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金持ちが不幸に見えるわけ

この間、友人の数にはキャパがある話を書いた後に、ふと気づきました。

何も友人数だけじゃない、もともと人間が所有するものにはキャパがあるんじゃないかと。

所有物というと、何か目に見える物質だけを指していると思うかもしれないが、私が言いたいのは、目に見えないものも含んでいる。例えば、お金などの財産、友人など人間関係、嬉しいや悲しいといった感情、知恵や能力、体力、欲望、情けや慈悲の心。
そういうもの全てを合わせてその人の所有物と考え、人間の所有キャパが決まっていたなら、あとはキャパを満たす内容物の割合の違いだけかな、と。
すごく若い時は、まだ得るものも増加している最中だから、なかなかキャパが満杯になることはないが、ある年齢に達すると、さすがにキャパに余裕がなくなってくる。ある時突然花粉症になってしまうのと同じで、まだまだ手に入れようと思っていても、ある日突然「容量オーバー」で急に写真を撮ることもテキストを保存することもできなくなってしまう。それが人間のキャパ。そうなると、あとは何を残して何を捨てるかの取捨選択しか方法は残ってない。
そして気付いたのが、お金に執着して、いい年してもいつまでも金儲けのことしか考えてない人や、お金を溜め込んで使おうとしない人なんかは、人間のキャパがお金のことでいっぱいになっているので、その他のものが入る余地がまるでないんだよね。信頼できる友人や、他人から受ける親切、楽しい気持ちや幸せな時間、そういうものが「お金」に追いやられて、その人に近寄ることすらできない。
だから、金持ちや金の亡者は幸せそうに見えないんだろうな。
考えてもみて。
自分の身体じゅうがカネ、カネ、カネ、お金のことしか考えていなくて、血肉すべてがカネに侵食されているとしたら?
ゾッとするわ、私なら。
なんかドス黒いドロドロした血液が身体じゅうを巡っているようで、汚らしくて気持ち悪い。
でもまあ、実際にそういう人はたくさんいるもんね。なんか、本当にいい年した中年や老人が、まだ飽き足らずにお金に執着し続けている姿。本人は気づかないだろうが、周囲からは「哀れな人」としか映らない。それすら本人はわかっていない。

可哀想な人たちですよね。
あんなに欲しかったお金を手に入れたことにより、キャパがなくなり大事な友人を失う。お金に執着して減らしたくないがために、金儲けの欲望ばかりで心が満たされ、楽しさや幸せな感情が入る余地すらなくなる。
本当は、お金に対する欲望を捨て、持っているお金も他人に分け与えれば、その分キャパが復活して、友人も幸せも舞い込んで来れるというのに。
そんなことすら気付けないなんて、本当に不幸な人たち。

だから、金持ちはみんな、幸せそうに見えないのですね。
すごく納得。

私は、お金に執着する人間どもに酷い目に遭わされたので、今は、お金に執着しているような言動が見えた途端に警戒して、その人から離れるようにしています。
だって、不幸な人と一緒にいると、不幸がこっちまで移っちゃうからね。
そうして、つい最近も二人ほど友人リストから追放しました。

やはり、どうせ一緒にいるなら、楽しそうにしている人がいいよね。お金の有無は問題じゃない。どんな境遇でも、どんな人生でも、楽しんで生きている人と仲良くしたい。
そういう人は、きっと顔色が良く、サラサラの血液が身体を循環しているんだろうね。

クチばっかりな人が大半で・・・

昨晩から急に鼻づまりで寝苦しく、頭はボーっとするし、微熱もある。

きっと花粉症ですね。

まいったな、今週末は大酒飲みの予定なのに。

飲酒は鼻づまりを促進するし、抗アレルギーの薬は飲酒を控えなければいけないし。

さらに悪いことには、全身が痒くてしょうがないんですよ。

最初は首周りだけでした。

きっとユニクロの化繊バリバリのヒートテックのせいだと思います。

それが、なぜか全身に波及している。

手も足も、お腹も背中も、脇もお尻も、とにかく痒くてしょうがない。

もうこうなったら、化繊の下着厳禁で、グンゼと仲良くなって下着総入れ替えです。

でも、縫い目とかゴムの部分とかが相変わらずポリエステルとかなので、結局痒さは納まらないわけで。

もう、レースもオシャレも何もいらないから、綿100%の布一枚を体に巻きつけて過ごしたいです。そんな姿は誰にも見せられませんが。

 

