先日、お琴の先生である友人の公演を国立劇場に見に行ってきました。
そこで感じたこと、驚いたことを綴ってみます。
友人は当日三弦(お三味線のような三本の弦の楽器)を担当していたのですが、
まず驚いたのが、手元を一切見ないで演奏していたこと。
三弦は、ギターのようにコードの目安になる線(なんていう名前でしょう?)が
ありません。
つまり、どのあたりを押さえて弾けば目的の音が出るかは、
稽古によって身体に叩き込むのでしょう。
さらに、撥を当てる場所も一切見ない…
弦は三本。どの弦に撥を当てるかで当然音は変わりますよね。
なんという熟練!と思いました。
一方、お琴や十七弦を演奏される方は、手元を見ながら弾かれます。
どちらがすごいとか、そういうわけではないのですが、
演奏しながら手元を見続けることができるのはなぜか。
指揮者がいないからです。
指揮者を見る必要がない。
弾き始めをリードする方がいらして、あとはお互いを感じ合いながら合奏されているのです。
大人数になると、舞台一杯に広がっていらっしゃるのに、
息が合っているのは本当にすごいことだと思います。
その極みは、尺八の方たち。
吹き始めをリードする方が、大きく息を吸うしぐさに合わせていらっしゃるのでしょうけれど、
それにしても舞台の端にいらっしゃる方には見えなくて当たり前の距離。
普通に使っている「息を合わせる」という言葉を、体現されている様子に、
感動してきました。
これも一つの「仕合わせ」のカタチだと思います。
舞台の様子は撮影禁止だったので、休憩中の緞帳を記念に撮ってきました。
ま、雰囲気ということで。