また逢う日まで~高崎へ | 男の滑走路

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日々の出来事を徒然に・・。

土曜日は大学・会社で一緒だった親友のお墓参りのため一路、高崎へ。

大学時代の友人たちと合流して、湘南新宿ラインでゆっくり向かって、昼前に到着。

真新しい駅舎を出ると、上州空っ風と呼ばれるだけあって、風が肌に刺さるようでとても寒い。

タクシーでお寺に向かい、彼の眠る御墓の前で手を合わせる。心の中で、普段の会話と変わらないような言葉をかけてみる。生きていれば今日で43歳の誕生日。いや、俺の中では彼は今もまだ生きているような気がしていてならない。

墓参の後は彼の実家へ。御伺いするのは12~3年前に大学の先輩後輩とやったフットサルの合宿以来。

仏壇の前に座り、御線香をあげた後、生前、彼がとても好きだった同郷のサッカー選手、松田直樹の背番号3の入ったユニフォームを置いた。先日の追悼試合で直樹のメモリアルグッズが売っていたので、是非、墓参りの時に渡そうと思ったのだけれど、早く売り切れてしまったので、代わりに日本代表のユニフォームを渡した。彼は喜んでくれただろうか。

そのあとは母上御手製の美味しい美味しい白菜漬やけんちん汁を頂き、しばらく語らいあい。

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彼は史学科卒で、同じ会社でなかったら、歴史関係の出版社への就職を希望していた、それだけ歴史にとても詳しかったんだけど、そのルーツが母上にあることが窺えた。

上州人は皆、歴史に詳しいのだろうか?私の父親のルーツも上州で、太田にある本家に行ったときは寝るまでずっと歴史の話を聞かせてくれたっけ。

母上のお心遣いで、富岡にある一之宮貫前神社へ行こうということになり、弟さんの車に乗る。車窓からは、山の裾野に大きい平野が広がっているのが見える。福田赳夫、中曽根康弘といった大政治家は皆、この大きな平野を見ながら、大志を抱いていたのだろうなどということを思いながら、40分ほど到着。

貫前神社は創建531年。大変歴史のある神社で総門を潜ったところから石段を下ると社殿がある「下り宮」と呼ばれる特異な形をしている。

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境内を見回して、思い出した。彼は生前、自分の千社札をよく配っていた。もしかすると、ここにも貼りに来たかもしれないなと思い、あちこち探すけれど見当たらない。それを奥様に伝えると、偶然、奥様が自分の財布の中に何枚かその千社札を持っていたので、それを貼った。

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一之宮貫前神社を後にして、旅館「小三荘」へ向かう。

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早速、温泉に入って冷えた体を温める、あがった後はビールで献杯。やがて別室で夕食。これでもかというくらいたくさんの料理が出てきて、満腹になったところで、カラオケ。友人が生前よく歌っていた「真っ赤なスカーフ(アニヲタだった)」や「あぶく(「約三十の嘘」の製作に携わっていた)」を探すが、そこは旅館のカラオケなので、曲数に限りがあり、リストにない。でも彼の十八番のこの曲はあった。



どれくらいの曲を歌っただろうか、大学時代の夏の思い出の曲チューリップ「青春の影」で〆。

布団に入り、再び語らい、しばらくして眠りについてしまった。

明けて日曜日、朝風呂に入り、朝食を済ませて、チェックアウト。最寄の上信鉄道吉井駅へ。ローカル線だから、とても味わいのある駅舎だった。

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ここからガタンゴトンと揺られて高崎駅へ。全国的に有名なガトーフェストハラダのラスクを御土産に新幹線で帰途につく。

また来年も彼に会いに来ようと思う。