最近、いろいろな友人と会うなかで、別々の二人の口から同じセリフが飛び出した。

 

「みんな、クチばっかりなのよね」

 

一人は、イベントを企画する女性で、「今度こういうイベントする予定で」と仲間内に漠然と話した時点では、「いいねー、行きたい」と前向きな返答が多数あるが、いざ本当に募集をかけると、そんな発言なんてなかったかのように、参加者がちっとも集まらない、ということです。

そしてもう一人は、来月から海外赴任が決まった女性で、同じように友人知人たちは「遊びに行くね」と言うのだが、「結局、実際には本当に来てくれる人なんてわずかしかいないんだよね」と下手な期待を持たずに冷静だった。

 

私は口に出したことは、かなりの確率で実行するし、特に相手がある場合はそうしなければ相手に失礼だと信じているのですが、世の中の大半の人は、そんなことひとつも思っていないのでしょうね。

なんか、またしても正直者はバカを見ています。

もし私が「行く」と言ったのに行けなくなった場合は、「ごめん」と謝って行けなくなった理由を伝えるし、それが礼儀だと思っています。

しかし、「クチばっかりの人」は、その場でいい顔をしたいだけなのか、それともその時は本当に行きたいと思って口走ってしまったが現実を振り返ると無理だから実行できないのか、どちらなのかはわかりませんが、いずれにしても、「行く」と言って行けなくなった場合でも、連絡もせずもちろん謝りもせず、ただ時間をやり過ごすだけ。

「そんな相手に失礼なことしたら、次にその人に顔向けできないじゃない」、と思うのはバカ正直な私だけで、「クチばっかりの人」は、その行為が相手に失礼だとは頭にもなく、平気な顔してまたその人と会おうとする。そしてまたクチばっかりの約束をして相手を裏切る。その繰り返し。

しかし、その手の人があまりに多く存在し、私みたいなバカ正直者は世の中の5%ぐらいしかいないということが、友人たちと話していてよくわかりました。

 

ああ、政治家は100%「クチばっかり」でしたね。

上がああだから、下々の人たちも、口約束なんて反故にしてもまったく意に介さないのでしょう。

 

バカ正直な人がクチばっかりの人と接触すると、非常に疲れます。

「世の中、クチばっかりの人だらけ」とわかった今は、調子のいいことを言われても適当に聞き流し、軽く受け流すようにし、相手にほとんど期待を持たないことにしています。

「せいぜいみんなの前でイイカッコして見栄を張りたいだけなんだろう」と醒めた目で見て、了見の狭い可哀相な人だと思うことにしています。

そして、そんな人を信用しないことにもしています。

逆に、本当に有言実行の人に遭遇すると、感動して涙に咽びそうになる。

だって、世の中の5%だからね。

もちろん、そういう人は信用に値するわけだし、この先もこの関係を大事にしていこうと思えるのです。

そして、そういう人が困っている時には、真っ先に駆けつけて助けの手を差し伸べたいとも思えるのです。

クチばっかりの人間には、絶対に助けの手なんて差し伸べませんよ、だってそういう人は、「自分さえ良ければ相手のことなんて関係ない」と思っている人ばかりなのだから、どんなに助けてあげてもこちらの苦境の際には、もちろん「見て見ぬフリ」。絶対に救いの手なんて期待できないもんね。

 

私は6年前に、私の信用を失墜して社会から抹殺させられる、という陰謀に嵌められ、酷い目に遭いました。そしてヤツらの思惑通り、信用は失墜し、社会から抹殺され、二度と陽の目を見られないようにされました。

