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他人にモノを頼むということ

私は他の人に比べて、知識、経験、人脈などが豊富であるため、よく他人が何かを頼んでくることが多い。

頼ってくれるのはありがたいことなのですが、時と場合によっては、拒否したいこともある。

 

ここ最近で2件似たような頼まれごとがありました。

ひとつは、合併のための相手先会社を知らないか?

もうひとつは、採用するための適任者を知らないか?

 

そうなのです。

頼まれ事の内容が、「醤油が切れたから、ちょっと貸して」とかのレベルじゃないんですよね。(今どき、醤油が切れたからといって、隣の家に借りに行くことはないが・・・)

 

その前に、「弁護士を知っていたら紹介してほしい」というのもありました。

そんなさー、私、弁護士協会じゃあるまいし、聞けば何でも知っていると思わないでほしいんだけど・・・

この人の場合は、浮気して家を出て行き子供の養育を放棄したダンナと離婚調停をするために、信頼できる(仕事をしてくれる)弁護士を探している、ということで、経済的にもお気の毒な状況だったので、「私は知らないが、どうしても必要なら知っていそうな知人に聞いてもいい」と伝えました。

 

おそらく、こういう頼み事をしてくる人は、「とりあえず聞いてみよ」ぐらいの軽い気持ちで聞いてくることが多いので、すべてを真に受ける必要はないことは、私も人生経験上学んでいます。

 

そして、もし仮に該当者(このケースなら弁護士のこと)を知っている場合でも、本当にその人を引き合わせていいのかどうかを、自分なりにちゃんと判断するでしょう。

というのも、もちろん、その弁護士が離婚調停が専門分野かどうか(弁護士といえども、民事か刑事か、個人に強いか法人専門かなどあるので)の判断もあるので、専門外だったら、紹介してもしょうがない。

しかし、もっと重要なのは、頼んでくる人の経済力や常識を見極めること。

よくいますね。

「あなたの紹介なら、安くしてくれるかな」

とバカみたいなことを平気で言ってくる人。

そういう人は恥ずかしくて絶対に紹介しません。

相手にも失礼です。

そんなことを言う人は、自分で探そうと思えば探せるけど、面倒くさいし、人の紹介なら安くしてもらえるという下心がある。

それがわかれば、そんな人には絶対に協力しません。

 

私は、基本的にはボランティア(無償)で他人に何かをするのはイヤです。

本当に恵まれない境遇の人には対価は要求しませんが、一般的な人は、たいがい自分でやろうと思えばできるが、手っ取り早く他人に頼っていることを知っているので、完全無償というのはマナー違反だと思っています。

 

きちんとした人は、お土産をあげただけでも交換に何か別のものをくれるし、時々お米やタケノコなど頂きモノの旬の食材をお裾分けすることがあるが、やはりお礼にモノをくれたり食事をご馳走してくれたりする。

他人に借りを作らない、という精神なのかもしれないし、持ちつ持たれつを理解しているからなのかも知れませんが、そういう人には、次回も持って行ってあげよう、という気持ちになります。

反対に、もらいっ放しでお礼を何もしない人には、次回はありません。

 

ところで話を最初に戻すと、合併の相手先企業を探してほしいケースも、採用のための適任者を探してほしいケースも、どちらも、私は無償で協力する気はありません。

よく考えてください。

それを紹介したからといって、私に何かメリットはありますか?

何もないですよね。

では、頼んできた人にメリットは?

