愛こそがチカラ!極道から僧侶へ・密教僧侶ヒーラー正仙 -1074ページ目

心の中の風水

最近書店に行ってみると、風水に関連したスキルを紹介した本が、たくさんならんでいる事に気付かされたりします。
本


家の間取りやトイレ、水まわり、玄関先に置くべき物、鬼門や裏鬼門などの方位への対処の仕方、家具の配置やカーテンの色、家の中に置いてはならないもの等etc


または色の持つパワーに言及し、衣服のカラーコーディネイト、持ち物、財布の色などその内容も多種多様で、実生活に即応用出来る素晴らしいものもあったりします。


確かに、色、カラーというものひとつを取ってみても色には独自の特性、波動があります。


例えば『黒』というカラーはゼロ波動を表し、上から下まで黒一色というのは冠婚葬祭でもない限りNGと思った方が良いでしょう。


私も黒は嫌いな色ではありませんが、黒い服ばかり着ていると、自分のエネルギーがフリーズし、疲れやすくなります。


自分自身楽しみながら風水を活用するのは大変良い事だと思います。


ただ、例えば玄関が鬼門の位置にある。あるいは裏鬼門の位置にトイレがあるといった具合に、家の間取りが悪いという様な不可抗力な場合はどうしたら良いのでしょうか?


私は陰明師で霊能者である人から話しを聞いた事がありますが、本当に風水の条件を満たした家を建て様と思ったら、学校の体育館くらいのスペースが必要になるそうです。


現代の住宅事情でこの様な家を建てられますか?


元々鬼門、裏鬼門と言うのは、家の中で最も「冷える場所」で、今の様に冷暖房完備の家に住む時代とは違い、昔は鬼門にあたる位置で例えば心筋梗塞や脳梗塞といった


突発的な病気を引き起こしやすい場所でもあった様です。


未然にそうした事を防ぐ為の先人の知恵だった訳です。


私は思うのです。自分自身住みやすければそれでいいのではないかと


それに財布を黒い財布から黄色い財布に変えたからといって、収入が大幅に増えたり、宝クジにあたる確率が高くなるのでしょうか?


家の西側に赤や黄色の坪や置物を配置したら、ラッキーな事が舞い込んでくるのでしょうか?


招き猫の置物がいっぱいあると自分に多くの幸せが舞い込んできますか?


確かに風水のアイテムを活用し、自分自身ポジティブな感情、思考になれるならそれが自分にとって良い結果を引き寄せる事はあります。


でも気づきませんか?


もっと強力で、自分の欲求を叶える物をどんどん欲しくなっている自分がある事を?


風水を生きていくためのひとつの「方便」としてこだわりなく活用していらっしゃる方も大勢います。


でも、かたやで風水グッズで身を固め、なんら、良い事も起きない収入も増えない、人間関係や恋愛関係も良くならないと嘆いている人がいるとしたら…


そこには心理的な不安、恐れが自分の望む状況をしっかりブロックしていると言わざるを得ません。


色やカラーひとつとってみても、自分のエネルギー、感情に作用する事はあっても、劇的な人生の変化をもたらすものではありません。


風水やそれにともなった開運のスキルを私は否定しません。ただ自分の心の在り方を見つめて欲しいのです。


楽しみ、好みのレベルで楽しんでいるなら大いに結構です!
ただそこに心理的な不安、飢え、恐れがあると、どれだけ風水にお金をかけ様とザルに水状態ではないでしょうか。


自分自身の想いが現実を創造します。それは『物』ではありません。


自分自身の『想いの世界』それは思考、感情、フィーリング、そこからパターン化された信念、行動などが互いにリンクし、あなたの現実をつくりあげています。


宇宙というのは本当に壮大なコピー機です。


気づいていますか?


自分自身が何かを飢える様な気持ちで欲しい事を考え続けると、宇宙の創造のプロセスが起動し、その欲しい状況、待ちのぞみ悶々とする状況を叶え、現実にしてしまいます。


次回は豊かさのスキルをメインに『続心の風水』を書きます。


朝も白々と明けて来ましたこれより朝一番の勤行です。


合掌

鬱ってなんだろう?

