100歳の祖父が、昨日亡くなりました。
母方の祖父。
祖父母では唯一この世にいる人でした。
母方の祖母は、私の記憶ではもう葬式しかなく、遺影の顔しか分からない。
その祖母が若くして亡くなったのも、生きている間に散々迷惑をかけてきたのも、ぜんぶ祖父のせいだと言い、祖父のことを嫌ってきた母。
近親者だと難しい事情があっても、代を1つまたぐと違った感覚で付き合えます。
おじいちゃんになってから、いつもニコニコ、丸くなったそうなので、若い時とは別人みたいですし。
そんな祖父。
先日、市から100歳の表彰を受け、「100歳までは生きなきゃいかん」という目標を晴れてクリアしました。
今年に入り、インフルエンザで肺炎になるまでは車椅子に乗っていられました。
数年前までは、悪い膝をひょこひょこしながら歩いてましたし。
叔母の近くで曲りなりにも一人暮らしをしていました。
戦争中は、通訳のようなことをして生き延びたとか。
前妻のお仏壇を背負って逃げてきたとか、きっと祖父なりの波瀾万丈な人生だったと思います。
戦後、祖母と再婚してからは、お店は祖母に任せきり、夜は流しのギターでカラオケするなど、貧乏なのにお金を散財したということ。
なぜか、祖父の叔母の小姑が同居することになり、大変だったこと。
祖母も、母も、みんな各々の立場で大変だったのだろうなと今なら思える。
でも、私が知っている祖父は、いかにもおじいちゃんっていうイメージの、ニコニコ愛想のいい人。
飲み屋で酔っ払って、手に負えない場面も見ていない。
だから、悪いイメージはなく。
頼りないおじいちゃんってぐらい。
それだからなのか。
今朝、私の夢に、2度も出てきました。
夢の中の祖父は、車椅子に乗っていて。
手すりを手繰り寄せて、私に近づいてきました。
「誰もわしの名前を呼んでくれん。」と寂しそうに訴えてきました。
大きな声で何回か、「◯◯◯◯さーん!」って呼んだら、嬉しそうにフフッと笑顔に。
たったそれだけの夢でしたが。
そんな夢を一晩に2度も見ました。
母に話したら、「さすがじいちゃん。分かってくれる人のところに行ったのね」と驚いてました。
祖父のことを分かってあげられたのか分かりませんが。
最期のお別れが出来て良かったです。
そういえば、父方の祖父が亡くなった時は、看取った気がしました。
亡くなる数時間前、家族でかけつけると、苦しそうな呼吸をしていて。肺炎3度目でした。
なぜか、手を握った私。
呼吸リズムに合わせてギュッ、ギュッと軽く手を握っていました。
ふと思い立ち、少しずつ私の呼吸リズムに合わせるよう、握る間隔を少しずつ伸ばしていきました。
そしたら、さっきまであんなに苦しそうな浅い呼吸をしていたのに、すーっと全身の力が抜けて、深いゆっくりとした呼吸に変わりました。
おじいちゃん寝たんだな、と思いました。
医師から、峠を越したので今夜は帰ってください、と言われ、帰宅した直後、亡くなりました。
あの時、楽になって天国へ行けたのかな。
不思議な体験でした。
どちらの祖父も、戦争を生き抜いた人たち。二人とも長生きでした。
もっと若い時に、話を聞ければ良かったな、と思います。
今から思えば、戦争によって人生を狂わされた人たちでもあり。
現在に生きている感覚が薄かったような。
今となっては分からないことばかりですが。
祖父が、最期まで家族に見守られ命を閉じられたこと。
心底良かったなと思います。
世代交代。
私は娘に何を遺せるだろう。
負のものをなるべく削ぎ落としてあげたい。
そのためにも、自分改革。