『Lady Day』 | ガランリンの脇台詞 *わきぜりふ*

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伽藍琳(ガランリン)のブログ

昨夜観た『Lady Day』、本当に良かった!
幕開きの第一声から引き込まれて(第一声の歌詞がまたすごく素敵)、終盤、瞳子ちゃんがビリー・ホリディにしか見えない瞬間が何度もあった。心震えました。

人種差別が根底にある作品って、黒人の話なら黒人が演じないと絶対ダメ(黒塗りして演じても、流れる血が物語る説得力には敵わない)と思っていたけど、私、初めてかもしれません、黒塗りした俳優が演じる黒人のストーリーに、本気で惹きこまれたの。ビリーの言葉のみで語られる、彼らの、彼女の抱えてきた背景が、目の前に映像で見えるかのようでした。血を超えて、一人の人間としてビリーに共感したり心を寄せてみたり。それだけ深かった。すごかった。

黒く光る顔を映し出す照明がまた、哀しいほど美しかった。奇をてらわない、それでいて、生と死と、温もりと冷たさ両方を感じさせる装置も。

昨日は作詞家の亜子さんと観に行って、開演前に、「Jazz(とかBlues)を訳すの難しかったでしょ?」「でもJazzって日本語に訳した時点でもうJazzではなかったりするしね」なんて話もしていたのだけど、あれだけ有名な「奇妙な果実」も(日本語で聴いて)違和感を感じるどころか、歌の内容が初めて心にダイレクトに突き刺さってきて、伝わる言語で届けることって、大事なんだなぁ…と実感。英語で作られた歌は英語で歌ってこそ本来の良さが伝わる、なんて思っていたけど、これもまた時によりけり。日本語詞のおかげで、この曲の持つ力に改めて憑りつかれてしまった。メッセージを伝えるという意味で、Jazzであるかどうかは(私にとって)あまり重要じゃなくて、歌は、「歌う人が何を感じて歌ってるかなんだ」というビリーの言葉をまさに体感した夜でした。

東京公演は29日まで。まだ観てない人はぜひ!!