凄い人列伝2の3 「SF作家 筒井康隆さん」 ラスト | 脚本家酒井直行の新よもだ的どこか征服宣言
なんかねえ、クレームの山ですよ。
前回のブログ。

「筒井康隆の話はどーなった!?」
「お前が強運とかどーとかはどーでもいい」
「自慢すんな、ボケ」

まあ、概ね、そういう反響ばかりでした。
まあ、予想はしていたのですが。

ということで、今回は枕話は無しで、
すぐさま筒井康隆さん話に入ります。

手元にあるスケジュール帳によると、
それは、1995年の夏の某日、西新宿の住友三角ビルの
地下1階にあるバーラウンジを借りきっての
撮影シーンでした。

早朝、僕は緊張の面持ちで現場を訪れました。
既に、主役の火田七瀬役の水野真紀ちゃんは
スタンバイしています。

いやあ、この頃の水野真紀ちゃんは、
(あえて、ちゃん付けで通します。
今は代議士さんの奥さんで、
当然、変わらずお綺麗ですが)
本当に凄かったです。
ナショナル(パナソニック)のCM、
「きれいなお姉さん」シリーズで
大ブレークしていた頃です。

当然、すぐに、ご挨拶させていただいた
んですが、目と目があった途端、
電気が全身を貫くような、
そんな衝撃を与えてしまうような、
それほどの美しさとオーラを
兼ね備えた女優さんでした。

脱線しますけど、思い返せば、
第一線で活躍されている女優さんに
撮影現場でお会いするたびに、僕は毎回、
全身に電撃が走っているような気がします。

つい最近ですと、杏ちゃんです。
(日テレ スペシャルドラマ「リバース」)
いやあ、彼女のオーラも
半端なかったです。

その少し前ですと、
仲里依紗ちゃんかな。
(日テレ「ヤングブラックジャック」)

こうして書いていて自分でも呆れてもいるんですが、
僕が節操がないんじゃないんですよ。
それぐらい、直に見る一線級の女優さんたちの
オーラと魅力は半端ないって話です。

そんな彼女たちが、自分の作品に
出演していただけるんです。
本当、作家冥利に尽きるというものです。

話を戻します。
そして、ついに憧れの筒井康隆さんが
入ってこられました。

楽屋用に用意された小部屋で
撮影衣装に着替えられている
筒井さんの前で、僕は直立不動で
ご挨拶しました。

「こ、この度、筒井さんの作品を
脚本におこさせていただいた
酒井と言います。ぼ、僕は、
筒井さんの作品を全部読んでます。
全集も買いました。大ファンなんです」

もう、緊張と興奮で、
足なんかガタガタ震えてましたね。

そしたら筒井さん、
「うん。うん。いいんだけどさ、
今から着替えるから、出ていってくれないかな」
って、ズボンを脱ぎながら言うわけですよ。
「ご、ごめんなさい」って謝って、
すぐに部屋を出ていって、
ため息をつくわけです。
「失敗したなあ」って。
それが彼とのファーストコンタクトでしたね。

それから丸々2日間、僕は、
筒井さんの横に、びたーっと
くっついてました。

期間限定の付き人状態です。
いや、付き人以上ストーカー未満?

彼がタバコを一服すれば、
吸わないはずの僕ももらいタバコをし、
彼がロケ弁を頬張れば、僕も隣で
一緒に食べる……
本当、幸せな時間でした。

でも怒られてしまったこともありました。
待ち時間に、筒井さんがどこかに向かって
小走りに走り去ろうとするのを見て、
僕も追いかけたんです。

気がつけば、着いた先はトイレ。
「君ねえ、いくらなんでも、迷惑だよ」
と一言。
「ご、ごめんなさい」と謝って、
トイレから出て行こうとしたんですが、
「君もしたいのなら、隣で、どうぞ」との
洒落たフォロー。
お言葉に甘えて、僕もさせていただきました。
連れション。
いやあ、感動でしたね。
憧れの人と連れションできるなんて。


待ち時間の間、たくさんのお話を
僕にしていただきました。
その時の彼の発言の全ては、
今も僕の宝物です。

どのコメント、発言も素晴らしいもの
でしたが、
その中でも、「さすがだなあ」と
感嘆した発言が、コレ。

スタッフの誰かが、
「先生、断筆宣言中で、毎日、暇じゃないんですか?」と
筒井さんに質問されたんです。
そしたら筒井さん、
「断筆は宣言したが、それは世間に発表
しないというだけのこと。実は毎日、
ノリノリで書きまくってるよ」

実際、それから約2年後、
筒井さんは執筆再開を宣言されましたが、
直後から、「邪眼鳥」「わたしのグランパ」
「愛のひだりがわ」など、いきなりの傑作を
量産して文壇を驚かせました。
おそらく、あれらの作品群の
いくつかは断筆宣言中に書き溜めた
ものもあったはずです。

そうして撮影も終わり、
2週間後ぐらい経った日のこと。

その日は、フジテレビで、
新番組「木曜の怪談」の
完成記者会見が行われておりました。
その壇上に、筒井さんも、原作者兼出演者
というお立場で上がられており、
記者たちからの質疑応答を受けられて
おりました。

