エキスパートアイズのブログ -2ページ目

モチベーションの高い女性は今すぐ東京へ出てきましょう

SNSって面倒くさいですよね。

ご飯がどうとか、どうでもいいような低俗な話題か、高級ライフや高級イベントがどうとか、自慢ネタばかりがもてはやされて、政治ネタとか経済がどうとか、はては人生観とか自分の意見がどうとか、そういう真面目な話は「重い」と一蹴されて、嫌われるわけでしょ。

でもさー、真面目に生きていれば、頭に来ることもあれば、泣きたくなるような辛いこともあるし、恨みつらみだって発生するわよね、普通は。

それが顔出しSNSで受け入れられないのならば、発散の場はブログしかない。

 

ということで、私はブログで大衆受けしないような「重い」話をぶちまけているのです。

 

別に楽しんでもらおうなんて気持ちは毛頭ない。

 

人間には必ず光と陰の部分がある。

光の部分はSNS、陰はブログ。

上手に使い分けしているだけですね。

 

東京に戻って6年。

つくづく戻って良かったと思います。

なぜなら、田舎は知性と教養のある女性が住む場所ではないから。

 

東京とその周辺にはもちろん低俗な人間も住んでいますが、知性と教養を備えた女性が地方から上京してくる割合が圧倒的に高い。

数字で言えば、知性&教養女性:凡人女性の比率は、田舎だと1:9(いや、1:99かも)ぐらいなのに対し、東京は5:5ぐらいに跳ね上がると感じます。

会社内の仕事ができる・できない人の比率を、足を引っ張る人:言われたことだけこなす人:会社を牽引する頭脳組=2:6:2とよく言いますが、人口分布だって同様で、この頭脳の2にあたる女性たちが、一斉に地方から東京へ上京してくるので、東京の女性に限って言えば、ダメ人間:平凡:頭脳=2:3:5ぐらいに感じますね。

そして、ありがたいことに、東京は人口も多いので、知性&教養組はわざわざダメ人間や平凡な人たちと交流する必要がない。凡人と交流しなくても、十分に知性ある友人たちを多く持つことができるのです。

これが、田舎に行くと、知性&教養のある同類の女性を見つけるのに一苦労。

1:99の比率的に考えれば、100人のうちようやく1人が知性&教養組ということです。

かつて私が住んでいた金沢市、人口は40万人、行動範囲の周辺の町を含めてもせいぜい50万人。前述の比率から、その中で知性&教養組は5000人。これを年齢層で割り込むと、私と同年代で話が通じそうな年齢層は35~55歳と考えて、34歳以下:35~55歳:56歳以上がだいたい1:1:1の割合だと思うので、5000人÷3=1600人。おや、意外といましたね。みんないったいどこに隠れていたのでしょう?

田舎でも特に日本海側は男尊女卑が激しく、女性が意見することは許されがたい風習が根付いているので、きっと知性&教養組の女性も、周囲から抑圧され、能ある鷹は永遠に爪を隠し続けて人生を終えていたのでしょう。だから私は1600人に出会うことができなかったのでしょう。

 

しかし、東京は天国です。

ちょっとしたイベントに行けば、そこには知性&教養組の女性の宝庫。

うじゃうじゃいる。

そして、みんな明るく元気で、自分を上手に表現している。

能力を隠す必要なんてひとつもない風土。

特に私のように、田舎で不当にいじめ抜かれた人間にとって、この環境がどれほど心地よいことか、こんな楽園を知ってしまったら、もう二度と田舎なんて行くもんか、と心に決めますよね。

 

そういうことです。

 

私がしつこく言う「知性&教養組」とは、どんな女性なのか?

まず最初に、キレイでオシャレな人が多い。

学校のお勉強ができるかどうかは、あまり関係ない。

別にオール5の秀才である必要はない。

ただし、何かひとつは光る能力をもっており、それを自分で理解し上手に活かしている。

その能力に自信がある人が多い。

そして、現在の自分に安住することなく、常に向上心を持ってより良くなろう、もっと自分を高めようと努力を重ねている。

目標を達成しようとする、モチベーションがとても高い。

自分が努力しているので、頑張っている他人も気持ちよく応援できるし、他人の成功を妬んだり、嫉妬するようなことはない。

そう、「他人を妬んだり嫉妬しない」、これが田舎と東京のもっとも異なる点なのです。

 

