It's my Fedeca knife | delo camping now !!

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趣味のキャンプと日々の事

お金は時間的価値を内包している。今、複利が苦手な日本人みたいに言われてるけど、教育の中で、お金をある種タブー視して来たこの国にいて、ナチュラルにその感覚を持つのはとても難しい。



我々昭和世代からすれば、最上級の真理は、使わぬ金は減る事なし、であるが、もはや貯蓄だけを生き方のオプションとしていくことは、ただの不勉強扱いにされてしまう。

 

現在投資して、将来想定して得られるであろうお金は、正味現在価値に置き換える。その時間経過分だけ、年次複利的に価値が目減りすると考える。事業ファイナンスの世界では基礎的なハナシだが、もちろん今ここで、ファイナンスのハナシをぶちたいわけではない。


今回は、この考え方を無理やりモノに当てはめて考えて、個人の購買の価値基準について考えてみたい(減価償却的な意味合いではない、あくまで思考のお遊びだ)



【欲しいモノが持つ意味】

例えば、今目の前の欲しいモノの価値は、自己の中で心理的に最大化してるのに、将来の値引きを待って2年後に得ようと考えたとしよう。また、自己の楽しみたいという心理的高まりを背景とした、買っていれば、本来イマココからずっとこれだけ楽しめたのに...という思いの量をここでは、心理的機会の損失量と呼ぶこととする。この場合、今買わないという選択をしたことにより、2年という期間にわたって長期にその心理的機会の損失が発生し、その量は2年間ということになる。(僕の場合、それが感情的後悔を伴って、複利的に増大する)


次に、将来の値引きについて考えてみよう。


将来の想定値引き額を将来得られるお金と同等と考えた場合、冒頭述べた通り、その額は現在価値に置き換えると、年次分、複利的に割り引かれ、目減りする。


そして、その対象のモノを今買うか否かは、将来想定される値引き額の現在正味価値相当分が、自分にとってその唯一無二の心理的機会の将来損失量より大きいか小さいかを考える。小さければ買うし、大きそうなら保留する。僕のようにその心理的機会損失量が、複利的に増幅する人は、それも加味して考える。


つまり、2年先延ばしになることで被った、唯一無二の心理的機会損失量に対して、現在価値に割り引いた将来値引き額がそれを超えてくる点においてのみ、その将来値引きが、価値に該当してくる、というわけだ。


僕個人の購買の軸は、敢えて合理性を説明せよと言われてモデル化するとこうなのだが、時代は全くそうではない。感性マーケティングという言葉があるが、モノの購買や価格に対する考え方は、すでにヌーベルバーグな動きが歴然と起きている。


【新しい購買基準】

可能な限り安く買う事は、個人の価値基準において、購買を意思決定する一つの要素となり得るが、多様化する世代ごとの価値のスコープはもはやそれだけでは全くない、という事だ。


要は、購入価格は、個人の価値基準においては当然、一意ではなく、その人にとっての対価であり、その人が感じる価値の交換に他ならない。 


また、それを買う事で、自分の意思を表明するような、投票的意味合いや、推し活のような、応援したいから買う、というような価値基準を持つセグメントがすでに世の中に存在していて、一つの流れとなっている。僕ら昭和世代とは、相当に異なる教育を受けたエシカルな消費をする人たちが、どうやら本当に存在するようなのだ。


また、一方で、原材料高騰などと今は言われるが、不必要な価格競争を避けるメーカーを中心とした動きは数年前から起きていて、モノづくりのどこに価値を置くか、みたいなところに、プロセスを共有するという体験価値の創出が、大きなトレンドとして出来つつある。



という諸々の理由から、僕は迷わずこの綺麗なフェデカのナイフを手に入れたのだった。