大有りですよね。

 

合併はそもそも業務拡大、収益拡大のためにするものなので、相手先企業が見つかれば、その会社(頼んできた人)には将来的に大きな収入・利益を得る可能性が高い。採用する適任者だって、その会社が収益を拡大させるために採用するわけだし、それを頼んだ側には大きなメリットがある。だから、それを専門とする商売があるのですから(M&A専門コンサルティング会社や人材紹介会社)。本来なら、そこに頼めばいいのに、「面倒くさいから」「コンサル料を払いたくないから」という魂胆で人脈の豊富そうな人に気安く頼む。もちろん、「知人の知人は安心できるから」という理由も存在するが、その場合は頼んだ時点で「謝礼はしっかりするから」と相手に告げるべきで。

 

つまり、こういう大きな依頼を無償で引き受けるなんて、私としてはちょっと腑に落ちない、というわけです。

もちろん、「食事をご馳走する」とかで誤魔化されるつもりもない。

 

なぜなら、本来なら、適任者を探す場合は、人材紹介会社に依頼すれば、年収の30%を紹介手数料として支払わなければならない。最低でも100万円のお金が動く。合併のケースなら、スケールの大小にも寄るが、小さくても数千万規模、大きければ数億から数十億の規模で買収するだろうし、M&Aコンサル会社に支払う手数料だって数百万から数千万円が動くはず。

わかりますよね、私が言いたいこと。

専門会社に頼めば数百万から数千万円必要な費用をケチり、個人の人脈に頼って無料でやってもらおうなんて調子の良いことを思っている人には協力しない、ということです。

そういう大きな依頼ごとは、きっちり謝礼をいただかなければ、協力する気はありません。

 

そもそも、ちょっと考えてみればわかるはず。

なぜ専門会社に依頼すれば、それだけ大きな金額を払わなければいけないのか。

なぜなら、適任者を探す、相手先企業を探す、いずれも今ある情報を右から左に流すだけのような簡単な話じゃない。紹介のため多くの情報を得なければいけないので、多くの人の手を借りる必要が出てくる。

例えば、私がそういう頼まれ事を受けた場合、自分の知り合いに適任者や適当な会社がなければ、それを知っていそうな人に「こういう話なんだけど、誰か良い人(会社)を知っている?知っていたら紹介してほしい」とお願いするわけですね。

つまり、何人かの手を煩わせることになるのです。

人を動かす、他人に労力をかけさせる、ということは、お金がかかる、という事実を認識すべきです。

それを気安く無償でやってもらおうなんていうのは、虫が良すぎる話なのです。

 

もちろん、例外もありますよ。

個人がこれから小さな会社を立ち上げようとしている場合や、困窮した境遇に陥っている個人である場合などは、その人を応援する、救済するという意味から、無償で協力するのはよくあることです。その場合は、「有償で」と言っても、相手に支払える能力がないのはわかっているので、そんな人からお金は取れない。

しかしそういう場合であっても、その時の恩を忘れず、将来その人が経済的余裕が出たときにきちんと恩返しをしてくれるであろう人でなければ協力しません。

 

誤解があるといけないので言いますが、別にお金がほしいわけではない。心の問題です。マナーの問題です。

 

日本人は、「サービス」や「情報」はタダ(無料)だと思っている人が、いまだに多くて辟易します。

世の中には、無料のものは存在しないと思ったほうが良い。

無料である以上は欠陥品であっても文句は言えないし、無料でなくとも格安であれば正規料金よりもリスクが高いのは仕方がないと覚悟すべき。

 

ともかく、他人にモノを頼むということは、他人の手を煩わせること、他人に時間と労力をかけさせることであるので、それにはしかるべき謝礼が発生すると認識することが大切です。

自分だけが便益(メリット)を享受するのではなく、それに関わる全ての人がメリットを得られるようにしなければいけない。

そういう場合でなければ、他人にお願い事をしてはいけないのです。

そうでなければ、きちんとお金を払って専門業者に依頼すべきなのです。

 

謝礼といえば、金銭がいちばんわかりやすく簡単ですが、金銭謝礼でない場合、頼んだ相手がビジネスをしていれば、その人の商品を買ってあげたり、有償サービスを利用してあげて、「お互い様」とするのでもいいです。その場合だって、謝礼が100万円、1000万円相当のものに対して数百円の商品を買ってあげて御破算(ごわさん)だなんて虫の良い話ではいけません。謝礼に見合う金額の購入をして、はじめて「お互い様」が成立するのです。