田舎の人間は、努力もしないくせに、他人を妬んで嫉妬することにかけては人一倍うまい。

だから、田舎にいる知性&教養女性は、周囲から妬まれるのが怖くて、自分を伸ばすことができないのです。

平凡な人間は、優秀で目立つ女性を目の敵にするからです。

うっかり自分を表現してしまったら最後、私のようにイジメ抜かれて、コテンパンに叩かれ、再生できないように潰されてしまうわけですね。

昔で言う「魔女狩り」です。

大袈裟でもなんでもない。経験したのだから、本当のこと、事実。

 

これからも、優秀な女性は、ますます東京に集中してくるでしょう。

東京の男性もたいへんですよね、半分ぐらいが優秀な女性だから、自分も頑張らないと付き合ってもらえないし、結婚なんて夢のまた夢。

男性特有の「自分より格下の女性を選ぶ」習慣から考えれば、平凡な男性は選べる相手が少なすぎるわけですよ。

それで、仕方なく一生独身でいるか、どうしても結婚したければ、東南アジアや移民の外国人と結婚するか、田舎へ戻って選びたい放題の平凡な女性と結婚するしかない。

高望みしても、東京では相手にしてもらえないのです。

お気の毒様。

 

そういうわけで、私にとって東京は、なんと快適な空間であるか。

私だけではない、きっと、田舎で不当な扱いを受けた経験のあるすべての優秀な女性にとって、東京は楽園です。

 

もし、今でも田舎で不当な扱いに悩んでいる優秀な女性がいたなら、私は声を大にして言いたい。

「早く東京に出ていらっしゃい!」

 

人生は一度きりです。

くだらない妬みや嫉妬によって自分を殺すのはあまりにもったいない。

そんな時間は無駄そのものです。

時間はお金よりも大切です。

限りある時間を、少しでも快適な状態で過ごしましょう。

悲痛な表情で暗く影を潜めて生きるより、明るく笑顔で楽しい仲間と楽しい時間を共有したほうが、どれだけ有意義なことか、もう言うまでもありませんね。

 

そうして、優秀な女性が、もっともっと、東京に溢れかえってくれると嬉しいな。

 

6年の歳月

気がつけばもう6月。
慌ただしい毎日に忙殺されていたら、前回からとっくに1ヶ月以上経ってた。
途中何度かブログを書こうかと思ったこともあったが、気分がもうひとつ乗らず、結局放置。

ちょうど1ヶ月前、世間がゴールデンウィークでバカ騒ぎしていた時、私の最愛のペットが急死し、悲しみのどん底にいました。
まさにペットロスに浸り続けたゴールデンウィーク。
テレビをつければ世間のバカ騒ぎを目にして癇に障るので、その一週間は一度もテレビをつけることなく、ネットもほとんど見ず、誰とも会わず、どこにも出かけず、ずっと家に引きこもって、静かに喪に服していた。

その時感じたこと。
友達って言っても、冷たいものだなー。
悲しみのどん底にいる私を慰めてくれたのは僅かに数人だけ、片手にも満たない。
それ以外の友人(らしき人)は、沈黙を固持し、見て見ぬふりに徹していた。
彼らは、楽しい事には反応するが、悲しい事、重苦しい事には一切関わりたくない、ということだ。
人生には喜怒哀楽が存在するのに、その楽しい事と喜びにだけしか共鳴できないとは、なんと幼稚で未熟なのだろう。
悲しみのどん底にいる友人に寄り添ってこそ、真の友人であろう。
ペットの死を通じて、友人の実態を知ることが出来た。
彼らのペットもいずれ死ぬ日がやってくる。

さて、話は変わるが、私の時間が止まってから6年が経つ。

先日大量買いした靴を整理した時に、しばらく眠っていた靴を何足も発見しました。
その内の一足を昨日久しぶりに履いて出かけた。
実に6年ぶりの靴だが、コンディションは悪くない。
しかし、歩き出して足に不快感を感じ始め、食事後にもう一度歩き出したら、足に締め付けられるような圧迫感に襲われ、あえなく半日でダウン、痛みを我慢できず帰宅して靴を交換してしまった。
この靴、以前もこんなに足にフィットしていなかったっけ?
考えられる原因は、この6年の間、ほとんど外出せず、ましてやパンプスやヒールの高い靴など履く機会も気分もなく、いつも裸足でいるか、外出ならペタンコ靴を履いているうちに、足の形状が拡がってしまったのではないかと思われる。
そして運動不足による体重増加も足への負担に追い打ちをかけ、先の細いパンプスや高いヒールにより足先への加重が倍増し、圧迫による締め付けで足の痛みは極限に達したのだと分析。

