俺が家族の全責任を負う!その代わり家では大事にしてくれ! | 家庭料理を次世代へ伝える 冨士田かおり

家庭料理を次世代へ伝える 冨士田かおり

料理を教えるプロが、『食』のあれこれを伝えます!人は死ぬまでに87,600回の食事をします。
あなたの一食を大切にしてますか?
『出し巻き卵巡業』であなたの街にも伺います。一度食べると癖になる! 心も体も癒される。ご依頼お待ちしています。

今年から横浜で家庭料理のレッスンを
させていただいてます

生まれてから今まで
すっと大阪で暮らしてきたので
西と東の食文化が
こんなに違うってことを実感しています

春はいろんな食材が出ますよね
その中で
うすいえんどう豆は大阪では必須アイテム
さやから豆を出して
煮物
かき揚げ
卵とじ
豆ご飯
スープなど

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いろいろな料理に使えるので
大好きな野菜!!

元々は大阪で栽培されていましたが

今では和歌山が産地

小さい時母がえんどう豆をたくさん
さやから出してたな〜
時々お手伝いしたこともあったし

そして何より
父の独裁政権の家だったので(笑)
さやから出した豆を
いつも父の分だけ仕分けするんです

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写真のようにね
手前のは黒い筋があって
これは硬いんですよね、
奥の黒い筋のないものが
皮が柔らかいんです

母は父のためにそれだけを選り分けて
別にしていました
柔らかい豆が父用
硬い豆は子供たち用と
はっきり決まっていました

今の時代では考えられないw
父の存在は絶対でした!

でも父はそれだけ大事にされるに値するほど
家族を守り、養い、愛した人でした
いわゆる
お父さんのおかずは別ってやつで
食卓も食べる時間さえも別でした

何時代やねんw

父はその豆のひすい煮を
ウイスキーのお湯割を飲みながら
スプーンですくって食べていた

男性は外で稼いできて
家族の責任を全て背負ってくれていた分
家庭では大事にされていた時代

今のように権利を主張しない
なんだかシンプルに生きていたように思う

私は少々古い女なんで
昭和の時代の夫婦関係が好きです

そんなことまで考えさせる
えんどう豆が
関東では手に入らず
な、な、なんと
グリンピースなんだとか

え、、、、

味が全然違う、、、

うすいえんどう豆が手に入らない
地域のみなさま!!
ぜひ お近くの農家さんで栽培してもらいましょう〜