最近、自分が鬱である事を訴える人が溢れんばかりに多い事に気付かされる事が度々あります。


鬱の人を励まそうと、ポジティブシンキングよろしく「若いんだから元気だしてよ」とか、「とにかく前向きに頑張って!」とか善意からそうした声をかける時、当の本人はどう思うのでしょうか?


鬱の人にとってそうした言葉も、その状態によっては、ありがた迷惑はなはだしいものに感じているのかもしれません…。


鬱だという人は、他の話しは自信なさげでも、自分が鬱であり人生に疲れている事やODである事、自殺願望がある事など、わりとハッキリ自信に満ちているといって言いくらいに確信を持って話される方が多かったりもします。


でもこれと言うのも、外から冷徹に自分を眺める目線があるからこそ鬱である事がわかるわけで、ある面、鬱の人は、優秀な心理カウンセラーの資質さえあると言えるのかも知れません。


私は書店で見る積極思考を説く自己啓発書の様な内容を振り回すつもりはありません。


また別の機会に書きますが、欧米型の積極思考のプロセスは日本人にはそぐわない一面もあったりします。


もしこのブログを鬱で苦しんでいる人が読んでいるなら忘れて欲しくないものです。


子供の頃、親から酷い虐待を受けた過去があろうと、どれだけリストカットの傷があろうと、ODの常習者であろうと、自殺未遂の過去があろうと、現在引きこもりの登校拒否であろうとも…


本当のあなたの価値とはなんら関係のない事であり、あなたが光そのものである事を…


リストカットがたくさん身体に刻まれているからそれがどうしたと言うのでしょうか?


あなたが他の人が気づかない繊細な感覚のなかから、命の根源にぶつけた、問い掛けた勲章の数だと思えないでしょうか?


自殺未遂の過去があるから人生を逃避した過去が、行いが、前を向いて生きる気持ちを暗くさせる…それがどうかしたと言うのでしょうか?


それこそ自分の全存在を賭けて自分とはなんなのか?


人間として生きるとはなんなのか?


それは自分では気付いていなくとも、神に挑み問い掛けた聖なる軌跡ではないのでしょうか?


ODだからどうしたというのでしょうか?


生きる事への漠然とした恐れ、人間関係の恐れ、過去に受けた虐待からくる恐れ、ちっとも好転しない経済状況等…


そうした事から、たとえひと時でも薬によるトリップで逃れ様としたのかもしれしれませんが、社会の雑音から自分を感覚的にシャットアウトし、


見方転じれば、世俗との関わりを断ち、山奥で瞑想によりワンネスを体験している聖者と紙一重の…


優れた瞑想者になる素質がある事に気づかないでしょうか?


引きこもりだからなんだというのでしょうか?


それこそたとえゴミにまみれた四畳半一間に住んでいて希望が持てなくても…


自分の好きな事、情熱をもてる事を深く考える事のできる至福の時間にそれはなり得ないのでしょうか?


逆説的な表現を使いわかりづらいかもしれませんが…


また鬱というのは人が生きていく上であらゆる不安要素がリンクしているのも事実です。


けれども鬱の多くの人に見受けられるのは「鬱」というブランドにどっぷり浸かってしまっているという事でもあります。


自分自身の想い、自分自身の自分に対する定義(例えば私は鬱で抜けだす事ができないという様な想い)が自分自身の今の経験を支配し、そこに居る期間を決めている様な気がします。


それと他者のドラマを自分に反映させている方も多いと思います。鬱に関連したTV番組、鬱の知人の体験談、本etcそうした事はあなたの潜在意識にインプットされます。


知らず知らずの内に自分では気づかなくとも、そうしたインプットされた画像、知識が潜在意識から浮上し自分自身の鬱のプログラミングとして現れる場合もあるのではないでしょうか?


過去に受けた虐待が元で心に傷を負った人も、よく言われる「相手を許しなさい」という言葉も、肝心の自分自身が好きで許す事が出来ないのに相手を許せ様はずもありません。


はじめは心の片隅でもいいから思えないでしょうか?


