【戦国TV】織田家の後継者問題、清洲会議とは?「武将浅成」
清洲会議はこうして行われた・・・。
天正10年6月の本能寺の変において、
織田家前当主織田信長は京都で家臣の明智光秀によって討たれ、
信長の嫡男で織田家当主であった織田信忠も二条城で死亡した。
光秀は山崎の戦いで討たれ、
織田家後継者及び遺領の配分を決定することを目的に、
尾張国清洲城(愛知県清須市)で開催された。
集まった織田家家臣は
柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興の4人で、
滝川一益は関東地方へ出陣中で欠席した
(直前の神流川の戦いでの敗戦を口実に、参加を拒まれたとの説もある)。