法然と親鸞 | 知っとうや(真実を求めて?!)

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⚡2900年続いた人類中心文明は、近い将来、五六七(弥勒)時代となり、本来あるべき姿に戻ります。それまでは産みの苦しみが続きますが、見事に成就して欲しいものです。⚡

前回記事の続きになります。
<義経と親鸞>

親鸞は、源義経がすり替わった人物だった、ということでした。

親鸞といえば、浄土真宗の開祖と言われていますが、実際は違います。これは後述します。

義経がすり替わった親鸞は、仏教を学ぶために比叡山延暦寺で修行します。10年間くらいでしょうか。

そして、当時広がりつつあった一般大衆の仏教、「南無阿弥陀仏と念仏さえ唱えれば死後は平等に往生できる」という専修念仏を基本理念とした、日本の浄土宗の開祖である法然と出会います。
<WIKI:法然>

と、歴史上では伝えられていますが、実際には、親鸞は、阿修羅に悪い方へ誘導されつつあった法然を、救おうとしていたのです。

平安時代の仏教は、密教であり出家僧が修行を積み、悟りを開くことが目的でした。それ以前に始まった修験道からの流れだと思います。

平安時代の末期、「末法の時代に入った」と世の中が喧騒になると、これまでのような密教による出家僧だけでなく、一般大衆を救済しなければならない、という考えが広まりだします。そこに登場したのが、法然で、法然によって専修念仏が広がりだします。

しかし、いつの世も、阿修羅は一般大衆を洗脳した上で支配下に置きたい訳ですから、大衆に影響力がある権力・影響力のある人物、宗教・団体等を真っ先に狙っていくのです。

現代社会でもたくさんの新興宗教があり、それらの公称会員数を合わせると、日本の人口の二割以上を占めるはずですが、それらの宗教団体はほとんどが阿修羅の支配下です。影響力がある団体等は阿修羅に狙われるのです。
今も昔も同じことです。

末法の世界に入ったと言われていた時代です。法然の専修念仏は急速に一般大衆の中で広がっていきます。

これを阿修羅が見逃すはずがありません。阿修羅は、法然を支配下に置こうとしたのです。

この時に登場したのが、前回記事でご紹介した義経がすり替わった親鸞だったのです。

親鸞が法然に近づいたのは、阿修羅の手に落ちかけそうになっていた法然を、バックアップすることが一義的な目的だったのです。そのために法然の弟子となり、内から法然を守ろうとしたのです。

しかし、専修念仏と、天台宗などの当時の既存仏教は、阿修羅によって対立構造を煽られ、朝廷を巻き込んでの衝突に発展します。これが承元の法難等の騒乱です。
<WIKI:承元の法難>

これらの歴史は、表向きの歴史書だけ読んでも分からないことです。何故、宗教対立によって戦争にまで発展するのか。それは、当事者たちが阿修羅によって魂を悪い方向にくすぐられ、対立するように持っていかれるからです。人間の欲望をくすぐるのです。人間は欲望に負けやすい動物なのです。

現在のように、中東やロシアで衝突が起きているのも、まさしく阿修羅が見えない世界で跋扈しているからなのです。

話が飛びましたが、承元の法難によって、専修念仏は朝廷から停止され、法然と親鸞は流罪となります。1207年のことです。

流罪から戻った法然は、しばらくして亡くなり(1212年)、一人になった親鸞は、法然の後をついで東国布教の旅に出たとされています。親鸞の足跡はここからは不明な点が多いのです。
<WIKI:親鸞>

そして、親鸞が再び歴史上に登場するのは、1230年代半ば、62、3歳の頃です。この後は、執筆活動が中心となり、1247年には有名な「教行信証」を完成させることになります。これが、後の時代、浄土真宗の教義に繋がっていくのです。

ところが、実は、帰京した以降の親鸞は、義経がすり替わった親鸞とは異なっていたのです。

皆さんが歴史の教科書等でよく目にする肖像画の親鸞です。(ウィキペディアから引用)

親鸞


この肖像画の親鸞は、晩年の親鸞を描いたものですが、若い頃の親鸞(義経がすり替わった人物)とは異なります。

本物の親鸞は、もっと柔らかい顔をしています。

皆さんが、よく知る肖像画の親鸞こそ、増上慢(阿修羅トップ)がすり替わったものなのです。

法然の死後、親鸞は消息不明となり、帰京した際には増上慢がすり替わっていたのです。

そして、その偽親鸞の死後、法然や本物の親鸞が広めようとしていた浄土宗とは異なる教義の浄土真宗が誕生し、今日まで大きな影響を与えてきているのです。浄土真宗とは阿修羅の宗教なのです。

明治天皇は、明治9年(1876年)、
親鸞に対して見真大師の称号を与えています。時代的におかしいと思いませんか?

これは、まさしく、自分(明治天皇にすり替わった阿修羅)の魂が、偽親鸞にすり替わったことを意味しているのです。意味が分かりますか?

ちなみに、最澄が法然に生まれ変わり、空海が親鸞(源義経)に生まれ変わっているのです。最澄と空海の時代も同じような関係だったのです。

それでは、最初の本物の親鸞はどうなったのでしょうか?

ここには、さらに驚愕の展開になっていたのです。いずれご紹介します。


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