意地の悪い女性新聞記者が挙手をしました。
「筒井先生にご質問です。
この度、先生は断筆宣言中ということで
役者として、ご自分の作品にご出演
されたわけですが、ざっとシナリオを
拝読させていただいたところ、
先生の原作とは、セリフも設定も変わっている
ようなのですが、先生は、ご自分が
書いた原作を改変した脚本で、
素直に演じることは出来ましたでしょうか?
『なんか違うんだよなあ』と思われませんでしたか?」

同席していた東映のプロデューサーの
手塚さんはこの時、ハラハラして筒井さんの
顔色を窺ったということです。

正直、この新聞記者さん、わざと失礼な質問を
ぶつけてきたんだと思います。
まるで喧嘩をふっかけているようなものです。
おそらくは、断筆宣言騒動において、筒井さんは
新聞各社と激しくやり合いましたからね。
その意趣返しだったのでしょう。

ところが、さすがは筒井さんです。
やおら、テーブルの上のハンドマイクを掴むと
こう答えました。

「私が出演した第2話を書いたヤツは、
酒井なにがしという、まだまだ若造の
脚本家なんだがね。

この酒井なにがし、私の小さい頃からの
大ファンということで、まだまだ貧乏な
くせに、無理して全集も買って、当然、
私の全作品を読んでいると自慢してきた
男なんだ。

撮影中も、用がないのに、
私の傍にピターッとくっついて、
離れないんだよ。
まるで金魚のフンだ。あいつは。
本当に迷惑だったよ。
ひどいことに、トイレまで
ついてきて、連れションしやがったぐらいだ。

本当に、あの脚本家はどうしようも
ないヤツだった」

筒井さんは、そこまでを一気呵成に
言い切った後、一旦、マイクを置き、
お水をグビッと飲まれました。

会場は、シーンと静まり返り、
彼の次の言葉を待っていました。

筒井さんは、そして再びマイクを持つと、

ニヤリと笑いました。

「そんな男が書いてくれた作品だ。
文句あるわけないじゃないか。
私は、彼の書いたセリフ、
一字一句変えることなく、
全幅の信頼を持って、
西尾という役を演じさせてもらったよ」


この会場に、僕はいませんでしたが、
記者会見直後、手塚さんからのお電話で
詳しく知ることが出来ました。

電話を切った後、
涙がどんどん溢れでてきて、
困ったものです。

本当に嬉しかった。
脚本家になってよかった、と
心から思えた瞬間でした。



とまあ、ここで終えれば、
「ちょっといい話」なんですが、
やはりオチをつけないとね。


まずは一つ目の軽いオチ。

上記の記者会見の様子を、
敬愛する先輩脚本家の
扇澤延男さんと飲みながら
話したら、僕以上に涙もろい
彼も一緒になって
涙を流してくれたのは
いいんですが、
「酒井くん。悪いことはいわん。
もう、脚本家は引退しろ」
「はあ? まだデビューして3年ですよ」
「3年目だろうが関係ない。おそらく
君がこの先、20年脚本家やってても、
これ以上の、脚本家として最高の幸せを
感じることはできないはずだ。
今の幸せを永遠のものにするためにも
今すぐ、筆を折れ」
「ヤですよ」

というやり取りがありました。

あ、扇澤さんについては、
後々、もっと面白いエピソードを
大量に用意してますので。
その時に詳しくお話します。


2つ目のオチは、
結構ヘビーというか、
案外ショックだったんですが、
筒井康隆さんとはその後、
NHKの「わたしが子どもだったころ」と
いうドキュメンタリー番組で、
彼をテーマにした回で、
(2007年10月24日放映)
僕が構成と取材のお手伝いをした際、
12年ぶりに再会いたしました。

その時、僕は、懐かしい思い出話として、
12年前の撮影秘話と記者会見の
やりとりを筒井さんにお話したら、
悲しいことに、筒井さん、
「え、そんなこと、言ったっけなあ」って
すっかりお忘れになっていたんです。

がっくりしました。


あ、でも、その収録後、
大阪で、筒井さんと奥様がよく
行かれるというフランス料理の
お店に連れていっていただき、
美味しいディナーをごちそうになりました。

その席で、僕が書いた
「へっぽこSPなごみ!」という
ライトノベルの話になった際、
「筒井さんの『七瀬』や
『時かけ』のオマージュとして、
中途半端な力しか持っていない
へっぽこな超能力者たちを
主人公にしたんです」と、
僕がキャラ説明したら、
「私も、その手は思いついたんだけど、
どうにもストーリーを成立させれなくて
断念したんだよなあ。そうか。
君はうまいことやったんだね」
と褒めていただいたんです。

すっごく嬉しかったです。

東京に戻って、
上記のディナーでの様子を、
敬愛する先輩脚本家の
扇澤延男さんと飲みながら
話したら、僕以上に涙もろい
彼も一緒になって
涙を流してくれたのは
いいんですが、
「酒井くん。悪いことはいわん。
もう、作家も引退しろ」
「はあ? 小説はまだ2作しか書いて
ないんですよ」
「2作だろうが関係ない。おそらく
君がこの先、100作書いても、
これ以上の、作家として最高の幸せを
感じることはできないはずだ。
今の幸せを永遠のものにするためにも
今すぐ、筆を折れ」
「ヤですよ」

というやり取りがあったんです。

お後がよろしいようで。