punk girl,pipe line,folk song,部! | P O P S × D O N' T × C R Y

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“Not oldies but goodies”

Facebookって近頃ぜんぜん更新してなくて、たまーに開くぐらいなんだけど、先日ふと開いたらフォロー申請が来てて、誰だろうと思ってその人のページに飛んでみたら中学の同級生の女の子だった。

卒業してからも定期的に思い出して「元気だろうか」と気にしていた子なので「うわー!!元気にしてるんだー!!」と心底嬉しくなった。

彼女、歳の離れた外人と結婚して今は海外で暮らしているようだった。とっても彼女らしくて感動してしまった。



中学生時代。。。。。




僕が通っていた世田谷の公立中学校には軽音楽部的なものが存在しなかった。

中1の理科の授業で、音の出る仕組みについて学ぶため担任のエレキギターが授業に持ち込まれ、クラスで唯一ギターが弾けた僕は皆の前でギターを弾かされた。

たいして弾けなかったけど(いまも弾けないけど)中1のガキんちょ共にとってクラスメートがエレキギターを弾く姿は威力バツグンで、教室中が沸きに沸いたのを覚えている。授業が終わっても僕の周りにはしばらく生徒達が輪を作っていた。

その日を境に男子の間で一大ギターブームが巻き起こり、みんな次々と親に買ってもらったギターを学校に持ってきて、そのほとんどがあっという間に飽きてギターに埃を積もらせた。

多くの男子がギターに飽きてしまった後も、一握りの仲間は熱心にギターを弾き、僕が熱心に聴いているビートルズを真似て聴いた。

僕たちは放課後に練習する場所が欲しかったので、気難しいがジョンレノンの大ファンである国語教師に相談を持ちかけた。

意外にもあっさり僕たちの希望は通り、その国語教師を顧問として「フォークソング部(みたいな名前だったと思うが正確な名称は忘れてしまった、今も残っているのだろうか)」が設立された。

僕たちは放課後に音楽室を使うことを許され、安物のエレキギターと酷い音の出るミニアンプを持って集まっては音楽室の床に座りこんで夕方まで楽しい時間を過ごした。

僕は根っからの人見知りで恥ずかしがり屋だが、同時に目立ちたがり屋でもあった。
部の立ち上げに成功したので、次は人前で演奏したいという気持ちが湧いた。

僕は合唱コンクールで演奏できないかと顧問に提案した。部員数は3人ほどしかいなかったが顧問がいる正式な部として発足していたため、その提案もすんなり通ったのだった。

ギターだけで演奏できる曲ということで顧問の提案したベンチャーズの「pipeline」が課題曲となり、顧問がコピーしてきた楽譜を受け取った僕たちは感じたことのない使命感と興奮を覚えていた。

部員は僕の他に、野球部で鍛えたゴリラのような風貌で人懐っこい性格のN君(彼は僕に習って聴き始めたビートルズに心底ハマり、受験を控えた中3の頃に来日したポールマッカートニーを一緒に見に行ったのも彼だった。)、もう一人は筋金入りの問題児で他校の生徒と喧嘩ばかりするような奴だったけどなぜか僕を好いてくれ、よく遊んでいたG君の二人だった。

顧問含む4人で合唱コンクールでの大舞台に向けてベンチャーズをペケペケ練習していた頃に、部に入ってきたのが、冒頭の彼女であった。

彼女は中学生とは思えないほど大人びていて、体型も子供っぽさが全くなく既に膨らむべき所がしっかり膨らんでいて(失礼)、平気で早退や遅刻をして、トゲのある話し方で先生を怒らせ、ついでにタバコを吸っていた。
そしてベースを弾いていた。

全校生徒が校庭に出て運動会の予行練習をしたとき、嫌味な体育教師が拡声器で彼女を名指しで注意したことがあった。
彼女は黙って立ち上がると校舎の方へ消えていき、数分後に校内から非常ベルがけたたましく響いた。
校舎に急いだ教師達が見たのは、彼女が消火器をぶちまけて真っ白になった廊下と壁だった。

人に媚びず、輪に入らず、それでもよく笑うロック好きな不良少女と僕はとても仲良くなって、由来は忘れたがお互いを「じいちゃん」「ばあちゃん」と呼び合っていた。

放課後も一緒になってベンチャーズを練習したが、合唱コンクールを目前にしてばあちゃんは練習に来なくなり、本番当日は学校にすら来なかった。

すごく年上の男と付き合っているという噂があったり、たまに何かにすごい怒っていたり、気分次第で学校を抜け出したりする彼女だから、僕たちに連絡も無く合唱コンクールに来なかったのにも何か彼女なりの理由があって、彼女にしかわからないルールで彼女は動いていて、そこに僕が何か働きかけることなんて到底できないとわかっていたから、その件について僕は彼女を咎めたりしなかった。

中学を卒業してからは連絡をとることもなかったけど、大学に入ってから一度だけどこかでバッタリ会ったような記憶がある。
その時にゴリラのN君はガクと同じ早稲田に行っているんだよ、という話を彼女から聞いてびっくり仰天し、連絡先を聞いて一度Nと学食で昼飯を食いながら話したけど、中学時代はあんなに仲が良かったのに話があまり盛り上がらず、その後は一度も会っていない。

それからまた数年の時を経て、彼女がFacebookで僕を見つけてフォロー申請してくれたことに感動を覚えた。
偶然「知り合いかも?」に出てきたのか、でも中学時代の友達とはSNSでほとんど繋がってない筈なので暇つぶしに僕の名前を検索してみたのかもしれない。
きっと「あ!じいちゃんだー!」と笑顔で言ったに違いない。
元気そうで、幸せそうでよかったー。

彼女みたいに周りの一般人からかけ離れた世界を持っていると、下手すると幸せになれない生き方をしてしまうんじゃないかと思って、ちょっと心配してたんだ。

じいちゃんは相変わらず下手クソなギターを弾いています。でも良い歌をたくさん作ってるし、けっこう良いとこまで来ててもう一歩って感じです。
成功して、カッコいいとこ見せたいなー!!

僕が人生で初めて会ったパンクロッカー、またいつか会いたいなあ。