713年)この中で、イタリア語のCina(チーナ)を漢字で「支那」と翻訳した。支那の字は、もともと仏教の経典を中国で翻訳したときにインド語のチーナに当てた漢字だったが、新井白石がこの音訳漢字を探し出してきてイタリア語のCinaに当ててから、日本では中国を「支那」と呼ぶようになった。

19世紀の末になって、多数の清国留学生が日本に来て、日本が「漢人の国」を「支那」と読んでいる事を知り、清帝国の支配者である満州人から、本来の漢人の国を区別する「支那」という名前は便利だったのでそれを中国に輸入した。

(出所:歴史とは何か 岡田英弘 文春文庫190ページ)

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だから、あの国を「支那」と呼称するのは蔑称でもなんでも無い、ということがこのことから明らかなのではないだろうか。


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