幕張ハウスとは線路を挟んだ海側に | 小さな宝物のブログ

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幕張ハウスとは線路を挟んだ海側に
千葉街道に面してこんもりとした
小山が森を茂らせています
この小山は大須賀山といって
古くはこの山の下まで海が面して
幕張城の支城 大須賀砦が
置かれていました

大須賀山には
幕張城主で東常縁に討たれた
馬加康胤の首塚があります
馬加康胤は主家を滅ぼし
千葉家の当主の座を奪ったのも束の間
室町幕府の遣わした東常縁に
市原の方で討たれ
最期はそこで自害して果てたと
聞きますが
家臣がその首を持ち帰り
ここに供養したのだと伝わります

馬加康胤は叛逆の臣
そんなイメージばかりで
見てしまいますけど
この裏にも
鎌倉(古河)公方 足利氏と
室町幕府・関東管領 上杉氏の
対立があり
室町幕府に直属する意識の高い本家
千葉胤直と その老臣 円城寺氏に対し
古河公方 足利成氏から
直接 支援を頼まれた馬加康胤は
円城寺氏に含む所のある原胤房が
焚き付けたこともあって
反旗を翻したのです

この時代の関東は
関東公方なんていう
鎌倉時代の遺物が
いつまでも残ったせいで
最後までまとまりつかずに
小田原北条氏の台頭を
まんまと許してしまいました
それぞれに
理も義もあるので
ますます ややこしい関東大乱なのです

馬加康胤が滅ぼした千葉本家
その甥にあたる千葉実胤・自胤兄弟は
市川城を落とされて武蔵に逃れ
太田道灌を頼ることとなるのです

大須賀山は堂の山ともいって
幕張あたりでは
ちょっとした
ミステリースポットとして
畏れられているそうです・・・
Σ(ll゚Д゚ll)
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