それを「ご飯ご馳走して終わり」とするならば、その人の ビジネス感覚を疑ってしまいます。

 

他人から頼られるのは、自分の能力や存在を認めてもらっているからなので、非常にありがたいことなのですが、中にはこのように「無料でやってもらおう」という浅ましい魂胆で、他人に労力を掛けさせること(他人を利用すること)に何の罪悪も感じていない人もいるので、相手を良く見極めて、依頼を引き受けるか断るか、しっかり判断しなければいけませんね。

 

もう一度言います。

他人にモノを頼むとお金がかかる、ということを忘れてはいけない。

何でも無料でやってもらおうと思う人とは、距離を置いたほうが身のためですね。

 

誰でも、自分にメリットのないことには関わりたくないものですので。

常に相手のメリットも考えて相手を巻き込む、これはビジネスのみならず、人間関係を友好に保つうえでも、非常に重要な感覚ではないでしょうかね。

 

途中でやめる勇気

久しぶりに、全くもってつまらない本を読んでしまった。
著書名は避けますが、松下電器の改革内容綴った本。
読み終わった感想は、「回顧録?自慢?昔取った杵柄?何が言いたい?」ということで、久々に得るものゼロの内容でした。

今どき大企業の論理なんて流行らない。
大企業に所属しているから自分は凄いんだ、偉いんだと思っているのは本人だけで、一歩その組織の外に出ると、社名の鎧を持たない自分が如何に無力であるかを思い知るものです。

今日も、車で走っていたら東芝の工場があり、「ついに東芝も終焉が近づいているね。東芝が倒産したら、ほとんどの社員が路頭に迷うね。外部が欲しがるのは、研究開発していた技術者ぐらいで、あとの人たちは外部ではまるで使い物にならないから」と話しておりました。
きっとこういう大企業に所属していた人たちは、過去の栄光ばかりを回顧して、現実を直視できないという、実に不憫な癖が身に染み付いている。
「所詮、自分は何者でもない」と謙虚な姿勢を持つべきですね。

そして話を元に戻すと、こんなにつまらない本なのに、最後まで読んでしまったのは、「とりあえず、最後までやってみる」という私の性格というか癖のせいなのです。
「諦めないで、最後まで続ける」と言えば、どちらかといえばプラスのイメージですよね。
でもこの癖も、時と場合による。
意味がない、得るものがないと感じたら、いつまでも執着せずに、さっさと放棄するべきなんですよね、本当は。
それを、放棄せずに最後までやってしまう理由は、「そうは言っても、もしかして最後に大どんでん返しで、すごく有益な結果を得るかも知れないし」と欲をかいてしまうから。
でも、最初の直感はかなり正確で、はじめに「面白くない」と感じたら、ほぼ9割やっぱり面白くなかったで終わる。
そう考えたら、確率的にやはり時間の無駄。

私の課題。
時には途中でやめる勇気を持つこと。

人生は長いようで実に短い。
特に後半に折り返してからは、一年があっという間に過ぎていく。
そんな時に、つまらない事に執着して時間を無駄に過ごしてはいけませんね。

人間関係も同じ。
つまらない人間と関わるのは時間の無駄。

とにかく何においても、得るものがないと感じたらさっさと切る。
その勇気を。

あっという間の春

天気予報を見ると、今週は20℃超えに突入じゃないか!
春はどこに行った?
せっかく痩せて、何でも着れるようになり、春物のジャケットやコートが登場かと思っていたのに、20℃超えたら暑くて着れない…
最近、ここ10年ちょっと、春と秋が10日ほどしかないような気がする。
先ほど、冬服を片付けながら、春物と初夏物を出していました。いちいち着れるか確認しながら…というより、ぜんぶ着れるので、着るあてもないのにトップとボトムをコーディネートしながら、鏡に映った自分の姿にウットリ。
あぁ、ナルシスト魂の復活だ!