3年前の夏にご縁が繋がり始めた献水の滝物語の活動が丸3年を迎えようとしています。
6がつく日の滝入りは100座、
8月6日の一斉献水は3度目を迎え、初の平和公園での募集、受付と相成りました。
自分でも、意気込んでいるのか及び腰なのかわからない、公園を歩く海外の方への声かけはほぼ全滅、、
振り返ってみました。
***
「献水ってなに?」
って聞かれて、
「原爆で亡くなった方、慰霊碑にお水を捧げること」
って答えて、そのアクションは伝わったようだったけど、その意味、意義はまったく伝わってませんでした。
あとから
はっとしました。
「光」
「爆風」
「熱」
「放射能」
「黒い雨」
そして、
「唯一その人の存在を残す写された人影」
「皮膚の奥、肉を貫いて刺さったおびただしい数のガラスの破片」
「振袖のように垂れ下がった皮膚」
「生涯命を脅かす後遺症」
「毒がはいった水」
「元安川に水を求めて溢れかえったひとびと」
広島にいる私たちが常識として知っている原爆のイメージ。
なぜ「コップ一杯の水を捧げるのか」、容易に共有できるそのイメージは、海外から初めてここを訪れ、公園を歩くひとの中にはないんだということ、
原爆の犠牲者にだからこそ、このコップ一杯のお水を捧げたいという祈りは、
伝えなければ共有できるものではないということを、
改めて知った日でした。
伝えるには覚悟がいる。
「知ってほしい」と思わなければ、伝わるためのアイディアも湧かない。
「原爆献水」、「慰霊碑にお水を捧げる」といえば伝わると思っていた自分が恥ずかしくて穴に入りたかった平和公園の朝、、。
***
午後、
献水して回りました。
これまでは、手を合わせるときに何を?ってあんまり考えてなかった。
けど、今回何を祈る?と立ち止まって、、
「二度と過ちを繰り返しません」
もうそれしかないって思った。
でも、そう祈るには覚悟がいる。
手を合わせて祈りながら、自分のなかにその言葉を刻み込んでいく。
この活動がはじまった最初の時から、
ずっと知りたかったこと。
たったひとりで、
半世紀以上もの間、滝の観音でお水を汲み、原爆慰霊碑にお水を捧げ続けた「うねおばぁちゃん」
その原動力は何だったんだろう?
どうしてそんなことができたんだろう?
目の前で、水を求めながら亡くなっていった方々への悼み、
それだけと思いきれなくて、
心の底で脈々と問いかけてきた。
その答えかどうかはわからないけど、
「平和を願う祈りに終わりはない」
もし、この世から原爆げ消えても、だから恒久の平和が保障されるわけではない。
今日いちにち平和な自分であること、
決して平和を勝ち取るために争わないこと、
日々、自分に誓い続けること、
祈り続けること、
その意思を伝えること
祈りに終わりはない。
一歩歩き出したら、止まることはないんだなと思った。
なんだか腑に落ちた。
なんだか肩の力が抜けた。
特別なことはなんにもなくて、
祈りは平常心。
淡々と、当たり前に日常に根を張っていくように、
穏やかに育んでいこう。
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