甲斐拓也の “「新」常在戦場 ” ブログ 
Amebaでブログを始めよう!
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

瀬戸大也選手400m個人メドレーで世界新!

ラスベガスでおこなわれた国際大会(短水路)で、瀬戸大也選手が世界新!



素晴らしい!


来年に向けてますます楽しみです!!









パワーストーンブレスレットを作りに

お世の中で活躍されている著名人の方々が多数訪れるという凄いパワーストーン屋さんがあるとのことで、自分も作りに行ってみた。


電話で来店予約をしたがなかなか予約が取れず3週間後のこの日にやっと訪れることができた。


都内某所。
まさかこんな所にあるとは。
このエリア訪れるのは学生の時以来かも。



まずは電話で指示されたあるお店を探してそこに行き、そこを見つけたらそこにいる人にある事を告げると「ついてきなさい」と目指すお店へ誘導してくれるというドラクエばりの世界観。



中に通され、目標や希望を述べると、それにピッタリのパワーストーンをチョイスして、ブレスレットにしてくれる。


凄いのはここから。
完成品を自分の手のひらに乗せ、その上下から手をかざして気を注入してくれる。


すると、なんと!
パワーストーンがその気で振動し始めた。小刻みにブルブルと。


おお!確かに水晶とかってクウォーツとして振動して時計の役目を果たしているけど、こんなに手のひらで踊るとは!
そしてすごく熱くなってきた!


すごい!
石に魂が入ったようだ。



帰りの車の中でも、手のひらが熱くてたまらなかった。ほんのり手のひらが温まったとかではなく、お店を出て30分以上も過ぎてるのに手のひらが熱い。


すごいことがあるものだ。
でも科学的に考えると、水晶はピエゾエレクトリック効果といって外部から力を加えると発電し、逆に電圧をかけると振動する。
ということは、自分の手のひらで振動したのは送られた気がなんらかの電圧的な役割を果たしていたのだろうか??


すべては謎だが、早速装着し始めた。
さあ、はたして効果のほどは?
吉と出るか凶とでるか。
楽しみです(笑)。


















ニコラスペタスさん

元K-1ファイターのニコラスペタスさんと食事に。


すごいオーラで、こうしてみるとKー1ファイターとファンの少年のように見えてしまう。自分の方が5、6歳年上なのですが(汗)。



いろいろお話しをさせていただき熱い夜になりありがとうございました。

押忍!
















12月に突入し

12月に入りだいぶ寒くなってきたが、庭の植物たちはまだまだ元気いっぱい。


すべての鉢の余分な枝を林業家バリに枝はらい。
すごく時間かかったけど、みんな見違えるように元気になりました。


シクラメンはこれからの季節の植物だけど、

ブーゲンビリアとハイビスカスって熱帯の植物なのになぜこの寒さを平気で凌げるのか謎。



でも花って間違いなく人を元気にする何かを放出してると思うので、これからも城郭ばりに家の周囲をぐるりと花で囲もうと思います。



夜はおでんで。


この季節には最高です。









おばあちゃんの命日

先日のおじいちゃんの命日の僅か3日頃におばあちゃんの命日。



まさかおばあちゃんのあの日の行動が今のワクチン寄付活動の自分の原動力へとつながっていくとは想像もしなかった。



中学の時におばあちゃんと戦時中のテレビを見ていたら、突然おじいちゃんミャンマーでの戦闘機での戦闘シーンが放送された。


終了後、もう一度あの映像を見せて欲しいとおばあちゃんがテレビ局に電話すると、個人の希望では見せられないけど、その関係者の会が定期的に行われてるから参加してみませんか?と。



ということで、おばあちゃんと指示された立川へ。




そこで、なんと、撃墜されたその日におじいちゃんと戦闘機に同乗されていたかたと遭遇!


そのかたは身体は不自由になってしまったが命はとりとめたそうで撃墜され墜落して機体が炎上した時にミャンマーの救護班の人たちが飛び込んで来てくれて2人を炎の中から引っ張り出してくれたという状況を詳しくお話ししてくれた。


おじいちゃんは撃墜時の被弾で即死だったそうだが、「でもあの人のおかげで2人はあそこで灰にならずに済んだんだよ。」という一言は、自分にとって衝撃的だった。



いつかミャンマーに行ってその人たちにお礼しよう!そう思ったその日から月日がたち、自分が歯科医師になってしはじめたワクチン寄付の寄付先がミャンマーの小児麻痺のワクチンだった。



助けてくれた人たちに直接もうお礼をすることはできないが、ミャンマーに生まれてくる子どもたちの麻痺を予防するワクチンを寄付できれば間接的にその人たちへのお礼につながっていくのではないか?