ロクなもんじゃないね。

6年間の私の止まった時間。
6年間の私の死んだ時間。

こんな無様に落ちぶれていく私の様子を読んで、大喜びしている数名の顔が浮かぶ。

そうです。
あんたらが人の不幸を面白がって大喜びするだろうと思って、わざわざ不幸な話ばかりを書いてあげているのです。
あんたらが今日もまた、他人を陥れることで優越感を得られるように。

靴の足の痛みと共に6年前を思い出す。
この6年間、一日たりとも奴らに対する恨みは忘れたことはない。
そして、いつか奴らのクビを締めに行く。
必ず行く。
6年という歳月がどういうものなのか、奴らは震えながら思い知ればいい。
社会的な抹殺に対抗できるのは、この世からの抹殺しかない。
クビを洗って待っていろ。
その日が明日なのか、1ヶ月後なのか、1年後なのか、10年後なのか。
いつとは言わないが、必ず行く。
この底知れぬ恨みを晴らすために。

舌が肥えた?味が落ちた?

先日、久しぶりにヴィドフランスでパンを買いました。
いろんな駅にあり、味も悪くなかったので、以前は時々利用していました。
しかし、最近は「人気」と評判のパン屋に、わざわざ車で行ったり、大行列を並んだりして、パンごときにかなりエネルギーを注いでいた。
そのせいか、久しぶりに買ったヴィドフランスのパン、ぜんぜん美味しくなかった…。
バゲットがなくて代わりに買ったバタールなんて、あまりの不味さに驚愕してしまったほど。スーパーで売ってるヤマザキのバタールよりも不味かった!
何なの?私、昔はこんな不味いパンを食べていたのか?

確かにそうかも。

私は昔、フランスパンが嫌いでした。
皮が硬くて歯茎に突き刺さるし、中の白い身だって焼くと壊滅的な味と食感になるから。
よくあんな不味いパンを、フランス人は喜んで食べるもんだ、と思っていた。
ところが、本場フランスやヨーロッパの国々で売られているフランスパン(バゲット)、初めて現地で食べた時に、あまりの美味しさに目からウロコ、それこそ、スーパーの1ユーロもしないバゲットでもヤマザキの100倍、いや、比較にならないほど美味しくて、それまで私が食べていたものは、いったい何だったのか?と脳天をぶち抜かれたような衝撃でした。
それ以来、日本でも時々バゲットに挑戦していますが、スーパーでは絶対に買わず、評判のお店のだけです。
味や食感は飛び上がるほど美味しい訳ではないが、ヨーロッパで買うバゲットと比較してもまずまず良い勝負。
残念なのは、日本のパン屋のバゲットは、200円以下のものはほとんどなく、だいたい250〜300円くらい。ヨーロッパ価格の約2倍。同じ材料を使っていて、なぜ日本でそんなに高いのか疑問ではあるが、仕方ないので、高くても買います。

そんな訳で、ようやくバゲットを美味しいと理解できるようになり、気が緩んでいたのでしょう。
久しぶりのヴィドフランスにまんまとしてやられました。

これは、何年もの歳月と経験を経て、私の舌が肥えてしまったからなのか、それとも、ヴィドフランスの質が落ちてしまったのか。
どちらかわかりませんが、あの不味さ、もう二度と行かないでしょう。

よく「バブル期の女は扱いにくい」と言われますが、納得です。
なぜなら、たかがパンひとつとっても、こんなにこだわりがあるのですから。
歳を取れば取るほど妥協は許されず、良いモノだけを追求していく。
激安スーパーには目もくれず、有機栽培の野菜しか置かない高級スーパーをこよなく愛する。
こんな女と結婚したら、いくらお金があっても足りません。平凡なサラリーマンは決して近寄ってはならない存在なのです。

自分では、そこまで高慢ちきな女だと思っていなかったが、今回のヴィドフランス事件で、私も実は高慢ちきの仲間入りしていたことが判明。

嗚呼、もう庶民には戻れなくなってしまった。
パンがないなら、ケーキを食べればいいじゃない…!