そのとき私自身も「あー、終わったな」と思いました。

でも、不思議なものですね。

どんなに形式的に痛めつけられようとも、人間の本質までは変えられないし変わらなかった。

だから、わずか5%の人たちは私のバカ正直で約束を守り、相手を思いやる性格をよく理解しており、「どんなに社会から抹殺されようとも、この人の人間としての信頼性は損なわれていない」と見抜いて、私から離れなかったし、救いの手も差し伸べてくれた。そして、今でも良好な人間関係を継続できています。

きっとこの5%の人たちも類友のバカ正直者なのでしょうね。

 

正直者はバカを見るというのは、世間全般で考えると本当だと思います。

酷い目にも辛い目にもよく遭わされる。

他人からよく裏切られもする。

でも、自分から裏切るようなことをしないのが、このバカ正直者の特徴なのです。

裏切られるのと裏切るの、どちらがいいか?と考えると、クチばっかりの人は「裏切るほうが良い」と思うでしょう。だって、裏切られたら自分が辛くなるから、それなら自分から裏切ったほうが自分の心は痛まない。いっぽうで、バカ正直者はもともと自分から裏切ることはないので、裏切られるのは辛くて大変だけど、結局いつも裏切られているんだよね、ってことです。もう、いいとか悪いとかじゃなく、運命としか言いようがない。

 

ただ、そういうバカ正直者は損ばかりしているかというと、そうでもないんですよね。

なぜなら、絶対的な人間の信頼性があるから。

信用できる人間だと周囲から認められるから。

 

わかりきっていると思いますが、「信用」って得るのはとても難しいです。

だからこそ、信用のない人は、信用のある人を妬み、信用を失墜させようと画策するのです。

でも、人間性としての信用は、そんな小手先の企みではそうそう失墜できないものなんですよね。だって、その人の性格なんだから。性格なんて変えられないでしょう。

 

世の中の大半を占める「調子のいいことばっかり言う人」は、きっと本当は自分に自信がなく、そのため何とかして世間に認めてほしいと思うあまり、いつも八方美人の発言ばかりして、結局その場をやり過ごすだけで、かえって信用を失っていることにも気づいていないのでしょうね。可哀相なばかりです。

でも、これもその人の性格です。

 

ここ最近感じることは、人間関係ってキャパが決まっているのかな?と。

つまり、キャパって人数のことですよ。

本当にお互い信じあって心を許せる友人なんて両手ほどいれば十分でしょう。

そして、そこまで濃厚でなくとも、時と場合によってはまあまあ付き合っていてもいいかな、と思える人でもせいぜい50人が限界かな。

それを超えると、人間関係が非常に希薄になり、わざわざお付き合いすることに意味が見出せなくなってしまう人が続出するのです。

そう考えれば、「一期一会」とか、「来るもの拒まず去るもの追わず」というのも納得。

去っていく人とは、ある時期たしかに友人であったのかもしれないし、そう勘違いしていただけかもしれないが、もうどちらか一方または双方にとって相手が必要なくなったために、キャパから除外されてしまったのだと思います。

そして、そういう不要な人間関係を整理できたことによって、また新たに現在必要である人間関係を追加することができる。キャパが空いたので、そこに補填するようなものですね。

 

今の私の状態は、不要なもの(人)がどんどん離れていってくれるおかげで、性格がよく信頼できる良好な人たちとどんどんお近づきになっている。しかも、5%のバカ正直者ばかりが増えてきている。

こんなに嬉しいことはないですよね。

なぜなら、バカ正直者は、何の警戒も持たずにリラックスしてお付き合いすることができるのですから。

例えば、何か質問とかお誘いとか投げかけて仮に数日返事がなかったとしても、クチばっかり人間は「既読無視」あたりまえなんだけど、バカ正直者は多少時間差があっても必ず返事をくれます。OKかNGの返事を明確に。そしてNGの場合でも代替案を出してくれたり。とにかく安心して待っていられる人間関係なのです。

 

理想は、私の友人すべてがバカ正直者で固まることです。

 

そのためにも、疑念を抱かせるような行動をとってくる人や、クチばっかりの人間なんて相手にせず、大事な人間関係のキャパをたくさんあけておかなければいけない。

私のキャパは50人です。

それ以上は、ふるいにかけて整理整頓することにします。

昨日まで友人だと勘違いしていた人も、ある日突然私の態度が冷たくなっても、それは気が合わなかったと思ってください。

クチばっかりの人間を相手にするほど私はヒマではないので。

 

買い物が止まらない!

