論文式試験問題について | フルカウント

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司法試験に3回目かつ5年目の崖っぷちでなんとか合格できた弁護士による受験備忘録です。

司法試験は、大きく択一試験(公法、民事、刑事)と論文試験(憲法、行政法、民法、商法、民事訴訟法、刑法、刑事訴訟法、選択科目)に分かれます。

そして、択一試験は、問題の正誤を判断し正解の選択肢を選ぶというものなので、表現力等が必要な試験ではありません。反対に、論文試験は、設問についての解答を文章で論じることが必要であるためにまさに文章力が問われる試験です。

したがって、論文試験の勉強としては、設問を解くこと、答案を書いて練習することが試験に直結する勉強であると言えます。
しかし、ロースクールでは、このような答案練習は悪しき受験教育であるとして、全面的に禁止されています。ここにロースクール教育の大きな欠陥があります。

ロースクールの教育では、法律のルールは教えるが、その実践の結果である文書の作成についての教育は何ら行われません。そのような状況で、司法試験の論文試験に合格することが当然の前提とされています。
これは、簡単な例を挙げると、サッカーのルール(法律)を教わっただけで、サッカーの練習(答案の作成)を全く禁止された状態で、サッカーのプロテストに合格すること(司法試験に合格すること)を要求されているようなものです。
このような誰が考えてもおかしな状況に受験生は置かれています。
これが、ロースクール教育が試験に役立たない大きな要因のひとつです。

よって、受験生は、独学で文章力をつける必要があります
つまり、文章力に関しては、完全に個人の能力や努力に依存しているということです。
したがって、元々文章を書くことが得意な人は、何の問題も感じないかもしれませんが、
そうでない方は、自分で方法論を見出して、論文試験に通用する文章力を身につける必要があります。この点が、受験生の多くが悩み苦しむ点であると思われます。

ここで、一般の方は、法律の文章を書く方法論などもテキストが存在しているのだろうと思われるかもしれませんが、実際は全くと言っていいほどそのようなテキストは存在していません。
したがって、本などを読んで文章力を学ぶ勉強をすることはできません。これは、法律の文章を書くことに関して演繹的(抽象的)な勉強方法が存在していないことを意味しています。

つまり、受験生に残された勉強方法は、帰納的(具体的)なものです。
それは、具体的に答案を書いてみて、それを他人に評価してもらいながら、文章力を身につけるという方法です。
このような帰納的な勉強方法は、実践的ではありますが、そのような実践により文章力が身につくかどうか曖昧な点が残ります。それは、文章力を養うことに関して抽象的なルールがすべてにおいて明確でないからです。

私は、法律の文章力を身に付ける演繹的な学習方法が存在していないこと、こそが司法試験の勉強を難しくしている最大の要因であると考えています。
そして、その原因は、これまでリーガルライティングについて、日本の法学者が学問的価値を置かなかったために、学問の蓄積がなく、演繹的な方法論が全くと言っていいほど確立していないことにあると思います。
この点について改善されない限り、ロースクール未修者の司法試験合格率が上がることはないでしょう。