それに気付いて以来、ワクチン寄付活動に拍車がかかりすごく前向きな気持ちで活動することができている。



1944年のおじいちゃんの戦死が今の自分の活動に巡り巡って繋がってくるって本当にすごい巡り合わせだが、そういうのを運命というのだろうか?



これからまだまだ頑張っていこうと思います!














宮益坂イルミネーション

オリンピアで仕事を終え、帰宅途中の宮益坂のイルミネーション。しばらく車を止めて見とれてました。
早いものでもう年末ですね。


道玄坂の反対側なので普段は落ち着いた雰囲気ですが、こうなるととても賑やかな気を感じます。


この日はこのままBRAVE直行。
普段マウスピースの製作絶好調なのだが、さらに進化させたものを作り上げるため自分自身を使って常時研究しています。



ひと練習してパラペコの時はこれ。


さつまの黒豚のレタスしゃぶしゃぶでガッツリ。


またこれから頑張ります!








サードマン


ネットでいろいろ検索していたら、世の中には「サードマン」(第三者)なるものに遭遇した人が多数いるという。




サードマンとは、命の危機に陥った時に、助かる方向に導いてくれる存在らしい。




しかし、遭遇体験談がすごく多い。

9.11の時に、ビルの中で四方を炎に囲まれてもうダメだと死を覚悟した時に、見知らぬ人がどこから来たのか突然現れて逃げる方向を指示してくれたおかげで助かった人の体験談が載っていた。後から調べたらそのような人の出入りは当日そのビルには無かったという。




また、登山で遭難して死にそうになった人の体験談では、もの凄い吹雪に襲われ右も左もわからなくなった時に、突然、人が現れて山小屋へ案内してくれ命をとりとめたが、山小屋付近でその人は消えたという。



 

サードマンという存在は一体誰なんだ?!

実在する誰かなのか?

もしくは究極の状態に脳が誤作動する幻覚?

それともそういう理屈では論じることのできない現代科学では説明できないもの?

あるいは大穴でミスター片岡(笑)?

それは一切不明だ。



自分がそのサードマンに興味を持って調べたのは、もちろんその遭遇体験があったから。



あれは2010年に富士山を登山した時に高山病になった時のこと。酸欠で一人行き倒れになった事がある。




8.5号目の時点でものすごく体調が悪く歩行もまともにできない状態になった。

でもせっかくここまで来たのだからと9号目に向かった。その変な意地が大変なことになってしまった。



おそらくそのくらいの標高だと気温は7.、8度。そんな状況で、全身酸素不足で身体が動かなくなってきて、前のめりに倒れて動けなくなった。

もう引き返すにしてもそんなところから引き返すチカラなんて残ってない。これはドクターヘリとかのお世話になるケースなのだろうか?おぼろげにそんなことが頭をよぎったのだけかすかに覚えている。




そしてもう眠くて眠くてしょうがない。

眠くてたまらない状態って、後から考えたらそれ死んでいく状況なんじゃないかとゾッとしますが。

フランダースの犬の最終回のネロの「パトラッシュなんか僕すごく眠いんだ。眠くてたまらないんだ」状態。




目を閉じて眠りかけた時、後ろからゾロゾロ人が来た気配が。そしてその集団の一人の小さな子が近づいて来て地面に倒れている自分の口元にボトルの酸素を数十秒放出してくれた。




それで意識がしっかりして来た自分が顔を上げるともうその子供はいなく、その集団の最後尾を歩いているのは割烹着を着たお婆さんだったのも、後から思い起こせはあり得ない話だった。




でもおかげで自分は息を吹き返し、さすがに上にはいけなかったが、ふもとまで引き返すことができた。

ああいうのがサードマンなんだろうか??