今日はバレンタインデーだったのですね。
同居人は会社の飲み会だったので、夕飯は昨日の残り物でさっさと済ませ、テレビもつけず、俗世間から隔離されて静かに過ごしてました。
というか、こんな日に飲み会するって、よほどモテナイ人とヒマな人と家族に見放された人ばかりの会社なのでしょう。

毎年冬は毎月のように旅行に出かけていた私ですが、今年はそういえばまだ海外行ってないなー。

だからというか、ヒマで、時間が有り余っていて、家にボーっといると、ついつい念入りにネットを検索してしまう。
いつもは見ないで削除するメルマガまで…そして、ふだんは気にもしていないネットショップまでチェックする始末。
これが一番危険なんだな。
ネットショップを見て、無傷で終わった試しがない。つい宣伝に乗せられて、くだらない物を買ってしまい、後で激しく後悔したこと数知れず。
それなのに、何度も繰り返してしまう、学習能力ゼロの私でした。

そして今年は、痩せたおかげで、しばらく買い物していなかった鬱憤が桜島のように噴出して、次から次へと買ってしまう。
もう、買い物が止まらない、止められない!

ヤバイよねー。
今年に入って既に靴だけで10足以上買ってるわ。足何本あるの?って感じです。
そして、毎日ユニクロのヒートテックのタートルネックを着ていたら首まわりがかぶれて発疹が出て痒くてしょうがないので、代わりに、あんな化繊じゃない、もっとしっかり天然素材コットン100%のインナーを、これまた大量購入。
どうしよう、片付ける場所がない…

つい昨年までは、モノを消費して処分してどんどん減らす方向で頑張っていたのに、今年は念頭から全く逆の流れで、モノがどんどん増加している。
他の人はどうかわからないけど、処分と購入、全く逆の行動を同時に進められないのです、私は。反射的にというか、潜在意識が逆ベクトルの二つの行動に混乱してしまうんだと思う。捨てるなら捨てる。買うなら買う、どっちかにしてくれ、って心の声。
ダメだね。
そして今はさながら購買の強化月間のようです。

次に処分モードに転換するのはいったいいつになることやら…
しばらく家の中がグチャグチャが続きそうです。

でもいいのだ。
私は無類の靴フェチ。
昔は自称イメルダと言っていたほどに靴が好き。
だから、たくさんの靴に囲まれているだけで幸せなのです。
人間、好きなモノを我慢するのは良くないね。精神衛生上かなり不健全。

あとは、どのタイミングで古いモノを処分するかが問題だな。もったいながりの捨てられない性格だから。
以前は海外行ったときに現地の人にあげたり、再利用を期待してホテルにそっと置いて帰ったりしていたんだけど、最近は世界が豊かになって、貧しい人を探すだけでもひと苦労。下手したら、私の方が貧乏そうな服装だったりするしね。海外でもらってくれないとなると、日本で捨てるのが断腸の決意なわけです。ちょっと大げさか。でも、服も靴もたくさんあるから、一着あたりの使用回数が極端に少なく、2、3回しか着ていない服や靴はさすがに捨てるに忍びないでしょ。逆に好きで着やすくて何度も着用したモノは、それはそれで愛着がわいて捨てられないし。
困ったものだ。

とりあえず、今の私に必要なことは、「もう買わない!」という強い意志を養うことですね。
自信ないけど、頑張ろう…

そういう訳で、痩せて喜んでいたものの、嬉しくて衣服を大量に新調して増加し、痩せて昔の服が入るようになったおかげで捨てられず、家がゴミ屋敷になりつつあります。今流行りの「実家の片付け方」ハウツー本も顔負け状態。

今日を限りに、買い物症候群を深く反省し、もう買わないように、血と汗の努力を重ねよう。

バレンタインだというのに、くだらない話題で失礼しました。