「俺って案外いい奴だぜ…」


「あたしって結構イケルじゃん」


言葉はなんでもいい、あなた流で結構です。出来れば鏡の前で…


自分の身体を優しく触ってください。頬でも腕でも胸でも…


あなたがリストカットして身体を痛めつけ様と、薬物の大量摂取で臓器に多大な負担をかけ様と、あなたを守り、あなたの魂の乗り物としてあなたについてきた自分の身体に一言


ありがとう…


と声をかけてあげてください。
そしてそれを習慣にしてみてはどうでしょうか?


パソコンからでもいい、同じ様な境遇の人の自立やカウンセリングを主催するセミナーやコミュニティの情報を載せたウェブサイトに指一本あればジャンプする事も出来ます。(出来るだけお金のかからないものを選んでください)



今まで学校や職場の人間関係で鬱の症状で苦しんでいる事を隠し『いい奴』を演じていたならそうした事は卒業したらどうでしょうか?


自分自身がままならぬものを感じているのに、他者にエネルギーを消耗し、より鬱を深刻にする必要など、どこにあるのでしょうか?


周りにいませんか?


あなたの鬱の悩みを意見をせずに、黙って聞いてくれる様な存在が?


ただそうした場合、やつぎ早にこちらの事ばかり話すのではなく、相手の状態を思いやる事も必要になってきます。


病院の精神科も現在置かれている症状によって適切な場合もあるかもしれません。


私は医療、精神治療を否定するものではありませんし、全く適切な場合も多いと思います。


しかしながら、鬱の症状で長年に渡り、大量の向精神薬を投与され依存してしまうのはどうか?と思います。


病院も商売、悪い言い方になりますが、来院した方を処方し、病人にし、依存させてしまう一面があるとは言えないでしょうか?


少しお金に余裕がある方なら優れたクレアボヤント(透視をする霊能者)をインターネットなどで捜し、リーディングやヒーリングを受けるのも良いでしょう。


優れたクレアボヤントはあなたのオーラやチャクラ(身体にある七ツのエネルギーセンター)から鬱の原因となる滞ったエネルギーや画像(例えば過去世における今の親とのカルマなど)を取り除き


オーラやエネルギーを軽くする事が出来ます。


あなたの決意が宇宙を動かし、自分の望む方向にシフトさせて行きます。


自分が鬱だと呪わないでください。季節でさえも春夏秋冬見事な変化を見せるではありませんか!


むしろ天の祝福を受けていると喜んでください。


苦悩も向き合えば至福となります。

合掌

おはようございます。

朝の勤行前のひと時コーヒーコーヒーを飲みながらブログを書いてます。


一日のスタートに相応しくない話しかも知れませんが、会社や家庭で頑張り過ぎて疲れている方も多いのではないでしょうか?


でも、息抜きもとても大切です。パンツのゴム紐も引っ張ったままでは伸びきってしまうのは自明の理でもあり…笑


会社の休憩時や昼食後など許される環境にあるなら、10分や15分くらい昼寝してみたらどうでしょう?


驚くほど疲れがとれ、リフレッシュ出来たりもします。


同僚や友人との付き合いがあるからそうもいかないという人もいるかもしれませんが…


自分自身そうした状況を楽しんでいるならよいのですが、そうした事に気後れを感じたり、疲れているとしたら、なんの為にそうした事に時間を費やす必要があるのか?立ち止まり考えて見るのも良いかも知れません。


同僚や友人の輪からはずれたくないから?と言う動機がそこにある時等…


自分の築いた周囲の人間関係との付き合いにおいて消耗している自分や感情を素直に認め気づく事もとても大切な事でもあります。


そこに至るまでには、淋しさを感じる、疎外感を感じるなど、色々なサインがあると思います。


そうした状況というのは、自分のエネルギーを友人や同僚、またはコミュニティに一方通行で投げて消耗してしまっている状態で、疲れやストレスが溜まり、自分自身が安定した状態になれません。


ひとづきあいを難しくしてしまっているのも案外自分の想いから来ているのかもしれませんね。


疲れた時は友人や同僚の誘いも断り、家に帰り休んで下さい。そんな事であなたを疎外する様な友人や同僚なら喧嘩をする必要はありませんが、距離を置くのも良いと思います。


睡眠は身体と共に魂にも必要な事です。


大人げないくらい自分を大切に愛おしんで下さい。


今日も一日自分の主人であれ!



合掌