 

無念の思いで引き返す途中、8.8合目くらいから見た日の出。

 

 

ほぼ虫の息&白目で撮影。


 


後日、AKIRAさんに「悔しい思いこそ、貴重な体験」と励ましていただいた。



もう富士山には行くことは無いが本当に貴重な体験でした。。。















 

おじいちゃんの命日

今日は母方のおじいちゃんの命日。


戦時中に戦死しているので会った事はありませんが、自分がワクチン寄付をずっと続けてこられているのはおじいちゃんのおかげです。


おじいちゃんは終戦間際のビルマ(現ミャンマー)沖海戦で戦闘機で戦闘中に撃ち落とされ畑に墜落して爆破炎上したのだが、燃え上がる戦闘機の中にビルマの救護班の人たちが飛び込んできて、おじいちゃんを引っ張り出してくれたという。
撃墜されて即死だったので、その時点で命は無かったのだがそこで灰にならずに済んだ。


高校の時にそういった話をその戦闘機に同乗していたかたに会わせていただく機会があり、状況を詳しく聞かせていただいた。



大人になったらビルマに行って助けてくれた人たちを探して恩返ししよう。そう思いながら月日がたち、ビルマに行けないまま大人になってしまった。しかも、終戦後何十年もたち当時炎上した戦闘機の中に飛び込んできて助けてくれた人たちを探すのはもう不可能に近い。どうしたらいいのだろうか?



そうした葛藤の中、あるきっかけで世界にワクチンを寄付する活動があるのを知った。
しかも現在不足しているのがミャンマー(当時のビルマ)の小児麻痺のワクチンだという。



助け出してくれたミャンマーの人たちに直接恩返しはできなくとも、ミャンマーの国に生まれてくる子どもたちの命を救えば間接的にその人たちへの恩返しにつながるのではないか?
そうした思いが自分の活動力に拍車をかけ、今も継続する原動力となっています。



いろんなことが一つにつながってきて、本当に不思議です。これからも頑張ります!























高地トレ

高地トレーニング。
マラソン選手が取り入れている練習法と思っていたが、今ではいろんな競技の選手たちが海を渡り世界の高地にあるトレーニング施設で練習しているようです。


水泳選手も最近では準高地として長野にもその主旨の練習施設ができたようですが、よくスペインだとかアリゾナだとか行き来しているようです。



酒井夏海選手が来た時にいろいろそのお話をうかがいました。


スペインとかの高地入りして数日はかなり身体がキツいそうです。頭も痛かったり。

人工的に身体に低酸素状態を作り出すわけだから、本当にそうしたトレーニングは科学的なのか?と思ってしまいます。



が、帰国してからはすごく身体が楽に動けるそうです。高地で低酸素状態に置かれている間、酸素を運搬するヘモグロビンが急激に量産される。
人間の身体の適応力ってホント凄いんだなあと思います。


でもそれ以前に、それを克服してくる選手の皆さんには本当に頭が下がります。
自分なんかが想像を絶する過酷な状況下だと思います。
体力だけじゃなく、メンタルも強靭でないと克服できないと思う。



それだけの思いをして乗り越えて、来年に挑む選手の皆さん、来年東京では今までのそうした努力が身を結んで欲しいです。応援しています!














だいぶ気温が下がり

だいぶ寒くなってきました。

というのは世の中全体の思いだと思いますが、
さすがに自分でだいぶ寒くなってきたと感じています。



本当に秋と春が短くなってしまって、夏が終わったらすぐに冬が訪れる気がします。



つい3、4か月前は真夏で、この暑さは異常なんじゃないか?とか言ってたのに。



当時、BRAVEに練習に行ったときのことです。
前日からわずか一日、車にシューズを入れておいて、いざ履いて練習したら、足の裏にヌルっという嫌〜な感触が。

自分は真夏に海岸でアスファルトの上を裸足で走ったら足の裏の皮が全部剥げたことがあったんだけど、その時の感覚と似ていたので、もしや足の裏の皮膚が?!と思ったら、靴の裏皮が溶けて剥がれました。


こんなところが暑さで溶けて剥がれるって生涯初めてです。



なんか急に身長が何センチか低くなって、逆シークレットシューズ状態になっちゃったぞ(笑)!


ということで、この日は裸足で練習しました。


わずか何か月でこんなに激しく変動するなんて、地球は大丈夫なんでしょうか?


まあ世の中ってずっと同じものや同じことって無いので、これからが新たな時代への突入なのかもしれませんが。


ただ、すごく暑かったりすごく寒かったりだと、人間はエアコンたくさん使うようになって、それによって皮膚呼吸や身体の抵抗力が低下して弱体化していってしまう、それが心配です。
常にコンディション良く保ちたいものです。。。


















1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>